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必然は偶然の顔をしてやってくる

2020 JUL 10 18:18:40 pm by 東 賢太郎

さっきニュースで英投資会社スローン・ロビンソンが閉鎖を決めたことを知った。ヘッジファンド業界が厳しいとは聞いていたが驚くしかない。僕にとって同社との出会いはどんなドラマより劇的だった、なぜなら、それがソナー・アドバイザーズという会社を生んだのだから。

 

僕は2010年にみずほ証券を辞めてフリーランスになり、理想とする金融業務を行う会社の設立に全身全霊をかけていた。出資を仰ごうとまず香港、インドネシアに飛んで超富裕層の華僑にプレゼンテーションをしてみたがうまくいかない。自国市場の方が日本より成長率が高いのがネックだった。

作戦は難航したまま半年が経過していた。ニューヨーク在住のY君からメールをもらったのは6月5日の夕刻、成田空港でのことだった。香港で断られて真っ暗な気分で帰国し、成田エクスプレスの到着を待っていた時だ。

「東さんとは気が合うと思います。電話しておくので、すぐにロンドンまで行って下さい」

すぐY君に電話した。心が躍った。人生最悪の時に人生最もエキサイティングな話と思った。電車が来たときに、もうロンドン行きが決まっていた。

その相手が、1兆6千億円の資金を運用するスローン・ロビンソンの創業オーナー、ヒュー・スローン氏であった。面識がなかったが、シティきっての日本株投資のプロである。こっちもプロである。わかってくれるはずだ。もらった時間は午後1時から2時まで。その1時間に賭けようとロンドンに飛んだ。

陽ざしの強い夏日だった。1時のアポの直前まで大英博物館のベンチで資料を盛大に広げてプレゼンの仕上げをしていると、通行人が怪訝な眼を向けた。構ってる場合じゃない、こちとら失敗は許されないのだ。ふと思い出した。こういうことは新入社員だった梅田支店でもあった。それで大坂財界の大物をお客さんにしたじゃないか。じたばたしてもいいことない、開き直ってやるだけだ。

スローン氏は年格好は同じほどのオックスフォード出の聡明な紳士だった。Y君の直感通り、すぐに意気投合した。6年間シティで日本株を売っていた頃の、緊迫はしているが何かが起きる期待にも満ちているあの空気がおだやかに部屋を流れた。プレゼンはほんの30分で終わり、雑談になって2時間ぐらいになった。同行していた息子を呼んでツーショットまで撮った。返事は快いものだった。

スローン・ロビンソンのオーナーがスポンサーになったということは周囲でいっぱしの話題になり、まだ設立してもいない僕の会社の信用になった。おかげで別の方からも出資をいただき、2010年10月20日にソナー・アドバイザーズ株式会社は誕生した。すべてはY君のくれた洞察力に溢れるメールと、スローン氏との好意に満ちた2時間から生まれたものだ。

今も出会いの瞬間は昨日のように覚えている。何も言わずに握手しながらしばらく彼の眼をじっと見て、信用できると思った。付き合いを始めてみても、その判断は裏切られなかった。40年この仕事をして何千人の眼を見てきたか数えようもないが、そういうものなのだ、人種も年齢も性別も宗教も学歴も職歴も握手も、その全部を束にしても、眼よりものを言うことはない。

 

昨日の東京はじとじと雨だった。梅雨は苦手だ。6月のグァムが意外にましだったのでこれから毎年そっちに逃避しようと思っていたが、コロナでもう難しくなったかもしれない。ZOOMで業務は進んでいるが、いかんせん3か月もステイホームすると外へ出たい。感染はできないから三密は禁忌して近場をジョギングする程度だが雨でそれもできない。

スローン・ロビンソンが閉じるというニュースは、じとじとした気持ちをぴんと引き締めた。そんなはずはないだろう。まずこの記事ほんとうだろうかと疑った。英語のニュースソースを調べると、それは2日前の7月6日に発表されていることがわかった。誤報ではなかった。その日をもってスローン・ロビンソンは消えたのだ。

7月6日・・・

ちょっと気になって、2010年の日記帳を引っ張り出した。大変な時だったから記録のために日々漏れなくびっしりと出来事を書きつけてある。ページをめくりながら、だんだん「ひょっとして」が強くなる。あった。やっぱりだ。

プレゼンをしたあの日は、10年前の7月6日だった・・・

これは僕の胸中で既視感を呼ぶ。こういうことは過去に何度かある。偶然といえばそれまでだが、偶然にもいろいろ種別があって、生きてることも我が両親のもとに生まれたのも、自分で決めなかったものはみな偶然なのだ。ところが、自分で考えて決めたはずなのに実はすでに決まっていたかもしれないと後から強く感じること、いうならば、

必然は偶然の顔をしてやってくる

というものが、この世の中には存在しているという気がしてならない。実はどこかで先に決められていて、その選択肢を僕が選ぶことも決まっているのだが、それに気づかないようになっている。だから「あれは運命だった」みたいな後付け解釈が施される。あの日に巨大な王国に見えていた1兆円の会社が、これから作る僕の会社より先に消えるなんて何億分の一の確率もあると思わない。

必然はきっとプログラムされている。そう思う。ぴったり10年とはいかにもプログラムっぽい。誰がしたかは誰も知らず、アインシュタインはそれを神だといった。我々に見える物質(元素)はぜんぶ足しても宇宙の4%しかない。我々は96%の部分に何があるか知らないし「4%世界の常識」に合わないものは「そんな馬鹿な」で切り捨てている。重いものを受け取った気がする。

 

僕の運命を変えた広島カープ

 

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Categories:ソナーの仕事について, 若者に教えたいこと

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