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卒業 そして  『卒業式の思い出』 

2014 MAR 18 17:17:26 pm by 中村 順一

筆者の卒業した麻布学園

筆者の卒業した麻布学園

人生において、卒業式は4回は経験している筈なのだが、筆者の場合は2回である。大学と高校では残念ながら卒業式は無かった。高校は東京の私立の麻布なのだが、筆者が高2の時に学園紛争があり、40日以上学校自体がロックアウトされた余韻がまだ残っていた。卒業式どころではなく、職員室へ行って、卒業証書を先生から手渡された記憶がある。麻布はいい奴が多く、いい思い出が多い。先生とも仲がいいのだが、学校では何もやってくれなかったという記憶のみである。あんな自由放任のみで、生徒が良く大学へ入れるなあ、と思っていたが、今でもその校風はあまり変わっていないらしい。びっくりしたので、今でも覚えているのは、卒業証書と一緒に皆勤賞ももらったことだ。麻布は基本的には授業はサボり放題であり、1時間目が終わると、渋谷に映画を見に行き、昼過ぎに帰ってきて、5時間目と6時間目に出て、ラグビーの練習をやって帰宅、といった生活を繰り返していたので、皆勤賞にはアゼンとしたのだ。要は出席をまったく取っていないので、かなりの数の生徒に皆勤賞を渡したということだ。麻布での一番の記憶は、ともかく競馬に熱中していたことである。競馬の研究ばっかりやっていた。当時の競馬は今の競馬みたいに「家族そろって中央競馬」ではなく、地下鉄の駅の駅員や、工事現場のオジサンの専門科目だった。どうして、あそこまでのめり込んだのだろう、不思議な感じもする。ああ、これは卒業式とは関係ないですね。麻布の連中はあまり現役では大学に入れない(入らない?)、特にうちの学年は紛争ばかりやっていたので、現役受験はごく一部を除いて、ほぼ全滅。皆で、天下の名門、駿台予備校になだれこんだので、駿台が高校4年生みたいで、まったく高校の「卒業」が、人生の大きな出来事、という感じがない。

本郷で大学生活をおくっていて、さて卒業、ということになったのだが、今度も卒業式は催行されず。当時の東大はまだ東大紛争の名残があり、筆者の学年は入学式も卒業式も無かったのだ。最近の東大生は入学式で親も一緒に盛り上がるらしいが、隔世の感がある。安田講堂がまったく使えなかった時代であり、まあしょうがないか。本郷の時代は特に授業に毎日出た訳ではなく、卒業式が仮にあっても、あまり盛り上がらなかったと思う。

従って、良く覚えている卒業式の記憶は小学校のみである。何回も何回も予行演習をやったのが記憶にある。小学校6年生の時は、児童会の委員長だったので、結構プレッシャーがかかっていた覚えがある。「仰げば尊し」はなんといい歌なんだろう、とガキの分際で感激していた。結構気分も高揚していたのだ。筆者の小学校は千代田区立の番町小学校で、当時はほとんどが越境して通学する生徒ばかり、麹町中学、日比谷高校、に続く進学コースの入り口だった。東京に悪名高い「高校学校群」が導入される前で、旧制府立1中の日比谷高校が、東大リーグテーブルでぶっちぎり1位だった時代である。親も教育に熱心な人が多く、卒業式は一大儀式だった。先生も熱心だった。この卒業式だけは、自分が次のステップに進むのだ、と意識させられた僕にとっての大事件だった。

社会人になって、英国に駐在したが、英国は学校の過程終了が、Aレベル、とか、Oレベル、といった公的な試験で認定されるので、日本の様に、各学校で修了を祝う卒業式のような式典は無い。あったのは大学の学位授与の式典である。でも、日本の卒業式は1872年の明治初めの学制の施行に伴って始まり、明治10年代ごろに、現在のような形の儀式として定着した歴史を持つ。戦前からのいい歴史なのだ。あったほうがいい。若者にとって、人生の一つの区切りとなる、日本的ないい慣行だと思う。

 

 

 

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