日本は「反知性主義」によって戦争に負けた
2022 JAN 11 18:18:05 pm by 東 賢太郎

今年でブログ執筆10年になる。やってみて知ったことが幾つかあるが、その最も重要と思うものの一つが英語と日本語の違いだ。本稿は未来の日本を背負う若者に読んでいただきたい。
ウォートンスクールでの課題や論文執筆、後の証券業務でのレポート作成など僕は英文をたくさん書いたが、その経験からすると、日本語は物事を説明するのには非効率な言語だと感じざるを得ない。娘とその議論をして教えてもらった下のデータは8言語でそれを比較したフランスのリヨン大学の研究チームによる「複数の言語におけるスピーチ情報密度の違い」(原題”A cross-language perspective on speech information rate”)で、単位時間内に伝達できる情報量は、英語を1とした場合は日本語は0.68である。
この結論に至るデータマイニングの是非は日本語を母国語とする立場から検証の余地があるかもしれないし、日本語には逆に情緒的な表現に適するメリットがあるので一概に優劣を論じるものではないが、僕はブログで情感を訴える気はなく何かの「説明」をしたいので 1 : 0.68 には重みを感じる。単位時間内のスピーチ語数が同じと仮定すれば同じことを伝えるのに日本語だと47%も余計な文字を使うことになるからだ。それはブログを日本語で書く感覚とも合致するし、日本のニュース番組とCNN、BBCのそれを比べた体感としてどなたも納得できるのではないか(ちなみにニュースの時間内語数も日本はとても少ない)。
このことはエリン・メイヤーINSEAD教授の以下の研究とも関係があろう。
1.における「ハイコンテクスト」とは言外の含みを読み取らないといけない、つまり「空気を読んで」判断し、京都の「ぶぶ漬けいかがどす」は「早く帰れ」という意味だよというコミュニケーションをする国という意味だ。2.ネガティブな事は間接的にほのめかし、4.上下関係をはっきりさせ、5.みんなで物事を決め、7.なあなあで収めたい、となる日本はそのための語彙が増え、物言いが長くなりそうだということは直観的にも感じられよう(言語別の語彙数は日本、中国が多く仏が少ないようだがデータの信憑性からここでは取り上げない)。
面白いのは3.説得である。独仏が「原理優先」、日中米が「応用優先」だ。理屈で納得しスペックで物が売れる独仏に対し、日中米はそれだけではいけない。独仏と米が対極にあるのは要注目で、「接待が効く」点において米は独仏よりも中に近い(先の大統領選を思い起こされたい)。仲良くなったり、所属階層の権威をちらつかせたり、誰誰の紹介ですと関係性を強調したりする必要があり、逆にそっちだけに注力して理の通らぬことを押しつけるのも可能になってしまう。
そのことを日本について述べると、大半の日本人は理屈を嫌う。原理に適った正しいことを主張すればするほど、論旨と1ミクロンも関係ない「でも人間それだけじゃないよね」という風がどこからともなく吹き始め、全員がオセロのように「だよね」「だよね」となって「原理主義」は「反論」によってではなく、「理屈が嫌い主義」によって制圧されてしまうのである。それを広い意味で「反知性主義」という。国会には顔つきからして「歩く反知性」のような議員が政党を問わず在籍しているが悪いとは思わない。彼らは国民のマジョリティーである「理屈が嫌い主義」の代表者で、民主主義がワークしている証しということではあるからだ。
しかし個人的な事を述懐するなら、小学生のころから「原理主義」で「空気」は読まず、「評価」はストレートに口に出し、「階層」は無頓着で「自分」で決めたく、「関係者(友達)」だからといって一概に信用はせず、「対立」は構わず「スケジュール」がきっちりなのは性に合わない子供だった僕は非差別少数民族であって競争上は不利であり、逆に欧米ではそうでもなかったことになる。自分はインテリだと主張する気も利益もないが、反知性主義者と合わないことだけは間違いない。「原理主義者」が「理屈が嫌い主義」の人と気が合うなら僕はチンパンジーとだって一緒に住むことができる。
それほどに自分を特徴づけたのは「原理主義」だったと知ったのがブログを10年書いたことによる第2の発見だった。僕はまず原理を理解しようとする。義務感や功利性によるのではないと思う。それがないと記憶を拒む働きすら頭にプリセットされているので生まれついた性格だろう。ロジカルな事柄は当然だが、そうではないこと、例えば「NFT」という言葉を覚えるかどうかという時にもそれが働く。だから「それ何の略?」と必ず尋ねる。するとその単語を使ったほとんどの人はそれを知らず、疑問に思ってもいないことを知る。僕の質問は non-fungible token の定義(原理)を正確に知ることも意味しており、それなしにエヌエフティーと音韻だけ覚えたふわふわな状態でその単語を使用するなど吐き気がするほど気持ちが悪い。
ところがそうした横文字は音韻だけで思考停止という人が日本にはとても多いのが現実の僕の観察である。simulationのことを高学歴の人でもシュミレーションと10分のスピーチで5回も連呼して平気だったりする。もっともらしい顔しているが実はなんにも考えてない。シュミレートなんて動詞が英語にないことはウチのシロでも 0.1 秒でわかるだろうに、12才から英語を習っているのに脳にそういう回路が存在しないのである。ということは、この人の言葉はすべからく定義が曖昧であり、もっと大事なことも抜け落ちているだろうなと考えることになる。彼のプレゼンに乗ることは100%ないし、ストレートに評価すれば「地アタマ悪いな」と判断するしかないのである。繰り返すが、いくら高学歴であってもだ。
ここで数学が登場する。数学=計算と思っておられる人はここからは時間の無駄となるからやめられた方がいい。
僕は昔から計算がへたで遅く、暗算はほぼできない。だから計算ばかりやらされる算数は嫌いだった。しかしそれは無料の電卓アプリがする作業である。受験数学程度ならハンディでないのはクイズ王がインテリとは限らないのと同様だ。例えば「集合論」は難しいが計算は要らない。「集合」が理解できないと物事の厳密な意味での「分類」ができず、「分類」ができない人は定義(原理)を正確に知ろうという頭の働きが生まれず、シミュレーションだろうがシュミレーションだろうが気にすらならない脳が完成するわけである。その人が仮にソロバン名人で暗算が常人の百万倍速かろうとも数学ができる保証はない。そういう人に「クイズ王がインテリとは限らない」と集合概念で物を言っても概ね意味がない(正確に事の重さが伝わらない)というのが僕の経験である。
「頭の働き」「気にすらならない脳」と書いた。強調するが、「うまく働く脳」「気にする脳」は自分で作れる。簡単だ。まず自分の脳が「働いてない」「気にしてない」という嫌なことに積極的に気づくことだ。次に「働かせ」「気にして」みて「なるほどこうか」と「腑に落ちる」”感じ” を体で覚えることだ。どうなれば腑に落ちたかは人による。だから「これだ!」という自分固有のシグナルを見つける。僕の場合、理解できないものは記憶回路に入らないので「記憶した」シグナルと同じものが出ることがわかっている。それは187という数字だとすれば「ひゃくはちじゅーなな」と音でリフレーンが聞こえる。新しい物事に出会うと「働いてない」「気にしてない」かもしれない。そうでないなら「腑に落ちた」リフレーンが聞こえるはずだと常に自分を疑って客観評価している。聞こえないならわかってない。だから覚えない。既述のように、ここまで回路化しているので僕は無意識に日々それをしている。
情報量は英語を1とした場合は日本語は0.68しかないことは銘記すべきだ。それが母国語である非効率は存在する。インテリジェンスを正確に伝える(そうでないならそもそもインテリジェンスではないのだが)なら、僕は英語を使いたい(そう思うインテリが多いから英語はビジネスの世界言語になったのだ)。
これを指摘されると、認めたくない多くの日本人は否認すべく次の2つの誤りを犯すだろう。
①「日本語は美しい」「情緒表現においては優れている」と論点変換する
②「英米人より47%多い努力で補えばいい」と非効率の上塗りを主張する
これが「でも人間それだけじゃないよね」に等しいことを賢明な読者は見抜くだろう。これで日本は戦争に負けたのである。
① 美しさ、表現力のコンテストではない
② 47%余分な努力をするうちに負けてしまう
で議論は2秒で終わる。
あるべき考え方はこうだ。まず気持ち的には認めたくない欠点を素直に認める(これがすべての前進の第一歩だ)。次に、抜本的打開策を第三者的な目線で考える。つまり、こうなる。
非効率は存在する。47%努力せずに埋める方法は何か。
先の戦争であれば、日本は「鬼畜米英」でも「月月火水木金金」でも「欲しがりません」でもなく、トップに立つエリートが「情報戦」を仕掛けるしかなかったと僕は考える。対米戦の話ではない。物量で圧倒的に勝る相手に情報戦まで主導され、原理(=言語)無視の反知性主義に陥っていた国に勝つ道理は100%なかったのであって、負ける戦なら蒋介石を奸計であろうと何であろうと情報戦で篭絡して彼の計略を打ち砕き日米開戦を回避すべきであったしその余地はあったという意味だ。彼に対抗できるエリートがいなかったのか、いたが「応用優先」「合意志向」のハイコンテクスト・コミュニケーションの国ではトップダウンが効かなかったのかは不明だ(統帥権を持つ大元帥であられた昭和天皇はできたのだが)。反知性の者に知性なきことを知れと言っても「でも人間それだけじゃないよね」の風が吹くというのが実相だったのではないかと思う。
今更ではあるが、敗戦を認め客観的に事実を知り、そこから日本が賢明に生きる道を学びとらずして失われた310万の尊い御霊に何の申し開きができるものか。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

西村 淳
1/14/2022 | 2:25 PM Permalink
PCなどの入力にも日本語は欧米語に比べて非効率を感じていました。入力「変換」という作業が伴うためで、必要のない言語に比べ一定割合のスペースキー入力を要することになります。
これを時間になおし、さらに全国民がやっているとすると膨大な時間のロスを生じているに違いありません。さらにキー入力はお得意の一本指打法でやっている輩も多く、変換間違いなど茶飯事ですね。
東 賢太郎
1/14/2022 | 6:04 PM Permalink
26文字の順列組合せである西洋語に比べ、日本語は46の平仮名+漢字というメカニックなハードルですね。ただ、グラフにあるようにやはりPCで変換を要するベトナム語の伝達効率は英語並みですし、そもそもスピーチを聞く場合は変換もありませんから、書きましたように、頭の使い方、文化に関わっていると思います。戦争の軍略、指揮命令の言語は伝達合理性がすべてです。カラスの言葉は32種類だそうで挨拶、安全、威嚇、危険、敵だ、集合など軍隊的です。もちろん日本語の方が優れている点もあって、花鳥風月を愛でたり好いた惚れたを語るには適しているから平安時代に世界最初の小説が書かれました。しかし、インテリジェンスというものが絶対不可欠でどんどん生まれるのは戦場なのです(カラスと同じ)。平和でぼ~っと生きてると生まれも育ちもしません。ビジネスも戦争なので、花鳥風月モードでは確実に負けます。日本の経済成長は第1次大戦と朝鮮戦争の特需があっただけで、器用・まじめ・勤勉以外に内的要因はありませんからこのままだと良い奴隷の供給国になるだけです。政治家・官僚は戦争もビジネスも経験がないのでインテリジェンスなど出ようもありません。米中の狭間で打つ手がなくなって、おそらく鎖国の道に入るとおもわれます。能力ある若者にそうなってほしくないので本稿を書きました。
中島龍之
1/17/2022 | 10:46 AM Permalink
面白いデータですね。同じ内容を日本語で考えると英語の約1.5倍の時間がかかるということになります。いろんな場面があるので一概に言えませんが、決断が遅くなれば多くの場面で負けてしまいますね。海外の永い東さんならではの観点す。英語で考える頭を作るのも教育に必要ですね。日本語の頭と二つ持てれば
海外にも少しは対抗できるでしょう。日本語の良さはまた別の観点ですね。
東 賢太郎
1/17/2022 | 3:17 PM Permalink
はい、「速さ」もありますが、「遅い」と「浅い」んです。これが大問題です。2乗で効いてきます。しかも、上掲の表の示す通り「日本は世界的に際立って合議制」なので10人の会議で1人でも「遅い」と結論が出ません。議論すると1.5倍の時間がかかるので落とし所を決めて同調圧力でシャンシャンで決める。これが日本流の「効率」なんです。「ぐちゃぐちゃ理屈を言うな」であり森さん流だと「女性は話が長い」になる。安倍・菅政権の国会対応はそれで、うまくいった面もありますがコロナで致命傷を負いました。その位ならまだいいですが、日米開戦もそうだったかと思うとぞっとします。経験から申しますと、国民の多数が英語で考える頭を作るのはまったく無理です。そんなことをしたら1.5倍以上遅れます。「理屈」に言語の尾ひれはないのでロジカルに議論する習慣をつける方が現実的で、「速さ」も「浅さ」も解決します。国民の多数がそうなるには数学を大学受験で必須にすればいいだけです。日本語でできますし。四則計算もできない子が大卒ってそんなのは世界広しといえども日本だけなんです。言語のハンディがある上にそれで国際競争に勝つぞって、日米開戦御前会議の再現でしかないですね。
内藤範博
1/18/2022 | 11:58 AM Permalink
東様、
はじめて投稿させていただきます。
ご発信には常々、勉強させていただくことばかりです。また、音楽へのご造詣と愛の深さ。
私淑させていただいておりました。
いつもありがとうございます。
先日の、他言語と比較した「日本語の機能性」に関する記載に関して、もう少しご見解を賜りたく、コメントを差し上げます。浅才のご無礼をあらかじめお詫び申し上げます。
ご引用されていたINSEADの論文をまだ探せておらず恐縮なのですが、大変興味深く感じました。ただ異議がございます。失礼、申し訳ありません。
私は外資のコンサルティング会社に長く勤め、社内の公用語は英語でしたので、英語が「
「比較的」機能性の高い言語だという実感があります。ただ、例外や慣習的な用法も多々あり、例えば親言語のドイツ語と比べ、学びやすいかと言われれば一概にそうとも言えないと思います。言語の堅牢さ、と申しましょうか、では英語はさほど強くないと思います。
翻って、日本語は、雄蕊無下で変異し続け母国語にしない人々には極めて学習が難しいと思います。
「言語の機能性」に関しては、東様のご意見に異論があります(論文をまだ読んでいない非礼、誠に申し訳ありません)。尺度を「学びやすさ」で取れば、日本語は極めて劣位ですが、熟達の名人なら、情緒的な詩歌の領域だけではなく、機能性は高いと思います。
代表例は、軍人の言葉です。
東様の示唆に富むブログを拝見して、私が手に取ったのは、鴎外の史伝、「渋江抽斎」や「伊沢蘭軒」でしたが、なんと言葉が少ないこと。論理と趣きを伝えるに達者なこと。(分母、分子)
字数の分母、分子で意を伝える計測をするなら、表意文字の漢字を使える日本語は大変有利です。司馬遼太郎が説明して有名になった、日本海海戦の劈頭を伝える大本営への打電、
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」。秋山の文才はともかくとして、他言語に比して、日本語の言語としての機能性が低いとは言えない例だと思います。
東先生(先生、と勝手にお呼び申し上げる無礼、お赦し下さい)は、いかが思われますでしょうか。
漢字、かな、カナ、アルファベットを自在におりまぜ、省略や語順変化を厳密ではない助詞の活用で伝えることが可能な日本語は、非機能的ではない、と私は思います。ただし、使いこなすことがとても難しい。母語を使う私にも呆れるほどに難しい。その文脈で先生が「非機能」だと日本語を評されるなら、完全に同意申し上げます。
比喩の助けが必要です。
日本語は風呂敷です。
支那やアーリア人達の言葉は箱、と言えると思います。
箱にモノを詰めることを教える方がたやすく、うまくモノを運べば輸送効率は上がります。
他方、風呂敷は、上手に畳めばなんでも美しく、粋な夜の花街に持ってを歩いて恥はありません。
ビジネスでは英語を勉強しろ、と部下に言い続けていますが、「伊沢蘭軒」を読めとは言えませんが。
長文、大変失礼いたしました。
先生と先生の大事な方々のご健勝をお祈り申し上げます。
(バッハ、ベートーヴェンが好きです。たくさん、音楽のお話を教えて下さい!)
内藤 拝
東 賢太郎
1/20/2022 | 7:26 AM Permalink
内藤様
はじめまして。示唆に富んだコメントをありがとうございます。楽しく拝読いたしました。異論は大歓迎です。それでアウフヘーベンできますし、お互いに高められるのがいいですね。以下本稿の趣旨をご指摘の点へのコメントも含めてまとめておきます。
まず、日本語が繊細な人間の情感や行間からたちのぼる奥深い文学的表現において優位にある言語である点はまったく異論がございません。そうした語彙が豊かですし、余白の美なる概念は文学にもあって和歌や俳句では切り詰めた字数でこそ表せる広大な宇宙があることも感じてきております。それを情報密度の尺度で計って希薄と断じても無意味であり、見えない価値でもあり、日本語を母国語とする我々だけが手にする大きな果実ですね。
一方、本稿での関心事は美学ではなく、インテリジェンスです(定義は「他者の行動を喚起する情報」)。投票してもらう、商品を買ってもらうにはそれが必要で、その手段としてスピーチがあります。本稿での「スピーチ」(プレゼンでも結構)はそのようなものと定義し、したがって、インテリジェンスの無いスピーチは用を成しません。そこでリヨン大学による「スピーチの情報密度」というデータを引用し、スピーチの構成要素である情報、構成、速度、好感度などがどうインテリジェンス形成に関与しているかを分析します。「情報」を要素A、「その他」(補集合)を要素Bとします。説得に成功したスピーチのA、Bの比率は国民性、TPOに依存します(ここは東仮説です)。その分析のツールとしてINSEADのデータを引用しています。
まずTPOを以下のケースが代表する3つのパターンに分類します(スピーチは文書による情報伝達を含む)。
①【戦場からの報告】
A : B = 100 : 0です。カエサルは「来た、見た、勝った」と書き、秋山は(要約すれば)「聞いた」「行く」「試みる」「有利」と書いた。どちらもインテリジェンスとしてワークした(史実)ので成功。
②【X候補の政見放送】
内容空疎だがイケメンで好感度抜群。Xの当選確率はINSEADデータから国によって分散すると考えられ、 個々の国においてもインテリジェンスを生む最適なAB比は不明。
③【長嶋茂雄の引退スピーチ】
引退発表後に行われたので情報価値はなく、A : B = 0 : 100。 好感度がインテリジェンスとしてワークして「巨人軍は不滅」を売り込み、読売新聞、巨人軍の収入を増やしたので成功(②の特殊ケースであることに留意)。
①③が両極端で、その中間でほとんどのケースが属するのが②です。よって、長嶋になる自信のある人を除けば、②であって「Aが成否を決する」と考えるのが合理的ということになります。カエサルのケースではA を表記するのが何語であれ、語数3(Veni、vidi、vici)を最小値とした「言語」でしか伝達できません。また発信者、受信者ともに言語は脳内で処理されてAを形成し、そのプロセスを執り行うプラットホーム自体が言語によって作動します(「思考回路」と呼ぶ)。
脳内処理はcoding(符号化)で速度、正確度が増します(例・「この値をkと置く」など数学のロジック展開そのもの)。原理・理屈を忌避し(「反知性主義」と呼ぶ)、階層、合意、人間関係を重視する人が多い日本(INSEAD参照)では抽象概念は福沢諭吉らによる造語として初めてお目見えし、定着しました(経済、国家、民主主義等)。しかし、元々の概念がないわけですからcodeとしての機能は高くなく、「民主主義」と聞いた時の日本人の脳の反応速度と「デモクラシー」と聞いた時のフランス人のそれは国民平均値をとれば同じではないでしょう。また数学、物理、哲学の概念定義や論理展開は英独仏語で多少の差異はあっても(ご指摘の堅牢性など)、概念が明治時代まで存在しなかった日本語より優位にある(ノーベル賞学者ではなく一般の学生がそれを学びやすい言語である)ことは否定できないでしょう。したがって、一定時間内のスピーチの情報密度が日本語において低い理由はリヨン大学がサンプルにしたスピーチが抽象概念を多く扱うためであるかもしれず、秋山の戦場報告が(実際は暗号とチャンポンの電文ですが)簡素ながら効率的であるとの内藤様のご指摘は正鵠を得ております(対象が具象のみの場合の差は縮小する可能性はそこでは検証されていません)。但し、政治、ビジネスに限れば具象の比率は低減します。
したがって日本では選挙においてAばかり訴えても有権者の心には響かず、当選確率は上がらず(だからBで勝負する③型のタレント、キャスター候補を出す)、商品の機能的情報(スペック)が優秀でもそれだけでは物は売れません。反知性主義という思考回路の人たちのエンパイアにおいてはロジックを解いて答えが有意に導かれてもその価値をアプリシエートもシェアもされないからです。それよりCMでイケメンに売りたい商品名を3回連呼させた方がいいのです。そこで、それを奇貨として、声の大きい人、大きな力が後ろにある人が説明もせずに合理的な解を捻じ曲げることができ、そもそも議論しない反知性主義者はそれに反論もしません(「空気」の醸成)。彼らは空気で動きますが、知性がない人ばかりではありません。超高学歴で博識であっても、それを応用して物事の判断に活かせない人を僕はたくさん知っています。言語はその民族の脳が千年以上もかけて造ったものですから文化と一体です。Aを多くの抽象語彙(借り物で定義も理解もアバウト。例・シュミレーション)で構築することも、それを聞いて心から納得して行動に移すことも、ともに不如意である人が日本人には識字率の高さに比して非常に多く、自身に全く自覚はなくても理屈や議論を避けるという反知性主義的な行動をしている場合が多いのです。
知性ある人でもそう行動してしまう土壌は、Bが大きくものをいう場面があることで潜在意識の内に培養されています。長嶋茂雄の「永遠です」やキャンディーズの「普通の女の子」はたった一個の情報なのですが、それで読売新聞やレコードが売れたので立派なインテリジェンスだったことになります。これが日本の特異性です。伝達効率が低いのは言葉でくどくど伝達する必要性が欧米、中国より低い(むしろ嫌う)文化だったからであり、いらないものには名前をつけないので抽象語彙は少なく、必然的にそれを駆使する思考回路もできません。その代わり一個のイメージでおおまかではあるが情報は広く流布して国民的に容易に共感される利点があります。語数は節約してコンテンツが伝わることもあります。しかしこれは諸刃の剣で、議論はされずに空気でモノが決まってしまう。反知性主義は議論も反論も嫌いますから目の粗い思考回路から出てきた情報は画素数の少ない写真と同じで情報の密度が低く、ライオンを猫と見まがうようなとんでもない結論に飛んでしまうリスクがあります(これが先の戦争です)。ですからこの節約を「効率」というのは間違いです。
非常に需要な事ですが、我々はその母国語で思考しますから、ない要素は意識にものぼらない(紫外線、赤外線のように網膜に映らない)ということです。だから聴衆が日本人か欧米人かで僕はプレゼンの仕方を変えています。表面的には日本語か英語かなのですが、それだけではなく、ロックか演歌かの違いです。伝わらないと売れませんから当然のことです。海外から16年日本を観察しましたが、日本人の9割は反知性主義です(知性主義の補集合として)。これは明治時代からそうであり、教育の方法論を根底から変えない限り百年たっても変わらないでしょう(その一例が大学の文系入試は数学不要という意味不明の伝統で、反知性主義の代表例である毛沢東の文化大革命と変わりません)。9割の国民が選ぶ政治家も9割は「長嶋茂雄よりはるかに劣る③型」になり、秋山真之中佐のような①型議員はいても1割だからバカの大群に押し切られてしまいます。大本営のエリートも、いい大学や士官学校へ行って勉強はできたが思考回路は演歌型だったと僕は考えています。それで本稿のタイトルになりました。内藤様には釈迦に説法と存じますが、人間は教育が何より大事です。一説では回路は18才までに完成し、そこから変えるのは一から学ぶより困難だそうです。そう長くない先に暇になりますから、18才未満の子に自分の経験を伝える場があれば素敵だなあと思います。
塚原菜緒
6/6/2022 | 4:18 PM Permalink
東さま
突然のコメント失礼いたします。
東さまの記事にコメントをする資格など到底持たないような、無学で稚拙な私ですが、この記事に感銘を受け、それだけでもお伝えできればとコメントいたしました。
私のコメントが的外れであれば、容赦無く切り捨てて下さって構いません。
日本人の「理屈・原理嫌い」は、24歳の私でもすでに過剰すぎるほどに実感しておりました。
何かの指示が与えられた際に、その意味や背景を全く気にせずに仕事ができる人が多いのもそういった性質ゆえなのかもしれないと、ストンと腑におちました。
私自身は、誇れるような知的生活も送ってきませんでしたし、おそらく十分な知能も持ち合わせていません。
しかしながら、自分の脳が「働いていない」状態になっていまいか常に目を光らせ、「気にする」ことを片時も忘れないよう心がけてはおります。
自分の努力を肯定していただけたようで、勝手ながら勇気をいただきました。
実のところ、ラヴェルの「クープランの墓」に関する記事を導入に、この記事に辿り着きました。
本当は「クープランの墓」の記事にコメントしたかったのですが…
大のラヴェル好き(むしろラヴェル以外受け付けなくなってしまっている)の私といたしましては、とても楽しく拝読することができました。
これからも素晴らしい記事を楽しみにしております。
乱文をお許しください。
塚原拝
東 賢太郎
6/7/2022 | 9:20 AM Permalink
塚原さん
コメント有難うございます。24才のあなたに勇気をもっていただけたなら本稿を書いてよかったです。「自分は何のために生まれてきたか」の稿の結びの言葉のとおりです。
今年でブログ10年になり、このスペースに2,300稿ほどあります。打刻されてますからいつ何を書いたか書かなかったかも含めてみんな自分史です。
「クープランの墓」は9年前ですが、いま読み返してそうそうとうなずいてます。でも弾くと下手になってるんですね。トシをとるってそういうことなんです(笑)。若い塚原さんの前途洋洋をお祈りいたします。