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ブルックナー 交響曲第2番ハ短調

2019 MAY 21 23:23:55 pm by 東 賢太郎

このところ自宅のオーディオルームでブルックナーが定番で、いまこんなに幸せになれることはない。他の作曲家は気にしないが、ブルックナーには録音の良さが必須であって、部屋の空気ごと教会のアコースティックのように広々と深々と包みこんで欲しい。10年のあいだ同じ部屋で同じ装置を聴いているのは飽きっぽい僕にとって異例のことで、アンプやスピーカーを替えてみようと思わないのはブルックナーサウンドで満足できているのがひとつの要因だ。

ブルックナーの交響曲で最も関心をそそられるのは2番である。好きなのは5番であり次いで最後の3つになるが、「関心」ということだとそうなる。そもそも素人にスコアなんかいらないが、耳で聞いていてあれっと思った時に英語の辞書を引く感じでその箇所の音符を探して好奇心を満たす程度の需要は僕にはある。ブルックナーということでいうなら、引いた回数がたぶん一番多いのは2番だという気がする。何故かはわからないが、それはとりもなおさず大好きな曲であり、面白い音がするからだ。2番が好きなファンはけっこう多いのではと思う。

アントン・ブルックナーはオーストリアはリンツ郊外の村アンスフェルデンの学校長の息子として教会でオルガン弾きとして修業を積み、当然のごとく敬虔なカソリック信者であり、都会の啓蒙思想やフランス革命の精神とは無縁の育ちの人である。19世紀人ながら18世紀的な環境に身を浸したまま大人になったというわけだが、それを田舎の野人というカリカチュアで見ては彼の音楽の本質はわからない。その育ち故、都会的で俗世間的なオペラに関心を持たず教会音楽からスタートして、純粋培養のごとく交響曲に行きついたという点が重要であり、その点で同時期のシンフォニストであるマーラーとは対照的な人物である。

彼を「培養」したバロック様式の教会というと、僕にとってのイメージだが、一般には華美壮麗と表現されるものであるがどこか異国の幻惑に満ちたおどろおどろしさもあり(参考・ブルックナー 交響曲第8番ハ短調)、あそこに行くと、これは日本ならば弘法大師・空海の真言密教だなあと感じる。金剛峯寺で野宿して恐ろしい体験をしている(秀次事件(金剛峯寺、八幡山城、名護屋城にて))のであれと重なってしまう。少年時代に暗い教会で、ああいうムードの中で、ひとりオルガンを弾いていればどうなるのだろうという点で僕は音楽以前に彼の人間性に興味がある。ブルックナーは純粋培養された音楽家だから面白いのだ。

その趣味が煎じ詰められたのが交響曲である。2番はベートーベンを意識していた時期(1872年)の作品だ。Mov1の第1主題が同楽章およびMov4のコーダで回帰する形式はフランクが交響曲二短調、ブラームスがクラリネット五重奏曲で採っているが前者は16年後、後者は19年も後のことだ。ワーグナーのライトモチーフを範にしたのかベルリオーズの幻想交響曲から採ったのか、いずれにせよ2番は循環形式の先駆的作品であり、ブルックナーの頭の中には交響曲作法の実験精神が渦巻いていたと想像する。彼の技法が斬新だという側面から評価する人は稀だし、彼の人間性も、スマートなウィーン人の目で記述されれば野人となるのだ。そうして現代においてもその「上から目線」で演奏されれば2番は習作の一群に属する作品となり、聴衆もそう思うようになってしまう。拙稿はそうではないという立場からの趣味の表明である。

まずはフランク、ブラームスを持ち出した主題からだ。楽章をまたいだ使用、再現だが、2番におけるその「循環主題」はMov1冒頭のチェロによるこれである。

半音階2つから始まるメロディーは循環して各所に顔を出すが、現れるたびに暗色の憂いを撒き散らす性質のものだ。非常に粘着力があり、たまらなく耳に纏わりつく。この主題は半音階和声進行を生む豊穣な母体だが、ブルックナーはそこに自身の語法を見出しつつあった。明らかにワーグナー由来のものだが次の交響曲のトリスタンのように出典が顔を覗かせたりということはまだない。

これにトランペットの信号音が続く。これも楽章を通して忌まわしい耳鳴りのように鳴る。Mov4にも再現するからこれも大いに循環性があり、全曲を締めくくるコーダにも重要な役割を演じるのだから循環主題(的なもの)が2つあると解釈するべきだと僕は考える。

一旦パウゼとなり、歌謡性のある第2主題、スケルツォ風の第3主題が続くが第1主題ほどの存在感はない。後の交響曲でも採用される3主題構造のソナタ形式を横軸に、循環主題と信号音という縦軸の構造を交叉させるという試みで、冒頭の霧の如きトレモロから発してMov1は徐々にexpansiveに空間を広げていくように感じる。ブラームスが交響曲第1番を完成する4年前にそういう曲を書いたという事実は音楽史であまりにも過小評価されている。ブルックナーは自身が育った教会音楽のparadigmの中から和声と形式論をもって交響曲のdimensionを拡大した。この楽章はその好例であり、初期の曲と言っても48才の作品だ。ちなみにマーラーはそういうことをしていない。

Mov2はベートーベンの交響曲第2番、第9番のアダージョの雰囲気と歌謡性を漂わせつつワーグナーの影響下にある和声を綴る逸品だ。後期3曲の精神的成熟はないが美しさにおいて何ら劣るものでもなく、ブルックナーの楽想の源泉をみる観があって興味深い。後期では目立たないファゴットが重要な役目を負うのも古典派の残滓であるが、同時に朗々と響くホルンソロは当時斬新であり、シベリウスの7番のトロンボーンソロを強く想起させる。

Mov3のトリオ主題もベートーベンのエロイカMov1の第1主題の音型である。

そこに自身の第9交響曲でスケルツォ主題となるリズムがまずトランペットの信号音で、そしてコーダでティンパニが先導してテュッティで現れる。

Mov4はベートーベンの運命リズムでハ短調の主題が現れる。再現部でこの主題が現れる部分は運命交響曲そのものの観を呈する。

Mov1循環主題が回帰してしばらくすると木管ユニゾンでこういう場面がやってくる。この2小節目からの下降旋律は(楽章冒頭Vn1の主題由来)がこのページでショスタコーヴィチ交響曲第7番の戦争主題(バルトークがオケコンで揶揄した例のもの)を、TempoⅠ前後のフルート主題(第2主題に由来)がショスタコーヴィチ交響曲第5番のMov4、いったん静まって小太鼓が先導して冒頭主題が戻る直前の部分に引用されている気がしてならない。同曲のMov1にはブルックナー7番の引用と思える部分がある(ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調 作品47)。

Mov4の再現部に向かう部分以降コーダまでは調性が浮遊しそこにパウゼが加わるものだから曲想が甚だつかみにくい。初版の初演が「演奏不可能」とされた理由はそれだろうと想像するし現代でもこの曲が初期の習作と等閑視されがちな一因にもなっていると思われる。

実験精神と書いたがブルックナーはこのころ、主題を展開し曲想を変転させる繋ぎのパッセージを研究していたかもしれない(彼はまだそれの自在な発想を条件反射化していない)。例えばMov4終盤の激した和声の上昇パッセージには幻想交響曲が聴こえるし、ベートーベン交響曲第9番Mov1のコーダは新しい素材が低弦とFgのppで始まるが、それを導く和音4つのカデンツ(507-8小節、511-2小節)は2番Mov4のコーダ直前にLangsamerでTr、Trbが吹く和音にほぼそのまま引用されている。それの直前の弦楽セクションのピッチカートだけのパッセージはシベリウス2番にエコーしていると思う。

2番からシベリウス、ショスタコーヴィチが聴こえてくるのは僕の耳のせいかもしれないが、こういう所が面白い。20世紀を代表するシンフォニストご両人がそのジャンルの先達ブルックナーを研究しなかったとは思えない。ブルックナーの語法が熟達した後期よりも、模索期間、実験期にあった2番のほうが耳をそばだてさせる物があったということは十分可能性があるように僕は感じている。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

4番での1Vnの変更が納得できないカラヤンだがこの2番は最高。これだけ各楽章の主題、動機の意味を明晰に抉り出した演奏はない。トランペット信号音の扱い方、終楽章の運命主題再現部を聴いてもらえばわかる。既述通り僕は2番にベートーベンへの作曲家の意識の強い傾斜を観るが、カラヤンも同意見だったのかと思うほどやって欲しいことを軒並みやってくれている。本質を掴んだエンジニア的精密さと巨視的バランス感覚が両立した解釈は実に直截的で、棒が明確なのだろうBPOが最高のパフォーマンスで応えている。是非聴いていただきたい。1877年ノヴァーク版。

 

カルロ・マリア・ジュリーニ / ウィーン交響楽団

ジュリーニは7-9番しか振っていないが最初の録音はこの2番だった。カラヤンは2番を実演で振っていないがあれだけできた。ジュリーニは恐らく実演でもやっているだろうし、自家薬籠中の演奏がこの録音でも聴ける。2番が好きだったのだろうしご同慶の至りだ。指揮は確信に満ち、オーケストラも終楽章の和声の朧げなパッセージに至るまで「和声感」を明確に維持している。これがいかに困難なことか他の演奏ときき比べて頂けばわかる。さらにこの演奏の魅力として特筆すべきは聴衆なしのムジークフェラインザール の残響。誠に素晴らしい。こちらも1877年ノヴァーク版である。

 

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