会社って何だろう?
2020 SEP 7 16:16:28 pm by 西村 淳
仕事をして、給料をもらうところ。
遅刻をしないこと、くい打ちされぬよう目立たないようにすること、ゴマをする相手を間違えないこと、何より「お言葉ですが」とは決して言わないこと。これが出来れば立派な会社人だ。
今の社会のシステムでは会社はなくてはならないもので、「いい会社」=「安定した大きな会社」となっている。そこに入るためには「いい学校」を出ることが必要で多くの親は子の安寧を願ってこの道を辿ってほしいと思っている。子供は何の疑問も持たずに試験で人よりもいい点数を取ることを目標にする。結果めでたく有名な「いい会社」に入れ、そこが一部上場だったりすると最高だ。
子供の頃から面白くもない暗記に(なんと数学だって暗記することで点数がとれるのだ!)大きな疑問を感じていたし、中学、高校と進むにつれて益々その疑問符の数は増していった。こうなると学業は低空飛行をし、「まともに評価されない」=「いい会社に入れない」のかもしれないという漠然とした不安を抱えながら墜落寸前。幸い丸の内の一角に本社を構える企業の一つに入社できたものの、文系の頭構造だったのに親の定めた既定路線の理系に進んだツケは大きく、自分には別の世界があり違った仕事があるはずだと考えているようなことがあったし、結果冴えない会社人として飯を食い続けた。そんな生業でもゴールまで残り僅かのところまで来ている。
何気なく手に取った沢木耕太郎の「鼠たちの祭り」(新潮文庫)にちょっと刺激的なことが書いてあった。会社は給料をもらうばかりじゃない、新たな視点がとても新鮮だった。
伝説の相場師、坂崎喜内人の話:
『人ばかりでなく企業だって変わらない、小さい会社はバタバタつぶれているのに、大証券会社が傾くと国が手助けする。資本主義においては、企業利潤の正当性はひとつに危険負担の対価という発想で説明される。あらゆる企業はリスクを減らそうとするが、しかしどうしても残るリスクがある。だからこそ、起業家精神というものが称揚され、利潤が認められる。
リスク背負わざるもの、儲けるべからず。だが、巨大だと言うだけの理由でそのわずかの危険も取り除かれるとしたら、資本主義における起業家精神の死を意味する。
リスクのない社会は確かに安定した社会である。しかし同時に息苦しい社会でもある。「我々青年を囲繞する空気は、今やもう少しも流動しなくなった」(「時代閉塞の現状」)と書いたのは60年以上前の石川啄木である。もっとも「時代閉塞」でなかった時代が果たしていつあったのか、というシニカルな反問も成り立つのだが、少なくともリスクのない安定した社会では、「囲繞する空気」が流動しないことだけは確実だ。空気はよどみ、深いニヒリズムが、ガスのようにひろがる。』
「リスクを背負うから利潤が認められる」、なるほどそういうものだったんだ。経済学ではこんなことを勉強しているのかしら。この文章が発表されて50年経った日本は息苦しさが加速、おまけに最近はマスクまでしてしまっている。
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西牟呂 憲
9/8/2020 | 11:56 AM Permalink
マクロ経済学の泰斗ケインズは、積極財政を説いたわけですが、成長戦略に関しては『その決意のおそらく大部分は、ひとえにアニマル・スピリッツと呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるのではない』としました。
学生時代にこの『アニマル・スピリッツ』を日本語ではどう表現するかを議論したことがあります。
その時に最も評価が高かったのは『破れかぶれ』でしたね。
因みに2位はワタシの提唱した『勇猛果敢』です。
西村 淳
9/8/2020 | 5:37 PM Permalink
ケインズ経済学は難しいですね・・ところで、お言葉ですが、そのアニマル・スピリッツなるものは「リスクを負うから利潤が認められる」ということとどう係わっているのでしょうか?
西牟呂 憲
9/9/2020 | 10:48 AM Permalink
これは言葉足らずで失礼しました。
私は素材メーカー勤めでしたが、プロパーの素材を扱ったのは10年ほどで、後は新規材料の事業化ばかりをやっていました。
その際には先進性・独自性を評価するのに色々と工夫したのですが、ゴーのサインを出す際にはまさに「リスクを負うから利潤が認められる」に近い感覚を背負ったのです。
それは昔習い覚えたアニマル・スピリットに重なるものだと思いました。
結果は1勝(事業拡大)2敗(事業譲渡・売却)1引き分け(事業継続)といったところでしたが。
西村 淳
9/9/2020 | 5:32 PM Permalink
となると実学が現実に重なったわけですね。でも1勝できた、それはそれで凄いことで、一度も勝てずに終える人が大半でしょう。
アニマル・スピリット、ひとつ私の辞書のページが増えました。
maeda
9/8/2020 | 1:13 PM Permalink
企業体がどこで価値を創造しているかが、殊に大企業の場合は分かりにくいのでしょうね。荒稼ぎしている経営者は同業他社の買収とかチェーン店のコストダウンに熱心で、顧客満足度については店先のアルバイトの寄与度が大きいとか、ありそうな話です。青色発光ダイオードでも発明者なのか企業なのか争われた所です。本当に価値を生み出している自信があれば日本企業では居心地が悪いでしょうが、大多数の凡人は守られた中で社畜として働けば生かしてもらえるという選択をするわけです。所詮、社員は雇われ使われる側で搾取される道を選んだということ。リスクを取れるなら経営側に回れば良いということになります。ところで、チームとして価値を生み出していく作業は、合奏とまったく同じだと私は思っています。個の力を発揮させながら全体としてまとまった成果を上げることが大事です。組織で感ずるストレスと合奏で感ずるストレスは本質的に同じようなもので、合わせていくストレスでしょう。会社業務なら理屈で収めていくところ、音楽は感性同士の擦り合わせですから、本気でぶつかると、そのストレスは会社組織の比ではありません。ですので、要するに言いたいことは、音楽をやっていれば、会社のストレスなんて大抵は乗り切れますよねということでした。
西村 淳
9/8/2020 | 5:55 PM Permalink
仕事そのものに楽しみをみつけるなら、会社のストレスなんかは極小化されてしまいますね。だいたいストレスは人間関係ですから、最初の4か条を守っていればいいわけだし、ただそこに出世したい、とか別のパラメータが加わると、大変かもしれません。
音楽も3人集まればもう人間関係ができてしまうしマネージャがいない世界なので始末に負えません。
一方、プロの音楽家は音楽が仕事ですから、そのストレスは巨大なものがありそうです。しかも、男女平等の競争を強いられ、半端な才能は命まですり減らすかもしれません。