大人買いCDセットによるクラシック音楽市場の死
2018 AUG 25 22:22:01 pm by 東 賢太郎
アマゾンからマーキュリー・リヴィング・プレゼンス・コレクターズ・エディション3が届きました。アンタール・ドラティ、ポール・パレー、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー、アナトール・フィストラーリという気になる指揮者の1960年前後の録音が中心に53枚組というブロッキーなものです。
それが、昨日の午後にネットで見つけて注文したら今朝に家に届いている。店舗で買って、重たい思いをして持ち帰って一晩で53枚聴けるわけありません。でも、3日もたっての配達だとやや熱が冷めてしまう。翌朝のお届けは絶妙ですね。事務用品通販のアスクルは明日来るが売りでしたが、アマゾンの出現で全商品それが当たり前になってしまいました。
だからほとんどの実店舗型小売りは売上が減少し、米国でついにトイザらスが倒産というショッキングなニュースに至ったのはご記憶に新しいでしょう。残酷なようですが自由主義、資本主義はこういうもの、「アマゾンによる死(Death by Amazon)」は盛者必衰の理の一断面であります。
米投資情報会社ビスポーク・インベストメント・グループが2012年に設定した指数で、アマゾン躍進で負け組になりそうな実店舗型小売業を集めた「アマゾン恐怖銘柄指数」(Bespoke “Death by Amazon” index)の株価パフォーマンスを見ると2016年からの2年間でまさに恐ろしいことになっています。
思えばその昔、石丸電気などでLPレコードをあれこれ迷うのは絶大な楽しみでした。LPレコードは収録されているコンテンツの是非以前に、塩化ヴィニールの表面を擦過する針音が一品ごとに微妙に異なるという是非がありました。だから購買にはレジでの検盤という重要なプロセスがあり、それでも帰宅してターンテーブルに乗せてみないと針音はわからないというリスクは除去できず、さらにコンテンツである演奏が気に入るか否かというダブルのリスクがあったのです。
それをCDが駆逐して電子的読み取り信号が商品となった瞬間に目視による検盤は無意味となりました。「第1のリスク」は除去できたものの擦過がなくなり、購買という行為は均質な工業製品の仕入れと変わらなくなりました。しかしそれでもCDはモノではありました。それが今やEコマースだ。僕らはもはや物体でない「虚像(イメージ)」を紙幣という物体すら介さずにプラスチックのカードに記載されている無機質な数字列と引き換えているのです。
まあここまでは百歩譲って「利便性」の勝利と認めましょう。自由主義、資本主義はこういうものだと。しかし均質な工業製品は品質を落とさずに大量生産が可能で小型化により輸送費も在庫管理費も低下して物体としての製造、小売り単価は劇的に圧縮されます。すると「第2のリスク」である「コンテンツである演奏が気に入るか否か」は大方の購買者にとってリスクではなくなってきます。たかが1枚150円のCDがハズレでも大したことはないからです。
そこまで割り切ってしまった自分でしたが、新品53枚組のケースを開けてみると、しかし、これはなんということだと絶句してしまったのです。ドラティのブラームス交響曲全集がドーンと目に飛び込んで・・・。
ここから53枚目に至るまで、一枚一枚のジャケットに感嘆の声をあげながら中のCDを取り出し、いつくしみ、こんなやつが出てくると狂喜し、
こんなのが出てくるや、これは単品では絶対に買わなかったぞと嘆息するという塩梅でした。
このさまを観ていた家内にはわからないだろうと咄嗟に「子供の時にメンコのセットを買ってもらった時の気持ちだよ」と、我ながらうまいことを言うなと納得の説明をしたのですが、さらにわからなくなったようでした。ところがです、一連の出会いの感動からだんだん覚めてくると、この僕にもわからないことが頭をもたげてくるのです。
ちょっとまてよ、セットはいいが53枚組で8千円?なんだそれは、1枚150円かよ?カラのCDRがそんなもんだったじゃないか、ということはコンテンツはタダのおまけか?何かおかしいぞ、ドラティのブラームス、俺は1万円でもいいぞ、コープランドは5千円でも。
ほんとうです。まったくイラショナル(非合理)なことですが、僕は150円じゃなく1万円、5千円払いたいのです。もしそれで昔の価値観の時代に戻るなら・・・。
2000年ごろ不良債権のバルクセールというのがよくありました。纏め売り、バナナのたたき売りであって、単品では売れないクズ不動産を「オトナ買い」させたい銀行の窮余の一策でした。「53枚組はあれと同じか?そんなにCDは売れないのか?」、危機感が僕の頭をよぎりました。現実に売れ残りのバルクの中に箱根の土地があった。芦ノ湖、プリンスホテルを眼下に望む景観があって、えっ、こんな安くていいのという値段でした。
リゾート地が売れなくなる。業者は資金効率のために売らんかなの姿勢になる。すると売れる市場価格まで値が下がる。すると景観の価値は度外視になるのです。駅近、治安、生活インフラなど万人が気にする要素(地価を決めるハードとしての要素)に比べ趣味性が高い景観は先に無視される要素なのです。CDにおいてコンテンツである音楽は趣味性の要素で、売らんかな姿勢の業者がバルクセールをすれば、値段はハード(工業製品)原価であるCDR1枚の値段まで下がり得るということです。
それは購買者としてはむしろ有難いことです。しかし、マクロ現象として長期的な目で見るならば危機をはらんでいます。53枚組のどの1枚だってLPの頃は1500円はしていた。インフレを加えると10分の1超に至る価格破壊が「第2のリスク」を軽減してはくれます。しかし、その背景で由々しきことが進行しています。購買者は選択の安心と引き換えに鑑賞への集中力を無意識に放棄しているということです。まあ安いから聞いてみようか、1枚150円のCDがハズレでも大したことはないや。10倍のお金で買った場合とは集中力はおのずと違います。それが常態化すると人間は徐々に不要となった能力を失うのは進化の歴史が証明しています。
供給者側でも、アダムのジゼルの程度のクオリティの音楽、つまりたいして売れそうもないコンテンツを当代一人者のフィストラーリのような演奏家、最新鋭の録音システムでコストをかけて商品化しようというインセンティブは著しく低減するでしょう。英Deccaがヘルベルト・フォン・カラヤン / ウィーン・フィルを起用したジゼルは1分当たりの(音楽の価値)÷(製造者原価)の値が最も低い録音だろうと思われ、収録した1961年あたりにクラシック音楽ソフト市場の数値のボトムがあった可能性が高いと考えております。
需給の両サイドでの質の低下は確実に文化を変質に追い込みます。経済学のわかる人は本稿の趣旨である「アマゾンによる死(Death by Amazon)」との類似性を見抜かれるでしょう。大人買いCDセットはクラシック音楽ソフト市場の断末魔になりかねないのです。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
Categories:______グローバル経済, ______世相に思う, ______音楽と自分
maeda
8/26/2018 | 11:53 AM Permalink
本当に欲しい物だけ入手することでしょうね。福袋はいかんですね。
西村 淳
8/26/2018 | 7:56 PM Permalink
マーキュリーボックスのような企画は巷にあふれていますね。私達のように同時代を生きた演奏家のものが詰まっているし、オリジナルジャケットを使うことでノスタルジックな演出もあり。このレーベルだと当時35mmフィルムを使った録音が一つの売りになっていたし、LPのオリジナル盤から放たれる音像にはビックリするほどの情報量がはいっています。
今の演奏家のCDでもやはり最初にリリースされたものにはそれなりの情報も付加されているし、モノづくりの基本的なスタンスは同じでしょう。CDは終焉でしょうけれど、その次のパッケージを探っているというのが現在かなと思っています。
一方まだ売れるものなら(単独では無理でも)最後の一滴まで絞ってしまえ、というのがこのスタイルなのかもしれません。リヴィング・ステレオの60枚組も買いましたが、ノスタルジーだけではなかなか敢えて聴こうという気にはなりませんね。
東 賢太郎
8/29/2018 | 10:54 AM Permalink
「CDは終焉でしょうけれど、その次のパッケージを探っているというのが現在かなと思っています」「一方まだ売れるものなら(単独では無理でも)最後の一滴まで絞ってしまえ」
その通りと思います。SP、LP、CDの次のメディアですね。僕はCDに投資してその装置にもしましたが欠陥も知りました。ミキシングの問題です。指揮者が故人の場合、クラシックを知らないとしか思えないミキサーがバランスをめちゃくちゃにしいるものがあり全部捨てました。新メディア効果に見せかけるためでしょうが詐欺のレベルです。LPの方が音が良いと巷でいいますが、その要因は大指揮者がミキシングルームで聴いて許可した音とド素人がCD用にいじくった音を比べてる要素がメディアの音質の差異より大きいと思われ、あたりまえです。僕もLP派に向かいつつありますが、故人の録音を聴く場合が多いのと、自分の好みに合わせる要素が増えるためです。次世代メディは全く関心ありません。
maeda
8/31/2018 | 1:26 AM Permalink
メディアが進歩してもコンテンツが良くなるとは限らないのは、良くしても売れないからでしょうか。蓄音機の音は生々しい迫力がありLPは敵いません。壊れやすさとか大きさとか録音時間であるとか取り扱いは簡単になってきていますし、ノイズは少なくなりましたが、魂を伝えることから遠ざかって行くのが残念です。とは言え、ミキシングの問題などは、バランスも含めやり方次第なはずで、伸びてしまったマスターテープの歪みを修正したりノイズを除去する作業も慎重に行えば、聴きやすくはなります。次世代メディアも使いようではないかとも思いますので、クオリティの高い物を求める人がいることが大事なのかなと思います。