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ヴァインベルク 弦楽四重奏曲第2番 Op3/145

2022 APR 16 17:17:14 pm by 西村 淳

ヴァインベルクの弦楽四重奏曲第2番を先日のライヴ・イマジンで演奏した。まだまだこの人の作品の全容が見えてこないが、抒情性がそのベースであることに異論はないはずだ。演奏で気付き、個人的な発見もあったので記してみる。
ワルシャワ音楽院で作曲とピアノを学んでいたヴァインベルクは1939年9月1日のナチスドイツのポーランド侵攻の直前に祖国を抜け出し、徒歩でベラルーシのミンスクに辿り着く。さらにミンスク音楽院で作曲をリムスキー=コルサコフの弟子ヴァシリー・ゾロタリョフに学んでいた。またここではミャスコフスキーと知り合う。弦楽四重奏曲第2番は1941年にナチスが独ソ不可侵条約を一方的に破棄しソ連に侵攻するつかの間の1939年11月25日から1940年3月13日に作曲され、まだ故郷にいるはずの母と妹に捧げられている。(この時点で二人はすでにトラウニキ強制収容所で落命していたが、知る由もなく)初演は1941年12月2日に次の逃避先のウズベキスタンのタシュケントでレニングラード音楽院弦楽四重奏団により行われた。
一方、この曲は1987年に第1楽章の見直し、第2楽章後半と新たな第3楽章を改編して作品145の弦楽四重奏曲および室内交響曲第1番とし、選考者が知ってか知らぬか皮肉にも若造の作品が晩年に国家芸術賞を受賞してしまう。
第1楽章は今の季節にふさわしい春のそよ風が吹き抜ける爽やかなト長調で開始されイメージはモーツァルトのハイドン・セットのK384とつながる。ライヴ・イマジン終演後のアンケートにもあったように初めて聴いた誰もが一気にこの主題に引き寄せられる。第2楽章の仄暗い情緒と情熱、第3楽章の諦観、そして第4楽章の爆発的な推進力を持つ。
ところがこの曲、最後の小節に置かれた不協和音に続く最後の音はGではなくC。練習している時にはこの終結にさほど違和感を持たずに弾いていたが田崎先生(古典四重奏団のチェロ奏者)のレッスンで「どうしてここの音がGじゃないんだろう?」と疑問を呈せられ初めて意識することになった。

随分とその「どうして?」に対する答えを探し求めていたが、ハ長調の曲がそうであるようにCの響きによる肯定感が欲しかったとしか考えられなくなった。Gでは弱い、どこかに行ってしまう。ここはCだ。まだ若干20歳の青年がどのような状況であれ故郷に家族を残し一人逃亡したことへの後ろめたさ。お母さんどうか無事でいて欲しい、また逢いたい・・そんな「希望」を最後に全員で鳴らす「C」の音に篭めたのではないか?
弦が駒から外れんばかりに渾身の力でCのピチカートを鳴らし終え、ふと見ると珍しく弓の毛が一本切れていた。確かにヴァインベルクの心に触れた瞬間だった。

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