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技術的な対応の一つの形

2017 SEP 2 19:19:22 pm by 西村 淳

いまや毎年ノーベル文学賞候補にあがる村上春樹氏。私は彼の小説が大好きだし、「ねじまき鳥クロニクル」は特別な作品だ。また彼は翻訳家とも知られていて、すでに野崎孝氏の定評あるサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」にあらたな翻訳を試みている。ハルキストであればだれでも知っているが、「1Q84]の冒頭のヤナーチェックを紐解かずとも、音楽は村上氏にとって避けて通られない重要な位置を占める。それは飾りだったり、重要なモチーフだったり、通奏低音だったりする。なにげなく手にした「雑文集」(新潮社)に以下のような文章を見つけた。ここにある「翻訳」を音楽の「解釈」と置き換えることが出来ないだろうか。こんなの当たり前だと言われるかもしれないけれど、人が生み出すものはその対象が何であれ根底にあるものは共通であるという真理を垣間見たような気持がする。特に演奏家と翻訳家には共通点がありそうだ。
曰く、『優れた古典的名作には、いくつかの異なった翻訳があっていいというのが僕の基本的な考え方だ。翻訳というのは創作作業ではなく、技術的な対応の一つの形に過ぎないわけだから、様々な異なった形のアプローチが並列的に存在して当然である。人々はよく「名訳」という言葉を使うけれど、それは言い換えれば「とてもすぐれた一つの対応」というだけのことだ。唯一無二の完璧な翻訳なんて原理的にあり得ないし、もし仮にそんなものがあったとしたら、それは長い目で見れば、作品にとってかえってよくない結果を招くものではないだろうか。少なくとも古典と呼ばれるような作品には、いくつかのalternativeが必要とされるはずだ。質の高いいくつかの選択肢が存在し、複数のアスペクトの集積を通して、オリジナル・テキストのあるあるべき姿が自然に浮かび上がっていくというのが、翻訳のもっとも望ましい姿ではあるまいか。』

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