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静けさの中から (6) 知らずに難しいことを

2018 JAN 5 8:08:16 am by 西村 淳

☘(スーザン):何年か前、コーンウォールのプルシア・コーヴで開催された国際音楽セミナーでチェロのマスタークラスを伴奏したことがあった。ヴァイオリニストのシャンドール・ヴェーグが創設した、素晴らしいセミナーである。
あるホルン奏者がチェリストのヨハネス・ゴリツキ教授のレッスンを受けたいと申し込んできた。チェロとホルンは音域が似通っているので、なるほど、ホルン奏者がレッスンを受けたいと思った理由は、ある意味納得がいく。曲はシューマンの「アダージョとアレグロ」作品70。
ゴリツキ教授はホルンという楽器の特性をよく知らない。だからホルン奏者にたいしてもチェリストに注意するときと全く同じ感覚でレッスンを進めていく。ゆっくりの部分で長い音が続くところも、「曲のクライマックスに向けて、一層力を込めて演奏するように」と指示する。一音ずつに意味を持たせた演奏を要求し、「ただ音を鳴らしている」ことは許されない。「ホルンの先生なら、あそこまで高い要求は絶対にしないね」。彼は後にレッスンを振り返ってこう言った。ホルンにとって技術的に無理なことは、ホルンの先生なら最初から要求しないのは当然だ。それなら「テクニック的に無理です、と説明すればよかったのに」とそういう私に、彼はきっぱりと「ゴリツキ先生がホルンのどこが技術的に難しいのかご存じないからこそよかったんだ。先生はただ純粋に、音楽的なことだけを考えて、そうすべきと思うことを要求された。ホルンの先生が立ち入らない領域に踏み込んだわけさ。それはホルンではできません、なんて言ったら、きっと先生は僕に同情して、手加減をしてしまったと思う」

🍀(私): この記事には戸惑いを感じてしまった。楽器の奏者はその楽器の限界を知り、その中でできることを探さなければならないものだが、そもそも出来もしないことを要求してどうするつもりなんだろう?
それは楽譜に書かれたものをいかに読みとり、それを音にできるか、ということになるのだが、言うは易し。レッスンの目的は二つ。一つは技術的な向上のためのアドバイス、もう一つは楽譜から作曲者の意図を読み取りどう演奏するべきかを伝えることであろう。決して根拠のない自分勝手な「解釈」を生徒に押し付けてはならない。その意味でゴリツキ教授はチェロで弾いたらこの譜面はこう弾くのがいいのではないか、ということを伝えたに違いないが、この曲の場合、シューマンは最初にホルンありきでイメージしていたわけで、楽器の特性を考慮し出版されているホルンパートとチェロパートは違ったものとなっている。ホルンの特性を知らなければきちんとしたレッスンはできない。歌曲を、そのメロディーを器楽に編曲して弾く場合、息遣いと歌詞を無視してフレージングされることが多い。フォーレの歌曲、「夢のあとに」をチェロに編曲したカザルスでさえそれをやっているが、出来上がったものはオリジナルの「歌」とは全く違ったものとなってしまった。フォーレの苦笑いが目に浮かぶ。
管楽器のフレージングは弦楽器のそれとは異なるのに、このホルン受講生の勘違いは青さを丸出しにしている。ゴリツキ教授はホルンを知らない。受講生はチェロを知らない。
このプルシア・コーヴのセミナーのダイレクターは敬愛するチェリストのスティーヴン・イッサーリスに引き継がれている。

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