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いままで書いたブログで一番好きなのは?

2019 SEP 20 13:13:04 pm by 東 賢太郎

SMCを始めたのが2012年10月だからもうすぐ7年になる。発起人としての願いは、多様なメンバーが文章で足跡を残して千年後の人へのメッセージ(タイムカプセル)を残すことだ。3019年にこのブログ集がどう評価されているかは現代の誰も知りようがない。「万葉集」になぞらえるのはおこがましいが、我々が本を書いて千年残すことはあまり期待できないのだから、「ネットはこわい、出ると永遠に消えないよ」というウォーニングを逆手にとって、「万葉集みたいに永遠に残してしまおう」というのがSMCプロジェクトなのだと申し上げてもいいだろう。そんなことが世界で初めてできる。昭和に生まれ、ネット時代の幕開け期を生きて熟年を迎えた我が世代の特権である。

もうひとつ良いことがある。何人たりとも致し方ないことだが、脳の宿命としてシニアになればだんだん昔のことを忘れる。そう覚悟はしているものの、自分の書いた初期のブログを読んでいて、その時点ではクリアに覚えていて克明に書き記した物事の詳細が今になってはそこまで正確には覚えてないという例を見つけることがある。というより、その機会が「増えて」いる。高々この6、7年でも記憶は加速度的に?劣化している証拠であり、覚えてるうちに書いておこうというのがブログを書く動機のうちの大きな部分を徐々に占めるようになってきている。本稿は僕がSMCに書いた1920番目のブログだが、その恐怖心のおかげで僕の子孫は千年前の先祖がどんな人物だったかをより仔細にわかるようになっているだろう。

話は音楽になるが、ピエール・ブーレーズには「ワーク・イン・プログレス(進行中の作品)」という概念で作曲したプリ・スロン・プリ(Pli selon pli)という作品がある。書き手(作曲家)も作品(音楽)も時と共に変化するという思想は真に革命的だ。速筆のモーツァルトといえ「フィガロの結婚」を一日で書いたわけではない。第1幕と第4幕を書いた時の間にプログレスがあったと考えるなら、ブーレーズがprogressという単語に質的進化の含意を与えたか否かはともかくとして、作曲が進行中であるのに発表し演奏する点において、少なくとも、未完成交響曲が永遠に完成しない作品として永遠に鑑賞されることを肯定した20世紀に成立した「クラシック」という概念の敷衍だ。変化は進化でも劣化でもあり得るが「終わりのない作曲」はやがて彼の死とともに途絶え、そこでプリ・スロン・プリの作曲は終結した。初めて全貌が定義された楽曲は時間と偶然性(究極のアレアトリー=死という予測不能のイベント)をも包含し、マラルメの詩に依拠しながら「墓」という表題の音楽で終わる。革命的と書いたが僕には主題の変容まで時間の関数として書かれたドビッシーの交響詩「海」のprogress型とも見える(ドビッシー 交響詩「海」再考)。

僕がもし死ぬまでブログを辞めなければだが、それはワーク・イン・プログレスになるだろう。「私は各作品を断片的な生産物として構想する発想から次第に遠ざかりつつある。私には一連の限定された可能性に焦点を当てた大きな『集合』に対する際立った偏愛がある」(ピエール・ブーレーズ)に共感する自分を見るからだ。割り切ってしまえば音楽もブログも僕には単なる「遊び」にすぎず、矛盾するようだがソナーの業務以外に人生をかけてprogressさせるものは存在しない。しかし、遊びのない人生はつまらないし、つまらない日々から良い仕事は生まれないという性分は、もはや好き嫌いの領域であるからprogressしないのだ。さらに、外山 滋比古さんの著書に「老いて忘れるのは良いこと」とあるが、ブログに書いて安心してどんどん忘れてしまおうという心持ちは自然体で快く、このごろになって、実はとても前向きで生産的(productive)であることすら発見した(既述の断捨離)。こうなると音楽とブログは余生の暇つぶしではなく、楽しく仕事をするための三位一体のワーク・イン・プログレスだとでもいうべきいうものになるのである。

いままで書いたブログで一番好きなのは「どうして証券会社に入ったの?」だ。これは2番目の娘にそう質問されて答えに窮して生まれたものだ。人生に重大な決断は幾つかあったが、どうして?と問われてこれほど答えが見つからないものはない。なぜか株が好きだったがそれが理由というほどのことでもない。ということは、いまホテル・ニューオータニに社を構えているなどという事実は単なる偶然の産物でしかなかったことになる。青雲の志を懐いたわけでも、世のため人のための大義に帰依したわけでも、この事業に格別の才能があると自己評価した結果でもない。人間、年をとると嫌なことは忘れ、過去を美化するバイアスが働くらしいが、証券会社に入って結果オーライだったのだからそう決断した立派な理由ぐらいあっても許されそうだし、求められれば僕はそれを10も20もでっちあげて1時間のプレゼンに仕立てることぐらい苦も無くできる。しかし、いかにそれが見栄えが良かろうと説得力があろうと、所詮ぜんぶウソなのだ。

真実は、面接官と口論になるなどヘマが続いた挙句に残ったのが証券会社と船会社だけだったこと、人事部の女性が好みだったこと、何度か食べさせてもらった鰻重が美味だったことぐらいだ。それに釣られて、心中ででっち上げた偽の志で自らを説得して入社はしたものの、なにせそんな志はフェークであるのだから厳しい梅田支店で木っ端みじんに瓦解する。あっという間に嫌気がさして辞表を書こうと思い立った。そこでウソのようなドラマがおきて試みは挫折したが、もし辞めていたらどうなったのか、神様が戻るチャンスをくれるならそっちの道も面白かった。こういうぶざまなことを娘がどう思ったかはわからないが、10も20もの立派な理由は後からついてくるものだということぐらいは伝わったろう。人間はそんなに合理的でないし、そうあろうとしてもあまりうまくいかない。どんな理由で職業を選ぼうと、与えられた仕事をしっかりやること以外に道はないのだ。やくざから2千万円も取り立てるなんて辞書になかったがそういう羽目になってしまい、それでも逃げなかったから俺は正真正銘のスナイパーになったと思った。もう怖いものなんてどこにあろう。実体験のない識者のプレゼンやMBAの先生が教えてくれる10も20もの立派な理由は、彼らに支払うお金ほどはビジネスの成功には因果関係はないという事実を僕は知っている。

「どうして証券会社に入ったの?」はPVで一番人気のブログのようだが、きっとそれは小説より奇なりであり、還暦老人の美化した自慢話みたいにも見えるだろうが、そうではなくて当時の当事者の方も読まれている実話だからだと思う。現在のところ、たしか「その9」まで書いているが、それで終わりではない。梅田支店にいた2年半で最も「小説みたいにウソのよう」な話はまだ書いてない。どうして書いてないか、理由はないが、僕の人生にとってあまりに重い話なので軽々に書く気にならないままに来てしまったというのが言い訳だ。それを書かないで死ぬわけにはいかないからワーク・イン・プログレスということにしておこう。

 

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