ロマネ・コンティな休日
2024 OCT 17 23:23:56 pm by 東 賢太郎
遅くおきたのか二度寝だったのかは覚えがないが、先だっての休日の昼ごろだ。どっちでもいいのだが僕は日記をつけていてそんなことも気になったりする。台所におりていくと、次女が来ていてカレーあるよという。じゃあ少しもらうかなと淵が広いお気に入りの皿を食器棚からとりだした。ご飯をよそう。ここまではいい。この先が問題なのだ。スープカレーが好みなので鍋からおたまでかけるとき、どうしてもポタっとしずくが垂れてしまう。純白の皿の淵に点々がつく。きたない。食べ物は見た目が大事で、せっかくのカレーがだいなしになるのだ。
これが嫌でいつもやってもらうが、この日は家内がいない。仕方なく、細心の注意を払い、積み木くずしのてっぺんにのっけるみたいにそうっとおたまをもっていったが、くそっ、どういうわけなんだろう、おたまの裏側にあったらしいのが垂れてしまった。
ここで条件反射的に出た負け惜しみは自分でもちょっと意外だった。
「こういうのはね、清少納言さんなら ”すさまじきもの” に入れるんだよ」
「ものづくし」と呼ぶ部分のことである。枕草子にぴったりのシーンがあり、何かをこぼしてあれまあと嘆いたんだろう、「物うちこぼしたる心地、いとあさまし」と思いっきり書いている。しかし僕は驚いたりがっかりしたり嘆かわしいと思ったわけではない(それが「あさまし」の意味」だ)。食卓にふさわしくないきたない点々がついてせっかくのカレーが不味く見えてどっちらけなのだから「あさまし」でなく「すさまじ」だろうととっさに判断したわけだ。
女史のやや斜に構え分類好きな精神を自分も持っているからだろうか、枕草子は大好きで繰り返し読んでおり、けっこう覚えてしまっている。彼女が何を思ったかもあるが、そうくるかと心のはじけ方が面白くてたまらないのだ。「すさまじ」は興ざめだの意味であり、頭のいい彼女はそう感じた物事をたくさんおぼえている。それを矢つぎ早にアレグロのテンポでたたみかけられると音楽的な快感を覚えるのだ。文学として異例であり、僕の嗜好にストレートに効いてくる。
ところが、「すさまじきもの」の段にある 「昼に吠える犬」 と 「贈り物が添えられていない手紙」 のあいだの共通項がどうも読み解けない。もしかしてそれはいまも世間のそこかしこにあるもの、すなわち女性の柔らかな感性のようなもので結ばれているのではないかと思った。そこでネット検索をしていた矢先、清川 妙さん(1921 – 2014)のこれを見つけて目から鱗が落ちた。
第八回 すさまじきもの – うつくしきもの枕草子 : ジャパンナレッジ (japanknowledge.com)
不調和からおこる興ざめな感じ、しらけておもしろくない感じ、それが「すさまじ」である。夜を守ってあやしい人に吠えかかるべき犬が昼に吠える、願望という心の容れものに、成就という中身は入らず、からっぽのままで、心は寒い。「除目に官得ぬ人の家」のくだり全部には、清女の父、清原元輔の姿があると思う。幼い日から、彼女は父の失意の姿をその目でまざまざと見て、周囲の人々のありようも心に刻みこんだのであろう。ここの描写は精緻をきわめ、人々の息づかいも聞こえるほどの臨場感がある。清女は自分の体験をぐっと濃く投影して、ときには涙ぐみながら、この部分を書いたと思う。
そうだったのか。清川さんの解説文が、これまた清女の文のように平明でぐいぐい心に迫る。文書はすべからく漢文体だった平安時代の宮中の男性にこの細やかな描写ができるだろうか。もしも現代に文字がなく、書き言葉は英語だったと空想をたくましくしてほしい。無理だろう。男が繊細でなかったわけではなく、公の場で文(ふみ)にしたためたり他人に読ませたり後世に書き残したりする媒体が異国語である制約は重かったと思うのだ。
ところが平仮名という表音文字が発明され、口語をそのまま音化できるようになった。枕草子と源氏物語の作者が女性であったのは平仮名が女文字だからだが、それが単一の理由ではない。百年も前に紀貫之が土佐日記を書いているからだ。語り手を女性に仮託した誰もが知る「男もすなる日記といふものを」の出だしは、「日記」は男が漢文で書く公的記録だけれど女がまねして仮名で書くんだから容赦してねという形態、フィクションを装って平仮名の利点をフル活用するためだった。
かような筆者と語り手を分離する手法はサスペンスでは常套手段だ。アガサ・クリスティが利用して世間をあっといわせた某著名作品があるが、千年も前にそれをした貫之の優れて知的な創造は日本の誇りであってもっと世界に知られていい。女性への仮託の本音は日記への仮託である。日記は本来広く他人に見せるものではないから冒頭から矛盾しているのだが、和歌の枕詞、掛詞と同様に読者と想定した貴族ならわかってくれる仕掛け、言語遊戯だよという宣言であり、大人の読者はにんまりとしてそう合点して読んだ。20歳ごろから日記を書いてそれがいまブログになっている僕も貫之の気持ちがわからないでもない。
彼は愛娘をなくした慟哭や、帰京をはやる思いなど心の襞まで書きたかったのだ。そのために仮名文字の利用こそが重要だった。「古今和歌集」の選者であるエリートが裃(かみしも)脱いで自由に羽ばたいたそれは、ハイドンに擬すという立て付けでそれをしたプロコフィエフの古典交響曲のように軽やかだ。ただ、男の悲しさを感じてしまうのだが、地位も名誉も家族もある貫之は裃を脱ぐにも格式と品位と教養を漂わせる必要があったのだろう、全部は脱ぎきれないもどかしさがあるようにも感じる。
後世に大ヒットしたのが革命的なレトリックを生んだ土佐日記でなく両女史の作品であったのは男として些か残念ではある。彼女らは初めから裃など着ておらず、藤原氏の権勢のもと、権力者の庇護さえ得ていればあっけらかんと貴族の裏話、スキャンダル、人事、色恋沙汰を開陳できてしまった。いつの世も週刊誌ネタは最強のコンテンツだ。しかし週刊誌が古典になったためしはない。それをエッジの利いた女性の目でえぐり出して時にシニカルに時にやさしく描いて見せた清少納言、ネタに尾ひれをつけるどころかワーグナーばりの壮大なフィクションにしてモデルの人物を想像させた紫式部。稀有な才能あってのことだ。
女性だから書けたということについては別な要素もぬぐい難く存在する。口語の駆使ということになれば圧倒的に女性の独壇場であるという事実が存在するのであって、たとえば家内とけんかになると、あなたはあの時もああだったこうだったと、何十年も前のことであるどころか、あったことも忘れてる大昔のいさかい事までを立て板に水の如くまくしたてられ、勝つみこみというものはまるでないのである。女性は手数も多いが、実は分類だって得意だったのだ。
3時ごろになって従妹夫婦がやってきた。ワインがわかる人たちだ。うちは酒飲みがおらず、そうでもないとあけられないのが3本あってずっと気になっていた。テーブルに並べてさあどれにする?ときくと従妹はロマネ・コンティ ・グラン・エシェゾー1989年を選んだ。そうか、これね、スイスで買って、いや買ってないな、きっともらいもんだよな、そっから香港もってって、そっから日本だからさ、空輸とはいえちょっと心配なんだよね、もうラベルがこんなだし、もし酢だったらシャトーブリオンのほうにしよう。そんなことをぶちぶちいいながらボヘミアングラスのデキャンタにトクトクそそぐ。おお、あの透き通ったルビー色だ、これだ、ひょっとしていけるかもしれない。
液体を口にふくむ。従妹が下した宣告は清女さんみたいに冷徹だった。
「ケンちゃん、残念だけどこれアウトね」
娘が追い打ちをかける。
「お父さん、これ世が世ならネットで66万円よ」
そうかそうか、まあいいんだそんなもん。この日2度目の負け惜しみだ。しかしこっちは「すさまじ」でなく「あさまし」であろう。
それからひとしきり家でわいわいやり、夜になってみんなで近くのイタメシ屋に行って散々酔っぱらった。「あのロマネはね、フルトヴェングラーの第九なんだよな」。この日3度目の負け惜しみは我ながらうまいことを言ったもんだと悦にいったが、宴はたけなわ、誰もきいてない。まあいつもこんなもんだ、清女さんならにんまりしてくれると思うんだが。
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