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専門家会議と反知性主義

2020 JUN 29 19:19:47 pm by 東 賢太郎

西浦教授が4月中旬に、専門家会議としてではなく個人の見解として公表した42万人が死亡するとの推計には、過大でないかとの批判があった(東洋経済、6月27日)。

数学の解答に過大はない。こういう記事を書く人がいるから過大になるだけで、そうではないとわかりやすく解説するのは政治家とマスコミの仕事だ。それができなかったから「専門家会議が機能しなかった」という意味不明の話に持ち込んで責任逃れする羽目になる。メンバーでない西浦氏の暴走を止められなかったから専門家会議はもう不要だという説まで現れ、では会議を招集し西浦説を採用したのは誰だったんだと、ここまでくると誰を守りたいのか貶めたいのかわけがわからない惨状である。

西浦教授は「(集団免疫政策を採って)何もしなければ」という条件で最大値を計算し、疫病の最大の被害規模を想定して示した。学者として当然のことだ。思い出していただきたい、福島第一原発の津波対策を巡って「事故の3年前に10メートル前後の大津波が襲う可能性を示す試算がありながら東電は十分な対策を取っていなかった」と猛烈に批判が出た。「まさか14メートルのが来るとは思っていなかった」との弁解は許されず、原子力安全・保安院長の「私、文系なので」は迷言として記憶された。いま西浦教授を批判している者たちは彼らを許さなくてはいけない。

危機管理において最大限の被害を想定するのは世界の常識である。最大限のことを言っているわけだから常識を外れて聞こえるのは当然だ。「何もしないなんてことはないのだから」と、人が仮説を立てている傍から仮説を否定してかかるような粗野な頭脳の人は論理思考がまったくできず議論にすらならないことを暴露している。国民を無用にパニックに陥れると批判するのは危機管理する気のない人であり、結果を見てからそうならなかったじゃないかと後出しジャンケンをする人はただのアジテーターである。いずれにしても政治家にしてはいけない人であり、「知性だけで物事は決まらないよ」とそういう人たちの存在をあえて正当化して許してしまう考え方を反知性主義と言う。

下のグラフをご覧いただきたい。結果を見てから語っても良いなら、日本国の感染者数は西浦教授が42万人死ぬと警鐘を鳴らした4月15日(下の黒い矢印)から今に至るまでずっと減ったままで、国が緊急事態宣言を解除しても増えていない。「西浦教授の警鐘が国民の行動変容をもたらしたからだ」と評価できない理由がどこにあろう?教授は危機管理の要諦として、可能性のある最大の数値(福島原発なら10メートル超の堤防の必要性指摘に相当)を指し示し、コロナの場合それは国民個々人のウィルスの恐ろしさの正しい認識と危機意識に依拠していることを危機感を与えることで知らしめ、一定の成果を挙げたということではないか。

このグラフは東京だけのグラフとほぼ相似形である。

つまり、コロナ対策とはほぼ東京対策であると言って過言でない。全国区(平等に日本国全体に)というお題目でしか施策を打てない官邸としては困ったことで、東京に有効な対策があったとしてもそれを感染者ゼロの岩手県にもしなくてはいけない。それでも東京がうまくいけばいいが、その場合は小池知事のお手柄で、失敗すれば安倍政権の責任というまったく割の合わないゲームになっていた。この「全国区しばり」の制約こそが、ひと家族2枚だけというアベノマスクの究極のショボさに「何もやらないよりまし」という免罪符を与え、やらない方が良かったねという不幸な評価を固めてしまったことは想像に難くない。

東京都民としては、夜の街のクラスターなどよりも都に管轄権がない羽田、成田経由の外人によるウィルス大量持ち込みが最も怖い。「専門家会議は法的根拠がないから解散」などと政権が言いだすと、官僚っぽいその理屈で立法権のない東京都を篭絡して経済対策のために米中の入国禁止を解除し、「国がインバウンドによる景気対策やってます」のパフォーマンスに持ち込まれる危惧を覚える。コロナのリスクを最も抱えている都民を犠牲に「国民のためにがんばってますキャンペーン」はやめてほしい。それと戦える人に都知事をやってもらうしかないだろう。

ポピュリズムに徹する今の政権にとって反知性主義はやりたい放題の温床となるありがたい考え方だ。学者や専門家は自分の都合の良いことを正当化してくれればいいだけの存在で所詮はお飾りである。賞味期限が過ぎれば他の飾りに変え、お色直ししてイメチェンだ。中身はもちろん、いつも同じだ。首相がかわって院政を敷いても同じだ。馬子にも衣装とはこのことで、その手法はというと、「これはプロの味ですね」とプロの料理人に褒めさせておいて「あくまで個人の見解です」と画面の端っこに断り書きを入れてさえおけば、誰が見ても明々白々のヤラセなのに「合法的でしょ」とできる昨今のテレビCMと同じだ。「法律に基づいて適正に処理している」という国会答弁が、まさにそれである。

専門家会議が法律に基づいたものかどうかなど国民はどうでもいい。専門家の意見を聞いて判断するのは政治家だからだ。政治家に結果責任を問うという国民の眼からは逃げようがないのがSNS網が張り巡らされた現代の政治環境である。専門家会議の先生方は政策決定の外見作りに利用されていることにどこかで気づいたと思う。当初、尾身先生は専門的知見と経済政策を混同されているように見えた(恐らくそういうミッションと解していた)。拙ブログに「解のない連立方程式」と書き、次第にそういう世論になって行き、最後は「経済対策は政治のご判断」と言い切ったのはあっぱれだ。それは最初から自明のことではあったが、西村大臣の新たな会議が招集されたところで、数学で「解なし」の解が有識者で会議を開けば見つかるわけではない。

ここで「いや、世の中は数学や疫学で動いてるわけではない!」と演説すれば「そうだ!」と人気がとれるだろう。それが反知性主義によるポピュリズムだ。無知だが純真なピープルを守ってあげようという主義ではないことをピープルは気がつかないところにのみ成立する政治技法であるのは、その権化であるトランプ大統領を見れば歴然としている。「知性で政治はできません、国は良くできません、私はそれをやる力がある、だから私に任せなさい」という、資金力や閨閥や票田はあるが知性がない政治家に都合のよい主義であり、知性はあるが知的売春をいとわない宦官たちによって支えられる。選挙は街宣車やウグイス嬢など世界に類のない滑稽かつ膨大な無駄にカネがかかるシステムをあえて作り新規参入を阻止する。晴れて国会議員になれば逮捕されたって高額のボーナスが出る。そんな仕組みの挙句の果てに、政党が税金で票を買うところまで行ってしまえば「それをやっちゃあお終いよ」の審判が下るのは世の道理なのだろう。法律より尊い人間の生き様という法があることを気づかせてくれる。

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Categories:政治に思うこと, 若者に教えたいこと

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