遺言「SMCのブログは千年残すこと」
2019 NOV 7 9:09:58 am by 東 賢太郎
我々が子供のころ、自分の書いたものが活字になるなどということは文筆家か記者にでもならない限りは想像もできなかったように思う。活字になること、それは広く公衆の閲覧に供されるだけの価値のあるものということを意味しており、それが「発信」という行為の重みを裏打ちし、機会の希少性を担保していたのである。そうであるがゆえに、20世紀までの情報発信は権力者とメディアだけが独占する特権のようなものであり、我々庶民はそれを受信するだけの「一方通行」の関係だったといってよいだろう。
ところが21世紀に入ったいま、皆さんはSNSで世界中の人々と瞬時につながることが可能になった。ネット社会という言葉で当たり前のように受容されているが、その実は「対面通行」の道路の開通ということであり世界史に残る大革命であると僕は思っている。例えばツイッターやインスタグラムやユーチューブで文字情報や画像や動画を発信する人は歩く出版社であり放送局になったわけである。ということは、情報の発信までもが権力の手を離れ庶民に解放されて「発信の市民革命」なるものが起きたと解釈できるからである。
その便利さは虚偽情報を拡散する負の側面も内包してはいるが、アメリカ大統領までが堂々と参加してホワイトハウスやメディアと別個独立の個人放送局になって許されてしまう、ある意味で素敵な時代が到来したともいえる。「虚偽まで含む巨大な情報プール」の中で正しいものを取捨選択して生きなくてはいけないから大変だが、権力、メディアが一方的に庶民を情報操作する危険を減殺してくれ、むしろ権力の腐敗や背信を市民がウォッチできるというプラス面が大きい。やはり真の革命だと思う。
もちろん良いことばかりではない。マスとして捉えた社会的側面ではプラスでも個人の領域でみるならば、対面通行による人と人のつながりが個々人の幸せにも寄与したかは大いに疑問だ。犯罪の温床になるだけではない、スマホ画面で未知の人とつながっただけで友情や絆や恋が芽生えるという考えに僕は全面的に否定的である。むしろ引きこもりになったりネット依存症になったりする人が多く出てくるのは、現実を逃避する手段としてそれにすがり、何らかの幸福の出現を期待したのに報われないという幻滅やストレスに原因があるのではないだろうか。
ただ、もし個人として良いことがあるとするならひとつある。ネットに書いたものはサーバーから消えないことだ。きちんと管理さえすれば永遠に残る。この特性は誹謗中傷を書き込まれると残ってしまうというネガティブな捉え方ばかりされるが、後世にタイムカプセルを残したい人にとってはむしろかけがえのない長所となるのである。僕は2012年にそう思いついてSMCを始めた。当時、創業3年目のソナーの収益は危機的で倒産してもおかしくなかったが、それはそれでそういうことを始めてしまうのが僕の性格である。千年後に万葉集になると真面目に言って笑われたが、幾人かの理解あるオトナの方々がメンバーになって下さって細々と立ち上った。
タイムカプセルに自分の痕跡を残したいというのは、女性はどうか知らないが、男にはそういう本能がビルトインされているんじゃないかと僕は信じ込んでいるところがある。昆虫や鳥のオスは自分の痕跡である子孫を残すためにダンスまでしてメスに売り込む。我々も動物のはしくれだから若い頃は女性にモテようと色々なことを頑張って競争したりするわけだが、それは至極シンプルで健康なオスの自己顕示の本能であり、還暦を超えて久しい今となっては文章を残したい願望に化けて出ているのではないかと感じないでもない。
少なくとも僕の場合、それに成功して何かで承認されたところで、仕事の傍らのブログ執筆はけっこうな労力である。ボケ防止になることを除けば見返りに欲しい物はあまり残っておらず、やる理由があるとすれば自己満足以外の何物でもない。毎日千人もの方にフォローしていただいているのに申しわけないことを言っているのかもしれないが、何を拙文に読んでいただいているにせよそれは僕の自己満足との交換で行われている。そしてその満足というのは、ああ今日も死なずに済んだ、仮にあしたの朝に冷たくなっていてもいま書いたブログは後世に残るというものだ。
何度か書いたが僕はショーペンハウエルの信者である。同類だったリヒャルト・ワーグナーがそれでトリスタンを書いたと同じぐらい、僕が考えたり書いたりしていることはその影響下にある。我々が見ている世界は万事がうたかたであり、自分の投影でしかないから他の誰が見ている世界とも確実に違っているのである。だからそれを忠実に観察し書きとっておけば面白いと思って下さる方がいるかもしれない。僕にワーグナーの無限旋律は降りてこないが、こうして文章は降ってくる。21世紀の人にとってでなくてもまったく問題ではない。本稿が上梓した1950番目のブログになるが、閲覧数は7年で440万だからこのペースなら千年で6億3千万立ち寄ってくれるし、そのうちの誰かが思わぬことを発見してくれるかもしれない。
僕のスタンスはそんなもので「対面通行型」とは思えないし、何か有益な情報を盛り込む能力もない。だからSMC全体のチャームとしてはそれができる方々の参画が望ましい。その意味で、このたびの大武和夫さん、八木昌実さんのSMCメンバーご参加には心からのウエルカムを申し上げたい。八木さんは元プルーデンシャル生命保険の米国本社シニア・バイス・プレジデントという重鎮で経営に関するご著書は書店、ネットで入手できる。公益財団法人メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン理事長、株式会社エイトウッズCEOが現職で、ソナーとは業務上のパートナーでもある。弁護士でアマチュア・ピアニストの大武さんはネットで入会申し込みをいただき、その動機はご自身のブログに書かれているが、一度食事をご一緒してクラシックへの造詣と愛情に感銘を受けた。特にピアノ曲について深い知識をお持ちで勉強もさせていただいた。
最後にもうひとこと。SMCには一昨年に故人となった畏友中村順一の秀逸なブログが何篇か収録されている。いま読んでもブラームスの音楽の如く重厚で快い文章で、機知と洞察に富んで実に新しい。ということは、永遠に新しいのである。悔しいが僕よりも頭脳明晰な男であり、世界史の解釈において微塵も太刀打ちできる部分がなかったが、野球のことだけは話をよく聞いた。むしろ聞きたいからチケットまで用意してきてドーム、神宮、ヤフーに連れ立って5,6試合を真剣に観戦した。マニアックなところしかコメントしないのに意味を知りたがり、博覧強記のインテリにしてその謙虚さには感銘を受けるばかりであった。そうなものだからこっちもまた彼と観たいと思った。僕においてはほんとうに滅多に起きない感情であり、同行することになった嬉野、有田、吉野ケ里、博多の旅は忘れ難く、行程の一切合切と会話内容を今も声と一緒にくっきりと覚えている。
本稿をお読みの皆様であれば中村のブログは手ごたえをお感じいただけるはずであり、受験生、大学生には必ずや学ぶものがあると思料する。そのような質のものを僕が千年残したいと考えるのは自然なことだ。そこで僕の子々孫々にはサーバーを維持して残してもらいたいわけで、もちろんそのための基金は僕が残していくがそれは適切に運用されなくてはならないし、次世代、次々世代と仲間を募ってブログを書き継いでいくこともお願いしたい。千年たってSMCが万葉集になっているかどうかは知る由もないが、まだ世界で誰もやった者はいない興味深い実験にはなるだろう。
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