Sonar Members Club No.26

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私が選ぶ「9人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集」(2)交響曲第2番ニ長調作品36

2013 JUL 10 5:05:38 am by

東さんが、この第2交響曲に対する強く、熱い、愛情に満ち溢れた投稿をされ、大いに刺激を受けました。たいへん有り難うございます。

私は、正直申し上げまして以前は、この第2交響曲、あまり好きではなく、何となく退屈に感じて、わかりやすく明快な第1番の方を好んでおりました。

しかし、この企画を着想し、改めて何種類かの第2番を聴き直した所、「何と素晴らしい名曲!」と素直に感動し、大袈裟な言い方かもしれませんが、歳を取って良かったと感じた次第です。(ある日本人指揮者が、ベートーヴェンを理解するためには、500歳まで生きる必要がある、とライブ演奏の場で発言したことを思い出し、なるほど、その通りと痛感しております。)

前回の第1番の投稿でも申し上げましたが、ベートーヴェンは、ピアノソナタにおいて、彼の才能を早いタイミングで開花させています。

この第2交響曲を発表する前に、32曲のピアノソナタの内、何と20曲を既に作曲し終え(内、作品番号49が付けられた19番、20盤は未発表)、残る12曲は、次のように3つに分類出来ます。

1:中期の油の乗り切った凝縮された作品である3曲(英雄交響曲、   運命交響曲、ラズモフスキー弦楽四重奏など、充実し切った中期に  ピアノソナタは、何とたったの3曲のみ!)

21番「ワルトシュタイン」、22番、23番「熱情」

2:晩年への移行期に位置付けられる4曲

24番、25番、26番「告別」、27番

3:高く偉大にそびえる峰々である晩年の5曲(最高傑作の晩年の後期  弦楽四重奏も5曲です。)

28番、29番「ハンマークラビーア」、30番、31番、32番

 

そして、勿論、あくまで私個人の、正に主観と思い込みに満ちた見解ではありますが、第1交響曲発表から、第2交響曲の発表の間に公表された第11番から18番のピアノソナタの中に、私個人は、その後の交響曲において結実した様々な成果につながる「要素」を観ることが出来ます。(強引なこじつけだ、という否定的なご意見も当然有り得ると思いますが・・・。)

投稿が長くなってしまい、また、交響曲でなく、ピアノ作品の話になってしまい、申し訳ございませんが、上記の観点で記述いたします。

ピアノソナタ第11番変ロ長調作品22

交響曲1番の作品番号が21で、ベートーヴェン自身が次の22を付けたことも注目です。ひと言で言えば、それまでの「古典的な形式での集大成と古典的な形式へのひとまずの決別」を意図したと考えられ、第3楽章が「メヌエット」、第4楽章が「ロンド」となっています。彼自身、相当力を入れて創った傑作で、もっと注目されても良い作品と思います。この変ロ長調という調性、次にピアノソナタで現れるのが、あの最大規模の第29番「ハンマークラビーア」です。そして、この作品に見られる密度の高い凝縮感が、第2交響曲で見事に結実していると、私個人は考えます。

ピアノソナタ第12番変イ長調作品26

この12番から、形式的に極めて自由となり、また作風も伸び伸びと開放的になっていきます。モーツアルトのK331の先例はありますが、第1楽章はソナタ形式でなく、変奏曲形式。第3楽章は「葬送行進曲」で、これが交響曲第3番「英雄」第2楽章の下敷きにもなったと、強引に、こじつけてみます。

ピアノソナタ第13番変ホ長調&第14番嬰ハ短調「月光」

彼自身が作品番号27−1、27−2と付けたように、この2曲は明らかに、1セットで捉えるべきでしょう。幻想風という言葉が添えられる、とてつもなく自由、かつ大胆極まりない作風です。第13番の4楽章で、前の楽章の回想シーンが登場する場面、第9交響曲第4楽章冒頭の予行演習と取れないことも無いと考えます。また両曲とも、全ての楽章が切れ目無く演奏されることも、第6番「田園交響曲」の3〜5楽章の先駆けとも言えます。

ピアノソナタ第15番ニ長調作品28「田園」

伸び伸びした作風で良い曲です。彼自身が名付けたわけではなく、楽譜の出版社が名付けたと言われていますが、「田園」という名称です。

ピアノソナタ第16番ト長調作品31−1

こんな変なことを言うのは私だけだと思いますが、この曲の第2楽章を聴くたびに、第8交響曲の3楽章の主部の主題を思い出してしまいます。

ピアノソナタ第17番ニ短調作品31−2「テンペスト」

この作品は、今回取り上げた8曲のピアノソナタの中でも最も重要な意味を持つと思われます。この曲の第3楽章のリズムは運命交響曲を思い起こさせますし、同じ第3楽章のメロディーは第7交響曲の4楽章に雰囲気的に良く似ていると思えて仕方ありません。そして、調性の「ニ短調」、彼のピアノソナタでは唯一で、あの第9交響曲につながって行くと思われます。

ピアノソナタ第18番変ホ長調作品31−3

この曲の持つ軽妙な雰囲気は、第4交響曲や第8交響曲につながっていくように感じますし、彼が愛し、自信を持って世に送り出す作品(ピアノソナタ第4番、13番、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、そして、何と言っても、交響曲第3番「英雄」)の調性である、変ホ長調です。

以上、長々と記述し、申し訳ございませんが、上記8つのピアノ曲を聴き込むほどに、今回の第2交響曲の素晴らしさ、3番英雄以降の交響曲の偉大さも良く理解出来るのでは考えます。(でも、私個人は富士山に例えれば、麓の入り口にも到達していないだろうなあ、と思います。)

 

◎私が選ぶ第2交響曲ベスト1

先の第1交響曲では、ど真ん中の高速ストレートの「トスカニーニ」を推薦しましたが、今度は、その逆、もの凄い変化球、むしろクセ玉なのに感動の深い演奏です。

メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団演奏(1940年ライブ演奏)

正に19世紀の手垢にまみれた演奏ですが、敢えて思い切って挙げてみました。テンポの動きが激しく、恣意的な演奏が多く、そのため非難されることが、しばしばであるメンゲルベルクの指揮ですが、この第2番に限っては、どういう訳か、テンポの動きも自然に感じられ、大袈裟な強弱の付け方も、この曲の持つ魅力を炙り出すのに、一役も二役も寄与しているように思えてなりません。(その反対に、メンゲルベルク指揮の第6番「田園」は、ベートーヴェン原曲、メンゲルベルク編曲と表現しても良いほど恣意的かつ不自然な演奏で、よほど強烈な彼のファンでないと聴くに耐えないでしょう。)

第1楽章は、いつもの彼の指揮からは想像も出来ないほど、オーソドックスで雄大に聴こえて来ます。第2楽章は弦のポルタメント奏法が嫌みにならないギリギリのところで押さえられ、暖かみと愛情に溢れた演奏です。第3楽章、第4楽章も、凡庸な指揮による演奏ですと退屈しがちですが、さすがにメンゲルベルク、飽きさせずに一気に聴くことが出来ます。花崎分類の3(楽曲との相性云々と超えて、徹底的に突き抜けた結果、感動的な演奏)であると思います。

 

◎次点の演奏を2点挙げたく思います。

ワルター指揮 コロンビア交響楽団演奏(1959年録音)

19世紀の流れを汲むはずですが、手垢にまみれた感じはありません。

楽曲との相性抜群の分類・1の典型的な名演奏と思います。特に第2楽章のゆっくりしたテンポは、同じワルター指揮の未完成交響曲の第2楽章を思い起こさせますが、何と豊かな響きの味の濃い演奏でしょう。本当は、この盤をベスト1に挙げたい気持ちも大いにあるのですが、ワルター指揮を敢えてベスト1に挙げたい後の交響曲のために、今回も第1番に引き続き、温存した次第です。最も安心して聴くことが出来るのに、それでいて感動の度合いも深い素晴らしい演奏と思います。

 

クナッパーツブッシュ指揮 ブレーメン国立フィルハーモニー管弦楽団

相性分類の2(指揮者と楽曲の相性は悪いはずなのに、何故か感動してしまう演奏)であると思います。実は、この演奏を約1年前に初めて耳にして、第2交響曲って何て素晴らしい曲なのだろうと、正に、目からウロコ、曲の良さを認識するキッカケとなった演奏です。

いつもの怪物ぶりを彷彿とさせる「クナ節」全開ですが、それが却って楽曲の良さを浮き立たせています。第1楽章、序奏からして、「重要な部分は、ここだよ」と言わんばかりに、重要な箇所で熱く強く、オケに歌わせています。第2楽章、大味なケースも多いクナにしては、繊細なピアニッシモも充分に効いていて、派手さはないが、曲に対する愛情が存分に伝わって来ます。第3楽章のトリオに入る前の大きな「間」(ま)、第4楽章の第2主題でメンゲルベルクと同様、楽譜にあるピアノの指定を無視してフォルテで朗々と歌わせる部分、そして同じく第4楽章コーダでの猛烈な急加速と大音量での「大暴れ」の部分など、まさに「やりたい放題」ですが、こちらの演奏も、通常ですと、よほど聴く耳を持った人でないと退屈しがちな、この2つの楽章を大いに楽しませてくれるという訳です。

たいへん長くなり、誠に失礼いたしました。 花崎 洋

 

 

私が選ぶ9人の指揮者による「ベートーヴェン交響曲全集」(1)第1番ハ長調作品21

2013 JUL 7 17:17:57 pm by

 

指揮者クーベリックは何と9つの異なるオーケストラを指揮して、ベートーヴェンの交響曲全曲を録音しましたが(東さん、おそらく、その全集をお持ちと思いますので、何かの機会に論評をお願いいたします。)、今回の企画は、9人の異なる指揮者でベスト盤全集を作ってみようという試みです。

つまり一度、ベスト1に選んだ指揮者は、以降の曲ではベスト1に選ぶことが出来ないという「制約」を敢えて付けて見ました。(次点には何回でも選出可)

今回は第1回、交響曲第1番ハ長調作品21です。

◎曲目についての若干のコメント

割と最近になって知ったことですが、作曲家として自分自身で作品番号を付けたのは、ベートーヴェンが最初だったそうです。つまり彼は初めから自分の曲を後世に残すことを意識していた、あるいは、自分の作品が、必ずや後世の人々から愛聴されることを確信していたのでしょう。

その作品番号から分かることですが、この最初の交響曲を世に問う前にピアノソナタは全32曲中の10曲(あの有名な第8番悲愴ソナタを含む)、弦楽四重奏も全16曲中の6曲を既に発表し、世間の好評を得ています。つまり、ブラームスほどではないにしても(彼は交響曲第1番で、着想から完成・公表まで20年以上を費やした)、ベートーヴェンも交響曲というジャンルに関しては、かなり慎重に準備し、満を持して公表したと言えると思います。

その第1交響曲、とてもわかりやすく、かつ、ムダの無い筋骨型の音楽構成、ハ長調という明るい調性、演奏時間も20数分と彼の交響曲の中では第8番と並んで短いものですので、正にクラシック入門者向けの曲ですが、長年クラシック音楽に慣れ親しんで来た人が聴き直しても、新鮮味が存分に感じられるのは、さすがにベートーヴェンならではと思います。また第3楽章、楽譜には「メヌエット」と表示されていますが、実体はテンポの速い「スケルツオ」で、音楽界の革命児であるベートーヴェンの面目躍如というべきでしょう。

◎私が選ぶ第1交響曲のベスト1

「トスカニーニ指揮 NBC交響楽団」

第1番で早くも超エース級を推薦して、正にもったいないのですが・・

このCD、晩年の彼の録音の中でも、特に録音が優秀で倍音も良く捉えられていて、感覚的にも充分に楽しめます。演奏は勿論、曲との相性が抜群に良く(花崎分類の1)、ベートーヴェンの意図したことを、最も自然な流れで余す所なく表現していることに素直に感動してしまいます。

特に第1楽章の冒頭、序奏の管楽器の和音を聴いただけで、いかに、トスカニーニが、この第1交響曲を気に入っていたか、ストレートに伝わって来ます。

トスカニーニは、この一番を1939年に同じNBC交響楽団で、また、もっと若かりし頃、確か1930年頃に英国BBC交響楽団を振った録音も聴いたことがあり、演奏そのものは、個人的にはBBC盤が、テンポの変化も激しく、曲のドラマティックな面が強調されていて面白いと思うのですが、録音等も総合的に鑑み、晩年のNBC盤を選んでみました。

◎次点の名盤を1点、選出してみました。

ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団

この演奏をベスト1にしても良いと確信しており、正直、随分悩みました。この演奏も典型的な相性分類の1番で、晩年のワルターとは到底思えないほど、若々しく、また、みずみずしい感性に満ちあふれ、テンポの細かい動きも大変多いのですが、そのテンポの変化も不自然さは一切無く、自然な躍動感に一役買っている点が、特に驚異的でもあります。

また、演奏の本質からは離れ、枝葉的な観点かもしれませんが、あれほどソナタ形式の呈示部の反復が嫌いで(当のワルター自身、呈示部を反復して曲の冒頭に戻るのは、死ぬほど嫌で耐えられないと複数回、言明していたそうです。)、あの運命交響曲の第1楽章ですら反復しないワルターが、何とこの演奏の第4楽章では反復しています。(旧盤であるニューヨークフィルとの演奏でも同様)

トスカニーニ同様、ワルターもこの曲がとても好きだったのだろうと思います。

今回は、個人的にもとても仲が良かったと言われる両巨匠の演奏を挙げさせていただきました。 花崎 洋。

 

 

 

 

 

 

クラシック音楽談議、新企画のご提案。

2013 JUL 4 7:07:13 am by

 

以前、投稿させていただきましたウィーンフィルシリーズでは、とても勉強になり、たいへん有り難うございました。今度はピアニストで名盤の推薦を、というようなお話のまま、多忙等でしばらくご無沙汰してしまいましたが、次のような企画を思いつきました。ピアニストではないのですが、少し面白そうです。

「私が選ぶ9人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集」

ベートーヴェンが書き残した9曲の交響曲について、第1番から第9番まで順番に1曲ずつ、ベスト1の名盤及び次点の数点を選んでいくというものですが、一度ベスト1に選んだ指揮者は、「それ以降は推薦する事が出来ない」という制約を付けたいと思います。(次点には何回登場させても可)。自分の好きな指揮者を、何番のシンフォニーで登場させるかという点で、良い意味で悩ましく、面白そうに感じます。

東さん、いかがですか? 花崎洋

 

 

 

 

東さんの「僕の好きなウィーンフィルCD(番外編)」へのコメントです。

2013 MAY 19 6:06:02 am by

東さんのご投稿に長文のコメントをさせていただきましたところ、「キャプチャ コード ファイル を読み取れません」という意味の英文が出て来て、結局投稿出来ませんでした。(またしても、当方パソコン、マックとの相性の悪さが原因か?) そこで、こちら投稿欄から改めて、そのコメントの掲載を試みてみます。

 

東さん、お待ちしておりました。まことに奥深いセレクションと、感銘を受けました。私は全て未聴でしたので、まさに図々しい限りなのですが、コメントさせていただきます。

クナの「ばらの騎士」、56回も同曲を指揮して、曲の隅々まで知り尽くしたクナと、老練なウィーンフィルのコンビでしたら、練習などしない方が断然良いですね。ウィーンフィルの能力が最大限引き出されるように、本番では、ゲネプロの時とは異なる振り方をしている箇所も多々あり、それがネコ型ウィーンフィルには、適度な緊張感や刺激を与える結果となったと想像しております。

若きマゼールのシベリウス、正に一期一会的な奇跡のような演奏なのでしょう。フリッチャイの運命交響曲は高校生の頃、聴いたことがあり、芸風は覚えておりますので、その凄さは何となくですが想像出来ます。

ウエルディケという指揮者、恥ずかしいのですが、今回初めて知りました。ハイドンの大家なのですね。心に留めておきます。

晩年のベームと正妻ウィーンフィルによる「エロイカ」、ゆったりしたテンポや伸びやかな音の響きなどが、容易に心に浮かんで来ます。

おっしゃるように、同じ録音ソースでも盤によって違いがありますね。私が昔、熱中しましたフルトヴェングラーとウィーンフィルによるベートーヴェン交響曲集も、昭和50年頃に入手可能だった「ブライトクランク(人工ステレオ)の西独LP盤」がベストで、日本の東芝EMI盤は、「出枯らしの紅茶」のように感じておりました。

伝統のオケ、ウィーンフィルと老獪な指揮者クナによる「高度な遊びの世界」、そして憧れのウィーンフィルを振るチャンスに遂に巡り会って「正に奮い立った」マゼールとフリッチャイ、そして長年寄り添い合い、気心知れた夫婦同士が奏でる安心感に満ちた幸せな音楽空間に浸るベーム、といったところでしょうか?

やはり、ウィーンフィルは凄い、他のオケが絶対に真似の出来ない面があまりにも有り過ぎる集団、と改めて感じます。

未聴にも拘らず、コメントさせていただき、大変失礼いたしました。

花崎洋

私が選ぶ「ウィーンフィルの名盤」あれこれ

2013 MAY 12 6:06:01 am by

前回投稿させていただきました「ベスト3」の続編です。

私なりの4分類にて挙げさせていただきます。

 

1:指揮者と楽曲が相性抜群の演奏

ワインガルトナー指揮 ベートーヴェン交響曲第8番

「典雅で小粋」な演奏で、この曲が元来持つ特性が物の見事に表現されていると思います。

シューリヒト指揮 ブルックナー交響曲第9番、第8番

テンポの設定等、指揮者の私意はかなり入っていますが、流れが自然で安心して聴けるのに、大変深みのある定番的な名演です。

クナッパーツブッシュ指揮 ワーグナー楽劇ワレキューレ第1幕

上記の曲に限らず、「ジークフリートのラインへの旅」など、正にクナッパーツブッシュとウィーンフィルのコンビによる「十八番」。

フルトヴェングラー指揮 ベートーヴェン交響曲第7番

私見ですが、フルトヴェングラーとウィーンフィルのコンビによるベートーヴェン、他には有名な「ウラニアのエロイカ」が思い浮かぶくらいで、相性抜群に分類される名盤は意外に少ないようです。

ボスコフスキー指揮のウィンナワルツ

長年ウィーンフィルのコンサートマスターを務めたボスコフスキーによる自然体なのに、やはり本家本元という表現がピッタリの演奏。

 

2:楽曲との相性は悪いのに、何故か感動してしまう演奏

フルトヴェングラー指揮 ベートーヴェン交響曲第6番「田園」(1952年録音)

以前も挙げさせていただきました、これほど「田園らしからぬ」極めて異様な演奏ですが、感動の度合いは深いものがあります。

クナッパーツブッシュ指揮の「小品集」(チャイコフスキー組曲「くるみわり人形」、シューベルト「軍隊行進曲」、ウェーバー「舞踏への勧誘」)

録音プロデューサーによると、正真正銘の「ぶっつけ本番の演奏」。なのに完成度が高く、何回聴いても飽きが来ないのは驚異的です。ワーグナーやブルックナーを「十八番」とした怪物クナパーツブッシュの芸風からは想像もつかないような選曲ですので、分類2に入れてみました。

 

3:相性云々を超えて「徹底的に突き抜けた」名演奏(楽曲との相性等 お構いなしに正面突破を強行し成し遂げた名演奏)

カルロス・クライバー指揮 ベートーヴェン交響曲第7番

若武者クライバーの熱意にウィーンフィルも本気で応え、両者の間に火花が散るような演奏。第5番「運命」は未聴ですが、恐らく同様の名演であろうと想像します。

シルヴェストリ指揮 ショスタコーヴィチ交響曲第5番

バーンスタインに代表されるドラマティックな名演奏の対極を行く「抑制的禁欲的」な演奏なのに、感動の度合いも深いものがある不思議な演奏です。伸び伸びとした演奏が多いウィーンフィルが、指揮者シルヴェストリの指示に従い、これほどピリピリした緊張感に満ちた演奏をするのは(ネコ型ウィーンフィルらしからぬ演奏は)、とても珍しいと思います。

 

4:敢えて指揮者が強烈に自己主張せずとも、曲自体に大いに語らせる 「自然な流れの名演奏」

カール・ベーム指揮 ブルックナー交響曲第4番、7番、8番

ウィーンフィルの楽員の自発性を最大限尊重し、楽員もそれに応え、伸びやかで、それでいて深みのある演奏です。安心して曲本来の魅力を味わうことが出来ます。

ルドルフ・ケンペ指揮 小品集(ウィンナワルツ、シューベルト「ロザムンデ序曲」、メンデルスゾーン「序曲フィンガルの洞窟」など)

指揮者ケンペは正に黒子に徹し、ウィーンフィルに最大限、歌わせ、語らせ、流麗にして典雅、音色も明るく美しく、聴く者に幸福感を与える佳演の数々と思います。

花崎 洋

 

 

本日、5月10日より旧暦の「夏」が始まります。

2013 MAY 10 5:05:24 am by

先日、5月5日は「立夏」でした。中国由来、陰陽5行説に基づく太陽歴の上では、既に夏は到来しておりますが、月の運行(太陰暦)をも併用する旧暦では、月齢ゼロ(月が真っ暗な状態)となる本日から、夏が始まります。今年の旧暦の夏は、次の3ヶ月間です。

旧暦4月:西洋暦の5月10日から6月8日まで

旧暦5月:西洋暦の6月9日から7月7日まで

旧暦6月:西洋暦の7月8日から8月6日まで

さて、この旧暦の夏ですが、西洋暦にすっかり慣らされてしまっている現代の日本人が抱く「夏のイメージ」とは、かなり異なります。

 

旧暦4月(卯月、うづき)

梅雨期に入るまでの、新緑鮮やかな、もっとも過ごしやすい時期です。日光が鋭くなり(紫外線の分量は西洋歴8月に匹敵する)、日の出の時刻もグングンと早くなり、昼の時間が長くなっていきます。朝晩の若干の涼しさは未だ残りますが、陰陽の「陽」の側面がたいへん強くなって来るという意味で、夏の最初の月というわけです。

旧暦5月(皐月、さつき)

この皐月は、梅雨の時期とほぼ重なります。「五月晴れ(さつきばれ)とは、辞書を引きますと、「元来は梅雨の合間の晴れの日」という意味と出ています。また男児のお祭りであります旧暦5月5日の「端午の節句」の代名詞でもあります「こいのぼり」は、元々は梅雨期で水かさが増えて流れが速くなった川を勇敢に登っていく鯉のように、男児が元気に育ちますようにとの願いの象徴だそうです。この「端午の節句」が梅雨期のお祭りであると初めて知った時には、私も大いに驚きました。

旧暦6月(水無月、みなづき)

この月に入りますと、梅雨が明けて、雨の無い時期(水無月)に入ります。そして、気温が最も高い盛夏(太陽歴の上では「大暑」)を迎えたところで、旧暦の夏が終わります。その後の秋のお彼岸頃までの暑さは「残暑」と呼ばれる旧暦上の秋となります。

花崎 洋

 

 

賛否両論 その4:私が選ぶウィーンフィル名盤ベスト3

2013 MAY 5 11:11:41 am by

 

私がクラシック音楽を聴き込んで来た経験の幅や深さは、東さんを「堂々と土俵入りする横綱」に例えますと、私は「露払い」にも「太刀持ち」にも匹敵しないことを、充分に自覚してはおりますが、厚かましくも文字通りに独断と偏見にて投稿させていただきます。

 

1位:ブルーノ・ワルター指揮 マーラー第9交響曲(1938年録音)

この演奏はユダヤ人であったワルターがナチスにより全財産を没収され、アメリカに亡命する直前の、まさに切迫した緊迫感に満ちた歴史的な演奏。ワルター自身の回想によれば、「恐らくはナチスが送り込んだと思われる人たちによる、妨害のための咳払いや足音と共に開始された」とのことですが、録音を聴く限りは、意外に静かです。演奏自体は長年コンビを組んで来た両者が、もしかして2度と共演は無いかもしれないとの予感も秘め、これほどにウィーンフィルが熱い演奏を行なった例を探すのが難しいくらいに空前絶後のものです。私の試論であります指揮者と楽曲との相性分類ですと、典型的な1番(相性抜群)ですが、それに、上記の特殊性が加わり、感動の度合いも何倍にもなったと思われます。

 

2位:ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 モーツアルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1940年録音)

あの伝説の怪物による正に化け物のような名盤(というより珍盤?)です。第2楽章は、珍しくも表情豊かで、テンポの揺らぎも大変多く、事前の練習が充分に行き届いている様子の緻密な演奏ですし、第4楽章は、誰がこんなに遅いテンポで演奏しようなどと、思いつくでしょうか? しかも、モーツアルトの書いた楽譜を大胆に書き換えた箇所すらあります。ここまで、あの「うるさいネコ型ウィーンフィル」が指揮者に従っている様子は、正に指揮者との信頼関係の深さに他ならないでしょう。指揮者と楽曲との相性は悪いのに、とても感動してしまう分類2の名盤です。

 

3位:ジャン・マルティノン指揮 チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」

この盤をベスト3に挙げることには異論が強く出そうです。が、米国の聴衆には恐らく受けないであろう、微妙な陰影のある演奏が持ち味の指揮者マルティノンの意図を、ここまで、鮮明に洒落た感性で体現出来るのはウィーン・フィルをおいて他にないであろう、という意味で個人的には感心しきりであります。どういう訳か、あまり「悲愴」を演奏したがらないと言われる(従って録音も少ない)ウィーンフィルの「悲愴」という意味でも稀少価値ありです。この盤も相性分類の2であると思います。

 

他には、カルロス・クライバー指揮のベートーヴェン交響曲7番も指揮者と楽団との間で火花が散るような閃きに満ちた熱い演奏で好きなものです。

花崎洋

ウィーン・フィルについて考える

2013 MAY 2 9:09:52 am by

「ウィーンフィルはネコ型オーケストラ」という、たいへん鋭い切り口で、東さんが投稿されました。

大変大きな刺激を受けましたので、急遽、投稿させていただくことにしました。

確かに、他のオーケストラと比較しますと、ウィーン・フィルは、たいへん「ユニーク」な面を多々持ち合わせています。

1:ごく僅かな例外を除き、団員達が全て、生粋のウィーン人であること

世界中の腕利き達をスカウトしているアメリカのオーケストラの例を持ち出すまでもなく、今のご時世においては、極めて稀少な話です。(私が以前群馬県に住んでいた頃、地元の群馬交響楽団の定期演奏会員になっていましたが、当時(約20年前)、地元群馬県出身の楽団員は、コンサートマスターの他、ごく少数だと聞いておりました)またオーケストラに限らず、日本の高校野球のケースでも、甲子園の常連校は、全国から優秀な生徒をスカウトしているようです。

さて、メンバーの殆どが生粋のウィーン人であることにより、ウィーンの伝統的な奏法を、恐らくは共通の師匠から学び、ウィーンという街の文化や風土に触れて育ったメンバーが奏でるハーモニーに独特の個性が出ない筈はありません。

ウィンナワルツに象徴される独特の3拍子にリズム(2拍目が微妙に長く、強く聴こえる)も、他のオケがけっして体現し得ない、地に足の付いたウィーンの体質そのものと思えます。

 

2:私有楽器の使用を認めず、楽団所有の楽器での演奏を義務づけている

昔からの古い楽器を裏方の人たちが丁寧に手入れをして、使いこなしているそうです。ウィンナホルンなど機構的な古さから、近代の複雑な曲を演奏するには極めて不利だそうですが、伝統重視の姿勢は、ここでも貫かれています。

ウィーンフィル独特の響き、特に弦楽器奏者が奏でる、艶やかな光沢を持つ流麗な響きは、この楽団所有の楽器に起因するものと、以前私は思っておりましたが、どうやら、そんな単純な話ではないようです。

あの伝説の指揮者、フルトヴェングラーが、若い頃、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の指揮者だった時、ウィーンフィル独特の弦の響きを手に入れようとして、関係者に掛け合い、ついに、ウィーンフィルと全く同じ弦楽器(ヴァイオリンからコントラバスまでの5部編成)を手に入れて彼の楽団に演奏させたそうです。

結果は悲惨なものだったそうです。極めて地味で、それどころか、くすんだ冴えない響きになったそうです。

ウィーンフィルの独特の響きは、古くからの伝統の楽器の良さを活かし切る、伝統の奏法、つまり楽員一人一人がDNAとして持っている「独特の技法(アート)」から生み出されるものと思われます。

 

3:ピッチ(基本音程)が、他のオケよりやや高い

演奏会が始まる前に最も音程が狂いにくいオーボエの「A」の音の先導で調律が行われます。その「A」音、他のオケでは、440ヘルツですが、ウィーンフィルは、445ヘルツと複数の楽員が証言しているそうです。

私個人の意見ですが、ピッチが高いと、やや派手に華やかに聴こえるようになり、ウィーンフィル独特の響きの一因になっていると考えます。

この高めのピッチが生理的に大変気になり、カラヤンやマゼールが少しずつ下げようとして、失敗に終わった話(最後は喧嘩別れ)を聞きましたが、どんな世界的な権威者に言われようとも、頑固に伝統を守る姿勢、もしくは、自分たちの信念に忠実で、有力者に対しての素直さなど一切無い「ネコ的な姿勢」は、まさにウィーンフィルの風土です。

 

4:つい最近まで「女人禁制」で男性のみの楽団だった

人権団体等からの批判を受けて、最近では女性団員の姿も見えますが、かつては伝統だからという理由で男性のみでした。

 

5:プライドが異様に高く、指揮者によっては極めて難しい団員達である

客演に来た指揮者が不勉強だと観ると、指揮者の言う事を殆ど聞かない。

あるいは、練習好きな指揮者が大嫌いで、あの巨匠トスカニーニを「トスカノーノー」と言って嫌がり、謹厳実直で真面目な指揮者サヴァリッシュとの練習中にパンを食べていた楽員がいたとの噂を聞いたこともあります。

また、岩城宏之氏の体験談ですが、ハイドンの交響曲を演奏する時には、「昨日は若者が多かったので、あのテンポで丁度良かったが、今日の聴衆は年寄りが多い上に、ジトジトと雨が降っているので、第1楽章と第4楽章のテンポを思い切って落としてごらん!」などと、演奏前の指揮者の楽屋に、主席奏者が指示を出しに来ることもあるそうです。

しかし自分たちが心から尊敬する指揮者との演奏会では、「ネコ型気質」の良い面が出て、丁々発止のスリル満点、閃きに満ちた素晴らしい演奏を成し遂げる。

他の楽団では、到底考えられない話です。

花崎洋

 

 

 

 

賛否両論、その3「指揮者と楽曲との相性について考える」

2013 APR 14 5:05:50 am by

人と人との間に「相性」があるのと同様に、指揮者と楽曲との間にも「相性」があるだろうと、軽い気持ちで着想しましたが、考えれば考えるほど、一筋縄では行かない複雑なテーマであることに気付きました。

そこで、あくまで、現段階で感じております事を、それこそ、賛否両論が出ることを承知の上で、書かせていただきます。

今回は「いわゆる名演奏」と「楽曲との相性」との関連で4つに分類するという試論的アプローチです。

 

1:誰が聴いても「シックリ」来る、曲との相性が抜群の名演奏

一般的な意味で、指揮者と楽曲の相性が抜群というケースです。分かりやすいところでは、ベートーヴェンの交響曲で言えば、「奇数番号」が合うのがフルトヴェングラー、「偶数番号」が合うのがワルターというような分類の仕方が代表例ですが、それに囚われずに「例」を挙げますと、

例1:トスカニーニ指揮のベートーヴェン交響曲第1番、3番「英雄」

例2:ワルター指揮のシューベルト交響曲第5番

他にも多々ありますが、いずれも、抵抗感なく自然な流れの音楽を充分に楽しめる上に感動の度合いも深いものがあります。(指揮者の「私意」が十二分に入っているのに、それを余り感じさせない点で相性抜群と言えます。)

 

2:曲との相性は、いかにも良くないのに、何故か感動してしまい、考えさせられてしまう演奏

例1:フルトヴェングラー指揮のベートーヴェン交響曲第6番「田園」

まさに個人の主観の世界、賛否両論が多く出るケースでしょう。上記の例も、第一楽章のテンポは全ての演奏の中で最も遅く、第5楽章第2主題のテンポの急加速等、極めて田園らしくない大変異様な演奏ですが、恐らくベートーヴェンが意図したであろう「自然への畏敬や帰依」が非常に良く体現されていると考えます。特に第5楽章コーダは深みのある演奏と私個人は思います。

 

3:相性云々を超えて「徹底的に突き抜けた」結果、感動的な演奏

上記2のケースに良く似ていますが、指揮者の強い信念の元、相性などお構い無しに、正に正面突破を強行した結果、深い感動を呼ぶ演奏です。

例1:ムラヴィンスキー指揮のベートーヴェン交響曲第4番

冷徹に洞察し切り、透明感抜群の、切れ味鋭い名演と思います。

例2:チェリビダッケ指揮のブルックナー交響曲第9番

チェリビダッケ最晩年、死の約1年前の演奏。この演奏を耳にすると、上記分類の1(相性抜群)に入るであろうシューリヒト指揮の同曲演奏が、すっかり霞んでしまうほど。

 

4:いわゆる「自然体」の演奏なのに感動が深いもの

指揮者の個人的な解釈を余り感じさせず、楽譜を信じて忠実に曲を再現したもので、嫌う人が滅多に出ないのに、それでいて、単なる平凡で無難な演奏とは、明確に一線を画するもの。ある意味では、最も凄い演奏かもしれません。

風変わりな演奏が好みな私としては、自信を持って例示出来ませんが、ベートーヴェンの交響曲で言えば、コンヴィッチュニー指揮、ライプツイッヒゲバントハウス管弦楽団の演奏や、ニューヨーク滞在中にライブで聴きましたプロムシュテット指揮、ドレスデンSKの演奏は、この範疇に入ると思います。

 

以上、あくまで試論であります。失礼いたしました。花崎洋

 

 

 

 

 

 

 

 

本日、4月10日より旧暦の3月(弥生)が始まります。

2013 APR 10 7:07:50 am by

京の町家のツアー、東さん、甘田さんのレポートにより、ご様子が良くわかります。桜のタイミング、まさに絶妙でしたね。

さて、本日4月10日より、旧暦の3月、弥生となります。春の最後の月で、まさに晩春となり、新暦5月10日からは、旧暦では「夏」となります。

先月の如月のメインイベントは、西行法師が詠んだ「桜」でしたが、弥生のシンボルは「桃」で、旧暦3月3日(新暦4月12日)は桃の節句、「ひなまつり」です。つまり女児の誕生を祝い、末永く多幸であることを祈念する行事。旧暦3月3日ですと、まさに桃の開花とタイミングがピッタリと合います。

そして、旧暦3月23日(新暦5月2日)は、「夏も近づく八十八夜」で、その約一週間後から、旧暦の上では「夏」の到来です。 花崎洋

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