Sonar Members Club No.26

月別: 2013年7月

私が選ぶ「9人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集」(5)第5番ハ短調作品67

2013 JUL 28 10:10:27 am by

◎曲目に関する若干のコメント

前回投稿させていただきました第4交響曲から、9曲の中で日本では最も有名と思われます(通称)運命交響曲の5番を発表するまでの間に、ピアノソナタは、1曲も書かれていません。恐らくは、第23番の「熱情ソナタ」で、彼が積み上げて来た作曲上の様々な要素が成し遂げられていて、新たに作曲する動機が無かったに違いないと思います。

この「熱情ソナタ」に見られる「高度な凝縮感」が、交響曲で見事に結実した作品が、この第5番で、第3番「英雄交響曲」の高密度な凝縮感を更に更に純化して、ちょっと見た目はスッキリ、しかし、良く観れば観るほどに、中身の濃さに驚かされるという、他の作曲家には実現不可能な「二律背反的な」偉業を達成していると私個人は考えております。

もう一点、「ハ短調」という調性に注目したいと思います。ベートーヴェンにとって、この「ハ短調」という調性は、特別な意味を持っていたと思います。

彼の実験工房であるピアノソナタの領域では、初期の傑作である「第8番悲愴ソナタ」の前に「第5番」もハ短調で書かれており、この曲も名曲です。また作品18の弦楽四重奏第4番も同じ調性、また第2交響曲と共に自信を持って世に問うた「ピアノ協奏曲第3番」もハ短調で、この曲もたいへんな傑作です。

しかし、注目すべくは、この運命交響曲で初めて「暗→明」という力強くも明快な流れを初めて打ち出した点であろうと思います。(上記4曲は最終楽章が全てハ短調で暗く締めくくられている。)

詳述しますと長くなりますので割愛しますが、このハ短調での「暗→明」、彼の2楽章形式の最後のピアノソナタ第32番(第1楽章:ハ短調、第2楽章ハ長調)で、ものの見事に結実しています。(32番にて実験工房の場が、仕上げの場に昇華しているかの如くです。)

言わずもがなですが、この第5番の第1楽章、第3楽章がハ短調で、最終の第4楽章はハ長調であります。

この「暗→明」という力強くも明快なシナリオは、初めて一般大衆に訴えかけたと言われるベートーヴェンが、大衆に「最も言いたかったこと」の一つかもしれません。

 

◎私が推薦する第5交響曲のベスト1

バーンスタイン指揮 ウィーンフィル演奏

指揮者と楽曲との相性も良く(分類1)、安心して聴ける上に、感動的な演奏です。

モーツアルトと異なり、推敲に推敲を重ねたベートーヴェン、特にこの第5交響曲は、5年以上の歳月をかけ、また冒頭の10小節あまりの部分ですら、少なくとも10回から20回は、書き換えられている(バーンスタインの説)とのことで、作曲家でもあったバーンスタインの視点が非常に良く反映された演奏でもあると思います。

勿論、私の個人的な見解にしか過ぎませんが、よって、ベートーヴェンの意図が最も良く体現された演奏の一つに挙げられると思います。

ネチネチと緻密な練習を重ねる欧州の指揮者よりも、弦楽器の解放弦使用をも認める、この快活な米国人指揮者をたいへん好んだウィーンフィルの楽員達も、指揮者に全面協力の熱演で応えています。

随所に個性的な表現が見られ、バーンスタインの私意が存分に感じられるのですが、それでいて、この5番の良さを十二分に感じさせる点で素晴らしく、ベスト1に推薦させていただきました。

 

◎次点の名盤として

フルトヴェングラー指揮 ベルリンフィル演奏(1947年5月27日ライブ録音)

東さんが「イチオシ」で推薦された2日後の演奏です。

勿論、私個人の強い思い込みですが、フルトヴェングラーの復帰演奏会初日である5月25日盤の演奏には、下稽古を付けていたチェリビダッケの陰が非常に良く感じられます。1950年に公開された音楽映画「フルトヴェングラーと巨匠たち」という映画に収録されている若き日の細面のチェリビダッケの指揮、ベルリンフィル演奏のエグモント序曲に非常に近いものが、私には感じられて仕方ありません。

勿論、5月25日の演奏も、この演奏と同じくらいに大変に素晴らしく、そんなことはどうでも良い枝葉末節的な話ですが、天才は天才を知るという言葉にあるように、フルトヴェングラーはチェリビダッケの天才振りに、いち早く気付き、内心、大いに嫉妬していたに違いありません。

初日を振り終えて、何とか「俺らしさ」を目一杯、表現しなければという気持ちに駆られ、それが見事に結実しているのが、今回ベスト1に挙げさせていただきました、5月27日の演奏です。

たった2日後に、そんなに演奏が変わってしまうのか? とお思いの方もいらっしゃるとは思いますが、そここそが、即興演奏家の大家とも言われたフルトヴェングラーの面目躍如たる点であると思います。

この5月27日の演奏は、完璧なフルトヴェングラー節が全開であります。

そして、次点の、もう一点もフルトヴェングラー盤です。

 

フルトヴェングラー指揮 ベルリンフィル演奏(1954年5月23日ライブ録音)

東さんもおっしゃった通り、フルトヴェングラーと第5交響曲の相性は抜群で、しかも、フルトヴェングラー自身の第5交響曲に対する熱心な研究姿勢が死ぬまで続いていたという証の名演奏です。

彼の死の歳、最晩年の演奏で、テンポも、上記1947年の演奏と異なり、落ちついた遅めのものに変貌しておりますが、実に味わい深い演奏です。

 

フルトヴェングラーの偉大さに敬意を表し、敢えて、他の指揮者を推薦しないで終了させていただきます。

花崎 洋

 

 

 

 

私が選ぶ「9人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集」(4)第4番変ロ長調

2013 JUL 21 10:10:37 am by

今回は4回目、交響曲第4番変ロ長調です。

◎曲目に関する若干のコメント

作品番号55第3番「英雄」を、満を持して発表したベートーヴェン、中期黄金期を迎え、まさに乗りに乗っている勢いを感じさせます。

作品57は、ピアノソナタ第23番ヘ短調「熱情」

作品58は、ピアノ協奏曲第4番ト長調

(あくまで、私個人の感じ方に過ぎませんが、上記2作品は「陰陽のコントラスト」が非常に明確であるのと同時に、熱情ソナタは「極度の凝縮感」、P協4番は、それに対して「解放感と癒し」というコントラストも感じられてなりません。)

作品59も大変有名な「ラズモフスキー弦楽四重奏」の3曲(真ん中の第8番はホ短調と第4番ハ短調に引き続き再び短調の作品)

今回の交響曲第4番は、ラズモフスキーに引き続く作品60です。

ちなみに次の作品61は、これまた有名な「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」です。

上記の創作過程からの推測ですが、またベートーヴェンが自身で付けた作品番号からの乱暴な推測に過ぎませんが、交響曲2番、3番と「大規模化」と「内容の極度の凝縮」というプロセスを辿り、恐らくは「自己実現の場」でもあろう、弦楽四重奏にて、同じ目的を果たせた!と実感したベートーヴェンが、今度は、その逆のコンセプトである「解放感や、寛ぎの感情」を交響曲の場で表現してみようと意図したと思われてなりません。この4番交響曲に続く作品61のヴァイオリン協奏曲も、同じコンセプトに入ると思われます。

私個人の好みの話で恐縮ですが、私はベートーヴェンの9曲の交響曲の中で、最も好きなのは、この4番です。ちなみに好きな順を挙げますと、4番と6番→2番→7番と8番→1番→9番→3番→5番という順番になります。つまり、短期間でサッ書き上げた作風の方を、時間をかけて凝縮した作風よりも好きなわけです。同じことがブラームスの交響曲にも言えて、2番が最も好きで、1番は息がつまるようで、余り好きではありません。

 

◎私が選ぶ交響曲第4番のベスト1

ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団演奏(1973年4月29日 ライブ録音)

上記にも触れましたが、この4番、「開放感や、くつろぎ」をベースにしてはいるものの、作品55の英雄交響曲や作品57の熱情ソナタで、正に異常なほどの「凝縮感」を達成しているベートーヴェンですので、彼自身は、充分に寛いでいるつもりでも、我々凡人が、ボーッとしている緊張感のレベルとは、勿論、雲泥の差であることは間違い無いと思われます。

つまり、この第交響曲の演奏は、曲の上辺の印象とは真逆の、緊張感に満ちた、切れ味の鋭い演奏でないと、この曲の良さは、ほとんど出ない! と私個人は考えます。その意味で上記ライブ演奏は理想的であります。

ある意味、冷徹なほどにスコアを読み込み、曲の本質に対する洞察の鋭さが具現化されている演奏は、他に無いと入ってもけっして過言ではないと思います。

全ての楽章が速めの理想的なテンポで進み、緊張感は一瞬たりとも途切れず、ティンパニーに代表される切れ味鋭い表現、などなど言葉にすると野暮な、私がこの曲に持つ理想的なイメージを、ことごとく体現していると思います。

ベートーヴェンの9曲の交響曲の中で最も好きな4番ですので、個人的な視野の狭い拘りの感情が異様に増大した結果なのですが、このベスト1に推薦しました演奏以外には、現在では、満足の出来る演奏は、正直言って、ひとつもありません。

よって、今回は次点の名盤の推薦は、敢えて取り止めさせていただきます。

また、今回は著しく客観性に欠けた記述になってしまったようでして、誠に申し訳ございません。 花崎 洋

 

私が選ぶ「9人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集」(3)交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」

2013 JUL 16 7:07:04 am by

東さんが、この作品に対する並々ならぬ愛情と、詳細なる考察結果について投稿され、私も大いに感銘を受けました。

しかし私個人は、正直申し上げましと、彼の9曲のシンフォニーの中で、ある意味で、この曲が最も苦手であります。その理由は、曲の規模が雄大な点ではなく、この曲の持つ「極限的な凝縮感」にあるように、現時点では思います。凄い偉大な曲であり畏敬の念は持ちますが、私個人としては、完全には楽しめず、あまりの密度の濃さに息が詰まってしまうことも、しばしばなのです。

恥を承知で申し上げますと、私は、クラシック音楽を、恐らく、ほとんど感覚のみで聴いており、ベートーヴェンの音楽の最大の長所であろう「構成の美」を、それほど理解出来ていないのだろうと推測しております。だとしたら、誠にもったいない話です。

 

◎曲に対する若干のコメント

今回もピアノソナタとの関連で、アプローチを試みた所、また新しい発見がありました。

第2交響曲の発表後、彼は2つのピアノソナタを公表しています。(ピアノを学ぶ初心者向けの小品(いずれも短い2楽章のソナチネ形式)として売り出した作品49の19番、20番は、第1交響曲以前に作曲されているため、ここでは触れません。)

ピアノソナタ第21番ハ長調作品53「ワルトシュタイン」

ピアノソナタ第22番ヘ長調作品54

そして今回の英雄交響曲が作品55で上記作品に続くわけです。

この2曲のピアノソナタ、その凝縮感は、半端ではありません。

特に21番「ワルトシュタイン」は、当時、機能的に発展途上にあった「楽器としてのピアノの可能性」を極限まで引き出そうとの意図もあったのかもしれません。まことに迫力満点で圧倒されます。

しかし、私個人としては、第22番のソナタ(この曲は、21番と23番熱情の間に挟まれて、最も光の当たらない陰の存在となっていますが)もワルトシュタインと同等、もしくは、それ以上に重要な意味を(つまり実験的試行錯誤の場として)持っているように感じてなりません。

長くなりますので、一点だけに絞りますと、この22番が、彼の本格的なピアノソナタとしては、初めて、「2楽章形式」を取っていることが挙げられます。この曲以降、24番、27番と2楽章形式のピアノソナタを作曲して更に磨きをかけ、ついに最後の大傑作32番にて完結していくわけです。つまり、4楽章分、もしくは3楽章分の中身を2楽章に凝縮出来ないかという模索の第一歩が、この第22番のピアノソナタという訳です。

この22番に観られる「高密度な凝縮感」こそ、第3交響曲英雄の本質の一つであろうと考えます。

この22番のピアノソナタ、プロの音楽評論家の評価も一部を除いては、それほど高くなく、また一般聴衆にも人気がないのですが、もっともっと注目されて良い作品と思います。

 

◎私が推薦する第3番変ホ長調「英雄」のベスト1

ワルター指揮 シンフォニー オヴ ジ エア 演奏(1957年2月ライブ演奏)

この演奏は1957年1月に逝去した偉大なる指揮者、トスカニーニの追悼演奏会という、正に歴史的な貴重な記録です。

ご存知の方も多いとは思いますが、上記楽団は、トスカニーニのために結成されたと言われるNBC交響楽団のメンバーが、トスカニーニ引退に伴い、スポンサーのRCAから全員解雇されてしまい、有志によって1963年まで自主運営された団体で、指揮者無しでも一糸乱れぬ統制の取れた引き締まった演奏で聴衆を感動させていました。

つまり、トスカニーニの指揮棒の元で長年演奏して来た奏者を、トスカニーニの無二の親友であったワルターが指揮をする、という事実だけでも凄いのに、実際の演奏は、予想を超えて、それはそれは感動的なものです。

演奏会の翌日に、新聞での批評欄に「ワルターは、トスカニーニとそっくりなスタイルで演奏した。」と掲載されたそうですが、私個人は、単に形を真似たのではなく、ワルター自身が音楽を完全に自分の物として消化し尽くした上で、結果として、トスカニーニ的な直裁的な迫力をも、併せて持っている、と表現するのが最も適切であると思います。

私も、ワルターと第3交響曲「英雄」との相性は抜群と思います。東さんが番外編で推薦されてましたが、コロンビア交響楽団との演奏も伸びやかで素晴らしいものでした。

元々存在していた指揮者と楽曲の相性の良さ(+ワルターのこの曲への愛情と粘り強いアプローチ)、亡き親友トスカニーニのためにという演奏に対する熱い意欲、そしてトスカニーニの元で長年苦楽を共にした団員達の強い思い、という3つの要因が融合して実現した、正に奇跡の演奏と言っても過言ではないでしょう。

そう言えば、ワルターは指揮者として、いわゆる専制君主のタイプではなく、楽員達の自主性も尊重し、楽員達の長所を引き出す名人であったとの話を思い出しました。この演奏は正に、トスカニーニによって長年鍛えられた楽員達の長所が遺憾なく引き出されたものと思います。

冒頭に、この交響曲は苦手と書いてしまいましたが、そんな苦手意識も吹き飛ぶような感動的な演奏です。ワルターには、ここで登場してもらいたく、1番、2番では共に次点とした次第です。

 

◎次点の演奏として

トスカニーニ指揮 NBC交響楽団演奏(1953年録音)

私が中学生の時に、初めて聴いたトスカニーニの演奏であり、今でも、その鮮烈な感動を覚えているほど、印象に残る演奏です。

テンポ設定の的確さ(特に第1楽章は、これくらい速いテンポでないと曲の持つ良さが出ない)、直裁的な迫力がありながら、中身の濃さも十二分に感じさせる点など、どの要素をとっても、これほど完璧で不満の出ない演奏はないであろうと思います。

一時期、世評も高いフルトヴェングラーの演奏(1952年12月録音のウィーンフィル盤)に熱中した時期もありましたが、特に50歳を過ぎた辺りから、あの遅いテンポが、じれったく、また、この曲の持つ「凝縮感」が上手く表現出来ていないような気がして(勿論、ウィーンフィルの音色等、魅力があり、味のある演奏なのですが、中身が薄いようにも感じてしまうのです。)、あまり好きでなくなってしまいました。プロの音楽評論家で、このフルトヴェングラー盤が「イチ押し」の人もいますし、ファンからは強烈な反対意見が出るとは思いますが。

今回も、第1番に引き続き、肝胆相照らす親友同士であった、ワルターとトスカニーニの名盤を推薦させていただきました。 花崎洋

 

私が選ぶ「9人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集」(2)交響曲第2番ニ長調作品36

2013 JUL 10 5:05:38 am by

東さんが、この第2交響曲に対する強く、熱い、愛情に満ち溢れた投稿をされ、大いに刺激を受けました。たいへん有り難うございます。

私は、正直申し上げまして以前は、この第2交響曲、あまり好きではなく、何となく退屈に感じて、わかりやすく明快な第1番の方を好んでおりました。

しかし、この企画を着想し、改めて何種類かの第2番を聴き直した所、「何と素晴らしい名曲!」と素直に感動し、大袈裟な言い方かもしれませんが、歳を取って良かったと感じた次第です。(ある日本人指揮者が、ベートーヴェンを理解するためには、500歳まで生きる必要がある、とライブ演奏の場で発言したことを思い出し、なるほど、その通りと痛感しております。)

前回の第1番の投稿でも申し上げましたが、ベートーヴェンは、ピアノソナタにおいて、彼の才能を早いタイミングで開花させています。

この第2交響曲を発表する前に、32曲のピアノソナタの内、何と20曲を既に作曲し終え(内、作品番号49が付けられた19番、20盤は未発表)、残る12曲は、次のように3つに分類出来ます。

1:中期の油の乗り切った凝縮された作品である3曲(英雄交響曲、   運命交響曲、ラズモフスキー弦楽四重奏など、充実し切った中期に  ピアノソナタは、何とたったの3曲のみ!)

21番「ワルトシュタイン」、22番、23番「熱情」

2:晩年への移行期に位置付けられる4曲

24番、25番、26番「告別」、27番

3:高く偉大にそびえる峰々である晩年の5曲(最高傑作の晩年の後期  弦楽四重奏も5曲です。)

28番、29番「ハンマークラビーア」、30番、31番、32番

 

そして、勿論、あくまで私個人の、正に主観と思い込みに満ちた見解ではありますが、第1交響曲発表から、第2交響曲の発表の間に公表された第11番から18番のピアノソナタの中に、私個人は、その後の交響曲において結実した様々な成果につながる「要素」を観ることが出来ます。(強引なこじつけだ、という否定的なご意見も当然有り得ると思いますが・・・。)

投稿が長くなってしまい、また、交響曲でなく、ピアノ作品の話になってしまい、申し訳ございませんが、上記の観点で記述いたします。

ピアノソナタ第11番変ロ長調作品22

交響曲1番の作品番号が21で、ベートーヴェン自身が次の22を付けたことも注目です。ひと言で言えば、それまでの「古典的な形式での集大成と古典的な形式へのひとまずの決別」を意図したと考えられ、第3楽章が「メヌエット」、第4楽章が「ロンド」となっています。彼自身、相当力を入れて創った傑作で、もっと注目されても良い作品と思います。この変ロ長調という調性、次にピアノソナタで現れるのが、あの最大規模の第29番「ハンマークラビーア」です。そして、この作品に見られる密度の高い凝縮感が、第2交響曲で見事に結実していると、私個人は考えます。

ピアノソナタ第12番変イ長調作品26

この12番から、形式的に極めて自由となり、また作風も伸び伸びと開放的になっていきます。モーツアルトのK331の先例はありますが、第1楽章はソナタ形式でなく、変奏曲形式。第3楽章は「葬送行進曲」で、これが交響曲第3番「英雄」第2楽章の下敷きにもなったと、強引に、こじつけてみます。

ピアノソナタ第13番変ホ長調&第14番嬰ハ短調「月光」

彼自身が作品番号27−1、27−2と付けたように、この2曲は明らかに、1セットで捉えるべきでしょう。幻想風という言葉が添えられる、とてつもなく自由、かつ大胆極まりない作風です。第13番の4楽章で、前の楽章の回想シーンが登場する場面、第9交響曲第4楽章冒頭の予行演習と取れないことも無いと考えます。また両曲とも、全ての楽章が切れ目無く演奏されることも、第6番「田園交響曲」の3〜5楽章の先駆けとも言えます。

ピアノソナタ第15番ニ長調作品28「田園」

伸び伸びした作風で良い曲です。彼自身が名付けたわけではなく、楽譜の出版社が名付けたと言われていますが、「田園」という名称です。

ピアノソナタ第16番ト長調作品31−1

こんな変なことを言うのは私だけだと思いますが、この曲の第2楽章を聴くたびに、第8交響曲の3楽章の主部の主題を思い出してしまいます。

ピアノソナタ第17番ニ短調作品31−2「テンペスト」

この作品は、今回取り上げた8曲のピアノソナタの中でも最も重要な意味を持つと思われます。この曲の第3楽章のリズムは運命交響曲を思い起こさせますし、同じ第3楽章のメロディーは第7交響曲の4楽章に雰囲気的に良く似ていると思えて仕方ありません。そして、調性の「ニ短調」、彼のピアノソナタでは唯一で、あの第9交響曲につながって行くと思われます。

ピアノソナタ第18番変ホ長調作品31−3

この曲の持つ軽妙な雰囲気は、第4交響曲や第8交響曲につながっていくように感じますし、彼が愛し、自信を持って世に送り出す作品(ピアノソナタ第4番、13番、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、そして、何と言っても、交響曲第3番「英雄」)の調性である、変ホ長調です。

以上、長々と記述し、申し訳ございませんが、上記8つのピアノ曲を聴き込むほどに、今回の第2交響曲の素晴らしさ、3番英雄以降の交響曲の偉大さも良く理解出来るのでは考えます。(でも、私個人は富士山に例えれば、麓の入り口にも到達していないだろうなあ、と思います。)

 

◎私が選ぶ第2交響曲ベスト1

先の第1交響曲では、ど真ん中の高速ストレートの「トスカニーニ」を推薦しましたが、今度は、その逆、もの凄い変化球、むしろクセ玉なのに感動の深い演奏です。

メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団演奏(1940年ライブ演奏)

正に19世紀の手垢にまみれた演奏ですが、敢えて思い切って挙げてみました。テンポの動きが激しく、恣意的な演奏が多く、そのため非難されることが、しばしばであるメンゲルベルクの指揮ですが、この第2番に限っては、どういう訳か、テンポの動きも自然に感じられ、大袈裟な強弱の付け方も、この曲の持つ魅力を炙り出すのに、一役も二役も寄与しているように思えてなりません。(その反対に、メンゲルベルク指揮の第6番「田園」は、ベートーヴェン原曲、メンゲルベルク編曲と表現しても良いほど恣意的かつ不自然な演奏で、よほど強烈な彼のファンでないと聴くに耐えないでしょう。)

第1楽章は、いつもの彼の指揮からは想像も出来ないほど、オーソドックスで雄大に聴こえて来ます。第2楽章は弦のポルタメント奏法が嫌みにならないギリギリのところで押さえられ、暖かみと愛情に溢れた演奏です。第3楽章、第4楽章も、凡庸な指揮による演奏ですと退屈しがちですが、さすがにメンゲルベルク、飽きさせずに一気に聴くことが出来ます。花崎分類の3(楽曲との相性云々と超えて、徹底的に突き抜けた結果、感動的な演奏)であると思います。

 

◎次点の演奏を2点挙げたく思います。

ワルター指揮 コロンビア交響楽団演奏(1959年録音)

19世紀の流れを汲むはずですが、手垢にまみれた感じはありません。

楽曲との相性抜群の分類・1の典型的な名演奏と思います。特に第2楽章のゆっくりしたテンポは、同じワルター指揮の未完成交響曲の第2楽章を思い起こさせますが、何と豊かな響きの味の濃い演奏でしょう。本当は、この盤をベスト1に挙げたい気持ちも大いにあるのですが、ワルター指揮を敢えてベスト1に挙げたい後の交響曲のために、今回も第1番に引き続き、温存した次第です。最も安心して聴くことが出来るのに、それでいて感動の度合いも深い素晴らしい演奏と思います。

 

クナッパーツブッシュ指揮 ブレーメン国立フィルハーモニー管弦楽団

相性分類の2(指揮者と楽曲の相性は悪いはずなのに、何故か感動してしまう演奏)であると思います。実は、この演奏を約1年前に初めて耳にして、第2交響曲って何て素晴らしい曲なのだろうと、正に、目からウロコ、曲の良さを認識するキッカケとなった演奏です。

いつもの怪物ぶりを彷彿とさせる「クナ節」全開ですが、それが却って楽曲の良さを浮き立たせています。第1楽章、序奏からして、「重要な部分は、ここだよ」と言わんばかりに、重要な箇所で熱く強く、オケに歌わせています。第2楽章、大味なケースも多いクナにしては、繊細なピアニッシモも充分に効いていて、派手さはないが、曲に対する愛情が存分に伝わって来ます。第3楽章のトリオに入る前の大きな「間」(ま)、第4楽章の第2主題でメンゲルベルクと同様、楽譜にあるピアノの指定を無視してフォルテで朗々と歌わせる部分、そして同じく第4楽章コーダでの猛烈な急加速と大音量での「大暴れ」の部分など、まさに「やりたい放題」ですが、こちらの演奏も、通常ですと、よほど聴く耳を持った人でないと退屈しがちな、この2つの楽章を大いに楽しませてくれるという訳です。

たいへん長くなり、誠に失礼いたしました。 花崎 洋

 

 

私が選ぶ9人の指揮者による「ベートーヴェン交響曲全集」(1)第1番ハ長調作品21

2013 JUL 7 17:17:57 pm by

 

指揮者クーベリックは何と9つの異なるオーケストラを指揮して、ベートーヴェンの交響曲全曲を録音しましたが(東さん、おそらく、その全集をお持ちと思いますので、何かの機会に論評をお願いいたします。)、今回の企画は、9人の異なる指揮者でベスト盤全集を作ってみようという試みです。

つまり一度、ベスト1に選んだ指揮者は、以降の曲ではベスト1に選ぶことが出来ないという「制約」を敢えて付けて見ました。(次点には何回でも選出可)

今回は第1回、交響曲第1番ハ長調作品21です。

◎曲目についての若干のコメント

割と最近になって知ったことですが、作曲家として自分自身で作品番号を付けたのは、ベートーヴェンが最初だったそうです。つまり彼は初めから自分の曲を後世に残すことを意識していた、あるいは、自分の作品が、必ずや後世の人々から愛聴されることを確信していたのでしょう。

その作品番号から分かることですが、この最初の交響曲を世に問う前にピアノソナタは全32曲中の10曲(あの有名な第8番悲愴ソナタを含む)、弦楽四重奏も全16曲中の6曲を既に発表し、世間の好評を得ています。つまり、ブラームスほどではないにしても(彼は交響曲第1番で、着想から完成・公表まで20年以上を費やした)、ベートーヴェンも交響曲というジャンルに関しては、かなり慎重に準備し、満を持して公表したと言えると思います。

その第1交響曲、とてもわかりやすく、かつ、ムダの無い筋骨型の音楽構成、ハ長調という明るい調性、演奏時間も20数分と彼の交響曲の中では第8番と並んで短いものですので、正にクラシック入門者向けの曲ですが、長年クラシック音楽に慣れ親しんで来た人が聴き直しても、新鮮味が存分に感じられるのは、さすがにベートーヴェンならではと思います。また第3楽章、楽譜には「メヌエット」と表示されていますが、実体はテンポの速い「スケルツオ」で、音楽界の革命児であるベートーヴェンの面目躍如というべきでしょう。

◎私が選ぶ第1交響曲のベスト1

「トスカニーニ指揮 NBC交響楽団」

第1番で早くも超エース級を推薦して、正にもったいないのですが・・

このCD、晩年の彼の録音の中でも、特に録音が優秀で倍音も良く捉えられていて、感覚的にも充分に楽しめます。演奏は勿論、曲との相性が抜群に良く(花崎分類の1)、ベートーヴェンの意図したことを、最も自然な流れで余す所なく表現していることに素直に感動してしまいます。

特に第1楽章の冒頭、序奏の管楽器の和音を聴いただけで、いかに、トスカニーニが、この第1交響曲を気に入っていたか、ストレートに伝わって来ます。

トスカニーニは、この一番を1939年に同じNBC交響楽団で、また、もっと若かりし頃、確か1930年頃に英国BBC交響楽団を振った録音も聴いたことがあり、演奏そのものは、個人的にはBBC盤が、テンポの変化も激しく、曲のドラマティックな面が強調されていて面白いと思うのですが、録音等も総合的に鑑み、晩年のNBC盤を選んでみました。

◎次点の名盤を1点、選出してみました。

ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団

この演奏をベスト1にしても良いと確信しており、正直、随分悩みました。この演奏も典型的な相性分類の1番で、晩年のワルターとは到底思えないほど、若々しく、また、みずみずしい感性に満ちあふれ、テンポの細かい動きも大変多いのですが、そのテンポの変化も不自然さは一切無く、自然な躍動感に一役買っている点が、特に驚異的でもあります。

また、演奏の本質からは離れ、枝葉的な観点かもしれませんが、あれほどソナタ形式の呈示部の反復が嫌いで(当のワルター自身、呈示部を反復して曲の冒頭に戻るのは、死ぬほど嫌で耐えられないと複数回、言明していたそうです。)、あの運命交響曲の第1楽章ですら反復しないワルターが、何とこの演奏の第4楽章では反復しています。(旧盤であるニューヨークフィルとの演奏でも同様)

トスカニーニ同様、ワルターもこの曲がとても好きだったのだろうと思います。

今回は、個人的にもとても仲が良かったと言われる両巨匠の演奏を挙げさせていただきました。 花崎 洋。

 

 

 

 

 

 

クラシック音楽談議、新企画のご提案。

2013 JUL 4 7:07:13 am by

 

以前、投稿させていただきましたウィーンフィルシリーズでは、とても勉強になり、たいへん有り難うございました。今度はピアニストで名盤の推薦を、というようなお話のまま、多忙等でしばらくご無沙汰してしまいましたが、次のような企画を思いつきました。ピアニストではないのですが、少し面白そうです。

「私が選ぶ9人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集」

ベートーヴェンが書き残した9曲の交響曲について、第1番から第9番まで順番に1曲ずつ、ベスト1の名盤及び次点の数点を選んでいくというものですが、一度ベスト1に選んだ指揮者は、「それ以降は推薦する事が出来ない」という制約を付けたいと思います。(次点には何回登場させても可)。自分の好きな指揮者を、何番のシンフォニーで登場させるかという点で、良い意味で悩ましく、面白そうに感じます。

東さん、いかがですか? 花崎洋

 

 

 

 

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