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自民党総裁選に思うこと

2024 SEP 21 11:11:30 am by 東 賢太郎

自民党の裏金問題は国民の記憶からは消えない。メディアからはとうに消えているがネットには残って温度感がキープされ、よって次々に新たな書き込みが誘発されるからだ。これぞ情報新時代における政治現象の記憶保持の例として後の政治学者、社会学者、統計学者の恰好の研究対象になるだろう。こと政治に関する限り「台風一過」、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という日本人の社会学的特性は昭和と共に去ったという結論に行きつくことは必至と思われる。国民は馬鹿だからすぐ忘れるという感覚でやっている政治家はどんな大物であろうとオワコンとして国民の記憶から藻屑のように消し去られ、「そうやって消えた寂しい政治家」のカテゴリーの一員として記憶保持されるだけだろう。

全国津々浦々にある裏金問題の怨嗟の中で米国追従だけに全身全霊で邁進してきた岸田政権において、支持率回復になり得る新たなネット情報を誘発する可能性は極めて微小であり、仮に書きこんでも影響あるほどのPVを獲得する可能性は限りなくゼロに近い。よって、それらを先行指標とする支持率がゼロに収束していくことは、何度も指摘した数学的ともいえる自明の理なのであった。それは情報拡散力や発信ソースの多様化など往々に指摘されるウエッブの特性のみにとどまらず、国民の行動、意思決定に関わる現象、いわば思考回路の形成にまでネットが関与しているゆえの現象だ。回路が変容すれば求める情報、その質と量、そしてそれをインテリジェンスとして引きおこされる個々人の判断や行動も変わることも、これまた止めようのない自明の理だ。それは例えば「国民の6割が1か月に1冊も本を読まない」という情報の受け手側の事情に原因の一端をうかがい知ることができるが、その解釈を間違ってはいけない。6割の国民が文字離れの馬鹿になったのではなく、賢い人もネットでしか読まなくなったのである。

この現象はウエッブという増幅器によって加速度的に進行し、自動車が人力車に戻らなかったのと同じほど逆行、復元の可能性はゼロである。止める方法は日本国民にネットの閲覧を禁止する法律を作るしかない。都知事選においてネット発信で戦った石丸候補の得票数に今更驚いて石丸現象などと騒ぐ既存メディアの運命も、従って “予定調和的に” すでに見えているのである。そうか、それがニュートレンドだ、そうであれば石丸に習って「若返り」だと43才を売りにする自民党幹部の思考レベルも国民はネットを通して完全に見透かして冷笑している。自民党員しか投票はできないからそれでも総理は民意を無視して決まり得るが、その場合、やがてある衆院選、参院選で自公は “予定調和的に” 大敗するだろう。

僕は都知事選で石丸氏に投票したが、それは彼が若いからではない、京都大学でちゃんと勉強していることを演説と討論会の言説で確認できたからだ。それを欠いている人の発信は、最初はテレビだけでも瞬時にネットで配信され、ウエッブで増幅され、様々な第2次配信者による色付けがなされた状態で永遠に残る。次回話題になったとき、全有権者は自由に随時にそれを何千回でも再現でき、既存メディアの得意技である「報道しない」という世論操作はもはやできない。報道しなければそのこと自体を国民は「印象操作だ」と認識し、確実にその政治家の「負の印象」が不可避的に固定化する。やればやるほど学習効果によって強固に固定化する。ウソだった公約は、公約内容は忘れても「嘘をついた」という事実は永遠にクローズアップされる。そのころ、1か月に1冊も本を読まない有権者は7~8割になっており、ネット依存は決定的になっており、オンライン選挙への移行から逃げようがどうしようが、投票行動にそれが影響を及ぼさないはずがないのである。

それはリスクを伴う政治判断をする場合に政治家に不利益とも考えられるが、その時点で是であると国民も考えたならそういう形で記録されるので結果が非と出ても傷にはならない(それこそが民主主義だからだ)。つまり政治家は国会で民意を問うという当然の義務を果たせばよいだけだ。それを無視した岸田政権が党議拘束をかけて強引に押し倒して通したLGBT法案決議の悪評は強固に記憶保持され永遠に許されないが、それは民主国家における自業自得という一例にすぎない。つまりそういう政権は悪評と共に潰される非業の末路を迎える。その事例が増えれば失政のステレオタイプとして国民の脳内に蓄積し、それを喚起するネットの書き込みがあふれて印象を増幅し、それをした政治家は投票されなくなって落選するだろう。未来に誰がどう言おうと俺は構わない、強引に権力を奪おうという政治家には抑止力にならないかもしれないが、どういう人間を当選させるとそうなるのか、これからの国民は中高生あたりから多くの事例をネットで見聞きして学ぶことができ、反復のシミュレーション効果が表れ、やがてそういう兆候のある者を政治家に選ばなくなる。思考回路とはそういうものをいう。

衆議院議員も参議院議員も、すべからく自民党議員は選挙の顔をすげ替えなければ次の当選が危ないと懸念するのは昭和・平成の選挙の残り香である。周囲がそう考えて行動するのだから「美人投票」で生き残るには仕方ないが、恐らく、石丸氏はそう考えないだろうしそういう議員が増えるだろう。表紙が替われば悪書が良書になるなどという場末のマジックショー並みの安いトリックは、候補者の知名度とテレビの露出ぐらいで投票するしかなく青島幸男や横山ノックが知事になった時代の遺跡だ。そういう結果を民意がもたらしたのだから当時の有権者がその程度だったということだが、ネット情報で新しい思考回路をもったこれからの有権者はそうはいかないだろう。デパートの包装紙であれば何を贈っても喜ばれて安心だというのは昭和の話で、デパートの方が消えていく今ではナンセンスなのである。喜ばれるのは中身だ、本当に良いものだけが生き残る。

以上を書きながら思い出したのは、コロナが出てきた2020年の8月に書いたブログ「ジャイアンであるためにジャイアンな政府」だ。ロンドンで生々しく体感し、我が政治観の原点になった「サッチャー政権と英国民の民意の関係」についての論考である。僕は彼女のしたことを支持するし、基本的に小さい政府を良しとするが、それがサッチャリズムという呼称と共にネオコン、新自由主義に姿を変え、こともあろうに社会主義、共産主義に近い思想に摺り寄せられて解釈されたことには大きな違和感を覚える。彼女はエスタブリッシュメントの巣窟である保守党で異例の中流の出である。英国では議員の世襲は親の地盤を継げないなどフェアな制限があるがクラス(階級)にそれはないためにいじめにあった。田舎の雑貨屋の娘はまず階級と闘争する必要があったのである。しかしオックスフォード大学で化学を専攻した彼女の知性と意思は非常に堅牢だった。周囲をメジャーでないユダヤ系の切れ者の登用で固めるという策で切り返し、国柄を変えるほどの大改革を成し遂げた。大政治家でなくて何だろう。戦争を仕掛けた是非はあろうが、あのころ、ロンドンの空気はというとまるで13連敗してプライドがズタズタだった2017年の読売巨人軍みたいなものであり、フォークランドを取り戻したことがどれだけ国民の士気を上げたかわからない。これに勝利してそれまで不人気だった政権支持率は保守層のみならず労働党支持の大衆においても急上昇した。クラス社会、男社会を正面突破した彼女の看板は「女」でなく「鉄」だ。「初の女性総理」が売りなどというくだらないうたい文句は、その空虚な意味のなさにおいて「初の43才」と何の相違があろう。鉄はサッチャーの学識、知性、意思、決断力そして何より愛国心に与えられた称号だと僕は思う。

ジャイアンであるためにジャイアンな政府

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Categories:政治に思うこと, 若者に教えたいこと

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