ピアニスト、ラン・ランのこと
2018 FEB 4 19:19:02 pm by 西村 淳
いま、世界を見渡して、ムジークフェラインを満席にできるピアニストはラン・ランだけだ、という言葉を思い出す。そして東日本大震災のあと、心からお悔やみを申し上げます、として哀悼の意をシューマン=リストの「献呈」に込めた姿に心を動かされた。しかし昨年のベルリン・フィルとの来日公演でバルトークを弾くことになっていたのに、キャンセル。その後腱鞘炎という報道。ピアノに、音楽に生きていたラン・ラン。どれほど打ちひしがれていることか・・心が痛む。
ふと手にした「郎郎自伝」(WAVE出版)を読んでみた。1982年に生まれたラン・ランがいまのステータスを手にするまでの苦闘の道を活き活きと素晴らしい文章力で書いている。息子の才能を信じ、仕事を捨ててナンバーワンになるために鬼と化した父親の姿にスパルタ教育を施したベートーヴェンの父親の姿を重ねてみる。文化大革命の後遺症がまだ影を投げかける反動なのか中国ではこの本が掛かれた2008年ころは音楽を目指す子供たちが5000万人、そのうち3200万人がピアノを学ぶとある。古くはフー・ツォンやシュ・シャオ=メイ。最近ではユジャ・ワンやユンディ・リを引き合いに出すまでもなくその層の厚さは日本の比ではない。それぞれが個性的だし、その頂点にいるのがラン・ラン。ここに2003年のカーネギーホールのライヴ・レコーディングのCDがあるが、会場の熱狂ぶりは凄まじく、完璧としか言いようのない見事な演奏だ。スタイルがなにやらショーじみていることからあまり好みのタイプではなく、距離を置いていたが、改めて目をつぶりその音だけを追うと涙を誘うほど美しく、そして感動させられる。リストの「愛の夢」をこれほど美しく磨き抜かれた、そして血の通った演奏を出来るピアニストがほかにいるだろうか?
ラン・ラン12歳の時に、ドイツにコンクールを受けに行く話がある。その中に偶然、18歳の盲目の日本人ピアニストとの出会いがあり、アドバイスをしてもらう話が載っている。コンクールで弾くリストの「タランテラ」に、この日本の友人の演奏からそれまでに感じたことのない情感と魂を見つけ、それを吸収し演奏に反映させたとあった。本の中では名前はあげてないが年齢から想像するに、この人は梯剛之にちがいあるまい。N響と共演し、想いを込められたラヴェルのピアノ協奏曲で涙が溢れ出た記憶がある。
ラン・ランはまだ若い。焦らずにケアして再びより円熟したピアノ演奏を聴かせてくれることを心待ちにしている。
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吉田 康子
2/6/2018 | 8:14 PM Permalink
この本は、以前に読みました。五嶋みどりやチョンファミリーの本と重なるような気がしました。世界的な演奏者になるには親の強力なリードが不可欠ですが、それ以前に本人の資質が大前提でしょう。それを見抜ける親は凄いですね。
常にナンバーワンを目指す志向は、名もない人が世の中に打って出る為には必須のものでしょう。中国のコンクール至上主義は、何かの権威に委ねたい、お墨付きが欲しいという日本の格付け重視にも通じるものだと思います。また世界中どこにいても同胞を助け合う気質や幸運を手繰り寄せるだけの執着心については、淡泊を美徳とする日本人と対照的で、中国人のバイタリティには敵わないですね。
それにしても幼少の時からの細部に至るまでの記憶を持っているのは、アルトゥール・ルービンシュタインの自伝にも通じるものがあります。
ランラン自身の曲のイメージや解釈については彼独自のものがあって、西洋のバックグランドから程遠い土壌で生まれ育った人ならではのアプローチでしょうか。
名声を得てからの彼の行動は、師に恵まれ欧米の価値観に育てられた世界人としての視点があり、一流に上り詰めた人ならではと思いました。
現在は手の不調のせいか演奏活動が伝わってきませんが、是非一度演奏を聴いてみたいです。
西村 淳
2/6/2018 | 8:49 PM Permalink
天分がありすぎという感じで、演奏からは彼自身の世界を強く感じます。相変わらずウィーンが最高なんて言っている輩にはあまり受けないかもしれません。
この本のもう一人の主役、彼の父親は二胡の奏者でしたが、ランランのカーネギーホールでのリサイタルでアンコールに登場、見事な演奏に会場は沸きに沸いています。
東 賢太郎
2/8/2018 | 1:30 AM Permalink
ランランは2001年11月4日にテミルカーノフとSTペテルブルグ管でラフマニノフの2番をやりました(オペラシティ)。「これまで聴いた最高の2番」と日記に書いてありました。
西村 淳
2/8/2018 | 5:11 AM Permalink
17歳ですね。まだカーチスに居た頃でしょうか。ロシア物に特別な思い入れがあるようだし、ラフマニノフは鉄板だったでしょう。おっしゃる通り、これは素晴らしい演奏になったに違いありませんね。