うまくいくのは神様のおかげ
2020 FEB 7 11:11:06 am by 東 賢太郎
65才になった。5年区切りで考えると、なにやら節目の年かもしれない。50で退職、55で起業、60で収益化と来た次は何だろうと思う。
考えてそうなったわけでない、50,55の時点時点では失敗だ、不幸だと思って仕方なくそうなった。その敗北感がなければこんなしんどい道に迷い込むことはなかった。そこから多少うまく行ったのは運だ。
65年を俯瞰してみると、浪人時代、梅田時代、ロンドン時代が三大ドツボ期だった。受験、営業、海外とお初の環境でもがき苦しみ、しかも大失敗をしてしまった。
浪人なんかやめとけば、別な会社に入ってれば、と後悔したことは何度もある。逆にそれあっての今と思ったこともある。コップの水を「もう半分」か「まだ半分」かと聞かれれば、半分は半分だと答えるのが齢65だ。
そんな気持ちになったのは初めてかと思いきや、実はもう5年前にその予兆のようなことを自分で書いている(がんばらない生き方)。①決めない②求めない③大事にしない④神仏を信じる、だ。
自分の長所は忍耐力、短所は飽きっぽさと思う。矛盾する二つが、集中力という接着剤で結びついてうまくいっていた。がんばれるのは集中することだけだが、トシと共に集中力が落ちて来たらこのバランスは崩壊する。
①は5年前からそうしている。②の「欲」は、もうない。足るの境地はまだ知らないが、欲がなければ即ち足りているからこれは出来ている。
③の「いらん物はすぐ捨てる。だめと思ったらすぐやめる。直感の声に耳を澄ましてそれをすぱっと決める」、これである、これから大事なのは。
④うまくいくのは神様のおかげ。自分ではない。うまく進まないものは「やめとけ」というお告げと考える。
まったくそのとおり。ここまで、自分は忍耐しただけだ。何か選んだわけでも能力で乗り越えたわけでもない。一切の過信はごみ箱に捨てる。そうしないと、
『直感の声に耳を澄ます』
ことができない。
『うまく進まないものは「やめとけ」というお告げと考える』
何十年株とつきあってきて、今でも難しいのは「損切り」だ。自己否定だからである。でも神様のお告げなら仕方ない。
(PS)
先日書いた才能は遺伝で決まるというブログでショックを受けたという人がいた。それは事実かもしれないがショックは不要だ、人生は才能でも遺伝でも決まらない。実感として、8割は運だと思う。
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