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ピアノ演奏と映像 その(2)(完)

2019 NOV 8 2:02:58 am by 大武 和夫

前回は河村尚子さんを共通項とする二つのピアノ映像のうち、R.ゼルキンのベートーヴェンを取り上げました。今日は二つ目の「蜜蜂と遠雷」について書いてみましょう。

その前にお詫びと補遺を。お詫びは前回投稿に誤記・編集ミスがあったこと。一番ひどい誤りは、投稿一覧に表題が出ない形で投稿してしまったことです。これは親切な会員が直してくださいました。他のミスについても訂正方法を教えてくださいましたが、間違いがあっても皆さんには判読可能だったと思いますし、間違いを残しておくのもご愛敬で初回投稿の記念になると考え、そのままにすることにしました。ご海容ください。補遺の方は、音源だけの名演奏を挙げた際に、ついうっかりヴェデルニコフ盤とA.フィッシャー盤に言及し損ねたこと。こちらの方が罪は大きでしょう。どちらも本当に見事な演奏で、二人の掛けがえの無いアーティストの残した宝物です。特にヴェデルニコフは、驚くばかりの模範的名演奏です。

さて、「蜜蜂と遠雷」です。結論から言えば、是非ご覧になることをお勧めします。何しろ演奏が素晴らしい。俳優も総じて好演で、中でも私が贔屓にしている松岡茉優さんが見事な演技を見せます。

もともと原作を私はあまり評価していませんでした。本に詳しい元出版社編集部員の友人から勧められ、あまり気乗りしないまま電子書籍で読みました。なかなか良いとは思いましたが、「ピアノの森」には及ばないと思いました。コンクールに参加する若者群像というテーマは「ピアノの森」にも共通しますし、古くはあのくらもちふさこさんの傑作漫画「いつもポケットにショパン」のテーマでもありました。(「いつもポケットにショパン」を私は別マ連載時にリアルタイムで読みました。キーシンが国際的に活躍する前なのに、主人公2人のうちの男の子の名前が「きしん(季晋)ちゃん」だったり、当時は桐朋在学中で後年私の「追っかけ」の対象となる岡田博美さんの名前が登場人物間の会話で言及されるなど、くらもちマジック炸裂の大傑作です。ピアノ好きにとっては必読書です。私など、以前ご存命中の吉田秀和さんに送って差し上げようかと思ったくらいです。ちなみに、もう一人の主人公である麻子の名前は、わが長女と同じです。と言うより、その素敵な主人公の名前を長女命名の際に参考にさせてもらったという方が正確であり、この作品はその意味でも私にとって忘れられない名品なのです。)

そういう訳で私は原作を読んでいる間中「二番煎じ」という思いが頭から離れませんでした。恩田さんが二つの先行作品を参考にされたかどうかは知りません。もし偶然だったのだとしたら、それは恩田さんにとって不幸なことでした。なぜなら、私のようにピアノ関連書物を渉猟してやまない人間には、どうしても二番煎じと映ってしまうからです。

しかし、それで原作の評価を是正(上方修正)するとしても、映画は、私には原作を上回る出来と思えました。何よりもそれは音楽の力であり、映像の力です。4人のピアニストが主要登場人物4名の音源を担当していますが、皆素敵な演奏です。とりわけ、私が「追っかけ」状態にある河村尚子さんと藤田真央さん、この二人の演奏が素晴らしい。二人とも自発性と音楽する喜びにあふれる演奏で知られる天才ですが、藤倉大さんのオリジナル曲「春と修羅」の演奏がどちらも何とも鮮やかです。河村さんのプロコフィエフの3番のコンチェルトを聴くのは、大友/群響との共演以来のことですが、まさに圧倒的なエネルギーの奔流です。

心配した映像と音のシンクロ具合も、うまく手を隠したり、手と身体が同時に移るところではカメラを引き気味にするなど、あまりボロが出ないよう工夫しています。細かく見ればおかしいところもあるのですが、それでも総じて栄伝亜夜役の松岡茉優さんの演奏ぶりはなかなか自然で、大健闘と言えます。プロコフィエフの3番のコンチェルトを亜夜が弾いている場面を上からとらえた映像では、鍵盤を走る腕と手が鮮明に映し出されますが、その音とのシンクロ具合は、息を飲むほどです。一瞬河村さんの手と腕かと思いました。後日お目にかかった河村さんは違うと教えてくださいましたが、実は松岡茉優さんの手・腕でもないのだそうです。これ以上は企業秘密かもしれず、暴露がためらわれますので、皆さんのご想像にお任せします。とにかくこの場面には驚かされました。

それにしても松岡さんは良い女優に成長したものです。是枝さんの「万引き家族」での体当たり演技で一皮むけたと思いましたが、「蜜蜂と遠雷」のこの役は彼女のために作られたのではないかと思わせるほどの自然な演技です。それでいて濃密な感情を画面いっぱいに漲らすことができるのですから、大したものです。過日放送されたNHK「ららら♪クラシック」に河村さんと一緒に登場した松岡さんは、河村さんの演奏の感想を語っていましたが、その内容が実に的確であることには、失礼ながら驚かされました。ピアノは小さいころに習っていただけだと言っていましたので、きっと生来音楽を感じる感性に秀でているのでしょう。

音楽とは直接関係ありませんが、斎藤由貴さんの英語が見事なことは特筆大書ものです。脚本があってしゃべっているのですから、あれがそのまま彼女の英語力を示すものだとは思いませんが、それにしても見事です。純日本産・純日本育ちの人であれだけちゃんとした発音をマスターしている人はほとんどいません。同時通訳でも、発音だけみれば彼女に劣る人はいくらもいます。ただし、それが映画にリアリティを与えるのに役立っているかはまた別問題で、もう少したどたどしい方が、あの審査員役によりふさわしかったかもしれない、という贅沢な感想を持ちました。(「シン・ゴジラ」で米国大統領特使を演じた石原さとみさんにこそ、斎藤さんの発音が欲しかった!)

映画については誉め言葉だけだと思われるといけないので、付け加えますと、不満も結構あります。

まず、少女時代の亜夜が今は亡き母親と連弾に興じる場面。まだヒット中ですからネタバレを避けて曲名は書きませんが、ソロの某超名曲を即興で(?)アレンジして、親子が連弾するという美しい回想シーンです。しかし、そのアレンジが、あまりセンスが良いとは思えません。担当作曲家には申し訳なく思いますが。(その点、NHKで放送したアニメ版「ピアノの森」の冒頭に流れるショパンのエチュードOp. 10-1のアレンジは見事でした。途中からオケがかぶさってくるそのオケが、ピアノ・ソロによく合っていて、美しく心地好いのです。シリーズの何回目かまで見進んだ時には、少し大げさに言えば、そのオケ伴付きのバージョンがそもそも原曲だったのではないか、と錯覚してしまうほど耳に馴染んでいました。)

連弾といえば、映画の一つのクライマックスである亜夜と塵の連弾シーンにも不満が残ります。あまりに丁寧に作りこまれていて、即興らしさが皆無。二人の息がピタリ合って、コーダに至るまで意見の不一致がどこにも無く、何のほころびも生じないなんて、ジャズのどんなジャム・セッションでもあり得ません。これも映画全体からリアリティを奪う結果となりました。

次にあげるべきは、やはり指揮者の演技でしょう。鹿賀丈史さんの力演で、心理描写は悪くないのですが、その指揮姿がいかにもサマになっていません。こんな棒にオケが付いてくるはずは無いと思ってしまうのです。本物の指揮者が稽古を付けてあげるといったことができなかったのでしょうか。予算の都合?

他にも不満点はたくさんあるのですが、開始直後に引っ掛かった場面は、私にとって実に重大でした。その後ずっとそのひっかかりを引きずってしまい、本当の意味で映画に没入できなかったのですから。それは、聴衆と思われる音大生風の女の子2人が、会場フォワイエの階段を下りながら、「カーネギーでコンツェルトまでやってるんだって!」とコンテスタントの噂をする場面です。噂の対象は、おそらくはジュリアードの学生、マサルでしょう。引っ掛かりというのは、「カーネギー」という言い方をするだろうか?ということと、「コンツェルト」っていったい何だ?ということでした。

「サントリーホール」を「サントリー」と略称することはちっとも珍しくありませんが、日本の音楽ファン、それも学生が、「カーネギ-ホール」を「カーネギー」と呼ぶことは、皆無とは言いませんが珍しいでしょう。また、協奏曲を「コンチェルト」と呼ぶのはごく普通のことですが、あえてドイツ語を使って「コンツェルト」という日本人はいません。少なくとも私はそういう日本人にお目にかかったことがありません。原作にそうあるのか脚本家の発想なのかは分かりません(原作を再読して調べてみようと思いつつ果たせずにいます。)が、おそらく「音楽を志す学生は通(ツウ)ぶってそういう言い方をするのだろう。」という誤った推測に基づくのだろうと思います。「神は細部に宿る」と言いますが、こういう細かいところで、原作者または脚本家(および映画監督)のお里(音楽的教養の程度)が知れるのです。なお、「コンツェルト」という言い方は、映画の中でもう一度出てきました。その場面と発言者は覚えていませんが、同じ引っ掛かりをさらに強く持ちました。ひょっとすると私の聞き間違いで、実際には二度とも「コンチェルト」と言っているのかもしれませんが、違う俳優が異なる場面でそれぞれ発音しているのですから、聞き間違いの確率は低いと思います。それに、筋金入りの音楽ファンであると同時に、職業柄、言葉の選択と発音にはうるさい(和英とも)私は、滅多なことで聞き間違えません。特にそれが音楽に関連する事柄であってみれば、です。(日常生活でボーッとしているときには、よく家族の言葉を聞き違えて怒られますが、それはそれ、これはこれです(笑)。)

以上を要するに、クラシックおたくにとってはリアリティの欠如と言わざるを得ない場面、興覚めする場面がたくさんあるのですが、それでも映画館に足を運ばれることをお勧めします。(もっとも、私が見た日比谷シャンテでは、ff時にスピーカーの僅かなびり付きが気になりました。映画館にコンサートホールの生の音を期待しないことです。)冒頭に書いたように、音源を担当した四人のピアニストの演奏のすばらしさと、松岡茉優さんの演技の素晴らしさが、この映画を一聴(「一視」という言葉は無いのか・・・)の価値あるものとしています。

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