Sonar Members Club No.26

日: 2013年9月30日

私が選ぶ「9人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集」第9番ニ短調作品125

2013 SEP 30 6:06:42 am by

◎曲目に関する若干の考察

例によりまして、彼のピアノソナタとの関連で、若干の考察を試みてみます。

交響曲7番、8番を発表した後、第9交響曲までの間に、有終の美を飾る記念すべき5曲のピアノソナタが書かれています。

ピアノソナタ第28番イ長調作品101

次の有名な29番「ハンマークラビーア」の陰に隠れて、世間の注目度があまり高くないようですが、私個人は、29番と同じくらいに完成度が高く、重要な作品であると考えます。

第29番変ロ長調作品106「ハンマークラビーア」

前作の28番と並んで、彼のピアノソナタの中で頂点となる作品で、久々に4楽章形式が採用されています。(第2交響曲を発表する前に書かれた18番以来です!)しかも、速いテンポのスケルツオが第2楽章に来ていて、遅いテンポの第3楽章と入れ替わっている点に大いに注目すべきと思います。

長くなりますので、詳述を避けますが、彼のピアノソナタの総決算であるのと同時に、第9交響曲の全体像を構想する上での「下敷き」にもなった可能性が高いように思われてなりません。(その意味でも、合唱が入らない当初の構想に基づく第9交響曲を聴いてみたかったと、私は熱望します。)

第30番ホ長調作品109

この曲以降の最後の3曲のピアノソナタは、ベートーヴェンが俗世間と決別し、正に自分自身の内面に沈潜して作曲したように思われてなりません。私個人は、32曲のピアノソナタの中で、この曲が最も気に入っております。最終楽章が変奏曲形式になっています。

第31番変イ長調作品110

この曲は誰にも献呈されておらず、正に自分自身のために書かれたと考えてもおかしくないと思います。人生の哀感を暖かな曲調に内包した第1楽章、激しさを前面に出した第2楽章、そして雄大なスケールのフーガ形式の第3楽章で荘厳に締めくくられます。

第32番ハ短調作品111

彼の最後のピアノソナタが簡潔な2楽章形式であることも印象的ですが、第1楽章が激しい曲調のハ短調、第2楽章が心温まるような穏やかなハ長調、と第5交響曲と全く同じ調性を使用し、「暗から明へ」というテーマで、ピアノソナタ全32曲の総決算が成されている点にも注目したく思います。全くの個人的な推測ですが、恐らくこれが最後のピアノソナタになるのではと、彼自身が強く感じていたような気がしてなりません。第5交響曲の第4楽章がとても力強いのに対し、この最後のピアノソナタの最終楽章は、たいへん穏やかで暖かい曲調である点に、ベートーヴェンの晩年の境地が強く感じられます。

このように、ベートーヴェンにとっての「実験工房」の場であるピアノソナタの世界で、偉大なる発展及び変貌を遂げた後に発表されたのが、この第9交響曲であり、第9交響曲の後に作曲されたのが、彼の最後の大仕事であり、私たち凡人は500歳くらいまで生きないと理解出来ないであろうとも言われる、高く高く聳える5曲の弦楽四重奏曲であります。

◎第9交響曲が大好きな日本人

東さんのご投稿にもありましたが、第9交響曲の演奏回数は、間違い無く日本が断トツであり、指揮者の岩城宏之氏も自著で、次のように記述されています。《指揮者になってから、ずいぶんたくさんの「第九」をふった。毎年12月に日本中で演奏される「第九」の回数は、ギネスブックを常に更新しなければならないほどのものである。どうしてこんなに第九狂躁になってしまったかの原因をここにクドクド書く気はないが、とにかくこんな国は世界中のどこにもない。このような国に生まれて音楽家になった幸運で、ぼくのようなチンピラ指揮者でも、普通のヨーロッパの指揮者が、人類最大の財産の「第九」を一生かかって指揮する回数を、2、3年でやってのけてしまうのだ。》(岩城宏之著、「楽譜の風景」岩波新書、より引用しました。)

 

◎私が選ぶ「第9交響曲のベスト1」

日本人が、これほどまでに「第九」を愛しているのだから、日本人による日本人のための「第九」の演奏をもっと積極的に評価しても良いのではと、私は以前から思っており、勿論、異論は多く出るであろうことを承知の上で推薦させていただきます。

朝比奈 隆 指揮 大阪フィルハーモニー管弦楽団演奏(2000年12月30日 大阪フェスティバルホールでのライブ録音)

この演奏は朝比奈氏の生涯最後の、氏にとって251回目の第九の演奏になります。このCDは2枚組で、前日の12月29日の演奏も併せて収録されていますが、正に朝比奈氏の面目躍如で、その両日の演奏を聴き比べますと、テンポ設定や細部の表情など、あまりの違いに驚くほどです。

一言で違いを申し上げますと、29日の演奏は若々しく覇気に満ちた力演、生涯最後となった30日の演奏は、前日とは一転、じっくりと自らも味わうかのごとく、入念に曲を構築していきます。

私個人は断然30日の演奏を採りますが、恐らくは29日の演奏を好む人の方が多いと思います。

いずれにしましても、朝比奈氏が251回も第9交響曲を演奏して来て、毎回積み上げて来たものの総決算とでも言うべき名演奏で、朝比奈氏と長年コンビを組んで来た大阪フィルのメンバーも、前日とは全く異なる指揮棒の意図を正に「あうん」の呼吸で読み取り、その場で見事に表現し切っているのは見事と言えます。

第1楽章は、朝比奈氏らしい遅めのテンポで、スケール雄大に構築して行きます。再現部冒頭のティンパニーも楽譜通りの刻みで(圧倒的にトレモロのケースが多い)、その渋さに好感が持てます。

第2楽章も遅めのテンポで、頑固に細部まで拘って、丹念に描いていきます。その素朴で泥臭いリズム、最初は抵抗がありましたが、聴き込む内に、一つの立派な見識であると思うようになりました。スケルツオ主部のワーグナーがホルンを追加した部分も、勿論ホルン無しで素朴な味わいを出しています。

第3楽章は、暖かく感動的な演奏です。特に重要なパートを受け持つヴィオラの力量には大いに注目して良いと思います。

第4楽章は、特に後半(突然、宗教曲のように変貌する部分以降)が、たいへん感動的で立派な演奏です。ブルックナーを十八番とした朝比奈氏でないと正になし得ない表現であると痛感いたします。

日本人は昔から西洋コンプレックスが強く、西洋人の演奏を理屈抜きに高く評価するのに、日本人によるパフォーマンスには途端に辛口になる傾向が顕著に見られますが、少なくともベートーヴェンの第9交響曲に関しては、もっと日本人の演奏を高く評価しても良いと考えております。私が群馬県に在住中に聴きました、高関健氏指揮の群馬交響楽団の演奏も、実に素晴らしいものでした。

 

◎第9交響曲の、その他の名演奏として

フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏(1954年8月22日、ルツエルン音楽祭でのライブ録音)

東さんが挙げられた1951年のバイロイト盤が勿論、絶対的な定番ですが、私個人は、このフルトヴェングラーの死の年の演奏をたいへん気に入っております。

フルトヴェングラー自らも、第9交響曲を演奏することを「一種の神事」と考えていたようで、その意味で、非常に感動的な演奏であると、あくまで私個人は思っております。

 

トスカニーニ指揮 NBC交響楽団演奏

正当派のたいへん立派な演奏で、交響曲第3番「英雄」と並び、最近の私の嗜好では、神格化されたフルトヴェングラーの演奏よりも、むしろ好ましく感じられます。

 

以上、9回にわたって記述させていただきましたが、交響曲2番、6番、8番の素晴らしさに改めて気付く等、大きな収穫がありました。またピアノソナタとの関連性でも、様々な気付きがあり、この趣味を持って良かったと、つくづく感じております。

なお全体を通じて、個人的な独断や偏見に満ちた部分もたいへん多く、世評とは随分と異なる見解を、正に好き勝手に書かせていただきましたが、あくまで、一人の素人による趣味的見解に過ぎないことは勿論であります。

このような機会を賜り、たいへん有り難うございました。 花崎洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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