通勤が楽しくなった
2019 JUN 13 21:21:13 pm by 西村 淳
よくもまあ30年以上にわたって満員電車に揺られ続けているものだと、我ながらその勤勉さに驚くが、どういう訳かその混み具合が最近とみにひどくなってきている。人様に迷惑をかけずに過ごすいい方法はないかと考えてみたが、やはり音楽が聴ければそれに越したことはないと結論付けた。以前はイヤホンを音漏れで注意されてしまったし、こんがらかるケーブルに辟易して止めてしまった。そんな折、ワイヤレスイヤフォンが徐々にその地歩を固めつつあることを知り試してみた。B&Oの音の良さは群を抜いているし、ルイ・ヴィトンなんてものもある。だが、いきなり高級路線よりもまずBluetooth初体験でその実力を知ろうと某中国製のものを手に入れた。まずパソコンのituneにCDの取込みを実行。iphoneと簡単にペアリングしてそれなりの音が聴こえてきたときには感動してしまった。周りが静かなところで聴くと細かなニュアンスまでよく浮かび上がるし、これでいいや、となりそうだ。
毎日の通勤でよく聴いているのは、先のブログに聴かずして知らずして死んでしまうのは勿体ないと書いたシューベルトの歌曲。マティアス・ゲルネの歌だ。そしてユリアーネ・バンゼのドビュッシーとモーツァルトの歌曲。ゲルネは驚嘆すべき美声の持ち主。いい声だなあ、そっと優しく包んでくれて惚れ惚れと。きっとシューベルトが入れ込んだフォーグルの声もこんなだったんだろう。バンゼのほうはピアノがアンドラーシュ・シフ。これほど歌と伴奏が混然一体となったものは他に知らないし、ドビュッシーとモーツァルトを続けて聴いても何の違和感もない奇跡的な演奏だ。ドビュッシーの「忘れられた小唄」の妖艶さに続き、突然始まる「春へのあこがれ」K596にドキッとする。次の春を迎えることが出来なかったモーツァルト。そして最後に置かれた最高傑作、死後の世界を先取りした「夕べの想い」K523に至る。日頃ライヴ・イマジンを通してプログラミングに腐心している者にとってこの凝ったプログラムがいかに素晴らしく、そして成功しているかがよく分かる。なるほどシューベルトを含めたこの三人の作曲家は神にいちばん近いところいる人たちだっけ。
おかげで毎日の通勤がギスギスしたものから柔らかな微笑さえ伴ったものになったし、どれほど混んでいても音楽の美しさはその苦痛を和らげる。そして何より他人にとても優しい気持ちを持てるし、大指揮者ブルーノ・ワルターも同じようなことをどこかで発言していた。当面この小さな丸いワイヤレスフォンは手放せそうもない。さあ明日も元気に出社しよう。
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西室 建
6/20/2019 | 4:48 PM Permalink
あのう、今更ですが勇払におられた頃は満員電車の通勤じゃないですよね。
私も工場務めの時は通勤バスでした。早く車を買って一人で通いたいと思ったものです。
西村 淳
6/20/2019 | 9:09 PM Permalink
勇払ですか?まず、日高本線の無人の勇払駅には確か1時間に1本だけ、1両のジーゼルが走っていたはずです。ここは北九州とは相当に違います。かたや邪馬台国、かたやアイヌ帝国でしょうか。
もちろん工場周辺に「社宅」というものがあって(庭付き)そこから職場まで歩いて5分、究極の職住接近でした。ちなみに我が家の庭は芝生にしようとして失敗し天然のイングリッシュガーデンが出現。グリーンアスパラが自生していました。
西室 建
6/20/2019 | 9:17 PM Permalink
むむっ、やるもんですな、さすが。
やはりこちらにもほぼ雀荘と化した「社宅」はありました。
私は「社宅」まで辿り着けず、動物園となっていた寮住まいでしたねぇ。
まずいことに、職場から(通用門までは遠かったものの)すぐのところは飲み屋のジャングルがあって、通勤の雰囲気は味わえませんでした。
西村 淳
6/21/2019 | 7:09 PM Permalink
勇払も北九州も自然があってジャングルは別にしても人間らしい場所です。今いる勤め先でも金曜日になるとオアシスを求めて北九州へ向かう人が沢山です。
通勤電車は現代の奴隷船ですね。少しでもエアコンの風があたると嬉しい、なんてこれじゃ大志を抱けないのも無理はないです。