イッサーくんとの邂逅
2024 DEC 8 20:20:01 pm by 西村 淳
12月6日、今年最大のハイライト、スティーヴン・イッサーリスのチェロを聴きに王子ホールへ。冒頭のベートーヴェンからアンコール、フォーレの「シシリエンヌ」まで。すべてが彼の長いキャリアの中で自家薬籠中にしている作品たちとの素晴らしい音楽体験だった。そしてブラームスの第2ソナタが本当に偉大な作品だと言うことを得心できたひと時でもあった。1886年にヨアヒム四重奏団のチェリスト、ロベルト・ハウスマンと作曲者のピアノで初演されたこの作品はガット弦を弾くイッサーリスの響きに近かったに違いない。終演後のサイン会では気さくにお話しもできたし、お礼に所有していた第2ソナタのN.Simrockが1867年に出版した初版楽譜(とてもレア)をお渡しした。持つべき人のところに収まって本当に良かった。
私がチェロを始めたのは25歳の時だった。ようやく第4ポジションまでレッスンが進んだ頃、彼の27歳(1985年)のデビューレコードを手にした。その柔らかい音色は心をくすぐり、あくまで自然で美しいフレージングにググっと引き付けられた。フルニエやカザルスの音楽すら作り物に感じてしまうほどで、ああ、こういう音楽を、こんな風にチェロを弾きたいなという憧れが芽生えた。
そしていよいよ待ちに待った1994年の初来日。今は無き駿河台下のカザルスホール。しかも小林道夫大先生のピアノ伴奏で。ここでもファイナルにブラームスの2番が選ばれており、大いに感動したのは勿論のこと、アンコールの一つで弾いたのが後述するビートルズの「When I‘m sixty four」。サージェント・ペパーズのアルバムにある曲だ。小林先生が人前でビートルズを弾くのは初めてです。「64歳になりせば」くらいの意味でしょうかなどと言われたのを想い出す。
ここからはトピックをいくつか。実は何度目かの来日の折、宿泊しているホテルに凸電で交渉しレッスンが実現、これまで3回彼のレッスンを受けている。今なお私のことを「スチューデント」と呼んでくれているが、至誠は天にも届けと、ひたすらお願いし頭を下げた。霊南坂教会近くの音楽スタジオではシューマンの幻想小品集の指導。姿勢とか基本的なことは勿論、何と言っても音楽そのものへ注入される情熱に圧倒された。
その後は日本財団が所有していたストラディヴァリ(exフォイアマン)を貸与されたことにより毎年来日することになった。一緒に食事をしたり、非公開の特別なコンサートに招待してくれたり、こちらからはアジアンユースオーケストラとの来日公演で息子のガブリエル君のためにマイチェロをお貸しした。長大なプログラムでエグモント序曲、ハイドンのチェロ・コンチェルトと第九。アジアの若手演奏家たちに交じってオケパートにイッサーリス親子が座ったわけだ。
そして最高で最大の交流は「今年64歳になるぜ、来日したらまたアンコールで『64』を弾いて欲しいなあ」とメールしてみたら、何と彼の自宅で無伴奏で弾いた『64』の動画を「Jun-kun, happy birthday!」と共に贈ってくれた!!!!考えてみてくださいよ。現役最高のチェリストがたった一人のためにしてくれたことを。その後、彼の64歳には『64』の動画を収録して、「Isser-kun, happy birthday!」とお返しして喜ばれた。長生きしているといいこともあるものだ。幸せ者だと思う。
別れ際、シャドウ・ボウイングをして見せて、リラーックス!!と一言。レッスンありがとうございました!
2025年7月にはまた来日がありそうだけれど、これ以上世界が渾沌とし何もかもが消し飛んでしまうようなことにならないことを心から祈っている。
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2 comments already | Leave your own comment
maeda
12/31/2024 | 12:26 AM Permalink
良い話ですね。そんなに濃い繋がりをお持ちとは存じませんでした。素晴らしい????。
西村 淳
1/9/2025 | 9:54 PM Permalink
時間さえもっとあれば、音楽ももっとましになったのに・・とは思いますが、ないものねだり。これが私の人生だったし、今からでもできることを目いっぱいやろうとしています。