メトロノームが壊れた
2021 JAN 21 7:07:58 am by 西村 淳
メトロノームは練習に欠かせない機器である。ゆっくりしたテンポで始め、要求されるテンポまで徐々にアップしたり、三連符の感覚(これがけっこう難しい・・)を是正したり有用な使い途はそれぞれだ。
長年使用していたSEIKO製のメトロノームを不注意で落とし壊れてしまった。最近では「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」の練習に一役買っていたのに。
これでも動かないわけではないけれど、ボリュームにガリが出てきたりしていたので、そろそろ替え時か。これは譜面台にうまく付けられるので同じ後継機を検索。
メトロノームは1816年にオーストリアのヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した。時代は資本主義=産業革命の真っただ中。時間管理は音楽にも持ち込まれてしまった。
メトロノーム速度を最初に譜面に書き込んだのはベートーヴェンだった。「彼の記入した速度は現実の演奏と乖離している、彼のメトロノームは狂っていたからだ」などと言う人もいるようだ。博物館の写真を見ると背の高いピラミッドのような形をしていて今売られているものとよく似ている。振り子の原理は同じだし印象としてはそれほど精度が悪いようにも思えない。
1817年12月、メトロノーム発明の翌年にベートーヴェンは「ライプツィッヒ音楽新聞」にそれまで出版されていた8つの交響曲のメトロノーム速度を発表している。ちょうど後期の作品を作り始めるころにあたるが、少なくとも私の知る限りにおいてはこれ以降の作品にメトロノーム記号は付加されていない。だが難聴が進み「会話帳」を使い始めたのもこのこの頃だし、頭で考えたテンポは実際よりも早いとされているようなので「現実の演奏との乖離」についてはそのように理解している。ただこのメトロノームの速度を尊重したとされているルネ・レイボヴィッツの交響曲の録音は演奏が可能であることを証明しているし、違和感は感じない。
時がたち、バルトークやストラヴィンスキーの音楽の時間軸はぶれてはいけない物になっていく。クルレンツィスがストラヴィンスキーのリハーサルをやっている動画では何とメトロノームを盛大に鳴らしながらやっているではないか!?これには驚いた。
さらにそんなメトロノームを「楽器」として扱ったのがジョルジ・リゲティの「ポエム・サンフォニック」(100台のメトロノームのための)。ゼンマイ式のメトロノームならいざ知らず電子式のものを使ったら永久に止まることがなく、無間地獄に落ちてしまいそうだ。少なくともこれは私の音楽ではないし、リゲティは弦楽四重奏曲第1番あたりであればチャレンジしたいとさえ思っていたがこれってユーモアなのか?もし何かを意図して本気だったらシェーンベルクの実験なんかままごとだ。
(翌日)善は急げ、有用有急、新しいのを買った!!楽しくするためにクロじゃなくスカイブルーを選択。環境が変わるとあれもこれもやってみたくなるのが凡人。ちょっと上手くなった気分で。
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東 賢太郎
1/22/2021 | 6:02 PM Permalink
どこで買ったか忘れましたが、たぶんチューリヒのMusik Hugですか、ウチのはWittnerの木製メトロノームです。ベートーベンのとそっくりでメカニズムは同じと思われます。これが壊れていて計測ミスするとは考えにくく、彼の性格からいい加減なことはすると思えず、交響曲の書き込みは正しいと考えるべきと思います。ご指摘のレイボヴィッツ盤はその考えで演奏されており、特に1,2番はそう思います。シューマンも同じ問題が指摘されてますね、クララが直してますが。
西村 淳
1/22/2021 | 9:40 PM Permalink
ベートーヴェンの時代のものも、Wittnerのものもほとんど相似形ですね。私もこのことを初めて知った時には、壊れていたとか、精度に問題があったとか、そんな仮定はナンセンスだと思いました。
メトロノームは楽器を買った人は必ず買います。19世紀の特許料は知りませんが、これが現代だったらメルツェルさん、きっと長者番付の上位者になったに違いありませんね。
maeda
1/23/2021 | 12:56 AM Permalink
ベートーヴェンは、古い速度記号だけの時代と速さに数値を導入した時代の橋渡しをする存在ですね。現在では速度記号をメトロノームの数値に対応させるのが通例で、私もそう教わってきましたが、細かい音符が続く曲と白玉ばかりの曲ではAllegroでも違うはず。数値は単なる速さで曲の性格が示されないという意識は大事ですね。
西村 淳
1/23/2021 | 7:30 AM Permalink
時間管理は音楽的か、となるとそれは違いますね。
なので作曲家は書けることに限界があってもあれほど拘った五線譜に可能な限り情報を詰め込みました。バルトークの譜面のように、そこまでやるか、みたいなところがあるくらい。
ところが速度についていえば曖昧なままの表記にとどめている。Allegroは速いという意味だけではないですね。もちろん揺れもあるし、演奏者に委ねているのでしょう。
音楽の本質がありそうです。
maeda
1/23/2021 | 10:24 AM Permalink
例えば、ホールの残響が長いと、速く演奏することによって前の音の響きが次の音を邪魔することがあります。岩城さんの本には、ウィーンフィルが、晴れの日と雨の日で速さを変えるという話も出てきます。聴衆の反応で決まることもあるでしょうし、ケースバイケースの要素がどうしても入り込むということはあるでしょうね。
西村 淳
1/23/2021 | 7:15 PM Permalink
テンポはウィーン・フィルが決めるんじゃなくて、勿論指揮者ですよね。チェリビダッケあたりならやりかねないな、とは思いますが、そこらの木っ端指揮者にはなかなかできない芸当かもしれません。晴れのち雨の一日、リハの♩=120は本番の♩=100・・まさか!?でもやっちゃいますかね。
maeda
1/23/2021 | 11:33 PM Permalink
岩城さんが、2nd violin とViolaのトップに、雨の日で年寄りのお客さんが多いときにハイドンのテンポを落としてみろと言われたそうです。その通りにやって上手くいったと。