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河村尚子讃

2021 JUL 21 17:17:15 pm by 大武 和夫

今春来日時の河村尚子さんは凄かった。
首都圏で行われた3つの公演に行き、英語で言うなら文字通りswept overされました。圧倒的の一言です。

昨年の来日時の公演についても投稿したかったのですが、あまりに時間が経ち過ぎました。(本稿もすっかり時間が経ってしまっていますが、数ヶ月の遅れであれば、情報の鮮度はすっかり落ちていますが何とかお許し頂けるのではないかと考えました。特に、末尾に述べますが、今年中の再来日はもう無いようですので、本稿をアップする意味は無くはないように思います。)

生命の躍動そのものを感じさせる豊かで大きな音楽は、いつも私に「元始、女性は太陽であった」(平塚らいてう)という有名な言葉を思い出させます。

河村さんの音楽は神経の行き届いた素晴らしい精妙さ・繊細さを持ちながら、なによりも豊かさとスケールの大きさを感じさせます。豊かでスケールが大きいというと、何となく茫洋として掴みどころの無い演奏を想起させるかもしれませんが、全くそうではありません。彼女の演奏は明晰な頭脳・・・大変頭の良い方であることはお話ししているとすぐに分かります・・・による徹底的な曲の分析の結果であり、全体であれ細部であれ、常にくっきりとした輪郭・フォルムを保っています。この音、このフレーズ、この和音がここに置かれているのはこういう背景と論理の結果であり、従って、こう弾かれなければならない、という強靱な意志の力を感じさせます。ですから、茫洋のまさしく正反対。そうであるのに、音楽は頭でっかちに干からびるどころか、不思議なほど人間存在の根源に迫る豊かさと大きさで鳴り響くのです。天才の天才たる所以です。そして、そのような豊かで大きな音楽を作る演奏家は、日本人に限らず現在どれほどいるでしょう。

彩の国埼玉芸術劇場で行われたリサイタルは、中でも白眉で、私にとって生涯でベストの音楽会の一つでした。モーツァルト(Kv. 397)の変幻自在な表現はどうでしょう。極めて独創的な曲の理想的な表現。シューベルトのG-durソナタ(D. 894)はもう、豊かに拡がる「幻想」そのもの。聴き手はその世界に浸り、河村さんとともに歩みを進めます。ドビュッシー(映像第1集全曲)がまた素晴らしい。常に生き生きと語りかけながら音楽が前へ前へと進む、その弾力溢れる生命力はどうでしょう。そして、ショパンがこんなにもシンフォニックに響いたことはありませんでした。幻想即興曲ですら後期作品のように響くことの驚異。(この曲は没後作曲者の遺志に反して出版されたため大きな作品番号を与えられていますが、4曲の即興曲の中では最も早く書かれた作品です。)我が偏愛の舟歌も、実演でこれほど感動させられたことはありません。この曲はリズムの取り方一つをとっても実に難しく、曲に統一感を与えることが至難です。しかし、河村さんは、小ぎれいにまとめるのではなく、破天荒な内容を封じ込めたこの曲のあらゆる要素を見事に描き出しつつ、そこに有機体としての統一感を与えるという奇跡を実現させていました。技術的な完成度の高さは言うまでもありませんが、私のようなすれっからしのピアノ・フリークにも技術に耳をそばだてるなどという卑しい聴き方を許さないような、何と言ったら良いか、凜としたものが彼女の演奏にはあるのです。

シューベルトの途中から涙が溢れてしまい、それが目からだけでなく鼻からも鼻水となって流れ出るので、マスクの中はもうグショグショ。口の中に入ってくる涙と鼻水と格闘しながらの鑑賞でした。

アンコールがまた凄い。まずはシューマンの幻想小曲集から「Warum」。深いところで、異なる次元に属する複数の声が歌い交わすポリフォニーに、心を揺さぶられました。次はお得意のシューマンの「献呈」。いつも彼女の献呈は見事なのですが、今回はとりわけ輝かしい喜びにあふれていて、ハッとさせられました。河村さん自身帰国時にドイツでのPCR検査の結果(勿論陰性)を認めて貰えず(日独の検査方法の違いによると言われたそうです。)、ホテルでの長期隔離生活を余儀なくされるという辛い経験をされましたから、その心情が反映されていたのかもしれません。このリスト編曲は、近年多くのピアニストが手がけていますし、上手な人も少なくありませんが、精妙でありながら豊かで喜びに満ちたスケール大きな表現は、全く河村さんの独壇場です。唯一無二と言いましょう。そしてアンコールの最後が、何とベートーヴェンの「告別」の終楽章。「告別ー不在ー再会」の、その「再会」。選曲自体に既に、久しぶりに聴衆を前にして演奏する喜び、聴衆との再会に心を震わせる河村さんの心情が吐露されていると見るのは、ごく自然でしょう。そして、その演奏も、そう確信させるだけの圧倒的な素晴らしさでした。同じ表現を何度も使用するのは気がひけますが、豊かで喜びに溢れた究極の「再会」でした。感動に涙しながら私は、心の中で「河村さん、お帰りなさい。ありがとう。そして、ルートヴィヒ君も素晴らしい曲をありがとう。」と感謝の言葉をつぶやいていました。

何度も「豊かなスケールの大きさ」という表現を用いてきましたが、日本人演奏家で、そのような表現が当てはまる演奏をする人は、男女を問わず楽器を問わず、一体どれだけ他にいるでしょう。そう思うにつけ私は、彼女の天賦の才は勿論のことながら、ドイツで音楽教育を受け、ロシア人名ピアニスト(クライネフ)に師事したという彼女の経歴の意味するところの大きさを思うのです。リヒテルがドイツ人として生まれながらロシアで音楽教育を受け、晩年はほとんど国外(日本にも家を持っていました。)で過ごしたこと(知人にピアノ・フリークで日本語研究者であるドイツ人がいますが、来日時に話したリヒテルのドイツ語は完璧で、全く何の訛りも無かったそうです。その知人は、柴田南雄さんがドイツ人でないリヒテルにはアウフタクトの感覚が欠けていると書いたのを読んで、そんなことありえないと笑っていましたっけ。)や、教育はロシアで受けたものの若い頃にロシア(ソビエト)を脱出してパリやベルリンで西欧文化にどっぷりと浸かり、その後にアメリカに移住し、更にはイタリア人巨匠指揮者の女婿となったホロヴィッツなどの例も、複数の文化的背景を持つことの特別の意味を物語って余りあると思います。

河村さんは今秋も来日が予定されていましたが、クララハスキル・コンクールの審査員を務められることとの関係で、うまく日程調整が付かなくなり(コロナの隔離期間のせいです。)、その結果、つい最近になって来日は取りやめになったようです。(少なくとも東京芸術劇場での芸劇ブランチコンサートは中止になりました。)残念ですが、コロナが明ければまた以前のように定期的に帰国して演奏してくださるでしょう。そのことを慰めとしつつ、次のご帰国を鶴首して待ちたいと思います。

Categories:音楽

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