Sonar Members Club No.1

since September 2012

ラヴェル「フォルレーヌ」の特異な和声

2020 JUN 5 22:22:03 pm by 東 賢太郎

7年前にこういうものを書きました。ずっと家にいるので、指が忘れていた第3曲「フォルレーヌ」を復習しようという気になり、先ほど読み返してみたのです。今も寸分たがわぬ自分がいることを知ると、この曲への愛情は遺伝子レベルに発していると思ってしまいます。

ラヴェル 「クープランの墓」

ただ、オーケストラ版はダメですね、もうあんまり聴く気がしない。これの魅力はピアノのソノリティと不可分だからです。暗譜はけっこう大変でしたが指がやっと思い出した喜びは何物にも代え難いですね。これ、圧倒的に「ラヴェルを弾いている」という感じがするのです。

Durand版

クープランの墓の譜面を買ったのがいつだったか、最初のは仏Durandでご覧のとおり猫に爪とぎをやられて表紙がとれてます。前の猫だから大学時代です、入学してすぐの年あたりです。曲を覚えたのはジャン・ドワイアンのレコードでした。いや、覚えたというかあっという間に虜になってしまい、何度もくりかえして刷り込まれたのはワイセンベルクの演奏でした。まだリスナーとして初心者でピアノ曲はまずショパンになじまなくてはと努力したのですが、が学習者は誰もが弾いてみようというノクターン作品9-2みたいな曲はまったく口にあわないのです。素敵なコードプログレッションとは思いましたが、それをくりかえして客がそろそろ飽きたかなとなるとピロピロピロと右手が装飾音符を散りばめだす、あの女性のドレスについてるフリルみたいな空疎な無意味さが耐えられなかったのです。

ですから当時、ショパンは無縁でラヴェルにハマってしまった。ドビッシーは少々難解な音楽に聴こえておりモーツァルト、ベートーベン、シューベルトは面白くも何ともなくさっぱりで、しばらくの間、ピアノ曲といえばラヴェルという時期が続きました。弾く方は熱心で、練習曲としてJ.S.バッハのインヴェンションなどを暗譜しながらラフマニノフのP協2番のさわりとかラヴェルのト長調P協の第2楽章、ダフニスの「夜明け」冒頭部分がそこそこ再現できてました。独学ですが、それまで弦6本のギターで覚えていた和声というものの理解が10本指で格段にディメンションが広がり、自分の中での革命でした。

中井正子校訂版

自己流だとどうしてもうまくいかない所があり、例えばメヌエットの粋な装飾音符のようなものですね、譜面で見ると何でもないようなものが、なぜか何度練習してもだめでした。上級者に伺うとラヴェルは難しいですよと、自己流は無謀だという。野球も大学受験もゴルフも自己流で押し切ったのですが、ピアノには歯が立たなかったわけです。ハノンをざっとさらったぐらいで甘かった。そこで参考書としてこの中井正子版を10年ほど前に買い、運指を学んで少しは解決しました。まあ参考書を買っただけで独学は変わってないわけですが・・・。

僕の場合、他人の前で演奏して自己主張したいという顕示欲はなくて、あくまで作曲家研究の素材として楽曲に触れてみたいというだけです。それで発見することがあまりにたくさんあることを知ったからです。むしろ弾かないとわからない。交響曲でもオペラでもです。

フォルレーヌは形式も5つの主題が並列して出るだけで構成にも主題の音程やリズムの骨格においても論理性はなしです。彼の音楽は感覚的でドイツ人の脳みそから出るものとはおよそかけ離れています。しかし、素晴らしい和声の発明の前に理屈は無用。ドビッシーも和声の化学の大家ですがラヴェルは彼オンリーワンの絶対的な魅力で君臨します。

フォルレーヌの構造を分解してみます。主題をABCDEとすると全体は

AA’A”AA’A”ABB’BB’BACC’CAA’A”ADD’DEE’A

となります。Aの楽節は優雅な舞曲のリズムなのですが和声が難渋、奇怪で、ヴァイオリン・ソナタにも見られるラヴェル特有のシニシズムを感じます。B楽節は一転して禁欲的でアルカイックな宮廷円舞です。実に美しい。やや変容したAをはさんで現れるC楽節はプリマの高貴なヴァリアシオン。全曲の華です。D楽節は宴の終わりが近いことを告げる壮麗なファンファーレ、E楽節はシニカルなふらつき、よろめき、そしてAの断片による短いコーダとなります。

僕はA”の部分(楽譜1)に強い思い入れを持っております。心の中で類のない化学反応が起きるからです。ここです。

音で確認しましょう。22秒からこの楽譜です。

丸印の2つの和音!G#m→G7(e)、F#m→F7(d)なのですが、誰しもの予想を大きく裏切る音ですね。この2つは聴いた当初から強烈なインパクトがありました。しかも下に密集して濁りがあり長7度の濁りもあり、それらがなにやら発酵食品のようで美味に感じ陶酔を誘うのです。何度弾いても魅せられます。

さらに予想の裏切りという点であまりに特異なので想像があらぬ所に飛びます。以前に量子力学の入門書を読んでいて「原子核のまわりの電子は光が当たると瞬時に位置を変える」とありましたが、それを目撃した感じがする。G7(e)、F7(d)が鳴った瞬間、奇術のようにぱっと風景の色が変わるのです。

もう一度楽曲の構造をご覧ください。

AA’A”AA’A”ABB’BB’BACC’CAA’A”ADD’DEE’A

青字は繰り返しです。Aが主要主題でA’、A”はその派生主題という具合です。副主題B、C、D、EはAとの関連はなく、各々がB’ C’ D’ と派生主題を持ちます。Aだけが2種の派生を持ち、楽譜1のA”は都合3回現れますからラヴェルはこの回り舞台のような楽節を重視して使っています。

2つの和音の音の混合(ブレンド具合)はピアニストのセンスの試金石です。ラヴェルの音づくりはピアノでもオケでもそういう箇所に神経が行き届いていないと、雑駁な甘さが支配する音楽になりかねません。気品と知性のないラヴェルはただのムード音楽です。

この2和音は同じ音程関係を長2度だけ下方に並行移動したものですが、ラヴェルは偏愛していて全く同じことが第1曲「プレリュード」でも行われます(楽譜2)。

音をどうぞ。1分28秒から楽譜の2小節目になります。同じメロデイが5小節目から下方に長2度平行移動してますね。

ここの2度目が僕は大好きで、なんだか幼い頃の郷愁のような切ない感じがする。和声はというとAm→G7(e)、Gm→F7(d)と、太字はフォルレーヌの箇所と同じことがわかります。自分はそれに感応してる。なぜだろう?まったくわかりませんが、これが和声の「化学変化」なのです。ドビッシーも「映像」を書いた時にその言葉を使っています。2人、それからメシアンにも随所にそれがあって、ドイツ人の音楽にはありません。フランスとドイツ。面白いもので、食事やワインにもそれと共通したものがあります。

ショパン弾きのイメージの強いアルトゥール・ルービンシュタイン(1887 – 1982)は幾つかラヴェルの録音を残しましたが、「クープランの墓」は「フォルレーヌ」だけを弾いています。寂しげなモノローグで始まりますが、A’ でバスの mf をきっかけに瞬く間に加速して感情が高まりあっと思います。ところが、次の A” に入る直前のほんの微妙な “間” ですぐ思い直して pp に戻り、高揚は抑えられ、また A の灰色で幽玄な世界に鎮まるのです。そんなことは楽譜に書いてないのですが、こういう深い「読み」ができるからルービンシュタインはルービンシュタインだったのです。ここで効いてる G7(e)、F7(d) をじっくり味わっていただけるでしょうか?書いてきたことがお分かりいただけるのではと思います。

C楽節はひっそりと清楚に淡々と進みますが和声の感情に合わせたテンポ・ルバートが絶妙で、感じている。彼はラヴェルの和声の求めるものをテンポとタッチで見事に具現します。そして、ここでまたやってくる A” は1度目よりさらにテンポをぐっと落とすのです。何という細やかさ!実に素晴らしい。これほどに A” の和声の薬味を効かせ、抜群の効果(薬効)を醸し出した演奏は他に聴いたことがありません。D楽節もファンファーレは控えめで無用に騒がず、E楽節の直前のルバートは大きめにとっていますがEのふらつきは控えめである。いっさい気品を失わずにシニカルなほろ苦さを後味として残し、静かに曲を閉じます。何というセンスの良さだろう、究極のオトナのラヴェルです。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

Categories:______ラヴェル

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

たむらあやこ
久保大樹
深田崇敬