Sonar Members Club No.1

since September 2012

河野発言の「天皇の存在と日本語」について

2021 SEP 16 17:17:47 pm by 東 賢太郎

総裁候補の河野太郎が「日本を日本たらしめているものは何かと問われれば、私は天皇の存在と日本語だと答えます」と公式サイトに書いている。彼の最終学歴はジョージタウン大学卒業だが、この発言が出るだけで「なんちゃってアメリカ留学のチャラ男」との格段のモノの違いを感じる。良い意味で日本人じゃないものまで身につけていると思われるからだ。

「日本人じゃない」と「日本的じゃない」は異なる。カタカナ言葉でフリをする西洋かぶれが後者。ただのカブキ者である。前者は思考回路にいたる話であって、英語を少々かじればなれるというものでない。言語は思考回路なので、英語の使い手になれば西洋的な回路の人に近くなる。英語ペラペラ、そんなものはない。そういう風に見える人はそれがわかってない、それだけのことである。

使い手になって日本に帰ってくると、知らず知らず日本人にはあれっというところが出る。すると「変人」といわれる。99%の日本人は群れて生きており、群れの保全のため異分子は排除するから仕方ない。「群れ」の変化語が「村」であり、村社会では同質性を確認し合うため同調圧力がある。それがいじめ問題になり自粛警察にも忖度にもなり、自民党の総裁選のドタバタにもなるのである。

ということは逆も真で、日本語の使い手になれば外国人でも日本的な回路の人になる。それで天皇への敬意を具有すれば日本人が出来上がる。河野発言は思うにそういう意味で、現に “日本的な” 外人はテレビで何人もが好感を得ている。しかし彼らは国籍が日本でないからという理由ではなく、靖国参拝はしないし君が代は歌わないし「天皇」の部分は欠けるから日本人ではない。

16年海外から日本を眺めて、日本人になるのは大変だと思った。日本語人になれば仕草も日本風になりいい塩梅に同調もでき、田舎の爺ちゃん婆ちゃんの目にも「いい人」になれる。しかし日本でそれが大事なのは個性や人権の尊重でなく村の保全のためでしかない。だから村の精神的支柱である天皇への敬意は要件であり、これを求められると改宗に近いからほとんどの外国人には難儀だろう。

「日本語と天皇」という国の個性を薄めても日本が存続するだろうか?という視点は海外生活を長くして西洋的な回路になった日本人は大なり小なり持つと思う。自国を相対化して観る眼が生まれる。それは日本が滅んでも世界は何ら困らないことを知るからだ。その危機感から、日本にいた頃より愛国的になり、右翼と呼ばれる人たちと表面的には似た主張にもなる。総論的にはそれでいい。

しかし帰国して各論になると「人の個性より村の存続」の壁に当たるのだ。夫婦同姓は長らく村の掟だから守る。同性婚は和を乱す。そしてその統合的象徴である天皇は男系というオーセンティシティを守れ。そうなる。困るのは西洋回路人になると個の尊重が大事と思うようになり、それの終点である民主主義と、村の存続の終点である日本国の存続とが自分の中で乖離してくることなのだ。

実はそれはアジアすべての国の抱える矛盾でもある。それを謳わないと地球を支配する西洋序列に入れない。キリスト教国家の軍事力が優位で、その宗教的価値観による序列だから存続には改宗か服従しかない。前者で蹂躙・同化され滅んだ文明は数多あるから後者を選択する。それに必須な「衣装」が民主主義による法治国家という体裁の確立であり、その急ごしらえバージョンが明治政府だった。

しかし非西洋のイスラム教国の民主主義はもっと衣装でしかなく、パレスチナ、アフガンを見るまでもなく対立軸であり続けるだろう。西洋の軍事的優位を覆す戦略の中国はいずれそれも脱ぎ捨てる日が来るかもしれない。その隣りで日本が平穏無事に生き延びる道は、蹂躙・同化されぬ尊厳を身にまとい、一定の経済力・軍事力を持つこと以外に客観的に存在しないのではなかろうか。

明治の元勲が幕末動乱の制約下で国家存続の選択をして倒幕した。お蔭で日本は国になり民族は生きながらえた。天皇ありきの王政復古なくして廃藩置県も廃刀令もなかった。徳川慶喜は幕府の存続・尊重の原理を捨て、日本という島の住民の命を守ったことにはなる。それが国家と呼ばれ結局は西洋と戦火を交えて破れはするが、それでもあそこで植民地化していれば我々の今はなかった。

いま自民党総裁選を見て古い体質だというが、あれは日本国の縮図である。投票という民主主義メソッドを借りて村の存続を図っているだけで、精神は江戸時代と違わない。彼らを選んだ国民も江戸時代と変わっていないのである。村は長老が治めて村民の命運を握り、いちいち村民に子細な説明などしない。菅さんはその意味でとても村の長老的な総理であった。

いま自民党で起きていることは村長の交代か、せいぜい若返りでしかない。内在的エネルギーによるレジーム破壊ではなく、「すぐ総選挙だ」という外圧が事を動かしているに過ぎない。コロナと五輪で国民の怒りが見えた時に、僕は戦前なら二・二六事件かなと、そういうきな臭さの発端ぐらいを嗅いだが、そのエネルギーは横浜市長選で往時の千分の一ほど垣間見えたが些細なもので終わった。

くりかえすが、日本が未来に平穏無事に生き延びる道は、蹂躙・同化されぬ尊厳を身にまとい、一定の経済力・軍事力を持つこと以外にない。①尊厳は天皇・皇室の存在・維持、そして②強靭な経済成長力と国富③相手の行動を抑止する最低限の軍事力だ。河野は②が弱い。法人減税で再分配促進は結構だがマクロの視点の経済政策が見えない所に再分配率なる言葉が出るのは違和感がある。30年株が上がってない唯一の先進国をどうやって成長させるの?ということだ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

Categories:______世相に思う, ______体験録, 政治に思うこと

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊