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クラシック徒然草《エドリアン・ボールトのエロイカ》

2019 APR 8 1:01:33 am by 東 賢太郎

録音には演奏会では得られないアトゥモスフィアがあります。atomosphereとはatmo(蒸気、大気)+sphere(球面、球体)であり、ある物を中心に球状に囲みこむ湿気を持った気体ということで、日本語訳は雰囲気とされます。「」は大気、気配、霧だから見事な訳と思います。

我々は常にアトゥモスフィアの球の中心点にあって、ある物である。すなわち、雰囲気とは自分というセンサーで感じ取った周囲の大気の状況です。演奏会場で五感を働かせて感知するものはそれである。ところが、スタジオで録音された演奏というものは、ホールの「ある座席」で感知した雰囲気ではなく、ミキシングによって合成された実在しない雰囲気がそこにあります。ある物が複数点となりそれを人工的といってしまえばそれまでですが、指揮者、プロデューサー、エンジニアの合作による一個のアートと考えることは可能で、演奏会がTVの生放送なら、スタジオ録音は映画に相当するでしょう。

指揮者が映画監督であって出来上がりに満足し、自分の名前をクレジットして世に問うているのだから、それが彼であり、彼がある物である。ブーレーズの春の祭典を東京とフランクフルトで2度実演で聴きましたが、始まる前から大きな期待はなく、というのはあの「複数点のアトゥモスフィア」を拾っているCBS盤以上の演奏が本人とはいえできるはずもなく、どこに座ろうが座席にあの分解能の高い音が物理的に届くはずもなく、映画のメーキングを見る関心のほうが勝っていました。そして、そこで聴いたものがレコード以上のものであるとは、どの部分をとっても思うことができなかったのです。

我が家のレコード棚

50年もレコードを聴いて育ってきますと、曲名を見れば「ああ、あのレコードね」ということになります。僕にとってあらゆる曲はまずレコードという物体として存在しているのです。半世紀前に1枚2千円(今なら1万円ぐらい?)も払って買ったものだから重い。記録を見ると、もったいなくて5回もかけていないものが多く、それで曲を記憶したというのはよほど耳を澄ましていたということでしょうか、レコードの盤面にあったスクラッチ(傷音)まで覚えているため曲がその個所に来るとライブなのに傷音が聞こえます。ということは、当然のごとく、曲はレコードのアトゥモスフィアごと記憶しているのです。そのこと自体はどれを最初にたまたま聴いたかということで重要ではありませんが、それをベンチマークとしてきき比べているうちに自分の好みのアトゥモスフィアが形成されることは看過できません。それが積み重なってバッハはこう、ブラームスはこうという趣味が出来上がる。新しいその曲の演奏を聴けば、その趣味に照らして好悪の判断が自然に出てくるというものです。

例えば、僕はベートーベンのエロイカをトスカニーニで入門し、それがベンチマークとなりました。そのせいかタイプの全く異なるフルトヴェングラーはいいと思わなかった。それが一気に変化したのはクーベリック/ベルリンPOのレコードによってです。演奏もさることながら、サウンドの重み等まさにアトゥモスフィアがこれしかないというもの。思ったのは、このBPOの音はやはりフルトヴェングラーが造ったのだろうなということ。そこで彼のを聴きなおすとやっぱりそうかもしれない。彼の時代の録音技術では低音が十分に捉えられていないのでしょう。そうやってだんだんと視野が広がっていきました。

僕はスコアをシンセで演奏して音としてはエロイカをずいぶん知ったしピアノでもさらいましたが、音符だけでは理解できないのがアトゥモスフィアだということを知ったのはだいぶ後のことでした。独奏楽器やオーケストラの固有の音の質感(クオリア)とホールの空気感が混然一体となって醸し出すatmo(蒸気、大気)ですね。言葉には変換できません。音の質感は倍音成分の混合で変化しますからatmoは実に複雑な音響要素のアマルガム(合金)であるといえます。クラシックを聴く最大の悦楽はこのアマルガムの煌めきを愛でることだと僕は信じています。煌めきは時々刻々と質感、色を変え、それが聴く者の感情を揺さぶります。和声やテンポやフレージングや歌と呼ばれるものはアマルガムの変容を引き起こすいち要素の名称です。

そう確信するに至ったのは、ホールの空気感がどう作用するかを自分で確かめる経験をしたからです。一昨年にライヴ・イマジン祝祭管弦楽団の前座で300人のホール(豊洲シビックセンター)でピアノを弾かせていただいた時に感じたのですが、舞台でのピアノの音は客席で聴くものと違うのです。練習で空っぽのホールで弾いた時とも違う。それが演奏に影響するだろうし、録音でミキシングするには重要な規定条件となるのは確実と知りました。個人的にはそこで音を奏でるよりも録音技師として好みの音を作る方が興味あるなと思いましたが、アマルガムの変容とはそれほど魅力あるものですね。

511EHXWVZKL__SL500_AA300_エロイカに戻ると、それ以来「聴衆なしの舞台の音」がふさわしいなという趣味になってきていて、いま一番好きなのがこれになりました。このVanguardの録音は実に素晴らしい。ロンドン、ウォルサムストウ・タウンホールが空のムジーク・フェラインかアムステルダム・コンセルトヘボウかというアトゥモスフィアであり、見事に juicy(ジューシー)で rich(豊穣)で transparent(透明)で sexy(セクシー) で noble(高貴)だ。舞台で押したピアノのキーに導かれた楽音がふわっとホールの空気に乗って心地よく天井までぬけていくあの様が出ています。これだけの録音が1956年6月と63年も前になされていることを皆さんはどう思われるでしょうか

この演奏、常設でないオーケストラのアンサンブルが完璧ではありませんが、エドリアン・ボールトの滋味あふれる演奏はそれを目指していません。内声は克明な弦のきざみで彫琢され、木管は清楚で金管は浮き上がらずホルンは常にものをいい、ティンパニは皮の質感まで見え、第1楽章コーダが内側から熱量を増してくるところなど外面的な効果は何も狙っていないのに強いインパクトがあります。エロイカの勇壮、快哉、悲愴を語ってくれる演奏はごまんとありますが、僕はもうそんなものに飽き飽きして疲れています。ベートーベンの本質をふさわしいアトゥモスフィアで描いてくれることが何より重要で、この作曲家が訴えたかったものは人間を根っこから震撼させ、揺さぶるのです。それを表出するのにテンポをあおったり金管を狼の遠吠えみたいにふかす必要はないんだよ、とボールトは最小限のことをしているのですが、オーケストラがこれだけの音を出しているというのはそれは彼の人としてのアトゥモスフィアなんだろう。それを録音技師が理想的な音響でとらえた、一流のアートであります。

 

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Categories:______クラシック徒然草, ______ベートーベン

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