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モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」

2025 JUN 17 10:10:26 am by 東 賢太郎

今回ひっぱり出したレコードはモンテヴェルディだ。とても懐かしい。これについてはまず愛読していたレコード芸術誌について述べる必要がある。同紙の柱は評論家による新譜月評であり、順番は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、器楽曲、オペラ、声楽曲、音楽史、現代曲だった。ちなみに英国のクラシック専門誌グラモフォンの月評は声楽から始まっていたように記憶するが、2000年以降は管弦楽、室内楽、器楽、声楽、オペラの順番で、2番目に映画音楽が入ったりもしてあまり後先にこだわっていないように思える。英国は世情に柔軟であり日本は規範に硬直的なのだ。だからオンラインの波でCDが売れなくなって新譜が減るとレコ芸は廃刊になり、グラモフォンは生き残っている。日本の代表的企業であるシャープや東芝が2000年あたりからITの波に乗り損ね、台湾に買われたりファンド傘下で上場廃止になっているのを思い浮かべる。

長年購読するうちレコ芸の順番が英、数、国・・のように刷り込まれ、「交響曲が一流、オペラは二流」と長らく思っていた。レコ芸はドイツの学者によるイタリア無視の音楽史を信奉していたことになるが、君が代の和声付けをドイツ人がした国だから仕方なかろう。それはいいが、末端に位置する音楽史、現代曲とはなんだ?現代曲にも交響曲、管弦楽曲はあって定義の混交があるがなぜか?それもない音楽史とはいったい何物だ?となり、そもそも楽曲の形態で分類しているのになぜ歴史という異質が出てくるんだ?という不可解さは消えなかった。その結果、音楽史なるもの(境界がアバウトな補集合としての「バロック以前」と思われる)は日本史でいうなら縄文時代みたいなもんだろうというとんでもない結論に至ってしまう(つまり試験に出ないから無視)。

恐るべき愚考であった。西洋音楽は、最古の楽譜史料(グレゴリオ聖歌)として音がわかっているものでも9世紀後半までさかのぼる。それ以前の聖歌は古代から口頭で伝承されており(新約聖書には、最後の晩餐で賛美歌を歌ったことが言及されている)、そこから中世、ルネサンス期にかけて教会の残響の中で旋法と和声が産まれ今に至る。現代の西洋音楽はまぎれもないその子孫である。つまり、僕の「縄文時代」の思い込みは愚考であったものの、1万6千年あった縄文時代に比べてたった150年なのが近代日本だという図式はたしかに似たものなのである。教会の残響に対する我が嗜好だけは捨てたものでもなかったが、仏教の読経を百人の僧侶がサン・マルコ大聖堂でやっても壮大な音響ページェントになろうから東西の優劣という話ではない。日本は木、西洋は石が建造物のスタンダードになった、その違いだ。西洋は家も石だから残響がある(ドイツで最初に住んだ家の居間に置いたステレオの音響が衝撃的で、それが今の家のリスニングルームの発想に至った)。障子と襖の日本家屋は残響ゼロだ。両方に住んだが、子細な音まで明瞭に聞こえる家で育つ日本人の耳は虫の音まで聞き分けるほど繊細になったことは古典文学に記された。音楽におけるこの文化的差異は重要だろう。

従って、西洋音楽という文化を演じるにせよ鑑賞するにせよ、ルーツが教会にある事実は知識だけでなく耳で知っておくことは役にたつ。西洋人は千年以上も前から、それが「良い音」と感じているからである。教会の音は小さくても遠くまで響く。コンサートホールでもそれが良い音だ。実演に接して驚いた演奏家が二人だけいる。ルチアーノ・パバロッティとムスティスラフ・ロストロポーヴィチだ。どちらも座席は後ろのほうだったが小さな音がまるで近くにいるように軽々と響き渡ったのが記憶に焼きついている。良い音は誰もが求める。だからチケットはいつでも完売になり値も高い。ワインテースティングでは「まず一番高いのを飲んで覚えろ」といわれたが同じことで、「有名だから」で群がる成金趣味とは異なる。音楽を分かっていれば、実演のパバロッティのテノール、ロストロのチェロの音が良くないという人は、いくら好き好きを認めてもひとりもいないだろう。というより、そういうものを「良い音」と呼ぶのであって、そうでないといういかなる個人的感想も劣後する。でも、教会の音は誰が発しようと小さかろうと遠くまで響くのだ。

「音楽史なるもの」の誤謬が解けるにはヴェネツィア訪問の実体験を要したことはここに書いた。ずっと日本にいたら知らないままだったかもしれない。百聞は一見にしかず。言うは易しいが僕はそれから42年たってこれを書いている。

ヴェネツィアの残照

サン・マルコ大聖堂で気づいたというなら格好いいのだがそうではない。ガブリエリのレコードやその後の数々の教会体験で大空間のサウンドの魔力を覚えてからのことだ。広く宗教音楽という意味で決定打だったのは2006年クリスマスにウィーンのシュテファン大聖堂で偶然に行事としてやっていたブルックナーのミサ曲第2番ホ短調を耳にしたことだ。51才であった。恥ずかしながらそんなに長くクラシックを聴いていながら、僕は巨匠モンテヴェルディすら知らなかった。いや、というよりも、まさしく「音楽史」を知らなかったのだ。

写真のLP、色に年季がにじむが、これを買ったのは30才を過ぎたロンドンである。バーゲンで3ポンドだったからだ。大いに得した気分だったが実はそういう買い方は良くない。針を通してもさっぱりだったのは未熟者で仕方ないとしても、以来、やっぱり3ポンドなりの扱いになってお蔵入りした。ミシェル・コルボ指揮ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル、1966年録音。令名は日本でも轟いていたエラートの看板アーティストであったが、ジャンルがジャンルゆえ耳にしておらず、これ以後も買っていないから空前絶後の一枚になってしまったわけだ。

これをひっぱり出そうという気になったのは理由がある。ヴェネツィアで無知を悟ってから延々と、暇をみてはルネサンス以降の世界史の勉強をし直してきたことだ。音楽のためではない。12年もヨーロッパに住んでいれば自然に湧きおこる好奇心だ。日記を書くのもそうだがそういう何気ない努力はしてみるもので、いまになって有難味がじんわりと出てきている。音楽史はそこから孤立した特殊ジャンルではない。政治史であるいわゆる世界史の一断面であり、百年後の人類は、放送自粛にまでなったジョン・レノンの「イマジン」をベトナム戦争、湾岸戦争を知らなければ味わい尽くすことは難しいだろう。そういう側面を述べてしまうなら、クラシックは難しい、インテリ趣味だというのはあながち間違いではない。なぜなら、世界史に通暁しておればよりよく味わえるからで、高校で誰でも習う世界史をそれなりに知っているとインテリ呼ばわりされるならクラシックがお高くとまってるというより日本の高校教育が間違っていることになろう。それは単に、歴史を知らずに京都やローマへ観光にでかけてビーチがない、ゴルフ場がないと嘆くようなもので、ならばハワイにでもという話だ。

歴史を知れば楽譜を知らなくても構わないように、キリスト教徒でなくても宗教音楽は味わえる。「聖母マリアの夕べの祈り」(Vespro della Beata Vergine)はカトリック教会の典礼に使用されてきた聖母マリアに関する複数の聖書のテキストから構成されている。現在でも書かれた動機は分かっておらず、音楽学者たちの議論が続いているそうだが、その辺の事情には僕は疎いモンテヴェルディの生没年(1567洗礼 – 1643)はガリレオ・ガリレイ、独眼竜・伊達政宗とほぼ重なる。この音楽が出版された1610年頃にはまだ世界は太陽が地球を回っていると信じており、日本では江戸幕府が開かれ家康は最晩年だ。興味深いのはその3年後の1613年に政宗が支倉常長ら「慶長遣欧使節」を送り、一行は翌年10月にセビリアに入り、12月から翌年8月までマドリッドに滞在してスペイン国王フェリペ3世に謁見。10月にローマに至って教皇に謁見し、1616年1月まで滞在して帰国したことだ。日本人初の海外渡航、1年3か月の欧州滞在。教会の式典でかような驚くべき音響世界を体験し、打ち震える機会もあったに相違ない。そこから400年、文明は劇的に変わったが、音楽はそうは変わってない。

 

Categories:クラシック音楽

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