Sonar Members Club No.31

月別: 2017年3月

アマチュアの練習方法

2017 MAR 14 5:05:24 am by 西村 淳

本来「その曲」を演奏するなら音を出してみる前に自分のパートのみならず、すべての楽譜を読み、知らなければならない。まずイメージを持ち、出すべき音を作ってから、音符を音にする。言われてみるとその通り、そうあるべきだよな、とは思っても、これを実践している人が一体どれ程いるのだろうか?大好きなピアニスト、ギーゼキングは音にする前に暗譜してしまい、あとは指が動くだけ、なんて言っているけれどそんな天才と同じことができるわけがない。
私の場合はパート譜を見て、書いてある音符を音にできるか、というハードルがまず第一にある。その音を適当な速さで音にできるか、がその次。その上でどれほどの強さで(この段階では大きくも小さくも自分の楽器の限界を知っていなければならない)、どんな色合いで、どんな表情で、隣り合った音との関係は・・と考え、出すべき音を選択していく。そしてすべての音についてこの作業が付きまとう。ああ、なんとも厄介で気の遠くなるようなことよ!
ここまで出来てもそれはまだ音楽とは何のかかわりのないものにすぎない。冒頭に書いたことを抜きにしてやっているからだ。これでは何をしたいのかを人に伝えるなんてことからは程遠い。
実際にはアマチュア奏者の場合多かれ少なかれ、最初のハードルで躓いてしまう。それは時間が仕事という、止めると生死にかかわるようなプライオリティの高いものに支配されており、折り合いをつけて練習の時間を確保しなければならない大きな制約があるからだ。周りから飲みに誘われても「断る」勇気がどうしても必要となるし、出張に楽器を帯同してホテルで練習する場合もあれば(海外まで楽器を持って行っている人も!!)私のように不器用で人と同じことができるようになるまで3倍も5倍も練習をしなければならない者にとっては尚更のことである。
されどモーツァルトへの渇望は癒しがたく、日々細々と続ける(大切なこと!)努力はちょっとはマシになってきたと実感できることで救われる。これが唯一のご褒美だ。

ジュピターのデジャヴ

2017 MAR 7 21:21:19 pm by 西村 淳

「ジュピター」交響曲を練習していてデジャヴに襲われる。曲を練習するときにはこれは鐘の音とか、笛の音とかそんな風にイメージすることがよくある。でもデジャヴとなるとこれからお話しする以外には経験がない。
マタイ受難曲。言わずと知れたバッハの最高傑作のみならず人類の最高の遺産のひとつとして知られている。ただお恥ずかしい話、これをレコード(ヨッフムの指揮のものしか持っていないが)で通して全曲を聴いたことがない。バッハの音楽に敷居の高さを感じるのは単に感受性の問題だけではなく受け入れる能力の欠如と思う。チェロ弾きにとって聖書といわれる無伴奏チェロ組曲であってさえ、なかなか友達になれない。もちろん弾いてみるといいなあと思う瞬間だってあるけれど面白く聴いた演奏はカザルスでもフルニエでもなくて、聖書読みではなく踊りにしたビルスマだけだ。
実際にマタイ受難曲を通して聴いたのは実演では一度だけ。ただこの時の演奏は特別に胸に響いた。エヴァンゲリストに老エルンスト・ヘフリガーを迎え、マタイ研究会と合唱団。その中でイエスが十字架を背負わされ、ゴルゴダの丘へ引かれていく場面で、どういうわけか群衆の一人となって罵声の中いる情景が浮かんだのだ。キリスト教徒でもなく、聖書だってまともに読んだことがないのに、それは妙な既視感だった。
モーツァルトのジュピター交響曲、第2楽章のチェロパートを弾いていて妙な感覚に襲われた。このアンダンテ・カンタービレの楽章では印象的なウォーキング・バスのラインがある。ここにくるとなんとマタイの光景が浮かび同じイメージが重なるのだ。そして強烈なfとpの交錯とそれを支えるヘミオラにはイエスの絶望が聞こえる。無論、私はその想いを込めてここを弾く。
ベートーヴェンは「エロイカ」にナポレオンの葬送行進曲を堂々と挿入したが、そんな人間臭いものではなく、モーツァルトはもっと悲痛なイエスの葬送をここに編み込んだように思えてならない。当然その歩みは重くそのあとの響きはイエスの昇天か。東さんのブログではこの部分を鋭く洞察している。

コーヒー飲歴と可否茶館

2017 MAR 4 20:20:41 pm by 西村 淳

私にとってコーヒーは変わることのない人生のパートナーの一つである。
これなしに一日は始まらないし、空間と時間に潤いを添える。
★札幌・1971年。狸小路しかなかった札幌にモダンな地下街の誕生と時を同じくして「可否茶館」なる専門店がオープンした。生意気盛りの高校生が背伸びして足を踏み入れたのが(校則は喫茶店の出入りは禁止)大通りにカウンターのみでオープンしたてのこの店だった。もちろんコーヒーの味なんかわかるはずもなく、ただ大人の雰囲気に浸りたいだけだったに違いない。よく通ったジャズ喫茶「act」ではアルバート・アイラーのテナーサックスに浸りながら口にした鍋で再加熱した焦げたコーヒーの不味さは格別で記憶に鮮明だ。
★岩国・1977年。名曲喫茶「タキ」。駅前にあったこの店はいわゆるクラシック喫茶だった。おじいちゃん、おばあちゃんがやっていたっけ。巨大なスピーカーと真空管アンプから流れ出るペーター・マークと素晴らしいバランスのコーヒー。今でもこの味わいは思い出す。地方都市の音楽文化を支えていたが今はもうない。
★東京・1986年。新宿「トップ」。サイフォンで落とすコクと香りの空間。レベルの高いコーヒーは最高に美味しかったが、喫煙自由空間は時代遅れになって消滅してしまった。
★東京・2015年。スターバックス独り勝ち。いつ行っても満席なのは平均化された社会の象徴。クルマ1台が買えると豪語するドリップマシンで淹れたスペシャリティ・コーヒーは一ランク上のクオリティ。
自宅で飲むために良い豆を探していたところ、なんと可否茶館がまだやっていることを発見、それどころか札幌でチェーン店を展開までしているではないか!
至福の時を演出してくれたのは、「メロ・ハマヤ」(ドミニカ)。なんとも芳醇でキレがありフルーティな味わいは奥の深さを感じさせる。何より部屋に漂う豊かな香りは圧倒的。このコーヒーを知ってしまうと他のものは手を出す必要がないほど。しかもこれはミルクを拒否しているのだ。また可否茶館の看板となっている「カンデリージャ・ミエル」(コスタリカ)も「メロ・ハマヤ」を知らなければきりっとした逸品である。
「1971ブレンド」はその名の通りオープンした時のものを復元したもの。当時の苦いノスタルジックな思い出が蘇ることはなかったけれど、時代の波にのまれ多くが廃業に追い込まれた喫茶店で数少ない成功体験を語れる可否茶館。
コーヒー飲歴の原点に還ることができたことに感謝し、何よりもコーヒーそのものへの愛情すら感じるその経営姿勢はすべてに通じる。これから先も共にあってほしいものである。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊