静けさの中から (4) いぶし銀のように
2017 SEP 9 21:21:43 pm by 西村 淳
☘(スーザン) ある年齢にならなければ、弾けない。ピアノのレパートリーには、そんな風に言われる曲が山のようにある。たとえばベートーヴェンやシューベルトの、いわゆる「後期の作品」がそのよい例だ。
・・ある種の音楽作品には、神々しいほどの深い精神性が込められている。人生経験の浅い若造の解釈など、はなから拒絶するような近寄りがたさがあるのだ。でも・・とふと疑問がわく。これは私たちが作り出した先入観なのではないだろうか?後期の作品とは言うものの作曲家がその曲を書いた時には30代前半だったということが多いのだ。まだ青年の年齢である。それなのに若い音楽家をその曲から遠ざけてしまうのはどうかと思うのだ。
?(私) この指摘は常々疑問を持っていたことの一つである。人としての「成熟」を待っていなければ弾けない曲ってあるんだろうか?だいたい人は成熟するもの?衰えるもの?楽譜は譜面に音符が書いてあるものだけでそれ以上でもそれ以下でもないのではないか?
晩年の作品ではないが、パブロ・カザルスは「無伴奏チェロ組曲を公開の場で弾くにはすくなくとも40代、もしくは50代になってから」などと発言している。つまりその年齢にならないと演奏できないものがあるのだとでも言うように。チェロの神様の言うことだ。
本当か?ではバッハ晩年の作品、「フーガの技法」や「ゴルトベルク変奏曲」はどうだろう?個人的にはバッハの作品はそれほどそれが作られた年代による差異は感じられない。じゃあモーツァルトのピアノ協奏曲第27番K595はどうだろう?その第三楽章テーマは歌曲「春へのあこがれ」K596のメロディー。その来るべき春を迎えることなくモーツァルトはこの世を去っていった・・などときかされ、刷り込まれるとこの協奏曲が特別なものになってしまう、そして若造には早い、とされる。
作曲家は環境の変化がもたらすものと作曲技法の練達、が年齢と共に増していくかもしれない。「老い」を伴って。
結論:スーザンに同意する。人生経験を経ない限り演奏できない曲なんかないはず。私はベートーヴェンの後期の作品は中期の大傑作たちよりも好きなので、技術的に乗り越えられるなら後期の弦楽四重奏曲は生きているうちに是非演奏したと思っている。幸い人生経験年数だけはベートーヴェンに勝っている。
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吉田 康子
9/11/2017 | 2:19 AM Permalink
私も同感です。演奏者が白紙の状態で曲そのものに向かう姿勢が大切だと思います。年齢、技量、知識など様々な要素によって曲から受けとめるものは違うでしょうけれど、先入観に左右されない個々の印象が曲へのアプローチの第一歩ではないでしょうか。
曲を演奏するにあたって背景を知ることは大事なことですが、後付けの価値観によって粉飾されてしまうのは、作曲者の意図を歪めることにになると思います。
西村 淳
9/11/2017 | 5:52 AM Permalink
このことが言われるのは、ベートーヴェンとシューベルトくらいでしょうか。ショパンやシューマンはあまり言われないし。
リヒテルが晩年まで後期ソナタを弾かなかった、ということが伝説に輪をかけているような気がします。
maeda
9/12/2017 | 10:09 AM Permalink
リパッティもベートーヴェンはまだ弾けないと言っているうちに亡くなってしまったように記憶しています。何かが足りないと感じていたのでしょうね。バッハについては、メンデルスゾーン以降、長らくロマン派的に膨らんだ妄想に覆われましたが、ベートーヴェンについても、偉大だと思うあまり、思い込みで実像が見えにくくなるのかもしれませんね。
西村 淳
9/16/2017 | 8:28 PM Permalink
リパッティは私の中では最初にリストアップされているピアニストです。「余分な大理石が削ぎ落されるにつれて、彫像は成長する」というミケランジェロの言葉を体現したかのようですね。
むしろこういう人は意図的に何かを作ろうとしたベートーヴェンは得意じゃないのかもしれません。