名器ブルメスター808mk5に見るドイツの底力
2025 JAN 11 1:01:33 am by 東 賢太郎
12月にプリアンプの電源がはいらなくなり音楽がお預けとなりました。きのうダイナミックオーディオのSさんが来て下さり、「接触不良ですね」で解決。接続ケーブルが直径5センチのニシキヘビみたいなやつで、いくらねじってもひねりがほとんどきかず壁のソケットの中が変形していたのです。
さっそくかけたモーツァルト23番の素晴らしいこと!ポリーニのクリスタルのようなタッチ、ベームの指揮するウィーン・フィル、そう、この音だ・・・。今年もニューイヤーコンサートはムーティの登場でしたが、1997年の正月に彼で聴いたムジークフェラインの音がこんなだった。家内が部屋に来たので「これなつかしいだろ」とかけたのが若きムーティとフィラデルフィア管のローマの松。2年通った定期演奏会。彼も若かったが僕たちも若かった。43年も前か。。。
プリアンプ、ブルメスター808mk5を聴けばプリ不要説は吹き飛びます。これなくして我が家の音なし。おかげで昔の記憶がリアルに蘇るんだから何物にも代えがたく、買い替えは一生ありません。昔は機器をあれこれ取り替えてみましたが、システムとしての音は最低のパーツが決める、つまり安物に一つ高級品を入れても変わらないがその逆は変わるという法則を発見しました。ロンドンでスピーカーをタンノイに換えましたがぱっとしない。当然なんですねアンプが安物なんで。この法則に添って最もダメなパーツを特定して取り換えていくと、到達点は「ムジークフェラインやアムステルダムコンセルトヘボウみたいな音が出ればいい、だってクラシックをきくのにそれ以上いい音があるはずないでしょ」となります。終点が判断できないと無限に金がかかります。この問題は808mk5を導入して一発で片付きました。
買って21年になります。写真は現在のカタログですが驚くべきことに姿かたちも機能も微塵も変わってません。セパレートボックスの電源が入らなくなっても本体が壊れたはずはないという確信がありました。それだけずっしりとした、最高級メカでしか味わえない重量感があります。これがドイツです。車はベンツ、カメラはライカ、ノーベル賞受賞者数は三位。こういう特性がドイツ製音楽バッハ、ベートーベン、ブラームスになる。モーツァルト、シューベルト、ブルックナーは違いますね、オーストリアの人です。
ドイツにいた90年代、経済は日本が圧倒的に上でGDPはドイツの倍でした。前稿「ヨーロッパ金融界で12年暮らしたということ」をお読みになると「西洋かぶれ」になって帰ってきたと思われるでしょうがそうではありません。英国もドイツもフランスもすべての欧州諸国を僕はナメきっていたのです。それはアメリカで教育を受けたことが大きく、その目線でした。ドイツ赴任の辞令が出て左遷と思い会社を辞めようかと考えたのは、銀行主導の金融は後進国のあかし、そんな国では活躍できないと思ったからです。
1989年、ロンドンにいた時に、ついに世界一の大国アメリカの株式時価総額を日本が抜くという驚くべき事態が発生しました。欧州を下に見るMBA教育を自分に授けてくれた先生の国を抜いた。ということで、僕の頭の中は「大王」状態にあり、それはあんまり不合理なことではなかったと今も思います。国富があるからって個人的には偉くもなんともないんですが、白人国に対するルサンチマンをはね返すよすがになったのです。世界を睥睨する精神状態ってそうはいっても普通じゃない。ほんの35年前、我々は世界の頂点に立った。若者には絶対忘れてほしくないです。
お前のような日本人が勘違いしてロックフェラーセンター買ってババをつかんだんだという声が聞こえそうです。そうかもしれません。でもあの「大王の景色」は目撃した者しかわからない。85年のプラザ合意はアメリカにはめられたんじゃない。日本の優良製品にビビって円を倍にしたんです。その証拠にそこから5年は屁のカッパで、合気道のごとく合わせ技で逆利用し、円高✖株高でアメリカを二位に蹴落とした。そこで大人買いしてさらにアメリカをビビらせ、BIS基準の二の矢を放たれて金融から潰されたわけです。ここからの政府、財界の無能・無策は目に余り、それが失われた30年の原点になりますが、頂上に立った記録が消えるわけじゃない。気持ちいいことじゃないですか。
1990年、あまりの絶妙なタイミングで株価のてっぺんで日本に帰ってきた僕は大王のままで敗戦を知りません。現地で最前線のプレーヤーだったのに日本から遠目に見ていては経済戦争の趨勢はわかりませんでした。ということは最初から終わりまで日本から見ていた人は最も肝心な勝ち戦の部分もわからない。だからなぜ株価が上がってそんな絶頂がやってきたかはほとんどの人は知らず、気がつくとうら寂しい宴の後がやってきた。世界に冠たる経済音痴の本邦マスコミが「あれはバブルだった」とアメリカに吹き込まれて騒ぐと、それが易々と世論になってしまいました。
初めてのロンドンで、トラファルガー広場に立ってビッグベンを眺め、僕は「英国恐るべし」の感情を懐いたことを前稿に書きました。しかし同時に、そんな強国がプライドと科学技術の粋を結集して建造した不沈戦艦プリンス・オブ・ウエールズをマレー沖で沈めた日本海軍はもっと恐るべしの感情もよぎったのです。その知らせを受けた首相のチャーチルはショックのあまり自室に引きこもった。ビビったわけです。日本の実力はバブルじゃない。
「東京上空三十秒」(Thirty Seconds Over Tokyo)というアメリカ映画があります。真珠湾、マレー海戦ときて勢いづいた日本軍が西海岸に上陸するという報告にビビったルーズベルトがシカゴあたりまで撤退を考えたそうです。そんな漫画のような事態をおこすほど日本の力はバブルじゃなかった。米空軍は奇襲で反撃すべくB25を空母に積んで東京に接近し、30秒で空爆して中国に着陸するという作戦を成功させた。迎撃されたら全滅の危機を乗り切ったこの男たちは今も米国民に英雄と讃えられており、私見でも敵ながらあっぱれではある。ところが、なんとこの特撮映画は1942年に製作されていたというのだからやっぱりこいつら憎たらしいほど手強いなとなるのですが。しかし日本だってそうした男たちはたくさんいて、そういう男ほど真っ先に死んでいったのです。戦前戦後で日本人のDNAプールを変質させたのではないかと思うほどですね。
チャーチルとルーズベルトは問題のプリンス・オブ・ウエールズ艦上で大西洋憲章に調印したのです。それほどにこの艦は英米両国の権力・武力の象徴であり、それを沈めたのはピュアに客観的に戦術という観点から見て歴史的大事件です。そういうことが経済・金融の戦争で起き、英米両国を大変に焦らせたのが80年代にJapan as No.1と書かれた日本であります。それは我々金融マンが起こしたことではなく、自動車、半導体、電子部品など技術力が世界を席巻したことで起きたのです。戦争を僕は断固否定しますが、日本の科学技術力はかように誰がどう見ても優れていた。負けたからといって事実を観ずに全否定ではあまりにインテリジェンスに欠ける。そんなざまだから経済戦争で90年に米国にB29並の反撃を食らい、根こそぎやられて経済界も役所もシュンとなってしまい、新自由主義の御旗の元にひれ伏したのです。そこで自虐的に「バブルだった」の合唱を始めたと僕は思っています。そのころ香港にいた僕は忸怩たる思いで眺めるしかありませんでした。そんな腑抜けの国では世界は評価してくれないし、もとより未来はありません。
愚民に貶めて飼いならしておきたいと思うほど日本人は優秀で強かった、そういうことなんでしょう。ブルメスター808mk5、ドイツもだいぶ落ちたけどこれを見ると魂は健在だなと思います。そのドイツに3年住んで学ばせてもらったことは財産でした。調べると陸軍大将だった先祖も少佐時代、1911年から3年間ドイツに駐在してました。35~37才。僕は37~39才。縁を感じます。日本もモノづくり大国です。インバウンドのおもてなしごときで1億2千万人も食えるはずがないでしょう。自民党にまだ何がしかの存在価値があるならば、それを復興させる教育を根底から見直し、国家百年の計を練ること。左傾化したままなら七十年でお役御免でしたという歴史になりますね。