小池氏の圧勝に感じる微妙な不安
2020 JUL 7 1:01:02 am by 東 賢太郎
小池氏が得票率59.7%。その他はぜんぶ足しても負けというのはやる前から戦いになってない。つい高校時代、甲子園の予選で同じブロックに強豪の日大一高の名前を見た時のことを思い出してしまった。いとも簡単に優勝されてしまったが甲子園で16三振も取ってドラ2でプロ入りする投手との差は致し方なかった。
では小池さん、その投手と同じぐらい図抜けてるの?どこが?という問いに答えられる人はいるんだろうか。前回の公約はほぼ未達だし、対戦相手が弱すぎ以外にないんじゃないか?会社で議決権6割なら独裁であって社長が経営に失敗して倒産すれば社員は路頭に迷うしかない。しかし政治はそうはいかない。
国政もそうだ。安倍首相の自民がいとも簡単に選挙に勝ってしまい、取り巻きが独裁でやりたい放題になった。それで良かったことも悪かったこともあるが、良かった方を美点凝視してOKというわけにはいかないのが現在の困った状況だ。醜点凝視する気もないが、案件ごとにダメなものはダメだ。
僕はリベラリストだ。個人主義、資本主義、自由主義、国際主義、人種・性別・信教の平等主義を尊重したいし、税金はたくさん払うから権力は干渉してくれるな好きにやらせてくれという市民だ。たまさか、それらは西洋人が血を流して勝ち取った「市民革命」の賜物であって、日本でそれは一度も起こっていない。
ではなぜあるかというと、憲法のおかげだ。列挙した**主義どれひとつ江戸時代までない。全部借りものだ。日本国憲法が市民革命なき国を変えた功績は大であり、GHQの押しつけ憲法というが、70年もたっていまだにそんなことを言ってる幼稚な国民はもう70年たってもアメリカから自立などできないだろう。
借りものは身に染みついたものではない。自民党に丸腰で委ねて大丈夫かという疑念は常にある。憲法9条改正は賛成だが本当にそれだけかと。国会を飛ばして法を勝手解釈するのを目の当たりにし、ますますそう思った。まして僕の払った税金がご贔屓候補のマンジュウになってるなら気持ちの修復は不能である。
じゃあリベラルを支持すればいい。それが道理だ。しかし、最大のネックは、この人たちは本当に日本国を体を張って守り隣接諸国と好適な距離をとる人たちなんだろうか?という素朴な疑念を感じることだ。もちろん守ると言うだろう。でもそれは僕の望む生活を守ってくれる日本国なんだろうか。
英国の “影の内閣” がない。任せてみた民主党、悪夢の3年というがコロナ対応のひどさは安倍政権も変わらない。でも野党は敵失があっても浮上できない。リベラルは左を意味してしまうからだ。これぞ日本にとって悪夢なのである。僕のような者が安心して市民生活を送れる政党が欠落しているのかもしれない。
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東 賢太郎
7/7/2020 | 2:07 PM Permalink
小池百合子、吉村洋文の人気があるのは現職の首長だからだ。首長は “直接選挙” される身である。失敗すればクビだ。首をかけてるのだ。それなのに・・という「見え方」の中で、そこそこ受けのいい事を言ったりやったりするので「なかなかいいじゃないか」「さすがだ」と評価されている。
かたや安倍政権。「あいまいの塊」にしておいてやりたい放題やる作戦だ。誰が政策を決めてるのか不明にする。大企業の稟議制と同じ。だから失敗しても「責任を重く受けとめます」という軽い言葉を垂れ流せば誰もクビにならない。派閥という国民にはどうでもいいダンゴの力関係で任命されたわけのわからない大臣が国会でわけのわからない言葉を垂れ流し、ファジーさに輪をかける。
専門家会議。”センモンカ” はピープルを幻惑して責任をなすりつけるマジックワードだ。その神通力が落ちたので捨てる。ないと困るので別なのを作る。ところが記者会見中に「捨てます」が報じられ、尾身さんが動揺する場面が生中継されて物議をかもす。かわりに新設される「分科会」、会長は尾身さんという政治ショーで幕開けだ。
感染症対策+経済再生。ウィルスへの勇気ある挑戦だ。すばらしい。ノブレス・オブリージュだ。全責任は西村康稔氏がクビをかけて負うというのが国民的理解である。大変すばらしい。