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東京トラブル・キャンペーンに思う

2020 JUL 18 11:11:25 am by 東 賢太郎

株式投資で我々は未来を予見しようとする。できるわけではないが、「いま起きていること」で投資をすると失敗する手痛い経験を積んでのことだ。「良いニュースだ、でも不確実なところがある。それを調べよう」。慎重で手堅くていいことだ。そして、調査が終わったときは、株価は大体がピークである。

では、良いニュースに闇雲に飛びつけばいいか?もっと危険だ。なぜか?ニュースはマスコミが選ぶ。捏造もする。そんなものは意思決定の材料にしてはいけない。ニュースは知るべきだが、価値はnew(新しさ)にあるのではない。価値があるかどうかの判断は、自分の頭がするのだ。

そこに40年もいると、目線はいつも「2~3か月さき」だ。来年のことはわからないけれども、2~3か月さきのことは考えてみるに値するものだ。当たるかどうかは勘と経験だ。必ず当たることはないが、「当てたい」と思って生きていれば、そこそこの確率で当たるようにはなる可能性がある。

確率と書いたのは、野球のバッターが練習でうまくなるのと似ているからだ。打率はヒットを打つ確率である。練習なしに3割は打てない。「打ちたい」と思わなければ練習もしないだろう。僕は投資というビジネスに携わって、当てることを職業にしたからいつも「当てたい」と思い、そうして40年生きているうちにそれで飯が食えるぐらいには当たるようになった感じがする。現にそれで会社を作って食っている。

何度も書いたが、それは学校で習ったわけではない。東大で教えることは百年たってもなさそうだし、ウォートンスクールで企業の財務や株価の分析はがっちり習ったが、それらは当てるための万能の方法ではないことをむしろ学んだ。「当てたい」という欲望からしか育たないものがあって、ひと言で書けば「直感」という陳腐な言葉になってしまう。小学校からミステリー好きだったことの方がMBAの勉強よりずっと役に立った気がする。

サラリーマンの時はそうはいかなかったが、いまは当たれば自社の収益になる。つまり趣味の犯人当てで報酬がもらえる。ますます「当てたい」と思うようになる。これが僕の毎日だ。ステイホームだろうが猫と遊んでいようが、頭の中の活動だから何の関係もない。特別な情報はいらない。情報は今やネットで何でも手に入る。誰だって。でも、その使い方を知らないと、当たらない。

未来を「予見」するというのはおこがましい。因果関係のない未来は当たらない。だから、当たるとすれば、因果関係の範囲内だけである。これが投資のリスクというものだ。因果は読み解くことが必要だが、40年もやれば自転車に乗るぐらい意識せずにできてしまう。ただ、因果の「因」の方が大事だ。それを冷静に見ないと、「果」の予見は、高い確率ではずれてしまうからだ。

日本国の政治を見ていると「今はまだその時ではない」「慎重に検討して対応したい」など「エビデンスが揃ってから決断」のパターンばかりだ。これは役所や学者はそうでないと仕事にならないからであり、政治家はそれに乗っていることの象徴だ。株式市場で役所型の人が成功を収めたという話はきいたことがない。申し訳ないがカモになる人間の代表的な思考方法だからだ。

政治家に株なんて関係ないと思われるだろうが株の話をしているのではない。エビデンスが出る前に因果関係から予見できる程度のことは先に手を打つ。これは役所や学者にはできないからこそ政治家に必須のことなのだ。いつ?有事だ。平時は役所のルーティーンで充分。それが機能しない災害や疫病の有事にどう立ち回るか。政治家はその時のためにいると言って過言ではない。

つまり、福島原発の時を思い出していただきたいが、有事であたふたして珍妙なパフォーマンスをくり返し、役所の言うことをきいて後手後手になり(それは役人の責任ではない)、株が上がりきってから満を持して高値づかみして大損してしまうが如しの結末を迎えることになった。僕は、職業人の本能として、そういう「カモ」になる愚にもつかないみっともない行動をとる人が、よりによって自分たちのリーダーの地位にあること、その事実を許し難い。

では現況のコロナではどうか?役所の評判が悪くなったので専門家会議が出てきたが、役所に乗ってパフォーマンスを繰り返してるだけなのは福島での民主党と変わらない。緊急事態宣言がなかなか出なかった。あれがそう。有事の宣言を平時のスタンスでやった。おそらく理由は2つあり、①ぴったり1か月でGW連休が明ける4月7日まで待つ②同日に第1次補正予算を発出する、である。見事に役所的だ。発出時に「感染拡大の状況等から措置を実施する必要がなくなったと認められる時は、すみやかに、緊急事態を解除する」としているが解除は5月25日だった。

18日遅れたのはエビデンスで感染者が減っているのを確認したのだろう。見事に役所的だ。満を持しての解除後に追加の経済対策を盛り込む第2次補正予算案が6月12日に成立した。ここで、政府に「攻めのモード」が盛り上がり、夏休みの旅行を当て込んで4月7日の補正に入れてあったGoToキャンペーンが「目玉事業」として期待されたと思われる。これがそのペーパーである。国交省の事業と思われているが、

下のペーパーにあるように「国内に向けた観光需要喚起策」として4月に経済産業省に計上された国費1兆6,794億円を国交省において執行するものである。

役所の序列もあるが、経産官僚が仕切る首相官邸の息がかかった事業であることが伺える。国交省の赤羽一嘉大臣は公明党であり、全国旅行業協会(ANTA)会長は自民党の二階俊博幹事長である。

この計画と予算自体には別に異を唱えるものではないが、GW連休明けから5月25日までのエビデンス確認で、役人的感覚で「自信を持って」もうだいじょうぶだと踏み切ってしまったのがまずかった。これを以下『モード変換』と呼ぶことにする。株式相場もコロナウィルスも「未来が読めない不確実性の塊」であることに何ら変わりはない。そういうものを相手にした時、エビデンスは役に立たない。エビデンスが常に正しければいいが、不確実性がある(危機対応事態である)とは過去のエビデンスが明日も有効である保証はない事態の事を言うのである。役に立たないものを信じて、モード変換して自信を持って邁進してしまうほど危険なことはない。

何故そんなことが起きたのだろう?ポイントは、このペーパーは第1次補正(4月7日)のものであり、GoToは「コロナ収束後」を前提としていたことだ。国交省の「令和2年度国土交通省関係補正予算の概要」を読むと「全国的に落ち込む観光需要の回復に向けた反転攻勢」「地域の観光資源・観光イベントの磨き上げ」「海外に向けた大規模プロモーション」と、昭和50年代のイケイケだった証券会社の営業キャンペーンの文句かと目を疑う勇壮かつ泥臭いスローガン(進軍ラッパ)が並んでいる。明らかに「収束後」の目線なのだ。

緊急事態宣言解除が18日遅れたのは、解除が収束を意味するものではないからだ。宣言解除 ⇒ 第2次補正(=経済対策)⇒ 第1次予算執行となる政治シナリオができていた。収束したかのようなイメージを国民に与えないとGoサインは出せない。感染ゼロになるはずはない。官僚としては少なくとも減ったというエビデンスが集積しなければ無理だということだったのではないか。専門家会議が国民を欺くような決定に進むことに危機感を覚えたのは科学者なら当然で、反論が出たことは想像に難くない。

なぜ「想像」かというと議事録が作成されていないからだ。作成しないのはおかしいじゃないかという声が専門家から出ていたことは、尾身茂副座長が5月29日の記者会見で、同日の専門家会議でメンバーから「(発言者を明らかにした議事録の作成を)国の方としてもちゃんと検討してください」と求める声があったことを紹介した(朝日新聞)から間違いない。

専門家会議が御用会議なら議事録は平然と公表されたろう。そうではなかったから内容、発言者名を隠した。官邸は「専門家がOKと言った」と政策の正当化に使いたいのに事態は逆だった。ここから両者に溝ができはじめたと思われる。

http://新型コロナ対策専門家会議 政府側の求めで文言の削除や修

 

政府は5月25日から水面下で一丸となって、早く経済を回さねば!の方向に『モード変換』を行っていた。専門家会議の正論は隠して国民に「もう大丈夫」のイメージを植え付けるためだ。それは政治判断だと言えないことはないが、非常に問題であるのは「ウソをついていた」ということだ。官邸は専門家会議が決めたように「偽装」しようとしたが失敗し、首相と加藤厚労相は傷つかない所に逃げ、西村氏を人身御供に立ててモード変換を仕切らせた。西村氏は自身に忖度せずリスクを取らない専門家会議を法令に即した分科会に鞍替えし、万一の時は役所的稟議制で失敗した時の責任を曖昧にできる体制にした。これが専門家会議廃止の真相ではないか。これが何を意味するかは、賢明な国民はみな見抜いている。科学的知見の無視であり、因果関係の「因」を政治ニーズに求めてしまったわけだ。出てくる「果」は予定調和的に科学的に危険なことになる。あまりに当たり前で説明の必要もない。それが現況の感染者数急増であり、それに吹っ飛ばされかけているGoToキャンペーンなのである。

同じことを国民の側から見てみるなら、多くの人に「がんばってステイホームに耐えた」という実感があるだろう。これぞ、政府は何も成功してないのに結果はオーライという日本のコロナ対策の謎を生んだ一因だ。気温も心も寒い日々だった。著名人が亡くなった。オリ・パラは延期になりも甲子園はなくなった。でもいよいよ春が来た。緊急事態宣言が解除された。感染者も死者も減っている。プロ野球もいよいよ開幕だ。それで心も春になるのは不思議でない。僕も嬉しくてブログを書いた。しかし、同時に、どうも間違った空気が世の中に流れ出てきたなと直感で思った。野球場でファンが「やっとここまで来ました」といったのがそれだ。

コロナを抑え込んだのは医療関係者の頑張りのお陰でもあるが、それ以前に、国民の頑張りがあった。恐れたのは、それが政府のキャンペーンモードで一気に解けてしまい、「三密」が多発してしまうことだ。だからこういうものを書いた(半年で知った「三密こそ安全のキーワード」)。僕は個人的に4月時点で無症状感染者はすでに東京に数十万人はいたと思っている。医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は百万人いてもおかしくないとTVで述べていた。限られた人だけに絞って行ったPCR検査で陽性だった人は、何十万人のほんの一部だった可能性がある。

とすると、そんなに感染リスクがあったのになぜ4月にピークアウトしたんだろう?緊急事態宣言も心理的に効いただろうし、西浦先生の「42万人死ぬ」もそうかもしれない。いずれにせよ国民の「コロナ・リテラシー」(正しく恐れる)を高める効果があったからだろう。政府はその過程で専門家会議による無症状感染者の存在や短期に収束する可能性の低さの指摘を公表せず、「国民に不安を与えるな」という動きを取った。国民を無知に止めおこうという涙ぐましい努力だが、正しく恐れれば不安はむしろ減るのだ。問題は、リテラシーの低いのは政治家の方だったことだ。西浦氏は「42万人の発表は政治家にわからせるためだった」と真相を語っている。

政策は未来に向けて打つから「策」なのであって、行く末を予見する努力をしなくてはいけないのは当たり前のことである。繰り返しになるが、そこで因果関係の「因」を見間違うと「果」も予定調和的に間違うのである。だから、首相官邸から世の中を騒然とさせたトンチンカンな政策が目白押しに出てきたのだ。取り巻きはペーパー作りはうまいが予見が不得手な役人であり、役所の論理で連休明けまで1か月とか、エビデンスが出そろったとか、因果の「因」を何の科学的裏付けもないものに求めている。失敗失敗なのは必然の理だ。一番ヘタクソな相場観で決めてるのだから。

嫌な予感はまず夜の街で当たってしまった。そういう場所がいかんとは思わない。若い頃は後輩と歌舞伎町のゴールデン街で泥酔するまで大酒を飲んで、気がついたら金が足りず、「いいわよ」とオカマのママの家に泊めてもらったこともある。だからあそこで生活してるいい人がいることも、生きていく大変さも知っている。禁じればセックス関連産業は地下に潜るだけで、種々の社会的危険はコントロール不能になるから返って危険なのだ。しかも三密やめろは無理だ、それが売り物なんだから。であれば初めから補助してあげて休業要請するしかないではないか。

そういえば大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ事件という著名な不祥事があった。僕は野村で担当部署ではなかったから関わらなかったが、関与した連中は大変な目にあった。大蔵省イコール東大法学部だが、僕みたいなのは皆無である。彼らは遊びなしのド真面目勉強人生で来てるからああいう世界はある意味コンプレックスであり憧れでもあって、そこに付け込んで接待して「おぬしもワルよのう」をやる。まあ歌舞伎町というのは、高級官僚までをも巻き込んでしまう所だった。いまやホストクラブが200件もあるらしい。客が女性なんてすごい、時は流れたんだなと感無量である。

この業界の人たちもお客も、経済活性化のゴーサインを持ち焦がれていたはずだ。つまり、結果的にではあるが、『モード変換』を積極的に行うことでそこに薪をくべて火をつけた犯人は官邸であり政府なのである。国民を無用に怖がらせるなと情報を隠し、感染しても構わないからお金を地方にばら撒いてもらおうという政策を強行した。東京都知事は宣言解除後の6月2日~11日に「東京アラート」を実施しているのであり、明らかに『モード変換』に加担していない。それを棚に上げて「東京問題だ」とはよく言ったもんだ。東京都はそこで検査を一日4千やり、ほぼ平均的な6%程度の感染者が洗い出されてきている。もし4月に4千やってれば、何十万はいた無症状者が同じほどひっかっかっていただろうと推察する。大爆発しなかったのは、国民がリテラシーを持ってよく耐えて頑張ったからだ。

そうこうして今に至って、GoToはいよいよ東京外しである。可哀そうなのは東京の旅行業者と、すでに申し込んでしまっていたお客だ。新婚旅行をGoToで予約してキャンセル料を3万円取られた20代がTVで嘆いていた。彼はその上に他県の人の補助金のために税金まで巻き上げられているわけだ。人生の記念すべき日に泥棒に追い銭となったのであり、気の毒を通り越して怒りを覚える。

官邸は東京人を敵に回したいのだろうか。小池百合子が嫌いなのは結構だが、まがりなりにも彼女を選んだのは都民だ。東京問題だから知らんというなら都政に干渉するなだ。万一このままコロナが非常事態になれば、小池は堂々と東京をロックダウンしたらいい。ただ、賭けてもいいが、政治としてのコロナ戦争にアクセルのふかし勝ちはまずない。ふかさせるsnookerがいい。都知事は、どうころんでも有利だ。アラブで苦労してもまれたタフな彼女にとって、この戦況はお手の物だろう。

国が有事は取り仕切ります。結構。しかし、ヘタな指揮者が棒を振ればオーケストラはぐしゃぐしゃになる。実に見苦しい。早くもGoToは東京トラブル・キャンペーンに変容してしまった。国は「全国一律」のしばりがある。それが有事には邪魔になることがある。カラオケで皆さん経験あると思う。「加山雄三しばり」「松田聖子しばり」(古いか)。1曲でも知らないと歌えない。いま官邸は「全国コロナしばり」は俺しか歌えないと威を示しつつ「”東京音頭” の部分だけ歌いたくない」になっている。だったら別な歌にするしかないだろう。

これは行政府としての国と地公体の棲み分け問題につながる。国だけができるのは外交と防衛だ。地公体に外交官と軍隊はない。それ以外は、国の裁量で、臨機応変に首長に権限を渡すことがあってもいい。権力争いでなく、どちらが国民の為になるかで。そんな度量を総理たる者は持ってほしいし、それで結果がオーライなら総理が評価されるべきだ。権限を渡せば首長が評価されてしまうと恐れるなら、実はすでにアンダードッグ(負け犬)である。じゃあ強い首長の方を総理にしたら?国民は自然にそう思うだけだ。別にどっちでも構わないのだから。

GoToを業界のためにやりたいならやればいいし、それが経済活性化になるなら結構と思う。それなら各首長に、東京も入れて旅人を受け入れるかどうか判断を一任し、受け入れて感染者が出たら地公体の責任で対応し、一方で、行く旅人の方も、検査して陽性者は禁止し、感染させない作法を守り感染したら強制隔離に従うことを署名させて補助金を出す。自己責任の後ろ盾として、受け入れを拒んだ県を含めて、国は地方交付税を一律に47都道府県に交付する。あとは首長に全権と全責任を委譲する。それで東京トラブルにはならなかったのではないか。

それをやるということは、「指揮者は不要」だったということだ。オーケストラの指揮台に立って「この曲に私は不要です」と宣言する。良い音楽を作ることでなく指揮者になりたいだけの人には百年たってもできないだろう。平時の世の中は役所で回る。有事こそ政治家の出番である。ということは、有事に指揮もできない政治家は辞めてくれという結論に自動的になる。まして、なんで713人も国会議員がいて、コロナの有事に一人も役にたたず逮捕者だけは出しておいて、どういう理屈で満額で300万円もボーナスがもらえるんだろう?野党の選挙対策は、無為無策で結託しても確実に外交と防衛で負ける。「国会議員を半分にします」「参議院は廃止します」ぐらい公約したら凄く支持されると思う。

 

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Categories:政治に思うこと, 新型コロナ・ウィルス, 若者に教えたいこと

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