Sonar Members Club No.4

月別: 2014年5月

道元流 鬼谷子の帝王学 Ⅵ

2014 MAY 30 16:16:57 pm by 神山 道元

 さて、きょうは帝王学を少しまとめたいと思います。
 『安』『除』『正』『静』の四文字の解釈に入りましょう。
 安、安定と言いますが、定、が先です。規律を決めて安んづる。目標をまず決めて安んずる。定の後の安です。そもそもこれがないと組織は成り立ちません。領袖は組織に立っています。
 除、とは除くではなくて穏やかなことを示しています。これは万事急いでやらないこと。やりすぎを戒めているのです。
 正、は読んで字の如しですが、ここでは乱を抑えることを説いています。正気で満ちていれば、邪気が入る隙が無くなります。
 静、これはおとなしくしていろではありません。欲念を濾過せよ、ということです。欲心が千々に乱れて平静でいられなくなり、事の処理に当たって冷静さを失う。

 古代より道家では、天が球体である、と言う概念を持っていました。北極星と北斗七星の関係で述べたように、天地は『球』であると考えたのです。鬼谷子は、計謀を”球”のように完璧に運営せよ、と言いました。三次元の”球”を自在にくるくる回すように回転の原理を模倣して自然との合一を目指せ、と教えます。「持枢者」という表現もしました。「枢」とは中心を意味していて、天枢と言えば北極星を指しています。中心にあって外を動かし、遠方はコントロールする、という考え方です。

 さてこのブログを読む方は、志(こころざし)を持ち、それなりに研鑽を積まれておられるものと拝察します。教養もお持ちではないでしょうか。今まで領袖のあるべき姿について、あれこれ綴ってきましたが、優秀な人に限って陥りやすい事もあります。いくつかの警句を紹介しておきましょう。
『言葉の多い者、また失う物多し。』
切れ者には雄弁家が多い。何事も相手のあることですからどう受け取られるかは読まなければなりません。今で言うKYは特にまずい。又、前半でも強調したように機密の漏洩が起こり易い。普段から問題が生まれそうな所では軽々しく言葉を発してはいけません。そして行動に移すまでは志向を潜伏させるようにして相手と勝負を決する。更に独りよがりも戒めなければ、即ち真の同志を募ることです。
『智ある者は慮多し。』
これも優秀な人にとって大事です。『慮』とは万物の変化を観察することを意味しています。単に頭の良い人は周りが目に入らない。計謀を立てても全てその通りには行きません。『慮』の欠けた人は小禍を見過ごしてしまいがちです。成功するにせよ失敗するにせよその兆候は必ずあって、結果が突然やってくることなどあり得ない。それに気が付き随時修正を加えなければなりません。
 上記二つに共通しているのは、繰り返しになりますが良き同道者「パートナー」が必要なことも示唆しているのです。道家では、相談することなく成し遂げられる成功を「小成」とし、同道者に譲りながら事を成すことを「大成」と言って分けています。

 さて、ここまで鬼谷子の帝王学として述べて来ましたが、一端このシリーズは終わります。実はドイツ医師会から招聘されていて、短い期間ですがヨーロッパに行き、向こうで講演をします。不定期とはいっても『鬼谷子』は手強くて連載にはかなり集中力が必要でした。このテーマは少し筆を置き、又別の機会にすることにしましょう。

 ブログは続けますので、宜しくお願いします。
 

道元流 鬼谷子の帝王学 Ⅴ

2014 MAY 24 20:20:17 pm by 神山 道元

 きょうは帝王学は一休みしまして、道家の周辺を話します。実は道家は古来から医術を施す者を指していました。老子の教えとされる『陰陽合一』『無為自然』は万物の理(ことわり)を表し、自然と調和することを説いています。英語でタオイズムと言っているものです。古の聖人達が長い時間をかけて、自然・人体を観察して健康に応用できる術を追及しました。
 夜空の星を克明に記録して、北極星を中心に北斗七星がぐるりと天上を回ることに気が付いて様々な考察を加えます。同時に動植物を観察して、あらゆる生命体が『呼吸』を繰り返していることが分かります。これを人間という霊的存在に置き換える工夫をしました。
 人の体に『九竅十二舎』と言うべきポイントに気付きます。竅は上(眉間)を中心に三つ、中(心臓の高さの胸)を中心に三つ、下(丹田)を中心に三つで、九竅。これらが天地自然の変化の窓口だとします。上が天道に、中が人道に、下が地道に通ずる。前回ブログでは私なりに、PDCA、人事、品質管理としたものですね。
 十二舎は外界から感ずる五感プラス意識の『出』と『入』です。色・声・香・味・触と事、即ち目・耳・鼻・口・身と意識を通じて『気』が出入りするものと考えました。こちらは分かりやすいと思います。
 そして人間の体の内臓を五臓。心・肝・肺・腎・脾と腑分けしてそれぞれ火(神気)・木(魂気)・金(魄気)・水(志気)・土(意気)の五精、五気とします。
 これらを元に、更に工夫を重ねて東洋の医学体系を作り上げてきました。九竅が塞がらないように、五臓の気が滞らずに調和するように、と言った具合にです。

この中の『神』『志』『意』を道家の『三花の気』とし、このバランスをとても大事にします。五精で言えば火・水・土、五臓では心・腎・脾です。このバランスが崩れると精神が不安定になり、俗に言う頭がおかしくなる状態に陥ります。精神疾患のことですね。それぞれを解釈してみましょう。
 『神(心)』は他の気を司り威勢の道を示します。日本語で「威勢がいい」というものです。これを頂点としたトライアングルの概念を思い描いて下さい。
 『志(腎)』の気はそのままでは是非を決める判断力です。そしてもう一つ、「欲望」を指しています。欲望が多すぎると心気を散失してしまう。
『意(脾)』は情緒。情緒を安定させれば『志』も混乱せず、『神』も消耗しない状態になります。一面『意』は屈伸湾曲自由自在を意味していて、日本語でいう「気が散る」状態に陥りやすい。これが弱まると、不完全で手落ちになりやすい。
 古代においても精神疾患を発症した人がおり問題となったのでしょう。今で言う躁病や鬱病は昔からあったようです。そういったものの治療に『五臓』の理論を導入したところが道家の医学体系で、決して迷信や偶然ではないのです。このあたりを近代医学にマッチングできないか、と言うのが私の長年の取り組みです。

 せっかくここまで語ってきましたので、呼吸法についても触れておきます。キーワードは、エネルギーを蓄える、です。胎息というのですが、外呼吸から内呼吸を誘発することを意味していて、五気五精を還元するとでも言いましょうか、先ほどの三花の『志』『意』を充実させ『神』を強くするものです。
 方法を感覚的に表現しますと、両耳を鼻先に集中させるような感じで、細く長く一呼吸を聞くようにする、但し呼吸の出入りの音が本当に聞こえてはダメです。吐が先、吸が後です。この時、目は鼻を見るように、鼻は心を見るように、左右の耳を上に引っ張るようにやるのがコツです。
 上手く出来るようになると、実に「さっぱり」したようなスカッと爽やかな気分になりますが、道家では「上三竅より陽神出現」と言います。是非お試しください。

 今日はここまでにします。

道元流 鬼谷子の帝王学 Ⅳ

2014 MAY 16 11:11:50 am by 神山 道元

連載四回目です。今までの流れを整理しましょう。
 まず、何かの変化が起きる。古代では天災、異民族の侵攻といったものを想定していましたが、今日に於ける日常社会の危機に置き換えれば、それだけではありません。競争企業の台頭、ユーザーの嗜好の変化、国際状況の大きな流れ、為替変動、何でもそうです。こういったものに、新たな対応をしていかなければなりません。
 そのために計謀を巡らす。前回までの言い方ではカウンター・インテリジェンス、戦略とも言えます。
 そして、同志を募り情報を集める。
 この後に組織作りとなって行きます。人材を集めることになり人が増えていきます。すると、必ず賞罰制度が必要になってきます。統制を取るのですね。
 これらを上手く積み上げて相手の弱点を突くのです。
 実は領袖の才が問われるのはここからなのです。組織ができる、即ち人が増えていくのです。人材は千差万別で多くのトラブルも起こります。疑心暗鬼になる人も出ます。鬼谷子は三才の使い道を説いています。三才とは仁者・勇者・智者のことです。
 仁者は完成度の高い人で、私欲が余りないので利を説いてはいけません。事に当たる際の経費をふんだんにつけること。現代で言えば、調査費の類や設備投資をケチらないことだと思われます。副官、若しくは高級参謀となる人でしょう。
 勇者は、小難しい問題には触れさせるな、とされます。危機管理のときに使うのです。勇者は恐れることが少ないので、ヤケを起こされると組織内でも面倒なことになります。最前線の将校向きです。
 智者は頭の回転が早い人を指します。筋道を立てて諭して使います。側近として懐刀に合っています。ところがこの智者という者はしばしば使いづらい場合が多い。傲慢になり人の話を聞かなくなりがちです。ここが大事なのですが、そういう人を辞めさせたり甘やかしてはいけません。反旗を翻すことになりかねません。なかなか難しいのですが、時々小さな失敗を時々させるのがいい、とされています。
 以上は優れた人材への対応ですが、組織にはとんでもない人材も混じってきます。これに対しては三法と言って簡単な手法があります。
 愚者は命令して使え、不肖者(ならず者)は尻尾を掴んで脅して使え、貪欲な者は誘惑して使え、の三法です。説明の必要はないでしょう。

 余談になりますが、邪道のはびこる歪んだ状態にあって、正道を深く心に秘め、周りに疑心を起こさせないように機会を待つことを『背行』と言います。この背行の道を使う人は自分より智慧のある人を頼ってはいけない、と鬼谷子は言います。失敗し禍根を残す、と。私の解釈では背行の道は常に一人で行く覚悟を決めていないと、うっかり人を頼ると見透かされてしまう、ということだと思っています。

それでは、そろそろ領袖の心得に入りましょう。鬼谷子の教えを解釈して行きます。領袖の九得です。
 ①主位 ②主明 ③主徳 ④主賞 ⑤主問 ⑥主因 ⑦主周 ⑧主恭 ⑨主名 と言います。
 主意者は領袖になった段階において、新たに目標を堅持できる人のことです。領袖になる、今日の日本で言えば言い方は悪いですが勝ち上がってくることです。そうして、いざそのポジションに座った途端、ただ権力を弄ぶのはいただけない。トップになりたいだけの人は、その座についたその瞬間から凋落が始まります。温めていた計画を実行するのみならず、新たに目標を見出していかなければ領袖とは言えないでしょう。
 主明者は、目明るく、耳聡く、心は智の人です。これは衆人のことが良く分かりるだけでなく、自分達でもそういった目線で見られるように指導する、或いはどれか優れていればその人を重用する、それが領袖だ、と解釈されています。現代で言えば、顧客、部下といった者の立場を知り得る上司といったところでしょうか。
 主徳者は読んで字の如し、徳のある人ですが、二点ほど強調しておきます。謙虚よりも寛大であれ、容赦する人であることを衆に知らしめるべきです。もう一つはオープンであること。隠し立てをするなどもっての外です。現代でいえば、注目を集めた成功者が脱税などで転落するような、「私」を隠す謎の人物など到底領袖の資格はありません。
 主賞者は信用を大事にする人なのですが、この場合は賞罰を明確にすることを説いています。組織の引き締めの要であります。「賞」の方は公平を心がけ、「罰」は正義を尊べ。組織の場合は処分を決裁する人と刑罰者、本人に告示する人は別です。その場合、本人への告示者が絶対に使ってはいけないのが「私はそう思わないが~が(上が)やれと言ってるから。」ですね。その場しのぎに口にする人がいるようですが、正義を尊ばなければ領袖どころではありません。
 主問者は原典では天道・地道・人道の三道を弁別(識別)する人。本義は易に関わる内容なのですが、私は現代社会風に、天道をPDCA(完結へのスパイラル・アップ)に、地道をTQC(品質管理)に、人道を人事に置き換えて、ケジメをつける事の重要性を唱えています。
 主因者とは、危機にあって道理に従って徹底的に原因追求する人です。組織というものは成長過程においてはどうしても、人体でいう毛細血管のような細かい部分が肥大していくものです。通常に業務をこなしていても、様々な要因により危機が来ます。その時に対応できないということは、必ず内部にも問題をかかえているはずです。原因追求といっても外部のせいにばかりして反省なし、といったことを戒めているのです。
 主周者は、情に通じ理に達する人です。これは閉塞状態にたいする警告なのです。組織が硬直してしまうと、何に対して喪いわゆる総論賛成・各論反対がはびこります、どうしてもそうなるものです。疑心暗鬼になり、交流も滞る。これは実は重大な危機なのです。領袖はその風を最も早く気が付かねばなりません。それを『情に通ずる』と表現したのです。
 主恭者は聡明才智な人のことです。これも単に頭の回転の早い人を言っているのでは勿論ありません。『長視』『長耳』と言って、衆の目で見て衆の耳で聞く。そしてその力を以って、対象の大小を問わず一目瞭然に見抜く、社会を思い慮ること。これを『樹明』と言って特別な概念と位置づけます。
 主名者は名と実を併せ持つ者のことです。ここまで来れば領袖としても安泰です。ですが反面、名声ばかりを追いかけることを『邪』とし、そういう輩を奸謀毒悪の徒として退けることでもあります。味わい深いところですね。

 さて以上が九得ですが、ここで鬼谷子の流れの道家と孔孟の儒家との違いに触れておきます。儒家では、いままで述べて来た『計謀』を混乱の本源を考えるのです。大乱は『知恵』と『法』の所為であるとして、礼を好み、命を天に任せるように説きます。ここが実は大きく違うところで、より形而上の概念を上に持って行きます。その上位概念を『仁』としており、『計謀』は形而下のものとして貶められます。現在でも道教が現世利益的な宗教とされる所以です。これは儒家の考え方で、改めて言うまでも無く、私は道家の伝人ですのでこの考えはとりません。念のため。

 きょうはここまでにします。 

道元流 鬼谷子の帝王学 Ⅲ

2014 MAY 9 11:11:09 am by 神山 道元

 今回は少し下世話な話から入ります。コミニュケーションの取り方、世論の造り方です。ところで、私はこのブログを単にノウ・ハウの開示のつもりで書いているのではありません。道家の教え、良き古の磨き上げられた教えを現代に伝えたい訳です。私自身一介の修行者のつもりですので、読者の皆さんも自身を鍛えるつもりで解釈して頂くことが望みです。
 さて前回までで、計謀を巡らす場合のパートナーについて話しました。次は積極的に『情報』を取りに行くわけです。言ってみれば状況の観察と形勢の分析です。このことは繰り返し出てきます。もっとも古代に於いては対面によるやり取りが情報の基本でしたから、今日のようにマスコミ報道の断片をかき集めて観察・分析と言うわけにも行きませんでした。鬼谷子の教えは今に置き換えると、商談の詰めをする際のサシの会談をしている時の対処、対立する相手(組織の内外を問わず)との会談の望む際の心得としても使えます。
 その際には相手の状況に合わせる、例の陰陽の話法ですね。情報を持っている相手が楽しんでいる時、これは簡単でその喜びに沿ってやる。接待やヨイショのことでしょう。一方で相手が大変な恐怖を抱いている時、その場合は最も心配なことを助長することで秘密を打ち明けさせることができます。煽りですね。相手の感情が見えないケースは時に非ず、少し冷淡な態度を取って徐々に信頼させていく。
 相対する人の個性・能力もまた様々です。それを正邪に分けて説明する古代の言い回しは面白いので、以下そのまま現代日本語にして載せて見ます。正五つ、邪五つで、『攻関者』とは情報を得る者という意味です。

正・淡白な者には冷静につきあえば(あなたは、以下同じ)攻関者たり得る。
 ・正直者には誠実につきあえば攻関者たり得る。
 ・働き者には成功の目標を与えてやれば攻関者たり得る。
 ・謙虚な者には清廉潔白なやり方を示して攻関者たり得る。
 ・信義の者には誠実な行動にて共感を得られれば攻関者たり得る。

邪・興奮しやすい者には欲する物を与え頭を馬鹿にさせて攻関者たり得る。
 ・怒りっぽい者には激怒させ心を不安定にすれば攻関者たり得る。
 ・権威好きの者にはそっと名を上げる助けをすれば攻関者たり得る。
 ・品性下劣なる者には有る事無い事並べ立て満足させれば攻関者たり得る。
 ・金の好きな者にはその利益になる話しだけすれば攻関者たり得る。

 いかがですか。それぞれ咀嚼して頂きたい警句です。一方でコミニュケートする、とは相手もあなたの腹を探っていることにもなります。そしてそれは人の口を膾炙して、相手方の情報として伝わっても行きます。口はまた百禍を招く、同時に相手に刷り込みを与えることもできます。昔から『衆人の口は金をも溶かす』と言い、これらは人にあれば口、国にあれば宣伝、今日の国際社会にあれば国家間の計謀とさえ言える内容です。この辺は、今日の日本においてはやられっ放しの感が否めませんね。日本人全体から言っても、相手の足元を見るのは、あまり良しとはされないでしょう。これはそういう意味では勿論ありません。『相手の奸邪、縫隙を見抜け』と言っているのです。”縫隙”とはヒビのようなものだと思ってください。
 相手を見抜くは即ち自らを正す。壺に入るヒビを良く観察して見るといろいろなことが分かります。内側から入るもの、外側から入るもの、底に入るもの、ほんの小さいもの、向こうが見えるほど深くなったもの。面白いことに鬼谷子はそれぞれに対処を諭しています。
 内部からのものには内因があり、排除して塞げ。これは入れるものに原因がある、組織構成員に問題があることを指しています。
 外部からのヒビは内側をしっかり固めその力で塞げ。外から余計な力を受けている、外圧には組織を固めて対処せよ、の意味です。
 底部のヒビは燃木材を除いて塞げ。下からの熱に原因がある、即ち民心が定まっていない、造反に対処せよということです。
 小さいヒビはむしろ良い所を強化してから塞げ。普段より良く観察し、綻びあれば慌てず分別せよとのことです。
 補修不能な程であれば、沈思黙考せよ。もはや使い物にならない、ここに至れば機会を探して造り直すことです。鬼谷子は”治す”の字を当てています。

 今回は初めに言ったように、多少下世話な話に聞こえたかも知れませんが、改めて申すまでも無く領袖の道と言うものは決してノウハウでは有り得ません。優秀な領袖は公の為に無私であるべき、としています。
 易経六十四卦は、禍福は同源、離合は天地自然の法則を表しています。何事も必ず自分に返ってくるものと教えています。

 今日はここまでにします。

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