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演奏会の思い出

2021 FEB 27 14:14:40 pm by 菊池 孝之助

これまで自分なりにいろいろな演奏会に足を運んできたが、感動の思い出よりも、一つも感動しない演奏にがっかりしてとぼとぼ帰ったことの方がはるかに多い。

ずいぶん前のことだが、ロリン マゼールがトスカニーニ交響楽団を連れて来日公演するというニュースを聞いたとき、全身に鳥肌が立った。
マゼールというだけでもう凄いのに、トスカニーニ交響楽団なんて。そんな楽団があったのか。

息を整えて、トスカニーニ、と発音してみる。私にとって、これ以上ない美しい響き。

あのマゼール様もトスカニーニが好きなの? そうなの、好きなのね。私もです。気が合いますね。ああもう、とろけそうだ。

それにマゼールの指揮といえば、私がまだ若い時分、彼が連れてきたフランス国立管弦楽団の演奏をフェスティバルホールに聴きにいった日のことだ。それはもう無茶苦茶感動して、興奮が冷めやらぬまま帰り道に北新地のエスカイヤクラブに立ち寄り、そこのうさぎちゃんを相手にマゼール指揮の新世界と幻想交響曲がどれほど素晴らしい演奏だったかについて感動のあまりポロポロ泣きながら説明した。あのうさぎちゃんも、さぞかし迷惑だったろう。しかし聞き上手を職業とする彼女は決して気持ち悪がることなく、微笑み相槌を打ちながら私の与太話を聞いてくれたものだ。懐かしいなあ。

そういうわけで、自分が生きている間にあのマゼール様にこの日本でもう一度会えるなんて、僥倖という難しい漢字はこういうときにこそ使うのだ、などと考えながら事前準備として有楽町に出かけてスーツと靴を新調し、演奏会当日はバッチリ決めた姿でワクワクしながらみなとみらいホールに向かった。

でも、はっきりした記憶はそこまでなのだ。今となっては、ブラームスのようだったが、それが何番だったのかもよく思い出せない。東海道線に乗ってガタンゴトン揺られながら東京に戻って、足取り重く帰宅したことは覚えている。

決して演奏がダメだったわけではないのだ。楽団の名前が間違っていたわけもない。まして巨匠マゼールの指揮が下手っぴなはずもない。そんなことはありえない。

期待が大きすぎたのがマズかった。ただそれだけだろう。

期待はしていたが、期待をはるかに上回った演奏会といえば、比較的最近では、小林研一郎指揮日本フィルのチャイコフスキー交響曲第4番を思い出す。

いやー、凄かった。私は日フィルの定期会員でもパトロンでもないので、運よくチケットが手に入ったときにしか聴きに行くことはないが、あの演奏会は大当たりだった。それにサービス精神満点のコバケンは、モーツァルトの時代の演奏会よろしく、第4番の最後の2分間、あの怒涛のフィナーレをアンコールでやってくれたのだ。久々に大満足な演奏会だった。

もうひとつ、私にとってこの演奏会が大当たりだったのは、自分の人生にとって大切な、気づきがあったからだ。
この日のプログラムではチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に続いて交響曲第4番が演奏されたのだが、協奏曲のヴァイオリンはライナー キュッヒル氏だった。

それが、第1楽章のアレグロ・モデラートでヴァイオリン独奏が始まり、最初の主題が提示される前、テンポのゆっくりした、間違えることなど絶対にありえない簡単な旋律のところで、キュッヒル氏はあろうことか、一音、間違えた。

およそチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をホールに聴きに来るような人で、この曲を初めて聴きますなんて人は、まずいない。二千人収容できるサントリーホールはステージの向こう正面までほぼ満席だったが、たぶん聴衆の全員がこの曲を知っている。
知っているどころか、これまでの人生で演奏会やCDなどで数百回は愛聴してきて、主旋律を鼻歌で歌いなさいと誰かから命じられたならば、ただちに、フウゥゥー-フフフゥーフフフゥーフフフッ、フウゥゥー、フンフンフンフンと歌いはじめ、第3楽章まで通して歌える人ばかりだろう。私ですらこんなの楽勝だ。昔オケのメンバーらと鼻で歌う楽器を分担してそういう遊びをしたことがある。

だからこのような名曲で、かつ世界中で人気がある多くの人にとって聴きなれたメロディーは、一音も違っていれば、誰でも必ずわかるはずなのだ。

キュッヒル氏は当然自分のミスに気づき、そして狼狽した。端正で色白の彼の顔は、たちまちに茹でた蛸のような真っ赤な色になった。聴衆のみなさんもさぞ緊張したことだろう。キュッヒル氏は禿頭まで真っ赤に染めたまま第1楽章を終えたが、第2楽章の独奏が入る頃までにはようやく落ち着きを取り戻していたようだった。

最後の第3楽章こそは、この名曲の一番の聴きどころで、見せどころだ。本来であれば、映画「北京ヴァイオリン」で主人公の少年が頬に涙を伝わせながら、弓よ折れよ、弦よ切れよとばかりにガシガシ弾きまくって完全燃焼するような、そんな様子が見られるかどうかが聴衆の関心事だ。

しかしキュッヒル氏は、自動車教習所の指導員のような安全運転のまま、フィナーレを実に無難に終えた。

休憩時間に入ったとき、みんなの関心は、キュッヒル氏のミスに集中していた。廊下やトイレの中では「あそこで間違えたよね」「あの名匠があんなミスをするなんて」みたいな話題で持ち切りだった。

キュッヒル氏の日本人の奥さんが書いた本によれば、彼女の旦那さんはヴァイオリンのこと以外には全く無頓着な人らしい。キュッヒル氏はウィーンフィルのコンサートマスターを14年も務め、カラヤンをはじめ世界一流の指揮者から厚い信頼を寄せられた、室内楽の世界でも超一流の、神様のような人だ。ヴァイオリンだけで超一流に上り詰めるような人ならば、それ以外のことに無頓着でも、多少社会に不適合な性格でも全く構わない。日本語ではそういう人にバカをつけたりするが、日本国から勲章を授かった偉い人をヴァイオリンバカと言うような無礼は許されない。

休憩時間の間、私はキュッヒル氏の心中を想像した。ああ気の毒に、きっと今頃、自分がどうしてあり得ないミスをしたのか、一生懸命考えておられるのだろう。満場の聴衆の前でミスを犯せないリスクに立ち向かって常勝してきた人だって、ミスはあり得る。あり得ることが起きないようにするのがプロなのだろうか。起きてしまったら、プロとして終わりなのだろうか。

千代の富士関が引退表明したとき、「体力の限界…」と言って絶句したのを思い出した。キュッヒルさん、私は味方です。終わりなんて考えないで、元気出して、と声をかけて励ましたかったが、楽屋の場所も知らないし、たぶん入られない。

そして思ったのだ。あれほどの人でも、ここぞという舞台であり得ないようなミスをするのだ。
ならば、私のような小さな人間がミスすることなんかもう当然で、ミスしたことにくよくよするなど、人生の無駄以外の何ものでもない、と。

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