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ドーピングは問答無用で退場のイカサマ

2022 FEB 18 9:09:03 am by 東 賢太郎

ロシア国家の組織的なドーピングの制裁で、同国の選手たちは「ロシア」でなく「ROC」所属として出場している。そのROCでまたドーピングがあったとすると、次の五輪は何という団体名になるんだろう?そこでまた出たら次はなに?五輪の醍醐味がひとつ増えそうだ。開けても開けても同じ顔が出てくるあれ。いわゆるひとつの文化というべきなのか、お家芸であるか、はたまた病気か、いったいどれなんだろう。

今回のスケートのあの子は15才ぐらいだろうか、動揺があったのだろうフリーの演技は気の毒で、いかにも後味の悪い結果になってしまった(坂本さんがメダルを取れたのは良かったが)。16歳未満が「要保護者」なのは賛成だが、保護が必要な子供が自分でクスリを飲むだろうか?お爺ちゃんのコップを使ったぐらいでサンプル汚染と判明した他の選手の200倍も汚染されるだろうか?周囲の大人が下駄をはかせて勝とうと、ズル工作しなければこれはないだろう。その大人が人間のクズですねで済む話ではない。以下に書くが、そのことを裁く側の対応がこれまた問題で、世の中がそんなことで動くなら未来は誠に暗い。この事件には何ともやりきれない気持ちでいっぱいだ。

厳正な競争はフェアなルールがあってのみ成立する。したがって、特例を認めてそれを曲げるのは競争の管理者としてあるまじき自損行為であって、管理者の地位から放逐すべきだ。そして、ドーピングの実行者は試験のカンニングと同様、ひっかかった時点で問答無用で退場である。CAS(スポーツ仲裁裁判所)の「要保護者」の子供が傷つくから演技させましょうなどという甘ったれたお為ごかしはルールにはなり得ない。故意があろうとなかろうと即座に退場がルールで、子供であれば少年法の考えでそれ以上の罰は与えず、そんな事態に追い込んでしまった指導者や周囲の大人を所定の手続きで断罪すべきなのだ。さもなくばフィギュアは競技ではなく単なる娯楽のスケート・ショーになり下がる。すると血のにじむ努力を重ねた他の選手たち全員をも傷つけてしまう。つまりあるひとりのお行儀が良い悪いの問題ではなく、競技そのものを堕落させ、信用を失墜させる社会的重罪なのである。

東京大会の時点で書いたがIOCという組織はいったい何なのだろう?2036年の夏季五輪開催に手を挙げてくれるロシアは上客のようだ。フィギュアのあの子は素人目にもレベルが高く世界的な人気者であり、それを演技させないとテレビの視聴率が下がって大事なスポンサー様は逃げるし、ROCに格下げされたプーチンの機嫌をさらに損ねるという事情はあったのだろう。しかしながら、そこで「特例」をもうけて演技はさせる。厳正を装うための逃げ口上で「順位は暫定とします」ってのは完全なミスジャッジだ。ロシア様の「大きな力」の前では「イカサマ」オッケー。その犠牲になって、正々堂々と戦って勝った他の国の子が表彰台に登れなかったらなんてことは無視している。IOCは田舎紳士にすぎない移動サーカスの座長のレベルであり、世界の超一流である選手たちのほうは単なる客寄せパンダって、誰がどう考えても変じゃないのという怒りを覚える。

こうしたバッハ主義は、しかし、バッハ氏の責任だけとは言いづらい。世界にまん延している風潮である「なんでもカネでオッケー主義」を映す一個の鏡にすぎないという見方もできるからだ。カネで買えないものを換金することを「マネタイズ」という。いまや大統領選挙の票でも受賞論文でも奨学金でも愛でも買える世の中になってしまったのだから、IOCが五輪をマネタイズする団体であって何の罪があろう。「その精神でがっぽり儲けさせてもらいますよ、でもそのおかげで皆さんも4年に1度の五輪を楽しめるでしょ?」「だよね」「だよね」になってしまうと何が起きるだろう?フェアネス(公平性)というものは本来はマネタイズという腐敗から競技を守ってくれる防壁なのだが、「それをいじるといい商品になるよ?」という悪魔のささやきが聞こえてくるのだ。ゲーテのファウストのようにその誘惑に乗って禁断の木の実を食べた瞬間、あらゆる競争はショーに堕落する。それを決められるトップは自分の在任中ぐらいはまだバレないだろう、やらなければ後任者がやるだけだ、やらねば損となる。これは投資銀行の収益部門ヘッドの椅子に座った大概の人が陥る餓鬼道と似たところがある(リーマンショックはそれで起きた人災だ)。バッハ氏をいくら批判しても仕方ない所にIOCは居場所を作っているように僕には思える。

僕は東大がAO入試を始めた時点で同じことを感じた。東大教授でも東大卒でない人もいる。いつか悪魔のささやきに乗らない保証はない。ポリシーが堕落すればAO=アホでもオッケーの風穴があき、蟻の一穴から全部の公平性が瓦解すると危惧するのは僕だけではないだろう。子供のほうも、それで合格しても学内外でそういう冷ややかな目で見られるだけだ。すると、それでは気の毒だ、人生の大切な時期に人格形成でひずみが出るのでむしろ現行の入試は廃止すべきだろう、そして全員をAOで選別すればフェアではないかという一応は理にかなったあらぬ結論が見えてくるのだ。ケン玉が天才的だったり物まねの達人だったりという生徒も一芸に秀でてその道では日本一なのだから東大生でいいじゃないか。何も勉強だけが人生ではないだろう。学問の府も多様化の時代だ。時代に即して変わるべきなのだ。他校もそうすれば、大学のレベルは全国的に平準化して、学問の自由、学ぶ機会の公平という国民の基本的人権の観点から平等な素晴らしい社会が実現するだろう。岸田政権の標榜する新社会主義にもフィットした教育政策ではないだろうか。そうやって日本は国ごとゆっくりと偏差値50に収れんし、気がつくとアメリカに捨てられ、中国の最東端に位置する省になっているだろう。いいじゃないかタダで守ってもらえるなら。だよね。

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Categories:______世相に思う, 若者に教えたいこと

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