『レコード芸術』休刊のお知らせに思う
2023 APR 4 16:16:50 pm by 東 賢太郎
昨日、このニュースを知った。
当誌には高校時代から長年お世話になり、海外でも取り寄せて愛読していたので複雑な気分である。
ただ、証券マンの目にこの日が来るのは予見されていた。雑誌文化の衰退はもう誰にも止めようがない。ジャンルを問わず雑誌のほとんどは赤字と聞いて久しく、週刊朝日が5月末で休刊というニュースでこれから何が起きてもおかしくないという事態に至っていたからだ。ネットと動画に押されて文字を読む文化が顕著に後退し、新聞も部数が激減しているマクロ現象の一環だ。
次に、これは各所で私見を述べてきたが、クラシック受容文化の変質である。帰国したのにレコ芸を通しで買わなくなったのはいつからか調べると、2010年からだった。僕が愛好した評論家は硬派の大木正興氏だが、氏亡き後は文学者の格調を最後まで失わなかった吉田秀和氏(2012年没)、好悪直言型で演奏家目線の宇野功芳氏(2016年没)が逝去されたことをもって文化の変質は不可逆的と感じた。
2014年に書いたこの稿をさっき読み返してみたが、今日これを書いてもいい。
僕のクラシックのブログについて(訪問者25万に思う)
つまり、書いてあることは9年前からすでに起きていたわけであり、それがレコ芸という雑誌に局所的に現れたといってそれで止まるわけでもない。この流れは世界のクラシック音楽界を揺り動かし、日本の音楽産業から音大のあり方にいたるすべてを飲み込みつつある津波だからである。
3週間前に偶然だがレコ芸のことを書いていた。
音楽評論誌の「立ち位置」については若い頃から考えがあったからだが、それほど僕の中では音楽を通じて社会を深く観察、考察するテキストになった重みのある雑誌である。これが消えるということは我が国のインテリゲンチャがこれから本格的に、雪崩をうって消滅してゆき、受験やクイズ番組には強いがぺらぺらに皮相的で利己的、我田引水的である疑似インテリが蔓延る社会をまぎれもなく予見していると言わざるを得ない。文化は世相を映す鏡なのである。
ではどうしたらよいのか。政治家でも教師でもない僕には何の力もない。老兵は消え去るのみだからもう関係もない。そんな酷い社会になっても家族、社員、友人たちはうまく生きていけるよう心掛け、見守るしかないだろう。
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桜井 哲夫
4/4/2023 | 11:22 PM Permalink
初めてコメントさせていただきます。
この十数年間は図書館で読むだけでしたが
ストリーミングやYouTubeなど、音楽にアクセスできる手段が多様化してきたのに、「名盤(数字)」のような企画-これは広告主であるレコード会社への忖度だったでしょうが-ばかりやっていたので、まぁ、当然の結果ではないかと。レコードが高価で「迂闊に買えない」時代には求められた企画でしたが、時代は様変わりしました。
あとは執筆者の質の低下が酷かったですね。記事に挙げられた方々以外でも、小石忠男氏や諸井誠先生の批評は読んでいて勉強になりました。
西村 淳
4/5/2023 | 7:39 AM Permalink
私もお世話になりました。
中学生のころだったかクラシックの情報誌として初めて手にした分厚い一冊。その中にはまだ見ぬ未知の世界、憧れがいっぱい詰まっていましたが、その後ここに挙げたような格式ある評論が安っぽいものに変質し、進取の気性もなくなって英グラモフォン誌に切替ました。(なんと1923年創刊100周年:フォーレが素晴らしいピアノ・トリオを作曲していた年!!!)
文学も音楽もあった時代の終焉ですね。
東 賢太郎
4/5/2023 | 12:17 PM Permalink
桜井様
コメントをありがとうございます。同誌を読んでいないので知りませんでしたがそういうことですか。レコードが迂闊に買えない時代は不自由でしたが、制約があった方が良いものを見つけて買った喜びも大きかったのかもしれませんね。名盤を一個一個詳しく論じるならまだしも並べて企画にする発想自体がインテリジェンスの香りがないですね。のだめ世代を意識したのなら、彼らは文章が読めませんから雑誌は売れません。
東 賢太郎
4/5/2023 | 12:49 PM Permalink
西村様
まだ見ぬ未知の世界、憧れ。我々世代の「あるある」ですね。英グラモフォン誌は英語の教材に格好なほど格調高い形容詞、副詞、言い回しの宝庫です。その英語が示唆することは、書いている方も最低限音大卒か音楽学者、それをカネを払って読む読者もアッパーだということです。我が国のアッパーにインテリはいません。富裕層はいますがレコ芸の読者を僕は一人も知らないし音大卒は逆に音楽しか知りません。レコ芸は江戸の歌舞伎文化のノリでクラシックを日本流に受容することにかけては鹿鳴館より貢献がありましたが、歌舞伎は大衆芸能なんです。ついに限界を見たということでしょう。
内藤範博
4/6/2023 | 11:41 PM Permalink
東様
いつも拝読しております。
「レコ芸」廃刊。充分長生きもし、ディレッタントとしてそれなりに楽しそうな人生を過ごして来た遊び人の叔父が、長患いで良くないと聞いていた折から、とうとう訃報に接したような気がします。病気で痩せ細っていた(ページ数と販売部数激減)のに見舞いにも行かず(購読も止めて)、ついに…
私が大好きだった三浦淳史さんなら、Alas!と書き始めたでしょうか。恒例の2月号の「リーダーズ・チョイス」は愉しみでした。
週末は書庫に並べてあるバックナンバーでも読んでみますか。
多分、純粋に趣味で読んだ雑誌としては、一番たくさん時間を使って楽しんだ対象でした。
最終号は買わねば。
東 賢太郎
4/7/2023 | 7:49 AM Permalink
内藤様
ここ数年は書店に行くと必ず雑誌の「音楽」コーナーをチェックして、ポップスや映画ばかりになったなあとため息をつきながら、1冊だけど「まだあるな」、甲斐甲斐しく頑張ってるなと安心してました。でも買わなかったんです。そうしたら、先日、お店ごと消えてました。
海外時代に、自分はこれとニュートン、子供用に小学*年生とめばえなんてのをお取り寄せ購読してて、持って帰ると子供たちが目を輝かせてましたが自分もそうだったんですね。日本語に飢えてたのもありますが中身も面白かったし熟読してました。ディレッタントで遊び人の叔父さんの訃報、言い得て妙ですね。