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なぜ《音楽》は女性名詞なのか?

2025 APR 18 2:02:48 am by 東 賢太郎

楽譜の英訳は sheet music です。妙だと思ったことはありませんか。なぜそうなるかというと、日本語では演奏されたものが「音楽」であって、それを音符で紙に書いたら「楽譜」です。しかし英語はどっちも music なのです。だから「楽譜を読む」は read music です。ということで、楽譜は「紙に書いた音楽」と区別して呼ぶわけです。たいしたことでないように思われるかもしれませんが、言語は民族の精神構造の現れです。「music とは何か」をつきつめれば music は常に music であって、それを紙に書くか書かないかで別物になることはない。西洋人はそう認識しているわけです。いっぽう西洋音楽を初めて聞いた明治新政府は文明開化と軍楽隊による国民の教化と鼓舞を目論み、その音響がどう創造され、記録され、再現できるかを研究しました。種子島に伝来した鉄砲を複製したのと同じやり方です。まず音を sheet music におとす。それを設計図として再現してみる。同じ音響が鳴る。成功だ。それが音楽である。music はもともとは日本になかったのだから「music は常に music」という発想はありません。つまり music は楽譜である。そのように受容されたのです。

では西洋では music とは何であったか?これは空気振動がなぜ人を感動させるかという深遠な問いなのですが、ここでは哲学や美学に踏みこまず、その字義からさぐってみましょう。英語以外の西洋語を学んだ方は名詞に男性、女性が(独語には中性まで)あってひと苦労された経験をお持ちでしょう。僕はモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク(Eine kleine Nachtmusik)が、「ひとつの」はアイン、「小さい」はクラインなのにどうしてアイ、クライなのかがひっかかっていました。「ムジークが女性名詞だからアイン、クラインに e がつく」と知って疑問は氷解したのですが、では「なぜ音楽は女性なのか?」という根本的な理由は不明です。物質と雌雄の関係性でないことは太陽と月が独語と仏語で男女が逆なので確かです。調べると6~9千年前のインド・ヨーロッパ祖語に男性、女性、中性があったのが起源らしく、理屈はなさそうです。

では角度を変えて、なぜ音楽は music と呼ばれるようになったのか?という方から考えてみます。南イタリアのナポリ、ポンペイに近いカプリ島へ行った時のことです。小舟に揺られて「青の洞窟」へ入ると船頭さんのオ~ソ~~レミ~オ~が朗々としたテノールで始まりました。別の船でもやってる。ここでは誰もが歌える感じで素人にしてはうまい。一説では大歌手パバロッティも簡単な楽譜しか読めなかったようですが、日本の音大生は難しいソルフェージュ(読譜、視唱)の試験に通っています。船頭さんの美声の前にはそれが何だろうと思ったわけです。ポール・マッカートニーは音大は出ていませんが、自宅で一人、ギター片手に思いついたメロディーを歌っていたらイエスタディができたとビデオで語っています。

つまりmusic は常に誰かの頭にあるメタフィジックな(形のない)存在で、紙に書いた楽譜はパート譜、備忘録、贈答品、商品、著作権の対象など「物体」にするためにできたものです。モーツァルトは貴族の館や演奏会やオペラの幕間にクラヴィーアで即興演奏を披露して人気を博していましたが、彼にとって即興と作品の区別はなく、「物体」にすべき理由があって書き取ったものが「作品」として死後に残り、ケッヘルが勘定したら626曲あった。それが我々が「モーツァルトをきく」と言った時の「モーツァルト」になったのです。ピアノソナタヘ長調K.332は、理由は不明ですが第2楽章に2バージョンの楽譜があり、本来は消えていただろう彼の即興が聴けます(モーツァルト ピアノソナタ ヘ長調 K. 332)。

つまり music には楽譜がある必要はないのです。この考えの延長線上にジョン・ケージの “4分33秒” が出てくると考えないと、なぜ無音=音楽か?という謎は解けません(ジョン・ケージ小論《 Fifty-Eightと4′33″》)。逆算して考えるなら、 sheet music は無限に可変的な music のいち態様をフリーズ(凍結)し、再現性を永遠に担保するものです。書き取る前の music は量子論における量子のふるまいのように確率でしか表せないという思想が背景にあるからです。偶然性の音楽はケージが創始者ではなく、実はずっと以前から、古代のギリシャから、暗に音楽はそういうものであったというにすぎません。

musicの語源は「熟考する」「思索する」という意味の動詞 muse(ミューズ)です。その名詞形 Muse がギリシャ神話の9人の女神ムーサ(Moũsa)の英語名です。古代ギリシャでは政治、法律、宗教、道徳、科学、地理、数学、哲学の伝達のいち手段がソクラテスの辻説法のような公開の場での朗読でした。そうした知識を国家や民主主義の運営のために大衆に伝える神官のような役目を司った女性たちが存在し、インスピレーションを与えるようなプレゼンをした。その「技芸」が円形劇場での芸術、演劇の原型となって ムーシケー(mousikḗ)と呼ばれ、 やがてmusic になったのです。もうお分かりと思います。だから音楽は女性名詞なのだと思います

新約聖書の時代にギリシャはローマ帝国の支配下にありましたが聖書はギリシャ語で書かれていた。ローマ帝国はあらゆる意味で後の欧州の基盤ですから欧州の精神世界のルーツは紀元前5~8世紀ごろのギリシャにあります。だからルネサンス期のフィレンツェで復興されたのは古代のギリシャ悲劇であり、それに付す音楽はマイナーキー(短調)でした。すなわち音階はラから始まり、ドではなくラがABCのAなのです。それを「opera musicale」(音楽的作品)と呼んだのが後に我々がオペラとよぶものになっていった。そしてオペラの序曲が器楽のシンフォニア(sinfonia)であり、それが独立してソナタ形式をもったドイツの Symphonie (交響曲)になっていったことは言うまでもありません。

ムーサの人数は諸説ありますが、この絵のように9人が有力です。

パルナッソス山にあるアポローンとムーサたち

古代ギリシャの女性に政治参加の場はありませんが、神官としてはありました。その象徴がムーサだったと考えられます。今流にいうなら女性グループ、女性ユニットですが、muse(熟考、思索)するのだからエンタメの芸人というより知的な人たちだったのでしょう。名前はカリオペ、クリオ、ポリュヒムニア、エウテルペ、テルプシコレ、エラトー、メルポメネ、タリア、ウラニアで、次世代にオルフェウス、ハルモニアがいます。太字はおなじみのレーベル名になっています。レコードというクラシック演奏のアルヒーフを作る事業家たちにギリシャを希求する美学が共有されていたことはとても興味深いです。

『火を運ぶプロメテウス』

作曲家も例外ではありません。モーツァルトの「魔笛」には王子タミーノをザラストロの神殿に導く「3人の侍女」が出てきます。ワーグナーのニーベルングの指輪もヴォータンの9人の娘「ワルキューレ」が出てきますが、これはゼウスの9人の娘ムーサにぴったり相当します。ベートーベンはギリシャ神話に共感し「プロメテウスの創造物」を書きました。第2幕のパルナッソス山の場面にエウテルペ(楽器)、テルプシコレ(舞踏)、メルポメネ(悲劇)、タリア(喜劇)というムーサの女神たちが登場します。このバレエ音楽は無知で感情や理性も欠けている人間(男女2体の粘土)を教化するストーリーを持ち、思想的背景にはイデアは「永遠不変の理想的な範型」であり、不完全な人間はそれを模倣した宇宙に住んでいるとするプラトンのイデア論があります。

音楽をプラトンにあてはめるなら music は心で響くイデアであって、紙に書き取った楽譜やそれを音化した演奏はその模倣だという哲学をベートーベンは理解していたはずであり、スケッチ帳に書き取った膨大なイデアの断片を試行錯誤して再構築することが彼にとっての作曲でした。イデアが完成品として降ってきた様が自筆譜から伺えるモーツァルトとは違い、不完全な人間界での格闘の跡が残るベートーベンの音楽はその意味でも聴く者に勇気を与えるように思います。その代表作である交響曲エロイカに「プロメテウスの創造物」のフィナーレの動機が、やはり交響曲を締めくくる楽章に現れます。彼は10番目の交響曲を完成することなくゼウスの娘たちの数、9曲を残したのは暗示的です。

クラシック音楽を耳にするうち、同じ楽譜の演奏でなぜ心に響くものとそうでないものがあるかという問いが芽生えたのは高校の頃に買った悲愴交響曲のレコードでした。ケンペンとカラヤンとムラヴィンスキーがあまりに異なるのはなぜかという素朴な疑問からそれは始まったのです。楽譜はひとつなのになぜテンポも表情も違うのか、なぜそれでもいいという風に平然と受容されているのか。それがわからなかったのです。例えばビートルズのコピーバンドはオリジナルといかに似せられるかを競うわけですが、なぜクラシックはそうしないのだろうということですね。

チャイコフスキーの演奏記録がないこともありますが、作曲家の演奏したレコードがありながら違う解釈の演奏も認知されているケースがあります(クラシック徒然草―レイボヴィッツの春の祭典―)。作曲家の頭にあるイデアを記号で模倣した楽譜はもとより完全ではなく、作曲家もそのようなものとして採譜しています。例えばメトロノームで速度を数値化はできても、テンポ・ルバートやアゴーギクを正確に示すには微分方程式が必要で、そこまで書いた作曲家は知る限り存在しません。つまり演奏者におまかせの余地が必ずあるという事です。彼らは悲愴交響曲に三者三様のイデアをもっており、それは人間性、人生観、音楽的教養の賜物なのだから異なるのが自然と考えるようになりました。同じ楽譜でも心に響くものとそうでないものがあるのは、自分がその演奏家に共振できるかどうかという事です。自分は進化しますから良いと思うものも変わります。

自分にも人間性、人生観、音楽的教養というものが育ってきますから悲愴交響曲のイデアができあがりました。誰のとも異なるので僕にはどの演奏もぴったりこず、仕方なくシンセサイザーで自分のバージョンを全曲録音しました。だから演奏会で誰かの悲愴を聴くという行為はその差を許容する儀式となりました。困ったことにそれが耐えられない数曲の “特別な” 音楽もできてしまい、もうそれをCDや演奏会で聴くことはないと思います。イデアを心の中で演奏して愛でていれば事足りるし、それが最も感動できるからです。

Vlado Perlemuter
(1904 – 2002)

たとえるならずっと昔に好きだった彼女の姿のようなものです。自分の中だけに存在し、その方はきっと生きておられるでしょうがあの姿はもはや幻でこの世にはないのです。音楽演奏の一回性とはそういうものです。ロンドンのヴラド・ペルルミュテールのリサイタル。聴いたというよりウィグモアホールで参加させていただいたという雰囲気で、まるでパリでショパンやフォーレのサロンの片隅に座っているかのような、当時そうしたプログラムに造詣などなかったのですが、どこか茫洋としたセピア色の記憶が蘇ってきます。おそらくロンドンでもパリでも、そうした雰囲気の場は消えつつあるのでしょう、ペルルミュテールのような19世紀のイデアをもった演奏家は多くが亡くなっていますからね。

では録音でそうした音楽家を聴くことに意味があるのでしょうか。あると思います。そこに住んでいたころ、ああヨーロッパだなあと肌で感じたのは毎日きこえる教会の鐘の音でした。どこの都市でもカランコロン、ガーンガーンと聞こえます。ザルツブルグで、夕刻に遠くから近くから立体的に響きわたるその音を浴びて、ああモーツァルトもこれを聞いて育ったんだと思ったし、ミラノではプッチーニ、バイロイトではワーグナーのことを思いました。聴く方も演じる方もそういう空気の中にいる、そこの劇場で響くドン・ジョヴァンニやタンホイザーが金剛峯寺の大法会のような正調の重みを携えて聴こえる。例えばスカラ座に向かって右側の筋を入って少し行った左側の2階にヴェルディ、プッチーニ行きつけだったタヴェルナがあります。そこで食事やワインやひとときのおしゃべりに興じ、その日を楽しみにして集まっている聴衆に囲まれていよいよオペラが始まる。音楽というものは即物的な音響だけでなく、そうした漠たる “アトモスフィア” が産み出すものなのです。僕は蝶々夫人の熱心な聴き手ではないのですが、スカラ座ならまた聞きたいなと堪能しました。音楽は、宗教がそうであるように、そうした文化が染みついた都市の土壌と人々とが一体となったときに真価をのぞかせるという事があります。

クノッソス宮殿の王座の間

さらにいえば、それは吸い込む空気というものにもあって、地中海に浮かぶクレタ島のイラクリオンにあるクノッソス宮殿に足を踏み入れた時の乾いた空気は、これがミノス王や怪物ミノタウロスが吸ったものかと五感を研ぎ澄まされる感覚がありました。ミノスはいわば天照大神のような存在であって史実としてはほぼ無意味なのですが、鼻腔で感じる空気というものはその都市の土壌と同様にアトモスフィアを醸成していて、そうして様々な場所で味わった記憶が蓄積していって交叉し、僕の中でムーサとジョン・ケージがぴんと張った一本の線でつながるのです。するとギリシャ悲劇もイタリアオペラも、ベートーベンもチャイコフスキーもショパンもフォーレも、うまく説明できないのですが、みなその線上に連珠した点のようになるのです。「music は常に music」という境地はこうすることで訪れてきます。

楽譜(sheet music)の話に戻りましょう。音というものは三次元の存在です。なぜならポンと鳴らしたピアノの音(音響)は縦・横・高さのある空間の空気振動だからであり、我々の脳は音高、強弱、音色とともに空間を認識しています。そして二つ目の音が鳴ると、一つ目の音(の記憶)からの経過時間も認識の一部に加わります。つまり、音が音楽になると、次元が一つ進んで四次元の存在になるのです。楽譜には空間の響きを記しようがないので縦・横だけの紙の上、すなわち二次元の存在です。ということは楽譜を単に正確に音にしましたという演奏は次元が二つ足らない不完全な存在でしかありません。もちろん演奏会場という四次元空間の中で響いてはいるのですが、演奏家の頭にある二次元のイデアがそれで救われるわけではなく、つまらない演奏はムジークフェラインやコンセルトヘボウできいてもつまらないのです。

旧ブルク劇場の内部 (クリムト作)

僕は「music は常に music」という場でたくさんの音楽を聴かせてもらい、四次元のイデアが頭にあります。何度もブログに書いたように「演奏会はホールが大事」というのはそれが次元の三つ目のクオリティを決定する不可欠の要素であり、四つ目を決めるテンポと同様なほどに重要なものだからです。ベートーベンの交響曲第4番の終楽章はひっそり始まり、いきなりフォルテが全奏でパンパンパンと短く鳴りますが、鳴った音と同じほど空間にふわっと散っていく響きが耳に残り、ホールの3次元(容積)、4次元(残響時間)が意識されます。公開初演したホールがヨーロッパ最大級の1200人を収容できた旧ブルグ劇場であり、その空間と残響を意識したベートーベンならではの構想だろうと思っております。

そのことはフルトヴェングラーが「テンポはホールで決まる」と語り、彼を師と仰いだチェリビダッケがそれを敷衍して「そのホールで聴衆の認識がついてこられるテンポで、つまり脳内で音が認識されてから次の音が鳴るテンポでやる」という意味の発言をしたことからもうかがえます。それを家の装置で再生して「常識外れの遅いブルックナー」と批判しても、ヘラクレスザールにいないからそう聞こえるわけで批判の一般性がないのです。 music は楽譜であると受容、教育され、大多数の演奏家も聴衆もそのカルチャーの中で「クラシック音楽」なるものを学習し、鑑賞している日本において「ウィーン・フィルを音の貧しいホールで聴いても時間と金の無駄ですよ」と唱えても正しくは響かないでしょう。

ペルルミュテールのリサイタルの感動は演奏の出来不出来というレベルの話ではなく、ウィグモア・ホールの音響と聴衆のクオリティを包括したところでだけ味わうことのできる体験だったということです。それを味わうには行くしかありません。いまインバウンドで多くの欧米人が大挙してやってきて寿司屋でホンモノに舌鼓を打ってる。ニューヨークのすし店で10万円も出してる客がびっくりする。時代は変わったものだと思いますが文化というのはそういうもの、そう簡単には変わらないのです。思えば高一のときに東名を6、7時間かけて家族で出かけた大阪万博で、4時間も並んで観たアメリカ館の月の石。行列は押せ押せで流されていき、ガラスケースをあっさり通り過ぎてなにやら黒っぽい物体でしたねで終わりました。それでも「見たぞ」という高揚した気分にはなったのが昭和でしたね。仮にペルルミュテールが来ていてもカラヤンやホロヴィッツほどの騒ぎにはならなかったろうし、19世紀のパリのサロンはそもそもそういう場ではなかったでしょう。好きだった彼女は思えばいたって地味な子で、クラスで目立つ存在でもなかったように思いますが片想いでほとんど口もきいたことがなかった。なぜ良かったかはわかりませんが無条件に良かったのです。なにか僕の中にメタフィジックに好きなものがあってそれにぴたっと来たんでしょう。音楽もまさにそういうもの。だから女性名詞なんでしょうか。

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