やるせない世の中
2022 OCT 13 8:08:28 am by 西村 淳
サラリーマンを卒業したら大好きな音楽をやって、楽しい老後を迎えようと思っていたら昨今そう甘いものではなくなってしまった。コロナ禍、ワクチン、選挙不正、地球温暖化、安倍首相暗殺、旧統一教会・・そしてウクライナ戦争。そのどれもが裏で繋がっているやもしれず、まさに百鬼夜行の世界の出現だ。
政府もマスコミも支配(日本は株式会社でしたっけ!? 法人番号:2000012010019/会社法人等番号:000012010019)され、国(会社)は株主様の利益を最大にするように働く。国是も矜持もあったものではない。内部告発は「陰謀論」の一言で片づけられ、クビ。総理大臣(社長)だって業績不振なら即刻クビ。下手をすると命まで落としかねないオソロシイ世の中だ。
こんな状況下でも、いや、状況下だからこそ人間観察という点では随分学ばせてもらった。人間って何だろう?音楽をやるなら、「私はこう考える、さあどうだ」、がなければ感動を人に伝えることなんか絶対にできない。つまり自分の考えを持つことありき。人前で自分の意見も言えない奴に音楽なんかできるか!?ところがどっこい周りには自分の頭で考えようとしない人達ばかりが溢れているじゃないか。パンデミックが演出し炙り出してくれたことに心底驚いた。何と!自分の命に係わることですら、体のいい他人の迷惑になるからと言いながら偽善で受け入れる。ネット民たちがピープルをシープルと揶揄しているのにはあまりいい気分にはなれないが気持ちは十分わかる。
ギドン・クレーメルの「ちいさなヴァイオリン;リブロポート刊」という小伝を読んでいたら、思っていたことがズバリと出てきた。50年以上前、当時鉄のカーテンの向こう側にいた青年がはっきり書いたことが人種や時代に関係がないことも理解できた。
クレーメル、16歳。1963年7月4日の日記から。
「ほとんどの人間はバカで、考えもしないし、理想なんかないし、信仰もないわけで、我々はそんな人間と共に生きなければならない。唯一、助けとなるもの、それが芸術だ。」
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西村 淳
10/14/2022 | 6:24 AM Permalink
ゴーリキーの言葉;「考えれば、真理は自分一人で見つけ出せる」
ST
10/14/2022 | 10:26 AM Permalink
「雇われ人は、おおよそ羊飼いとは異なり、その羊も自分のものではないので、おおかみが来るのを見ると、羊たちを見捨てて逃げますーーそして、おおかみは彼らをさらい、また散らしますーー彼は雇われ人であって羊のことを気にかけないからです。わたしはりっぱな羊飼いであり、自分の羊を知り、わたしの羊もわたしを知っています」ヨハネ10:12-14
シープルという言葉は聞いた事がありませんでした。きっと「従順な羊」の意味ですね? 彼らは身勝手な「雇われ人」について行ってしまううっかり者!
先日言いそびれたのですが、フォルテピアノの素敵な録音などご存じでしたら教えてください。蘊蓄もぜひ!
西村 淳
10/14/2022 | 2:01 PM Permalink
この歳になって考えることを始めたようです。これまではテレビのニュースも見ていたしシープルの一人だったのですが、今からでも決して遅くはありません。
フォルテピアノについて。
アレクセイ・リュビモフ(Alexei Lubimov)というロシアのピアニストのものがいいと思います。7枚組でカタログ・ナンバーはALPHA570です。ハイドンからモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、サティ、ストラヴィンスキーからベルク、アイヴスまで彼らが生きていた時代に沿ったピアノを使用しています。ハイドンなんかはチェンバロか?と思うような響きもするし、ベートーヴェンのフォルテピアノはすでに立派なダイナミクスを獲得しています。このようにフォルテピアノの歴史的変遷もご自身の耳で辿ることができます。
ST
10/17/2022 | 11:54 AM Permalink
ありがとうございます! 探せるかな、ともかく探してみます。「時代に沿ったピアノ」、比較してみたいです。いつどこで聴いたのか、聴いてもいないのかわかりませんが(曲とはまったく関係なく)好きな音というのがわたしにはあって、それはやっぱり色(共感覚)のせいかも知れませんが、それが硬めの音なのです…高くなるとキラキラして…。
TVのニュースは、信じないわけでもありませんが、アナウンサーやコメンテーターが所謂「皆さまの共感」を喚ぶことを目的に伝えているような気がして、それがわたしの気に食いません(笑)。発信側と視聴者の空気の読みあいのような。
西村 淳
10/17/2022 | 8:40 PM Permalink
リュビモフ、今なら比較的入手はしやすいかもしれません。ついでを言うならモーツァルトのピアノソナタ全集も高い評価を得ているものです。
TVはもう使命を終えた媒体です。
アメリカの刑務所では囚人の気晴らしにTVを見せるそうです。そうすることで脱走しようなどと言うよからぬ思いが薄まるとか。
馬鹿とハサミは使いよう。
東 賢太郎
10/17/2022 | 4:24 PM Permalink
西村さん、本稿にbravo!です。読まれたかもしれませんがジョージ・ オーウェルの「 1984年」、鬼が夜だけでなく24時間監視してシープルは盲従する。これWharton Schoolの入試のエッセイの題材で1982年に読んだのですが、SFと思ってました。「2001年宇宙の旅」もシンギュラリティを予言してました。「どこでもドア」もテレポーテーションです。小説家もアニメ作家もクレーメルも、一部の天才だけですが、真のクリエーター(霊感のある創造者)でしょう。我々凡人は何年もたってから気がつきます。だから天才が「凡人を飼育して家畜にしよう」と思いつくのは陰謀ではなく確率なんです。凡人が凡人を飼育できないことは市民革命が証明しました。だから一部の天才たちはそれを巻き戻してます。民主主義の仮面をかぶった絶対主義です。中露はわかりやすいですが米もそれだと暴露されたのが2年前のイカサマ選挙なんです。日本は自民党、官僚の大部分(もしかして警察も)、メディアの全部がすでに陥落してます。
西村 淳
10/17/2022 | 8:35 PM Permalink
一時期話題になったジョージ・オーウェル、まだなんです。でもこうなったら読むべきでしょうね。「どこでもドア」の世界まではいかなくても、「2001年宇宙の旅」は遠い未来ではなく、近未来を感じます。何と「美しき青きドナウ」の旋律にのせた宇宙空間に心ときめいたものですが、徐々に迫ってくるシリアスな話に頭が混乱しました。無機質なリゲティの音楽。
「霊感のある創造者」は預言者に置き換えることができます。実際のシナリオの拠り所として黙示録に顕された世界の現出。ただ今起きていることは本当に迷惑な話です。誰かさんが神にでもなったと錯覚しているのでしょう、きっと。
東 賢太郎
10/18/2022 | 4:26 PM Permalink
犯人うやむや作戦の統一教会責め。これで自民こければ教会票なくなることを足して一石三鳥。地検が頑張って四鳥。間隙ぬって島取って五鳥。見事な囲碁です。解散ですかね。
ST
10/19/2022 | 11:26 AM Permalink
ホロヴィッツ氏のショパンにはフォルテピアノのような響きがあったために一気に大好きになってしまいました。それからボストリッジの、狂気を滲ませた素晴らしい「水車小屋」はシューベルトをわたしにとてもよく紹介してくださいました(内田さんのドライなピアノも好きになりました)。西村さん、ありがとうございました。
預言者は創造主から預かった言葉をずっと語ってきました(そうでない者はマギ)。「預言書」がある限り誰もが “預言” することができます(”All Scripture is inspired of God”)。ジョン(黙示録)はダビデやダニエルやイザヤとおなじように語っています。しかし「雇われ人」「まむしの子孫」たちは預言者たちを「神の羊」の「相続人」であったイエスとおなじように殺しました。
「高貴な者にも、地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない。その霊は出て行き、彼は自分の地面に帰る。 その日に彼の考えは滅びうせる」詩篇146:3,4
西村 淳
10/19/2022 | 8:13 PM Permalink
ホロヴィッツ氏、ペダルは極小ですね。それとこの人、なかなかあざとく、分かってるんだけどやられてしもうた!底なしのエクスタシー・・みたいに嵌ってしまいます。スカルラッティなんかも音大生は皆これを規範にしていたんじゃないでしょうか。うっとりしていないで練習しろや、と言いたいところですが。
聖書の話になると、内容が哲学的なだけに表面しか理解できない私のような阿呆にはついていけないところもあります。再教育が必要じゃ!(笑)
ST
10/24/2022 | 6:52 PM Permalink
あざとい!!!
神話ととるか寓話ととるか、またそれ以外かはお任せしますが、政治に焦点を絞った物語のあらまし…
創世記で木の実が表しているのは人間にたいする神の支配権と捉えることができます。アダムが、神の「食べるな」の指示に服せば支配者としての神を認めることになっていました。天使の一人であった「蛇」は「神のようになりたい」と考えはじめ、人間には「実を食べれば神のようになれる」と唆して事実上じぶんに従わせました。
ふたりが実を食べることによって警告通り人類に「罪と死」が入り込み、神の法的にアダムの子孫は誰ひとりそれを免れることができなくなりました。神は即座にご自身の法にそぐうかたちで人間の不幸を取り除く手立てを取り決められました、それが贖い(イエスというアダムと同等の人間の命を犠牲にする)です。
しかし人類の陥った状況だけでなく、「蛇」によって神の支配権の正当性への疑問(「人間は神ではなくじぶんたちで善悪を判断したほうが幸福になれる」)が投げかけられたので、ほんとうにそうか試させる期間が必要になりました。その期間のことについては、ダニエル記と黙示録などに示されています。
西村 淳
10/25/2022 | 12:03 PM Permalink
宗教の頓珍漢をここでさらけ出すのにはなかなか勇気がいるのですが、私にとってはカオスの中にもう一つカオスを放り込まれたような感じ。そんなんでよくバッハの音楽と付き合えるな、と侮蔑されてもじっと耐えるだけ。
ただ「神」の存在は認めざるを得ません。天使の蛇(!)これは例えば666にこだわっているBGのことですね。もちろんベニー・グッドマン(笑)そして射てば神のようになれるけれど、罪と死を背負ったままで。そこにはイエスも居ないし・・そう、きっと今は試されている期間なんでしょうね。
ST
10/26/2022 | 5:32 PM Permalink
そもそも創造主の概念が日本人には遠いですよね、日本人には自然が畏怖の対象でしょうから。マタイ受難曲となると磔刑ですが、これもアブラハム、過越祭を踏んでいないと本来は謎のはずですが、ニッポンキリスト教はアメリカ経由が多いので旧約はあまり読まないかも知れません。
666、黙示録に一度だけ出てきます。モン・サン・ミシェルのミカエルがイエス、ドラゴンは蛇です。つまり人間の戦いではないので、もちろんアルマゲドン将軍 vs. Bおじいちゃんのことではないです!
西村 淳
10/27/2022 | 6:38 AM Permalink
深い!
なるほど、宗教音痴にとってマタイ受難曲が重いのは当然なんですね。バッハのこの曲の体験は一度だけですが、イエスがゴルゴタの丘にに連れていかれるところで涙したのは、何だったんだろう?と改めて。おそらくは音楽の持つ力だと思いますが。