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シベリウス交響曲第7番の名演

2018 NOV 21 0:00:18 am by 東 賢太郎

この曲にはどこか聴く者の魂を吸い寄せて浄化するものがある。4番や交響詩タピオラのごとく徹頭徹尾きく者を拒絶することなく愛や慕情が交差もしている。それがスケルツォの峻厳な自然界の試練を経てこの世への別れのようなコーダに至って天国の情景が彼方の明るみに茫洋と浮かび来るのである。

それをシベリウスは切り詰めた管弦楽で描ききった。スコアは金管がHr4、TrpとTrb各3だが木管は2管編成で、5、6番と同じか小さい。書法は精緻で室内楽的な透明感に満ち、スタート地点に位置する1、2番が劇的 / 散文的とするならシベリウスは6,7番に向けて徐々に切り詰めた俳諧的小宇宙を形成していった。5才年長のグスタフ・マーラーとは真逆のベクトルをもって同時代を生きた人で、僕は彼の人生観、美感のほうを支持する。

一般に「単一楽章ながら各部に交響曲のエレメントを見出せる」と説明されるが、あまり無理せず初演時の『交響的幻想曲』なるコンセプトがこうなる宿命のものだったと考えればいいのではないか。というのは、シベリウスがこれを交響曲と呼びたくなったのは交響曲が書けなくなったからではないかと思っているからだ。現にこれを7番として次にとりかかった形跡はあるが、シベリウスは「第8番は括弧つきでの話だが何度も “完成” した」と語った。妻アイノは1945年に夫が楽譜を火にくべたのを目撃しており一部がそれだったといわれる。

シベリウスは1926年に最後の完成作である交響詩『タピオラ』を完成させたが、その完成後さらに30年生きた。交響曲第8番を仕上げると約束し1931年にベルリンで「交響曲は大きな歩みで進んでいる」と報告し、同年12月の日記には「私は『第8番』を書いている。青春のまっただ中だ」と記している。そして焼却した後である1950年代になってもまだ「第8番の作曲に取り組んでいる」と述べていた。そして亡くなるまで勤めた秘書には「死の前に主要な作業を完了するだろう」と言っていた。しかし彼は書けなかったのである。

彼が7番を「交響曲」として着想し、様々な紆余曲折を経て「幻想曲」として初演し、思い直して交響曲第7番と呼んだ。そこで心に起きていたと思われる葛藤は壮絶なものだったにちがいない。明らかに「青春のまっただ中」にはない自分。世の期待にこたえて書かなくてはいけない義務感。保持しなくてはいけないシベリウスという名声。そしてはるか高みに輝いてしまった前作の7番。僕はいま仕事で昔の自分と戦っている最中で、もうかなわないと思った時に辞めるしかないと感じている。7番の最後の1ページ。これをシベリウスはもう書けなかった。行き着く場のない草稿は燃やすしかなかったのだろう。

これがその「最後の1ページ」である。

E♭7、E♭7⁻5、A♭、D7、ここでホルンがレを引っ張りティンパニがドをトレモロでたたく。低音の2度音程の濁り。そこに弦のピッチカートを伴って低音域の木管合奏によるG7が響き渡り(この音域だとオーボエが目立つ)、それに重ねてコントラバス、チェロ、ティンパニ、ホルン4本の強烈なドが鳴らされる。これはベートーベンの田園の第5楽章の入りのところ(下の楽譜)、ハ長調トニック和音に主音の完全5度下のファがバスとして侵入してヘ長調に転調するのと同じである。

このマジカルな衝撃と同時に、コントラバスとファゴットを除く全部の弦と木管がレ→ドのトロンボーン・ソロの旋律(アイノのテーマ)の特徴であった倚音をユニゾンで鳴らし、弦だけがシ→ドと再度の倚音よりクレッシェンドしながら天空の高みに消えるのである。何と凄まじいエンディングだろう。

ところがここにひとつの重大な問題がある。①最後のシ→ドにトランペットを重ねる、②ティンパニ、金管をシベリウスの指示と正反対にクレッシェンドするという改変(①のみ、②のみ、①②両方の3パターンあり)を行っている指揮者がいるのだ。最も古い録音であるクーセヴィツキーの改変がオリジナルと思われる(彼はボストン響で8番の初演を任されていた)。

7番が完成された1924年にはシェーンベルクが5つのピアノ曲 op.23を作曲して12音技法に移行し音楽は新しい世界へ向かっていた。一方でシベリウスの国際的な受容は欧州大陸ではなく英国、米国で進みつつあった。彼は自作のラジオ放送を受信し、演奏してくれる指揮者は誰にも好意的であったという。ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、オネゲルらの新作をボストン響で初演し米国での伝道師的立場にあったクーセヴィツキーの意見を聞いた可能性はあろう。

ご参考までに分類すると以下のようになる。

トランペット改変版で振っているのは、オーマンディ、ビーチャム、渡邊暁雄、ムラヴィンスキー、ボールト

ティンパニ、金管の音量改変版はバーンスタイン、ロジェストヴェンスキー、アシュケナージ、ザンデルリンク

ほぼスコア通りがマゼール(VPO)、カラヤン(BPO)、ギブソン、デイヴィス

完璧なのはセル、カラヤン(PO)、バルビローリ、ヴァンスカ、セゲルスタム、ベルグルンド(ボーンマス、ヘルシンキ、COE)、サロネン、ミッコ・フランク、ラトル、インキネン、コリンズ、ハーディング、ブロムシュテット、ニーメ・ヤルヴィ、カム(ラハティ)、エルダー

言うまでもないことだが音楽は結尾で印象が大きく左右される。ましてそこは既述のように7番の生命線ともいえる重要な着地点であり、いずれの改変も改悪でしかない。渡邊暁雄のようにごく控えめにTrpを重ねるだけであってもシ→ドの色彩、質感は変わってしまう事は皆さんご自身の耳でお確かめいただきたい。Tim、金管の増音に至っては7番全体のコンセプトをどう解釈しているのか疑うばかりで全くお門違いの論外と言うしかない。

 

オッコ・カム / ラハティ交響楽団

東京(オペラシティ)で聴いたこのコンビの7番には打ちのめされた。フィンランド語で語られたシベリウスだった。ラハティ響団員の曲への深い愛情と敬意。要所要所の語り口、歌いまわし、トロンボーンソロの神々しさ、どれをとってもこういうものだったのかと唸らされ、奇異に思っていた部分も自然であることを知った。7番のスコアに無駄な音など1音もないのだ。それはこの録音でもわかる。終結は素晴らしく感動的であり、まさにシベリウスはこう書いているのである。

オッコ・カム指揮ラハティ響のシベリウス5-7番を聴く

 

ヘルベルト・ブロムシュテット / サンフランシスコ交響楽団

この人のシベリウスを僕は高く買っている。実演のブラームスやチャイコフスキーは筋肉質で固く感じ好きになれなかったがシベリウスではその特性がプラスに出て、この7番も硬質に磨かれたアンサンブルで間然するところなしだ。シベリウスにしては細部まで見通しが良すぎるほどで、オケが下手だと逆効果だがSFSOの独奏、合奏の機能性は完璧でクリスタルのような微光を発している。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン / フィルハーモニア管弦楽団

1955年の旧録音。後のBPO盤よりこちらがずっと良い。ドイツ語圏の指揮者でシベリウスを振れた人はカラヤンしかいない。それも作曲家存命中だ。彼をほめると軽蔑されるのが日本のクラシック界だったのが懐かしい。彼はEMIの初レコーディングに当時ほとんど誰も知らないブルックナー8番を選び、僕が生まれた年にシベリウスの4番、7番を録音した人だ。それがこの見事な出来である。彼が「虚飾のきれいごとだけの指揮者」というのは音楽センスのない人にしか言いえない言葉だろう。

 

オスモ・ヴァンスカ / ラハティ交響楽団

ヴァンスカも上掲カムと同じくシベリウス生誕150年だった2015年12月に読響で聴いて感銘を受けたがやや怜悧さが勝った印象だった。しかしこのCDは実演同様にクリティカルにスコアを読み込んだ精密な細部を持つが、表現のタッチがデリケートな皮膚感覚を感じさせるというラハティ響の特質が出た素晴らしい7番。1度目のトロンボーンソロに至る過程の和声の感じ方は最高で、スケルツォ風の5番を思わせる部分のアンサンブルも血が通っている。

 

ヴァンスカ・読響のシベリウス5-7番を聴く

 

パーヴォ・ベルグルンド / ヨーロッパ室内管弦楽団

指揮者3回目かつ最後の全集。少しく小編成の管弦楽で緻密に繊細に内声部の対位法的な書法を浮き彫りにすることにフォーカスしたベルグルンドの集大成の録音だ。それでいて室内楽的にこじんまりした演奏ではない。それはスコアに茫漠たる空間を暗示する何かが内在しているためで、作曲家が封じ込めた宇宙に指揮者が感応してオーケストラが反応している様を感じる。シベリウスを知り尽くした人でなくては成しえない感動的なプレゼンテーション。

 

レイフ・セゲルスタム / デンマーク国立交響楽団

Chandosレーベルの特徴である暖色系のこってりした音色。残響、倍音成分のリッチなアコースティックを持つホールでの音だ。シベリウスの冷涼感はまったく薄いが音響的に心地よい録音の最右翼の一つである。ゆったりしたテンポ、シンフォニックで雄大なスケール、こういう角度から見るとこうなるのかという面白さに満ちるがシベリウス好きには受けないかもしれない。北欧系の人ながらドイツ系に近い音感でユニークではあるが解釈に無意味な恣意はない。

 

エサ・ペッカ・サロネン / スエーデン放送交響楽団

これはyoutubeのビデオなので消えるかもしれないがその前にぜひ一聴をおすすめしたい。サロネンは80年代にロンドンでトゥーランガリラ交響曲を聴いて才能に震撼した。この7番は素晴らしい。速めのテンポで一切の虚飾なくストレートで辛口。しかし要所で十分に熱いという稀有の演奏。エンディングの見事さは言葉なし。改定した演奏など足元にも寄せ付けぬ本物だけの凄みと言うしかない。

シベリウス 交響曲第7番ハ長調作品105

 

シベリウスの7番はイエスタディである

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