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点と線について考えた

2025 MAY 2 17:17:10 pm by 西村 淳

「点と線」となると、このお題からは切り口がいくらでもありそうだ。例えば、
・ エンタメ:
松本清張とくれば昭和ど真ん中の世代、質の高い社会派のサスペンスで「ゼロの焦点」、「砂の器」と一時期は嵌ったものだった。
・ 科学:
トン・ツー、トン・ツーのサミュエル・モールスも忘れてはいけない。「トラ・トラ・トラ」、「ニイタカヤマノボレ」はこのモールス信号だった。19世紀の技術が現代でも生きていることが驚き。
・ 音楽:
そしてトリはモーツァルト。音符の上に書かれた「・」(点)と「|」(線)は区別が難しいものもあり学者さんたちの議論は絶えない。どうでも良さそうだが、演奏上は大きな違いがあるかもしれないので看過できない。
ここからはやはりモーツァルトを中心に展開してみよう。
一例を引くと下は名曲「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K525の第三楽章メヌエットの自筆譜。音符の上にある点と線が確認できるだろうか?

ところが昔、日本で出版された楽譜ではこれをすべて点として扱いスタッカートとして音を切って演奏すれば良いことになっていた。それどころか(少なくとも私が子供のころ使用していたソナタアルバムなどは)フォルテ、ピアノ、クレッシェンドやスラ―なども付加され添加物たっぷりにされて指遣いまでご丁寧に記載されていたし。先生方も何の疑問も持たずに指導していたと思う。
80年代に入りHenle版などが市場に現れ本来あるべき姿(原典版:Urtext Edition)として幅を利かせ始めた。初めて買ったJ.S.バッハの原典版の「インベンションとシンフォニア」には音符しか書いてない(!)楽譜だったので強弱はじめとして自分で何もかもを決めなければならず、始めは面食らったのを覚えている。ただ原典版も校訂者により数種類出版されて何が何だか分からなくなっているのが実情である。

「点と線」に戻るが、アマデウスの偉大なる父、レオポルドは息子の誕生した年に出版した「ヴァイオリン奏法」(久保田慶一訳;全音楽譜出版社)の中に「線」のことを記述している。『作曲者がしばしば書く音符には、ひとつひとつの音を強く弾いて互いに区切って演奏してほしいという音符がある。このような場合、作曲者はこのように演奏してほしいという気持ちを音符の上または下に短い縦線を記入して示す』一方、スタッカートについては簡潔に『音を区切って弓を引かずに短い弓裁きで演奏することを意味する』と。
これを個人的に解釈すると「線」は「点」の延長線上にある集合であって長短は関係なく、そこにあるかどうかだけ。アマデウスが書いたのは「線」であり、その奏法も示されているわけだ。こう考えると「レクイエム」の補筆もしたことで知られる私の尊敬するロバート・レヴィンが校訂したウィーン原典版を出版するにあたり、すべて「線」に統一したことも理解できる。
天才を育て、指導した父レオポルドの言葉はとても重いものだ。その子アマデウスは教えに従って記譜したに違いないのである。いつの世にも「お言葉ですが」という輩は必ずいるものだけど、権威の解釈など必要ない。すべて自分の目で見て判断し決めるもの。そのためにも出来る限り自筆譜に一度は眼を通すように心がけたい。これ以上の一次資料はないし作曲家の感情までが読み取られることもあるのだから。

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