読響 第647回定期演奏会
2025 APR 24 9:09:07 am by 東 賢太郎

2025 4.21 サントリーホール
指揮=オクサーナ・リーニフ
ヴァイオリン=ヤメン・サーディ
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77
ボーダナ・フロリャク:光あれ
バルトーク:組曲「中国の不思議な役人」
女性指揮者の登場が増えている。性別云々の時代ではないが、ことその職業においてまったくハンディがないこともなかろう。つまりそこで勝ち抜いてポストを得たなら並の男より上等な確率は高いわけで、現に失望したケースはまだない。もうひとつ、リーニフはウクライナ、サーディはイスラエルと時の国の人たちだ。偶然かもしれないが音楽を平和の象徴とするメッセージがあるなら僕はあんまり好きでない。音楽家が軍人や政治家でないことだけは誰が決めたわけでもないのに見事に世の常であって、ポーランドの首相になったパデレフスキー、モーツァルトの三台のピアノ協奏曲の第三を弾いて録音までした英国首相エドワード・ヒースは人類史上稀な人たちである。
予備知識なく会場に来るのでプログラムも奏者も知らない。まずはショスタコーヴィチの作品のうちでも最も好きなひとつヴァイオリン協奏曲第1番ではないか。彼は政治というよりそれへの嫌悪、プロテストが音楽に滲み出た特異な作曲家で、そうした趣味だったわけではなく時代の犠牲者だった。Mov3パッサカリア、冒頭のTimをユニゾンで伴う恥ずかしくも鈍重な主題の恐るべきダサさ。あえてぶちこむ運命リズムはカリカチュアそのものだ。僕は粗野丸出しのこういうのがどうにも耐えられないが作曲者もそうであり、ダフニスとクロエのドルコン、火の鳥のカッチェィにあたろう。大衆の面前で大真面目に物々しく権勢を誇示する権力者ほど下劣でみっともないものはないという感性の共有だ。この主題はやっと死んでくれたスターリンを極限までおちょくった怨念の調べであると僕は解釈している。それに延々と続く気高いVnソロにもおぞましいTrb、Tubaが付きまとう。ああこの時代にこんな国に生まれないでよかったと心から安堵するが、それだけショスタコーヴィチがかわいそうだったという思いが募る。Vnソロの激高にはそれが滲む。この選曲にもしご両人の戦争へのプロテストの思いがあったとするなら、それは作曲者との共振で大いに是とする。
1番には初演者オイストラフとムラヴィンスキーの圧巻の演奏があるが僕はサレルノ・ゾンネンバーグ盤が気に入っている(マキシム・ショスタコーヴィチの伴奏。このCDが廃盤というのだから昨今のクラシック・アルヒーフは絶望的だ)。ソリストはまったく知らない人だが驚いた。いささかの破綻もないフレージング、弦が切れるかと思うほどの魂のこもった ff が汚くならない、 Mov3のカデンツァの意味深い pp が豊穣!客席の奥の奥まで痩せずに訴えかける。体いっぱいで弾いているがなんら苦労しているようには見えない。この余裕たるや、大家然というより全身が才能の塊である。いったいVnソリストというもの昔ながらの伝承でもあるのか、激してくるとこの程度の音程のズレは熱量の証でしょのようなモードに入り、聴衆もそういう事が起きると音楽が高揚していると解釈するのがしきたりのようだが、僕は何であれズレはズレで気になるのでどんどん聴く熱量が下がってしまうという二律背反がおきる。それが少ないソリストは、ちゃんと方程式どおりに熱量がなく、平板で面白くないときている。ところがこの人は驚くべきことにほんの1音符たりともそれがないうえに熱量は2倍もあった。こんなソリストは初めてで、掛け値なしにかつて聴いたヴァイオリニストのNo1だ。休憩でプログラムを見るとこのヤメン・サーディ氏はウィーン・フィルのコンマスではないか。やれやれ、僕は昔のレコードで事足りて時流に乗れてないようだ。楽器が書いてあった。クライスラーが9年弾いた1734年製作のストラディヴァリウス「ロード・アマースト・オブ・ハックニー」とのこと。名器を弾く人は多いが博物館のデモにならず生き返らせてる人はあまりいない。ウィーン・フィルのブランドに埋没しないことだけ祈る。
伴奏のオクサーナ・リーニフ。女性の服にはいたって疎いが、あれはウクライナ風のものだろうか。コンチェルトのオケはTr, Trbを欠きTuba、バスCl、コントラFgありと暗く重めになりがちだがカラフルな音彩にきこえた。この曲はSym10のコンテンポラリーだがSym5のMov3のエコーもあり、僕はその楽章の熱烈な支持者。それを髣髴させるMov1ノクターンは非常に楽しめた。フロリャク。和声の虹彩が美しい。知らない作品に虚心坦懐に浸る喜びを満喫した。トリのバルトークは怪奇趣味に陥らず透明感があって品が良い。春の祭典風のオーケストレーションがあるが1918年の着想であり5年前に初演騒動のおきた作品を意識したとして不思議でない。両作は第1次大戦を挟んで書かれており時代の空気がうかがえるという意味でも傑作だ。リーニフの指揮はダンスのように流動的でビートはメリハリがあって明確。コンチェルトもこの曲も終盤の追い込み、加熱は品格を保ったまま大変エキサイティングだ。この人はバイロイト音楽祭初の女性指揮者としてオランダ人を振ったらしいが大変な才能。読響はコンマスが長原氏から林氏に交代したが洗練されて素晴らしい音を聴かせてくれ、一級品の演奏会であった。
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