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コロナは「税金たかり屋」を駆逐する

2021 APR 28 18:18:25 pm by 東 賢太郎

僕の周囲は平穏だったが、とうとう知人が陽性になった。ショートメールは返してくれるので大丈夫、回復を祈ろうと話していたらそれを聞きつけたY君がイギリスの錠剤を持ってきてくれた。トランプ大統領が昨年12月の選挙中にかかって治したのがこれらしい。コロナは本当に忌まわしい。こっちも大変だが飲食、ホテル・旅館は気の毒でならない。学校も対応が難しいだろうがかわいそうなのは子供たちだ。さらには医療従事者の方々が仕事もリスクも増えたのに病院が赤字でボーナスも満足に出ない。ふるさと納税と同様にそちらに税金を回してくれないだろうか。寄付という手はあるが、どこにすれば看護師さんたちに届くのかわからない。税金の適正な分配こそ政治家の仕事なのだが・・・。

コロナは変異株が優位になった。変異は外国で起きたので日本に入れなければなかったわけだ。去年2月の初動の時もそうだが、我が国は危機の予防に甘く、事が起きてしまってから騒ぐ傾向がある。そして、起きた事にはきっちり、黙々と対応するのだ。なぜ起きる前にそうしないのか不思議だが、予知、予測、予防というものに対して「はずれたらどうするんだ」「世間に迷惑をかけないか」という心理的な予防線でもあるのか、「予防×予防=何もしない」というおかしなことになっている。「状況を見すえながら慎重に対応してまいります」とは事が起きるまで何もしませんという意味だということをすべての国民が学んでしまった。昨年の11月までがそれだった。そうしたら専門家が予知していた第3波が本当に来てしまい、あわててGoToは停止して右往左往になった。

何もしないのだからウィルス様の御意次第であり、それでも死者数は国際的に低かったが今や10万人当たりの数はアジアで1位だ。イギリス変異株への予防策も当初と変わらず微温的だった。緊急事態宣言を出しては引っ込めをくり返し、マンボウは出たがあんまり効きませんでしたという結末は大半の国民が「予知」していたことだった。唯一の救世主がワクチンであることは今や世界の常識だが、契約で縛ってないので来る算段もあんまりついてません、アメリカ行くので社長に電話してみます、でも仮に来ても現場がスムーズに打てるかどうか、前例がありませんのでね、はい、全国民に打ち終わるのはたぶん来年でしょうとなって国民はずっこけているのである。それでいてオリンピックはやります、コロナに人類が打ち勝った証にしますではさすがに理が通らない。

ただ、僕は政府に同情心も懐いている。初めから書いているように、コロナウィルスは正体不明のエイリアンであって、ワクチンと特効薬なくして勝つことは期待できなかった。ということは、首相や知事が誰であろうと「格好の悪い結末」を迎える確率が非常に高かったわけだ。方策は「やってます感」を醸成することしかなく、長引けば長引くほど失政感が出てしまう。首長さんの姿を見るとその対処法は様々だ。当初は大坂の知事さんが抜きんでて輝いていたが変異株の大暴発で彼の株は大暴落した。かたや都知事さんは相変わらずうまい。「ウィルス様は無敵なのね」と本質を見抜き、要所は国に譲って決めさせる作戦に転じた。そして、彼女の回したババをつかんだのが首相という図だ。大変な激務と拝察するし、足元の職務を真摯にこなそうと気概は感じるが、「やってます感」はもっともっと出したほうがいい。

皮肉ではない。ワクチン投与率はアフリカ並みの1%で先の見えない国民にとっては雨乞いだってありがたい。その意味で「やってます感」は精神安定剤としては重要であり、それに日々邁進して下さる政治家の皆さんに税金をお支払いするのは当然だろう。しかしその使途があまりに不透明だったのでツケが回っている。税金がアンリさんの選挙資金だったかもとなるとさすがにまずく、保守王国の広島で与党は想定外の敗北を喫した。公選法違反で片づけなかった広島の有権者の眼は節穴ではなかったわけで「政治とカネ」は来たる衆院選で重要な争点になると予感させる。要は求められるのは税金の「使途明確化」というシンプルな事であり、民主党の事業仕分けは「無用なことに使うな」だったが今回は「私利私欲に使うな」という誠に下卑たレベルのものだ。

思えばこの数年で権力の陰に私利私欲を垣間見ることが増えた。人間は長期に権力者の地位にあると「全能感トラップ」に陥るらしい。私事で恐縮だが、僕は人生で都合19年「社長」と呼ばれている。これに慣れると会社で何でもできると思ってしまう危険があるのはよくわかる。国民最高位の首相ともなれば上は皇室だけだ。自らもそれに擬(なぞら)えてしまう。サクラ、モリカケはそれじゃなかったのかと友人が面白い分析を披露した。そういう人から見れば、およそ税金というものは民百姓から搾り取って空から降ってくる「年貢」であろう。自分で汗水して稼ぐという観念も痛みもなさそうなセレブで名家の人たちだ、それを使う重みも庶民のようには感じないだろう。「税金の使途に関われば強大な利権を得る。周囲の配慮、忖度で身銭をきらずに貴族的生活ができ、私財はいらないから叩いても身からは埃が出ないんだよ」と彼は教えてくれた。

例えばオリンピックだ。懸命に努力してきた選手のためには開催してあげたいと思うが、今やすべての国民だって耐え難きを耐え、しのび難きをしのんで懸命に努力している。万一コロナを案じて来日しない選手が多いならば、巨大スポンサーの為の大会となってそもそもの開催意義が失せるだろう。それでいて舞台裏がカネまみれと見ている国民が多い。小さな大会のはずだったのに誘致の裏金やら競技場やエンブレムの代金やらD社の中抜きやらで税金がじゃぶじゃぶ投入されたイメージがあって、不快感がマグマのように溜まっている。それがジェンダー発言であらぬ方向に大爆発したのが森さん問題だったのではないかというのはその道に詳しい元部下の指摘だ。

それはオリンピックの責任ではなく、多額の公金が動くと「たかり屋」が出没するという古今東西の世の常ということなのだ。たかり屋の特徴は自らは働かないことだ。他人のカネをあてにしてあの手この手の詐術、洗脳、巧言令色、性的支配力を弄してターゲットをモノにし、甘い蜜を吸う。男も女もいるが、男の場合はヒモ、ジゴロで女から巧みに援助やカネを引き出す。女の場合は妾、愛人だが、積極的に攻めるのは略奪婚だ。略奪された妻が自死してしまった国会議員が出た。もっと凄いのは高齢男性を狙い、入籍あるいは内縁関係になって保険金や遺産を根こそぎ狙う後妻業というのがある。奇しくも本日、元妻が逮捕された「紀州のドン・ファン事件」はそれくさい。しかしそれをどうこう言っても始まらない。そういう危ない輩がうようよと跋扈しているのが現実の社会というものだ、ジゴロ(gigolo)がフランス語であるように世界のどこにだっているし、我が国だって1300年も前から孝謙天皇(称徳天皇)にとりいって天皇になりかけた弓削道鏡のような男がいた。

たかられるのが個人ならまだいい。やられる方もお互い様で何がしかの喜びがあるのかもしれない。しかし、それが政府でお目当てが税金であるならそうはいかない。税金は行政サービスの対価だ。徴税は厳しくされるのに使う方はザルだという声が多々あるが、ましてサービスすらしない者に裏でかすめ取られているなら堂々たる泥棒である。国民が納税義務そのものに疑問を懐き始めれば国が乱れる。道鏡で思い出したが、京都の天皇家の菩提寺(泉涌寺)に、天武系天皇(天武~孝謙=称徳)の位牌はないことをご存じだろうか。ここに詳しく書いた。

はんなり、まったり京都-泉涌寺編-

称徳天皇は女性である。お気に入りの道鏡クンに対して宇佐八幡宮が「皇位につければ天下泰平」の神託を出した。ところが和気清麻呂を派遣してみると事実は真逆で、神託は「あいつを追い出して穢れを掃除すべし」(筆者意訳)であった。怒った称徳天皇は「あんたは穢麻呂(きたなまろ)だわ」(同上)と清麻呂を貶めたとされる。ということは彼女は道鏡天皇を望んでいたのであり、画策までしたのかもしれない。その証拠はないが、それはどちらでも構わない。僕の興味の核心は根拠が「神託」であった点である。宇佐八幡宮のお告げなら皆が納得するという大前提でこのストーリーは記述されており、神様でも持ち出さないと皇位継承のルールはかえられない、つまり1300年前に既にそれほど不変不動な皇統の大原則だったということを示しているからである。天皇家が天武系天皇の位牌を祭らず、皇統図からも抹消しているのはなぜだろう?消された最後の天皇が称徳天皇であるのはなぜだろう?

穢れ(けがれ)は感情だ。単に皆があると思えばあったことになるのであって、いわばMe-Tooのようにその場の空気で多数決で決まってしまう。ちなみに現行憲法においては、天皇制は数の論理で成り立つという考え方がある。なぜなら天皇の地位は「国民の総意」に基づく(憲法第1条)ゆえに、日本共産党は「国民の総意」が変われば天皇の地位にも変更が起こりうる綱領で明言している。天照大神からの伝統だ、不遜であると思う人が多かろうし僕もそう思うような教育を受けて育ってきたが、法律論としてはそれが正しい。なぜなら憲法は議員の3分の2、国民の過半数で改正できる(憲法第96条)。従って67%以上の国民が「不適切」と思うことをしていれば民意が動き、憲法改正による天皇の地位の変更に至ることはあり得るからだそうなれば自業自得でやがて日本人は誇りを失い、国は衰退するだろう。国民はそれを望まないし僕も望まない、だからこそ税金で皇室をお支え申し上げているのである。

つまり、日本の皇室と国体と誇りを支えているのは税金であり、国民が支払うという総意に基づいていることで「国民主権」という日本国憲法の下での民主主義の大原則が体現されている。このことについて、いずれコロナが収束したあかつきには「ひとつだけ良いことがあった」と回想される日が来ると僕は考えている。何かというと、収入が激減する中で支払った税金の重みに国民が思い至ったことだ。だから、どう使われたのかを真剣にウォッチしてネット上で議論が盛り上がるようになっている。自然な成り行きであり、老後の年金を期待できない若年世代によりその傾向は顕著になるから元には戻らない。つまり、コロナがきっかけになって、税金は年貢ではなく、受けるべき行政サービスの見返りに払っているのだという意識が芽ばえたという納税者革命と呼んでもいい大事件が静かに進行している。しかしそうなった理由はというと悲しい。命と引き換えにいの一番に求めている行政サービスの「コロナ対策」があまりに後手後手でお粗末だったからである。

税金使途の問題がどこで起きようと、上述のように憲法改正要件からの目安である33%以上の国民が疑念を持つといろいろな意味で国を乱す(保守政治を覆す)と考えておけば物事の軽重を計るベースぐらいにはなるだろう。今までは政治家が私腹を肥やすと追及するパターンだったが、コロナで先鋭化している “新しい民意” においては、たかり屋に易々と利得させても政治生命にかかわる事態となるだろう。逆にそれを阻止する「正義の味方」に票が集まるだろう。それがアフター・コロナ、SNS主導の世の中で常態化する。今ごろになってデジタル庁を作っている政治家の多くは新聞、テレビ、雑誌のアナログ世代でSNSの影響を甘く見ており、革命に気づいていない。このことは来たる衆院選でより具体的にわかるかもしれない。税金使途への意識が希薄な政治家は失格であり、社会的責任、サステナビリティの時代には淘汰されていく。「大きな力」で押し切るスタイルを通す政権は倒される時代になるだろう。

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Categories:政治に思うこと, 新型コロナ・ウィルス, 若者に教えたいこと

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