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シュトックハウゼンは関ケ原に舞う

2019 JUN 8 2:02:41 am by 東 賢太郎

シアターピースに興味を持ったのは、高校に上がる春に家族で行った大阪万博(Expo’70)でのことだ。西ドイツ館(左)はプラネタリウムのような巨大なオーディトリウムで中は薄暗く、半球の天井に星の様にスピーカーが設置されている。演奏されていたのはシュトックハウゼンの曲だったが、音(音源)が天球を無作為に移動していく三次元空間の宇宙的な感覚は訴求するものがあった。曲名は記憶にないが、これだったかもしれない。

あの空間の莫大な容積に満ちる空気はまるで液体のように重く感じ、瞬時に天井を前後左右に駆け巡る音はフォトンの様に無質量に感じ、理屈ではなくこの世のものではない。シアターピースに劇場はない。あるのはスペース(空間)であって、舞台、客席、通路などというものは、お仕着せのホールだから仕方なくあるだけで、存在しない(という意識に聴衆になってもらう)。さらには演奏する人間もいらなくなってテープ、コンピューターが奏者となる。

旋律、和声、リズムというものは生身の奏者から客の耳に音を届けるという空間構成に特有のものだ。その空間は点と点の二次元だ。シアターピースは音源の定位(居場所)が無限で三次元になる。西ドイツ館の経験でそれが肌でわかった。しかし無限と言っても移動可能範囲は半球内だ。「宇宙的」でなく「宇宙」にするためには球体の中心点に聴き手が位置しなくてはならない。真下からも音が聞こえる空間だ(=スペース=宇宙、あたりまえだ)。二次元、三次元と書いたが、音楽はそれ自体が時間を内包しているから実は三次元、四次元であって、本質的に宇宙的なアートだ。

旋律、和声、リズムが三次元空間(時間を除く)に存在するマーラーの8番があっても良いが、必然性はない。温泉の大浴場に10人が各所に点在して自由に風呂桶をたたけば、その残響音も入れて三次元のシアターピースになる。そんなものがアートか?Yes. 誰か一人でもアートだといえばすべてのものはアートだというのがモダン・アートの定義だ。そんな馬鹿なと思う人は、空間から「客席」(という概念)が消えた瞬間に「楽音」は消えることを理解していない。あれ以来、シュトックハウゼンを聴ける限り全部聴いたし、音楽は耳だけで聴くものではないと信じるようにもなった。

いま、歴史上の空間、例えば関ケ原合戦でどんな音がしたか関心を持っている。4月に現地をご案内いただいた時から気になっている。合戦場は三次元のシアターである。日本を代表する音響のスペシャリスト、ヒビノ株式会社の幹部の方々とその件でお会いもした。別件だがということでスピーカー64本がシンクロして別々の楽器音を出す “オーケストラ” が新木場の研究所にあると伺い、即刻近日の訪問アポをいただいた。オーディオは原音のシミュレーターだがそれこそ究極の姿だ。64本を別個に駆動するプログラムを書くことで、きっと僕の頭にある完璧な「ダフニスとクロエ」を演奏することができるだろう。想像してもぞくぞくする。

さらには64本のパート譜を持つスコアを書けばオーケストラ曲が作曲できる。生身の奏者はいないから演奏に指揮という行程はいらない。シュトックハウゼンの電子音楽同様に作曲、即、演奏だ。そういう「指揮」ならやってみたい。人間は感情もミスもあるからめんどうくさい。全部を工房の中で完全に支配できるのがいい、全部が自分であり、自己責任であり、自分のクレジットになる。音楽につき、聴いたり弾いたり書いたりしてきたがどうも何かが違う、僕の場合、究極の愛の結実はそれをやることではないかと思う。

そう考えると音大でなく慶応大学を出た富田勲さんが浮かんでくる。あれはいいなとうらやましく思う。そうしたらヒビノの重鎮から不意に「富田先生をご紹介したかったですね」といわれ、「新日本紀行のテーマをシンセで作りました。もしご存命だったらスコア見せてほしかったですね」という会話になった。世のなか面白い。

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Categories:______音楽と自分

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