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遊びの教養

2018 NOV 22 0:00:03 am by 東 賢太郎

「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」にCDを提供していたレンタルCD店「ジャニス」が閉店するらしい。CD不況はそこまで来ている。本屋も激減している。若者は配信で済ましてモノを所有しなくなった。買うにしてもネットでクルマまで買えるし、ショップで手にして選ぶ需要は減っている。これはネット社会、クラウド社会による現象なんだろうか。

僕はyoutubeに100本ぐらい自分の好きなクラシック音源を公開しているが、はっきり言ってアクセス数はたいしたことない。英語で世界向けにしているにもかかわらず日本語ブログに比べると拍子抜けする程度である。ライブや古めの録音が多いから、そういうものに興味を持つ人が減ったのか世界にはもともと少なかったのか。

僕のように同じ曲の異演盤CDを100枚も買う人はもうあまりいないのだろう。そもそも19世紀にそんな趣味は存在もしなかったから先祖返りで消滅する運命なのかもしれない。決してネット、クラウドだけのせいではなく、人の志向が根っこから変わってきている気がする(それらが人間を変質させたと言ってもいいかもしれないが)。

するとオーディオもいらなくなる。今はヘッドホンでよい音がするし何より安いのだ。さらにはVRのソフトも格段にリアリティが出てきていて、いずれはもう海外旅行なんてバーチャルでいいやとなるだろう。カノジョもカレシもレンタルかバーチャル。Siriが進化して翻訳機能ができれば英語なんて学校で教えるのやめようよとなるかもしれない。

太古より文明は人間を楽にしてきたが、行き過ぎると人生はつまらなくならないだろうかと思う。そういう議論をしたら「そうではない」という奴がいる。それにつれて人間はちゃんと退化するから、楽と思ってたのがやがてちょうどいい具合に苦しくなるんだと。苦楽が釣り合えばそれなりに面白い人生だ、生きがいは感じられるというのだ。なるほど。

僕だって体力は退化してきたし、気づいてないだけで知力もそうかもしれない。行きつくところ認知症で寝たきりになれば人生はどうなるのか。楽しいのか苦痛なのか。わからないが、一つだけ確かなのは、遊ばなくなるだろうということだ。猫も老いると遊ばない。遊び。これは子供には仕事みたいなものだが、トシを食うにつれてどんどん人生から消えていくのだ。

そう思えばCDをあれこれ聞き比べるなんて何の価値も生まないし経済貢献もない、たんなるお遊びである。しかし僕はこれが飯より好きなのだ。そしてこれで色々見えてきたことがあるしそれは音楽に関係ないことだ。もっと前は少年サンデーで日本語を覚えたし野球で勝負を覚えたし、僕は教室ではなく遊びで学んだことのほうがずっと多く、いまはそれで食っているといって全く過言ではない。

これを「遊びの教養」と呼びたい。これは教養なのだ。どんなに勉強ができてもこれが足りないと社会ではつらい。少なくとも僕らの時代はそうだった。ところが昨今、TVなどをたまに見ると、明らかに「遊びの教養」が足りないと思われる輩がうまく生きられる時代になっていると思わないでもない。まあこの人と酒を酌み交わしてみようとは思わないだろうなというような。

それは社会全体のそれが低下しており、だからそういう輩が良いポジションを得られるようになってきたということか。リアルよりバーチャル、買わない、所有しない、回り道しない、無駄はしない、苦労は避けて小さな幸せでも満足。そうなのかなあと思う。「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」、あんなどうでもいいことを真剣に追及して笑ってみようというのは遊びだ。あれを「教養」と言ったら教養人は笑うだろう。でもその笑いより、あっちの笑いのがレベルが高いと僕は思う。

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Categories:______気づき

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