静けさの中から (11) 旬を過ぎた書込み
2019 OCT 31 21:21:18 pm by 西村 淳
☘(スーザン):音楽家が楽譜に約束事を書き入れるとき、音符の上にぐにゃぐにゃと波線を欠くことが一番多いと思う。これはそこの部分のテンポが「少し揺れる」という意味だ。そこの部分を、ほんの少し時間をかけて演奏することによって、音色のうつろいをはっきり示す余裕ができる。
とくに約束事が混雑するのは、曲の中で、一つのセクションが終わって、次の段階に入る「変わり目」に来たところ。ほとんどの奏者が、意識的に入れ込んで弾きたくなる。たとえば楽曲のなかで重要な位置を占める「第二主題」。曲が展開する大事なところではあるけれど、作曲家がこの「第二主題」が出現するときにテンポ表示を変えることは、まずない。でも「第二主題は第一主題に対して全く異なる雰囲気を持つもの」と決まっているから、奏者にとっては大切にしたい「変わり目」なのだ。だからこの部分をどうやって演奏するか、どの奏者も頭を悩ます。
?(私): 私の場合音符の上にぐにゃぐにゃを書き込むのはどうしてもヴィヴラートがほしい、忘れずに、って時が多い。書いておかないとすぐに忘れるのはあたりまえとして、こぐにゃぐにゃを書いても見えない(!)ことさえあるのだ。お休みが沢山ある(休符がたくさんある)ところの他の人の旋律などもよく書き込むし、あとは指示、例えばErsts ZeitmaBには「初めのテンポで」とやる。こんな作業をしているとドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の指示がドイツ語で書かれているのを見つける。おお!生粋のフレンチマンだと思っていたのに、標題はフランス語なのになぜかドイツ語で指示が。じゃあ彼のほかの曲は?とどんどん好奇心の渦に溺れていく。人生足りないわ。
さて、スーザンが指摘しているこのあたりの表現の仕方をどうするか、これにはアマチュアもプロもない。「第二主題」の処理の仕方については、いい音楽家であればあるほど、実際にテンポが揺れているにもかかわらず、気づかれないようにそしてきわめて自然にやっている。とても先生が教えられる領域ではなく、「才能」が処理の分かれ目となる。
もしこういったことを勘違いしてテンポを変えようとする人が演奏するメンバーにいたら大変だ。そう、第二主題が出現してもテンポはそのままが原則なのだ。自信たっぷりにテンポ変更をやられるとそうかなとは思っていても、だがしかし・・その対応次第では友達が、いや人生を失ってしまうかもしれない。
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maeda
11/3/2019 | 8:59 PM Permalink
アマチュアもプロもないというのは、お客様に対して音楽を提供する身として当然のことと思いますが、日本はどうもアマとプロを区別したがる風土があると思います。また、同じ舞台に立つ者として自分と違う音楽も能力の限り尊重し受け入れて共に合奏をしていくべきと思いますが、どうしても納得できなければ、どこかに限界はあるでしょうね。昨日、友人のギタリストの演奏を聴いて、ここ一年の間に音楽が充実し巨匠の域に達しつつあるのを目の当たりにし、自分な何をやってきたか本当に反省しました。アマチュアだからと甘えている余裕はないです。もっと極めていかないと。
西村 淳
11/4/2019 | 9:19 AM Permalink
アマとプロ、両方に問題がありそうです。アマは音大を出た人をプロだと思っている人がけっこういるし、プロはプロで才能はなくても(スミマセン!)プライドだけはある人が多いし。
アマがプロにどうしても太刀打ちできないのは音楽に使える時間の差でしかないと思っています。最低8時間拘束と2時間の通勤。この時間を練習に使える。
極めるには修業が必要、それには時間が必要、加齢だけは確実に、ですが気持ちを持ち続けることでしょうね。
西村 淳
11/4/2019 | 9:22 AM Permalink
大きな間違いを・・「牧神」の楽譜の指示がドイツ語(!)だったのは、シェーンベルク一派のドイツ人が編曲した譜面を見ていたためでした。オケのスコアをみるとちゃーんとフランス語で書かれているじゃないですか。
ドビュッシーがドイツ語を話せるなんて、そんなことあるわけがないじゃないですか。赤っ恥。
maeda
11/4/2019 | 10:14 PM Permalink
そうですね。腕利きのアマチュアには、毎月のように本番をこなす強者が珍しくありませんが、私には到底真似できません。作品と数ヶ月は格闘しないとお客様に提供できる程に内容を充実させられないのが実情だからです。プロなら集中的に練習して2、3回のリハーサルで本番に掛けるかもしれませんが、1日あたりの練習時間が短いアマチュアの場合は準備期間を長く取るしかないと思います。あとは、練習の質を高めるということですね。誰でもそれぞれに技術的音楽的に弱い面があったりするものだと思います。そういう自分の弱いところや練習を怠ると劣化しやすいことを冷静に認識して、カヴァーする自分用の最短の練習メニューを持つことは役に立つのではないかと思います。例えば、加齢で関節が固くなってきたら、楽器を弾くための柔軟体操を怠らないとかですね。
maeda
11/5/2019 | 8:59 AM Permalink
今日は恩師の三回忌なのですが、一昨日、私は夢の中でバッハのレッスンを受けていました。こんな指(使い)で弾くんですかとかやり取りしていて見たこともない図で説明してくれました。それで昨日は墓参りしましたが、楽器を取り出して弾いてみると、解決できなかったことが何か少し前に進んでいました。余談です。
西村 淳
11/14/2019 | 10:05 PM Permalink
五十君先生ですね。いい先生に恵まれましたね。
私も最初はともかくとして、あとは音楽と向かい合いながらその時に得られる最高の先生に恵まれたと思っています。それでも技術的なウィークポイントを即座に指摘してくれることは少なかったように思います。それは楽器を演奏する姿勢とかちょっとした肘の高さだったり、そんなことでしたが。今はちょっと指が痛かったりでそれをかばいながらやっているとどうしてもこわごわしてしまい音楽そのものを楽しめなくなってきました。
どうやら加齢という単語がはっきりと焦点を結んできたようです。
西室 建
11/15/2019 | 10:21 AM Permalink
西村さん、
『ドビュッシーがドイツ語を話せるなんて、そんなことあるわけがないじゃないですか』
これ笑えました。ネタにしていいですか?
西村 淳
11/15/2019 | 8:53 PM Permalink
どうぞ、煮るなり焼くなりしてみてください。
でもよく考えてみると「トリスタンとイゾルデ」については全曲暗譜していたようなのです。これってドイツ語・・誰か教えてくれないかなあ。