Sonar Members Club No.36

月別: 2013年10月

製造現場血風録ー全力疾走

2013 OCT 30 9:09:05 am by 西 牟呂雄

 7月6日(月)から、少なくとも日本サイドは第一第二工場ともフル・シフトになり、臨時派遣も配置についた。現場が底力を出し始めるのだ。この段階では各部署が自律的に立ち上がり出すので、対策本部の当初の指示に手戻りがみられるようになる。これは仕方のないことで、出来るだけ細かく調整してやらなければならない。その際にはどこにでも必ず「だからオレは最初から反対だった。」という輩が出てくる、本当にだ。こっちは毎日毎日荒っぽい決めごとを捌いているのだからしょうがない。このグチとも何ともいえないセリフがいかに当事者のモラルを下げるか、僕は経験則的に知っていたので、命令変更の際には「いいか、後になって自分は初めから反対だった、とは決して言うな。」とドスを効かせた。そういう僕自身、連日のドタバタに頭に血が上り、第二工場との往復の際アラーム・ランプにも気付かずにガス欠になり、高速道路で1時間も立ち往生、JAFを呼ぶ大騒ぎを引き起こしてしまった。

 一方で四半期が終わったための実務が追いかけてくる。やれ決算だ、下期の見通しだ、三カ年計画の作成準備だ、しかし戦力になる事務方の手足はみんな海外に投入して出払っている。挙句の果てに以前から決まっていたシンガポールの顧客の監査が二日かかる。数字の整合性は大きな声では言えないが殆どサイコロで決めたに等しい割り切りでしのいだが、普段から摺り合せていたため幹部間で大きなすれ違いが無かったのは日頃の鍛錬の賜物か。シンガポール顧客は中国語使い(中国系日本人と中国系マレー人)二人に対応させギリギリの最低点で監査をパスした。

 火災保険請求のため、保険証券と大家(工業団地の賃貸物件だった)との賃貸契約の長文の英語が送られて来て、一瞬気が遠くなった。こんなもん読んでるヒマはない。アウト・ソーシングのつもりで、工業団地に一枚噛んでいる日本商社を訪問し、①保険請求は単独でやるべきか、②場合によっては現状復帰はタッグマッチでやった方がいいか、の2点に絞って協議することとした。工業団地は現地財閥が実質のオーナーで(勿論華僑)それに対してタッグ・マッチに引きずり込む作戦だ。結果は自社による保険請求をし、誠意を持って現状復帰させる、となった。

 復旧工事の施工のため、ヘッド・クオーターの現地代表ゼネコン部門が人を出してくれる目処がついた、と事務方から連絡が入る。危機管理に必要だと説明し、いやがるヘッドクオーターに社外取締役として入って貰っていたことがここで生きた。今度は工場が復帰するまでブラブラしている現地従業員をどうするか。オペレーターは日本に連れてきて研修させれば一石二鳥ではないか。こっちは一時的にせよ大幅な人手不足なのだ。ナニ?パスポートを持ってないだと?会社でまとめて取らせて送り込んで来い!

 人間関係は悪くなっていないか、疲れが出てないか。品質は落ちていないか。客先に不安を与えていないか。考えたってしょうがないことが次々に頭に浮かぶ。イライラする時は現場に入り込んで物の流れに目を凝らした。余計な雑談などすると人を怒鳴り飛ばしてしまいそうからだ。会社の大ピンチ、とみんなが僕の一挙手一投足を見ているのだ。火災勃発から三週間目はまさに全力疾走で過ぎた。週末には密かに自宅でムチャ酒を飲んだ。ずっと飲まなかったのだ。車で通勤していたので帰りに飲めないし、元々普段から肝臓が悲鳴を上げていたので、翌日午前中を棒に振りかねない。不思議なことに毎日がドタバタしている割に二日酔いにならないので体調がいい、という珍現象を味わった。

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製造現場血風録ー火災勃発

製造現場血風録ー補給・兵站

製造現場血風録ー復興

製造現場血風録 (開発の蹉跌)

製造現場血風録ー補給・兵站

2013 OCT 27 13:13:04 pm by 西 牟呂雄

6月25日。緊急対策打ち合わせで、増産のための材料手配、四半期末の決算対策のための資金移動停止、現地で暫く使用見込みのない副資材の日本返送等、を例によって即決。ツベコベ言う奴もいるには居たが無視していたのでいつしか僕と生産計画担当部署は『緊急対策本部』と呼び習わされていた。そう言えば僕は営業・企画専門だから事業部長というものになったことがない。一度なってみたいなー、と思ったことがあったが緊急対策本部長とはシャレにならない。

この時点で新規出荷明細は膨大な出荷リストとリストラによる製造能力不足で、土日に強制出勤させてもとても捌ききれる代物ではなく到底無理なことは分っていた。しかし昨日送られて来た現場写真を良く見ると、出荷前の梱包はススもついておらず水も被っていない。こいつを出荷できればなー、と会議をやるのだが誰も結論が出せない。いい加減にアタマに来て                                       「ハラを括って出荷しろ。本部長命令だ-!」                         とやったところ、品質保証部長が                                「それでは私が行って見て見ましょう。」                                    と申し出て納めてくれた。早く言えよ早く。ついでに損害補償・保険請求・復旧手配・現地からの応援(日本での増産対応の人手)、といった事務方要員に、この4月に移動してきたばかりの担当者もつけて第二陣として明日派遣することとした。

26日(金)の朝方、台北のホテルから出張中の営業担当取締役から電話が入った。ユーザー間では既に火災の噂が駆け巡っており行く先々で『ウチの材料は大丈夫なんだろうな。』と聞かれている、とのこと。各社ナーバスになっており、一社にばかり傾斜供給すると直ぐにバレて大騒ぎになりそうなのだそうだ。急遽予定を変更して来週前半まで台湾に滞在し納期調整をするので出荷状況を知らせて欲しい、と懇願される。そんなもんこっちだって分からんものをどうしろと言うのか、と言いたいのを飲み込んで土日の進展を待て、と指示。

出勤してみると、今度は現場から『土曜はギリギリでシフトが組めたが日曜は人が集まらない。』との悲鳴が上がる。うっかりしていて第二工場では全従業員に訴えたが第一工場ではスタッフにしか伝えてない。急遽昼休みに集めて現地の写真を見せ、この際社長を引っ張り出して従業員にお願いする。

更に困ったことに来週初め、中国の合弁会社で薫事会があり現地要人及び海外工場の幹部が集まる。代わりを立てるかどうか迷いに迷ったが、すでに客先にまで火災の噂が回っていること、共同出資者に不安を与え兼ねないこと、第一僕自身が慌てふためいていると周りに感じさせたくないこと、等から一泊二日でトンボ帰りすることにした。週の頭が留守になるが致し方ない。この頃には各人各部署が自分の仕事を守るために(国内向けの出荷は続いている)情報が錯綜して、今までの現地とのホット・ライン一本では混乱を起こしかねなくなり、本日からは現地の日本人も5人となるので、日本語の通話のみは一元管理を解除した。夕方になって到着した品証チームから『既に梱包された製品は出荷可能』という喉から手が出るほど欲しかったデータが届いた。これで一週間は寿命が延びたことになる。

これは関係ない話であるが、中国では同じ敷地にグループの別の事業体も進出しておりヘッド・クオーターから監査チームが同時期に現地入りしていた。本稿の趣旨ではないので詳細は控えるが、発注上の不備が指摘されてしまい対応のテンヤワンヤに僕まで巻き込まれてしまった。後日現法の社長のクビが飛んだ。帰りのフライトで殊勝にも「オレが行くとみんなトラブルのか」と我が身の不徳を反省したりもした。

大陸の薫事会をサッサと済ませて帰国し、月が変った7月になると現場は混乱の極みとなっていった。特に検査、梱包といった下工程がネックとなってブツが滞留していた。おまけに先週現地から日本へ返送させた副資材が未整理で、又日本仕様と微妙に違うため一度洗浄をかけなければならない物が含まれていた。それでは、と人員を急遽配置したところで、一体何がどこにあるのか分らない状態に陥った。これは一種の人災で対策本部員となっている幕僚の一人を交代勤務に投入せざるを得ない事態だった。ギリギリ納期が繋がっていた一週間が過ぎたが、全く展望が開けない。

土曜も日曜もないのだが、幹部はどちらかに出ることにして(現場には個別に代休を取らせた。労基所及び組合対策)4日’の土曜日に出てみると恐れていたことが起こってしまった。副資材洗浄で残業が続いた担当者が緊急入院し、翌週月曜に即手術、人工透析することになってしまったのだ。元々持病があった上に黙々とやるタイプだったらしく、聞くところによれば朝の3時4時まで工場に居残ったそうだ。前日要員投入を決めた矢先だったが一手遅かったか、と臍を噛む思いがした。翌週に人事部長と工場長を呼び、事情を聞いたのだがロクに事態を把握しておらず、カッと来て怒鳴りつけてしまった。

「一体何を管理しているんだ!」

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製造現場血風録ー火災勃発

製造現場血風録ー全力疾走

製造現場血風録ー復興

製造現場血風録 (開発の蹉跌)

製造現場血風録ー火災勃発

2013 OCT 24 11:11:36 am by 西 牟呂雄

2008年にリーマンショックを起こし、翌年はどん底の稼働水準でどのメーカーものたうち回っていた。ここまで世界中ダメならば何をやってもどうにもならず、いっそ何も考えない方がいいくらいなのだが、組織というものはどうしてももがきたがる。一番いいのは「この際だからいつもは手つかずの××でもやろう。」という指導者だが、往々にして「このままでは潰れる。何とか売りを伸ばせないか、何かないか。」と提案を求めるのが普通のボンクラ経営者だ。無論できるリストラはやれるだけ「この際だから・・・・。」でやるのは当たり前だが。僕はそういう時は何もしないで、普段目の届かないような現場の隅をかたずけたりしていた。

朝から海外の電話が多かった。やれ、今日の出荷は保留になった、だのナントカが間に合わない、等々。東南アジアに2カ所ほど分工場を運営していて、英語・中国語が日常的に飛び交う状態なのだが、その日は何かが違っていた。そして現地から一本の電話が入った。某国の現場の炉が発火して夜勤明けに火災が発生、消防が出動して1時間以上消火、何とか消し止めたものの現場は封鎖されて中には入れない状態で被害全体は把握不能・・・・。

至急幹部を集めたのだが呆然としている。思いつくままにボードに項目だけを書き出させて『納期・バックアップ能力・製造移管・人員応援・損害・保険・・・・』といった縦軸が羅列される。横軸には『シェア低下・信用喪失・棚卸し』と続くがその右側の対策の欄までは埋まらない。僕自身が企画し、手塩に掛けて育ててきたこの工場の将来に暗澹たる思いが沸き上がってきた。

「直ぐに現地に行ける奴はいないか、今からだ。」

思わず口をついた。が、顔を上げる奴はいない。我慢比べだ、全体の気迫が迫ってくるまで指名するわけにはいかない。普段おとなしい設備部長がそーっと目を上げてくる。そうこなくては。

「わたしが、行ってきますか?」

するとその隣に座っていた製造部長も「私もいきます。」と言う。お前の方はどうでもいいんだが、猫よりは役に立つか。早速手配した。さすがに夕方のフライトは取れず、香港経由も検討したが結果翌朝一番となった。

とにかく現地の状況を逐一確認しなければ、僕の独断で現法社長の携帯との間に情報を一本化し、1時間おきに連絡させることに指示。他から頼まれたり聞かれたりしても回答することをやめさせた。幸い犠牲者、怪我人はいないらしく、最悪に事態はまぬがれたようだが、全体把握は遅々として進まない。「中には入れるようになったが電気がつかず、何がどうなってるのか分らない。」「明け方のクルーは消防のインタヴューを受けていて原因は分らない。」「クリーン・ルームには入れない。消防の水が溜まっていてプールみたいだ。」「油の臭いがひどい。」入る連絡はこちらの不安をかきたてるものばかり。

ここで解説だが、日本では工場火災などが起こると警察の現場検証等で操業などできっこないが、某国では警察が調べるのは故意かどうかだけで、事件性がなければ無罪放免であとは消防の原因調査があるだけ。それもいいかげんなものらしい。

出荷明細を、某国の本日分のデータを取り込んで明細を打ち出させてみると、この不況下にして東南アジアの大ユーザー(某国含め3カ国)向けのデリバリーが目白押しで、国内第一・第二工場をフル稼働させても絶対に間に合わないことがはっきりした。この大ユーザーは我々のシェアが高く、このままでは製造ラインがストップする。間の悪いことに営業担当取締役は台湾に出張していて一週間は帰ってこない。その大ユーザー(米系)には正直に火災を起こして一週間程度は納期が混乱する、と伝える決心をした。しかし一週間後の納期といっても殆ど無茶なものであり、今後の増産対策はこれからだ。結果は今日中には出ない。なにしろ人減らしをしたばかりなのだ。

夕方になって今回の事故報告の第一報が文書になった。ここはさるメーカーの新規材料部門が独立した分社で、普段は放って置かれているが何かあるとヘッド・クォーターが箸の上げ下げまで口を突っ込んでくる。まずは知らせなければならない。6月23日のことだった。

翌24日(水)は久しぶりに朝から現場のミーティングに出た。いずれにせよ現場には相当の負荷がかかるため是非自分の言葉で協力を願いたかったからだ。定例報告のあと一気にまくしたてた。

「知っての通りアジア拠点で火災をおこして被害は甚大だ。復旧は見当もつかない。この第一工場よりも生産規模が大きい現場がダウンしたんだ。ムチャは分っている。だがここでユーザーのラインを止めたら現地は潰れる。みんなで助けてやってくれ。」

車で1時間ほど離れた第二工場にも直接駆けつけ、こちらは昼食後全員を食堂に集めて同じことを吠えた。たった3月前に長年勤めていたパートタイマーにお引き取り願い操業シフトを落とし、更には海外生産シフトを進めた矢先である。人が足りないの大合唱だ。第二工場の空きスペースを転用・運転再開をその場で決めた。恥をしのんでの派遣・応援要請もついでに決めた。3ヶ月予測も原則論も何もない。

第一工場に戻るとやっと被災現場に入れた現地スタッフから生々しい写真が送られてきた。天井は焼け落ち、炉の設置場所は真っ黒焦げ、屋上の梁は高熱で波打っている。フゥーッとため息が出た。

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製造現場血風録ー補給・兵站

製造現場血風録ー全力疾走

製造現場血風録ー復興

製造現場血風録 (開発の蹉跌)

オリンピックへの道 (2015年からの憂鬱 エピローグ)

2013 OCT 20 12:12:52 pm by 西 牟呂雄

2020年夏、東京オリンピックの開会式が華々しく開催された。新国立競技場に大観客が集まり各国の入場行進が始まっている。恐慌からは回復途上であるが史上最大規模(但し参加人数は最大でも何でもない)の入場行進の後、かつては海自の歌姫と言われた現国防海軍の華、今なお美しい三宅由佳莉中佐の澄み切った君が代の独唱が流れた。終わると同時に前回の東京オリンピックでも披露された大空への五輪が描かれる。それもブルーインパルスだけではない。国防空軍自慢の女性アクロバット・チーム、ピンク・フラワーズとのダブル・五輪なのだ。

昨年の尖閣事変の後、東アジアは様変わりした。中国は分裂し結果的には四つに割れた。正統な北京の共産中国、杭州を首都とした南宋共和国、内モンゴルから半島38度線までの中華合衆国、そしてダライ・ラマが復活させたチベットである。実は尖閣周辺はその後の第七艦隊および国防海軍による海上封鎖を経て、報復攻撃をすることなく静けさを取り戻し、今日に至るまで俗に言う独立混成旅団が駐屯している。竹島は中華合衆国と日本からの猛烈な圧力により無人化が図られた。親日の中華合衆国は積極的に平和共存主義を唱えて移民を奨励したため、突(ウィグル)・漢・蒙・満・鮮そして日といった諸民族協調のEU型国家に変貌したのである。無論、鉄壁の日米・日露の安全保障条約があったればこそであり、又背後には環日本海関税同盟の締結に向けて日本・中華合衆国・ロシア・韓国の交渉が着々と進んでいたからだった。

大観衆の中に感慨深い顔をした5人が並んで座っていた。向かって右から英(はなぶさ)・原辺(ばらべ)・椎野・出井・大和の面々である。英は事変後キャリア除隊しライフワークのアメリカ文学の研究に打ち込むことになっている。実際に骨折していたので早期除隊が認められたのだ。原辺と椎野も戦闘参加扱いになり、傷病除隊で年金がもらえるようになったのでサッサと辞めた。出井は大怪我だったものの一命を取りとめ、功一等で昇進、女性初の国防陸軍少将として防衛省幕僚になっていた。大和も戦果ありということでキャリア除隊が認められ、大学教授への道を進むことになっていた。ただ、原辺と椎野の傷病除隊に関しては、実際には帰隊の際に斜面を転がり落ちた時の大したことのない打ち身、捻挫、擦り傷、切り傷を、被弾によるケガということにして、大和が口裏を合わせてくれたからなのだが。

日が暮れ始め、そろそろ聖火が灯されクライマックスを迎える頃、帰りの混雑を避けるため5人は席を立って食事に行った。平和にこの日を迎えられたのは間違いなく混成旅団の戦友の犠牲の上に成り立っていることを実感できるのは、互いにこの仲間しかいないことを知っている。静かに過ごしたかったのだ。近況を報告し、乾杯した。
「出井閣下は現在は何をされていますか。」
「防衛省の幕僚第二部長です。インテリジェンス部門ですから皆さんが何をやっているか全部わかりますよ。」
「・・・・。」「・・・・。」「・・・・。」「・・・・。」
「大和君はどうしているのですか。」
「来年教授になれそうです。唯、色々やることが多くて研究の時間がけずられそうで困ってます。」
「閣下はご結婚はなさらないのですか。」
「誰も寄ってきません。諸君の誰かプロポーズしてくれませんか。」
「・・・・。」「・・・・。」「・・・・。」「・・・・。」
「椎野君は。」
「ハッ、基本プータローであります。ヒマでしょうがないので中華合衆国に移住しようかと考えてます。」
「それはピッタリです。情報をいただければ助かる。肩書きが無いのがうってつけです。当局は一切関知しませんからね。あはははは。」
「・・・・。」「・・・・。」「・・・・。」「・・・・。」
「原辺君は。」
「ハッ、自分もプーであります。戦友を弔いたいのですが300人も墓参りできないので靖国神社に300回行くのを目標にしています。」
「正確には施設部隊を入れて318人です。尚、尖閣事変は攻撃国を特定せずに解決したことになっていますから英霊扱いされません。靖国にはいないことになってますよ。」
「・・・・。」「・・・・。」「・・・・。」
「知っています。ですから自分で私設靖国神社を造りました。」
「ナニッ。」「バカ。」
「山梨県富士吉田市に建てたあの掘っ立て小屋のことでしょう。」
「・・・・なんでご存知なんですか。」
「諸君は尖閣事変の生き残りですから。見られているんですよ。おっとこれはオフレコに。ははは。」

おしまい

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オリンピックへの道 あと1年(2015年からの憂鬱 急章)

2013 OCT 17 12:12:55 pm by 西 牟呂雄

2019年、世界の各ブロック経済が拮抗する故の気だるい平和の中、来年こそは東京でオリンピック、のかけ声とともに年が明けた。前回衆参同時選挙でも大勝していた最強安倍内閣も磐石かと思われていた。ところがそれは直ぐに吹っ飛んだ。

報道管制が強化され、内部の情報が断片的にしか伝わらなかった中国で内乱が起こっていたことが明らかになり、ついに分裂したのである。この3-4年に及ぶ経済混乱に統制に関わるコストを負担しきれなくなったのが直接の原因だった。古来より周辺国との関係において、朝貢体制による柵封というのがスタンダードで、革命前には国防関連費用がGDPに対し今日では考えられなかった程低かったのが中華というものであった。しかし共産中国は膨張しその負担が高くなりすぎたのである。元々北京とは仲の悪かった上海が香港と結託し、長江を境に独立の動きを見せたのが1月。スローガンにかの「プロレタリア文化大革命」が掲げられ紅衛兵が復活したのだ。管区人民解放軍がこれに乗る動きをしたためにもはや中央の威光が利かなくなっていたが、激高した北京が長江北岸に第三・第四野戦軍を出動させると、期をあわせるかのように、東北部が長城を国境とする独立を勝手に宣言した。既に完全に瓦解していて小競り合いにまでなりかけていた北朝鮮は、その動きに乗ずるように東北部独立に統合すると発表した。国名に『金』を復活させるという噂が飛び交い、実質の仕掛けはどうやら国家を維持し続けられなくなった北朝鮮執行部の呼びかけのようだった。東北管区の人民解放軍が鴨緑江を渡ったことが米衛星によって確認され、朝鮮人民軍は38度線に集結していたのだった。1月末にはこの『金』が韓国への牽制のため、竹島の領有権は日本に有り、と声明を出すという情報が駆け巡った。周辺国は俄に緊張し、台湾は金門・馬祖両島に陸軍を上陸させ、韓国は38度線に緊急出動、同時に竹島にも海兵隊を駐屯させた。

日本の政局は毅然と対応しようとする安部総理に対し、むしろ与党の公明党と自民党のハト派が足を引っ張る混乱に陥り自民党が分裂してしまう。土台が300議席が重すぎるのだ、色んな者が多すぎた。選挙をしている時間がない、と即断した安部総理はハト派と公明党を切り捨て、2/3の自民党と野田聖子率いる保守本流党で連立を組む賭けに出た。結果は衆参両院の首班指名で野田聖子総理大臣が誕生。安部総裁は力を温存できた。この間1週間。時の首相となった野田聖子はここに至って果敢に決断、尖閣に国防陸軍を上陸させ、海上封鎖する意思を固めた。そして出井旅団に強行上陸の命令が下った。

2月とは言え沖縄近海まで来ると日差しが暖かい。老人部隊は甘やかされているので当然統制は緩い。機動空母『いずも』の飛行甲板で原辺と椎野はまるで南の島にバカンスに行くようなノリで上半身裸で肌を焼いていた。大半のオヤジが船酔いで苦しむ中、二人は平気だった。                                               
「お二人とも船にも強く頼もしい限りです。」                           
サングラスを取るとこの日差しの中、制服制帽に汗ひとつかいていない出井大佐と汗だくの英曹長が立っていた。
「失礼しました。」                                          
慌ててシャツを着て敬礼する二人を制し、                           
「結構。それくらいでちょうど良いかもしれません。英特務曹長は本でも持ち込みましたか。」
「ハッ。原書30冊を別送しています。」                             
「アハハ、気を抜いてはいけませんが、敵海兵隊との交戦にはなりませんよ。」
と笑いながら行ってしまった。                                  
「なんだありゃ、クソ度胸満点だな。」                              
「本当に女か。良く見ると美形ではあるが・・・。」

島が見えてきた段階で『いずも』からはオスプレイのピストン輸送で上陸。魚釣島の旧村落の近くと平坦部のある南小島に、アッという間に300人が移動した。これとは別に揚陸艦と大型のバートルにて、大和大尉が指揮する同じく老人施設部隊が重機・資材を持ち込んでおり、テキパキと駐屯地を設営していた。『いずも』はさすがに長居は無用とばかりに直ぐ視界から消えて沖縄にいった。プレハブに毛が生えた程度の兵舎を南小島に、戦闘指揮所及びその他の観測所といった設備を魚釣島に構築していた施設部隊はゼネコンのOBが多く、さながら熟練工の集まった精鋭部隊で、出井旅団とは士気からして違う。昔取った杵柄のノリで徹夜で仕上げまで完了させた。翌日には一部の調整に掛かる20人程度を残して帰って行った。

魚釣島には南国らしい蘇鉄が生えており、海はメロン色、夕日が落ちる時などはオレンジ色の光が射して来る。かすかな雲が水平線あたりに漂っている所などに思わず見とれている老兵が多くいた。100人程が南小島に居り、200人は魚釣島で昼夜3交代勤務での3勤1休のローテーションで配置に付いた。夕食後南小島からボートで魚釣島に行き、配置について夜11時時からの夜勤、朝まで警戒に当たり7時に交代して仮眠、午後3時からの昼勤務が11時まで、睡眠後常駐体制で3時まで、次の入れ替えと交代し南小島で夕食、翌日休みの体制が組まれた。3日も経たない内に曜日の感覚は無くなった。もはや保安庁ではなく国防海軍の輸送船、潜水艦、揚陸艦が物資を運ぶ体制で一週間が過ぎた。いくらでも弛緩してしまいそうな環境であったが、出井旅団は何とかそれなりの緊張感は維持できていた。

ある日、南小島から魚釣島に向かうボートに出井旅団長と英曹長が一緒に乗り込んできた。初めから原辺・椎野に話しがあったらしく上陸後に「集まられたし。」とお達しが来た。テント仕立ての野戦ヘッド・クオーターに招き入れられると他にも大和大尉以下施設幹部の姿もあった。出井聯隊長は地図を覗き込むと、

「北東部の海岸線の守りが手薄です。至急機関砲据付けを行うコトになったため現地調査並びに設営可能ポイントの確保をされます。明朝大和大尉の指揮の下出発して現地にて野営、帰還されたし。尚、断崖絶壁の為海上からの接近は困難。設営のための補給も必要なので、地上移動のこと。移動用具・食料携行、通信確保準備。本日の夜間警戒免除。
「ハッ。」「ハッ。」                                          
翌日は日の出とともに出発した。山中行軍ではあるが武器は持たず、ましてや1泊しかしないので、食料・通信機器の10Kg程度での装備だったが、やはり山登りはきつかった。施設の大和大尉は、これも若年キャリアのようで山登り山中行軍は二人組と同じようなスピードで大したことはない。途中休止の時点でもうヘトヘトになっているようだった。
「大尉殿はやはり若年キャリアですか。」                           
「映画の見過ぎですよ(ハアッハアッハアッ)。国防陸軍は『殿』は付けませんよ(ハアッハアッハアッ)。専攻は生産工学でした(ハアッハアッ)。施設入隊2年目です。」                                   
息も絶え絶えでこりゃどうなる、と原辺と椎野は顔を見合わせた。

這々の体で島北東部の崖の上にたどり着くと、青い海が広がった。ポツンと島が視界に入る。見渡しても敵の気配も何にもない。傾斜はきつくて海岸までは降りられそうもないので、設営可能な場所を手分けして調査した。ようやくここで良かろう、と最適ポイントを見つけて本部に連絡・報告した。大和大尉は輸送ルートの確保に地図を覗き込み、仕切りに計算している。原辺・椎野は樹木を切り倒したり簡易スコップで整地等をしているともう野営の準備になった。火は起こせないから携帯食料でわずか10分の夕食を食べると見事な夕焼けとなった。南の島でも2月の終わりでは日が暮れると涼しいというよりは肌寒い。雨除けのタープを吊っただけでそれぞれ眠った。

ドーンドーンドーンバリバリバリバリドーンドンといつ終わるか分らない物凄い轟音とビリビリ伝わる衝撃波に飛び起きた。音が止まないので声も伝わらない。それぞれが「どっちから来るんだ。」「やられてるのか。」「敵襲かー。」と言っているようだがお互い全く聞こえない。30分は音が絶えなかった。島の反対側が集中的にやられたようだった。俗に、寝込みを襲う、と言う早朝未明の奇襲攻撃なのだが、島北辺には敵の艦船など見えない。味方の反撃は全くないようだ。通信を試みていた大和大尉が首を振って言った。

「全く連絡がつかない。ここにいてもダメだ。戻りましょう。」                 
三人は装備を装着し、ゴソゴソと山を越えた。分水嶺から見えたのは南小島から幾筋もの黒煙が上がり、駐屯ベースは真っ黒焦げになっている。魚釣島のヘッド・クオーターにも何発もくらったようで跡形も無い。急斜面を滑りながら必死で降りた。

やっと息を切らせて降りてくると何とも言えない臭いがして、苦しいくらいである。まさかの戦場の実態に物も言えなくなった。しかし建物は吹き飛んだが命中したのは微妙にポイントが外れていて起き上がって動いている人陰が煙りの中に見える。三人が駆け寄っていくと血だらけの出井大佐に小柄な英曹長が肩を貸していた。                     
「ご無事ですか。」                                         
「モルヒネを・・・・。無事が確認出来たのは他には・・・・。」                 
「設営に行った東側には生存者がいるはずです。恐らく南小島は全滅かと。」
「それでは残存者は大和大尉が指揮を・・・・。訓示があります。」            
「ハッ。」「ハッ。」「ハッ。」
「注目。本作戦はこれをもって終了。攻撃は 潜水艦によるスタンダード・ミサイルによる無差別飽和攻撃。やって頂きたい事があります。国旗の掲揚。そして直ぐに救助ヘリが来ますので我々の配置を伝えられたし。遺体のできる限りの保全。」
苦しくなったのか、深く息を継ぎながら最後の力を振り絞っているようだった。
「実は第七艦隊は既に海域に接近しています。国防陸軍石垣揚陸部隊も直ぐに上陸します。追加攻撃は無い。申し訳ないが、東京オリンピックの成功のために、どうしても最初の一発は受けざるを得ないという、誠に苦渋の選択による作戦でした。よろしいか、領土とは国旗があり、守る者がいてそしてその犠牲の上にしか成り立たないものなのです。・・・・諸君に感謝します。」
3人は暫く呆然としたが、あきれるほど静かな午後になって、使える資材の中からポールと日の丸を探し出し掲揚した。掲揚したのだがいかにも無意味な光景ではあった。すると轟音とともにオスプレイが3機飛来した。
「わかったぞ。出井大佐は我々を逃がしたんだ。国旗掲揚と部隊の存在証明に。」
冷静な大和大尉がつぶやいた。                                    
「大尉。飛んでくるのは国防軍なんでしょうね。」                       
「見れば分るでしょう。日の丸です。」                              
単純な原辺は感動して喚いている。                                
「出井大佐の遺骨を内地にお連れしなければ。」                        
皮肉屋の椎野はせせら笑った                                 
「バカ、まだ亡くなってない。モルヒネが効いてるだけだ。これじゃオモチャの兵隊の在庫セールだぜ。お前みたいなのが一番危ねーんだよ。こういう時は。」

折しもオレンジ色の夕日がオスプレイの編隊をシルエットにしていた。

 
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オリンピックへの道  あと2年(2015年からの憂鬱 破章)

2013 OCT 14 16:16:09 pm by 西 牟呂雄

2018年の春、国防陸軍朝霧駐屯地に新兵が配置されてきた。国民皆兵法による徴兵第三期300人の部隊である。四半期に一度の募集が原則であるが、自主的な入営の希望者が殺到したためこの年に限って毎月の配属である。年齢はバラバラであるが、大部分が中高年で2~3割が20~30台の比較的若い者も散見される。予想されたことではあるが、整列させてもピシッとしない。この300人は独立混成旅団として編成され、指揮を取るのは若干40がらみの出井大佐。新制国防陸軍は旧階級が復活していた。事前の調査によって比較的健康状態のものが集められたことになっている。訓示の後は下士官 英(はなぶさ)特務曹長の元、早速行進の訓練である。これがまたひどい。『前へーッ、進めーッ。』『左向けーッ、左!』『回れ右前へーッ,進めッ』英特務曹長の呆れ返った顔が次第に強ばりながら、何かを書き付けていた。

新規部隊を受入れるに当たっては国防軍当局もかなり気を使ったため、命令口調も嘗てのような険しいトーンは消えており、ましてや帝國陸軍のような内務班内の陰惨なシゴキは全く消えていた。『ナニナニされたし。』『ドウシタされるべし。』といった国防軍用語が用意されていた。

「本日はこれにて解散されたし。夕食後、各位点検、フタヒト・マルマルに就寝さるべし。」フタヒト・マルマルとは娑婆で午後9時と言われる時間だ。

英 曹長の疲れ果てた声に送られ、平均年齢63才の新兵達は兵舎に向かった。

「やれやれ、廻れ右なんて小学校以来だよ。忘れてた。」

原辺(ばらべ)はベッドにヘルメットを投げながら隣の椎野に聞こえるように言った。

「郷に入っては郷に従え。いくら何でもその内慣れるさ。」                     
軽く目で笑いながら答えた。二人は入隊時に同じ63才であり、聯隊の配属も同期だったので行動を共にしていた。椎野はどこから聞いてくるのか情報通で実に物が解っているふうだった。
「あの英曹長ってのはずいぶん若いな。まだ20代だろ。」                 
「あれはキャリア入隊の腰掛け。国民皆兵法が出来た時に大学卒業だけど就職するのもめんどくさいから体の利くウチにサッサとやっておこう、てクチだな。下士官やって上にいくのかどうか考えるんだろう。本職は英文学らしいぜ。」
「出井旅団長は?」                                        
「あっちはバリバリのエリートだよ。技官だそうだからもうすぐ予備役だろ。あの法律はキャリア・エリートの類いは予備役になっちまってからが人生の果実でオレ達みたいにならんですむ訳だ。だけどアレ40そこそこだろう、かっこいいよなー。」

若いエリート部隊と違い、老兵混成旅団は大幅に自動化が進み戦力的にも機動力は期待されていない。装備も固定されている武器以外は改良された『軽量突撃銃』が主流で、移動も全て軽量装甲車。災害救助の役には立たないし、往年の陸上自衛隊に比べればピクニックに毛が生えた程度の訓練でもすぐに音を上げる、何しろ年である。それなりにカリキュラムをこなして、初の外出日となった。殆どの者が出払ってガランとした兵舎に何故か原辺(ばらべ)と椎野が取り残されていた。
「椎野はどこも行かないのか。」                                 
「お前こそ家に帰らなくていいのか。」                             
「いろいろあんだよ。」                                      
「こっちだってそうさ。」                                      
そして二人でシコシコ飲みに出た。
原辺は50で離婚され還暦でリストラされ、居場所を失って入隊して来た。
「オレ何と息子から勧められちゃったんだよ。アイツ今度結婚するんだけど、オヤジどうせ国民皆兵だから入隊するとウチが空くだろ、だってさ。いつまでいることになるのかな。」
「オイオイ、少しは調べておけよ。ここを出て食えるなら2年満期だけど、国民皆兵法は本当のところ年金打ち切りだからな。放っといても年金貰えるのは国家公務員OB,教員OB、自立農業経営者、まあ他にもクドクド決めてるみたいだけどハグレ者には関係ない。生意気なこと言ってて挙句の果てに役立たずになった輩の一括処理みたいなもんさ。お前みたいにガキにおん出されたり、カミさんに追い出されたり、オレみたいにヤケになった者の吹きだまりだ。」
そういう椎野は経営していた会社を売り飛ばして遊び歩いているうちにバクチの大負けで借金を背負い込み、しばらく海外に逃げていたが里心がついて帰国したところ、女に追いかけ回されて逃げ込んだのがこの部隊だった。他も大体似たり寄ったりなのだろう。
「だけど怪我したり病気になったり、それこそボケたりしたらどうなるんだ。」
「それが簡単にはいかないんだよ。使いもんにならなくなると各師団に併設されてる野戦病院にブチ込まれておしまい。出られなくなるぞ。程度のいいのは朝から晩まで単純作業、ひどいのは人間扱いされなくて直るもんも直らんという話だ。凄いのは網走の第七野戦病院送りで細菌兵器の実験台にされてる、という噂もあるくらいだぞ。何しろ元刑務所だからな。」
「そんなことしたらさすがに問題になるだろ。」                        
「あくまで噂だがな。ひどい扱いではあるらしいが冷暖房完備で、別に拷問してるわけじゃないからな。第一ボケの入った老人なんか天下の嫌われ者だ。どうもそうしちゃった方が社会的なコストが一番安いんだそうだ。」
「オイオイ、でも看護師さん位いるだろ、若くてきれいな。」                 
「フッフッフっ、そこにいるのがバーサマ部隊なんだよ。ここの賄いにもいるだろ。やつら復讐のつもりなのか、ボケたやつなんかオモチャにされてるらしい。行くもんじゃない。」

奇妙な平和が醸し出す弛緩した空気がいいやら悪いやら。世の中はオリンピックまであと1年チョットだ、と煽っていた。しかしどんな世界でも差がつくもので、出井混成旅団は比較的デキが良いらしく、半年後原辺・椎野の二人は同期のトップで二等兵に昇進した。老人部隊には三等兵が新設されていた。出井旅団長から食事の案内が届く。恐れ多くも英曹長の後陪席であった。佐官食堂に第一種礼装で赴く重々しさはさすがに国防陸軍の面目躍如。二人で個室に入ると両上官が挙手の礼をもって迎えてくれた。
「大変ご苦労様です。今後とも宜しくされたし。」                         
丁寧な言葉使いで労ってくれる旅団長は近くで見ると大変なイケメン、隣の英曹長は小柄だが厳しい表情を崩さない。訓練の感想、生活について色々話題に上ったが二等兵組からは特に不満や要望は言わなかった。文句を言わず質問をしない兵隊は良い兵隊だからだ。1時間が経過した。                                        
「それでは私は午後に視察がありますから、これにて失敬。実は来月早々新規配属三等兵が30人我が旅団に配属されます。新兵教育について英特務曹長を補佐されたし。引き継ぎを受けられます。」
ビシッと決まった敬礼をして辞していった。3人で班編制、教育スケジュールの打ち合わせを細かくした。
「旅団長殿は大変立派なお方ですね。」                           
「原辺二等兵、国防陸軍では『殿』はつけません。出井大佐は防大物理出身で、実戦部隊は初めてのはずです。責任感旺盛。判断力、統率力、敢闘精神どれをとってもダントツの指揮官でしょう。」
「英曹長はどういう御経歴でありますか。」                           
「自分は英文学、特に現代アメリカ文学が専攻です。就職をするつもりがまるでなかったので、ここに来ました。先例が少ないので、いつまでいるのか、退官後は学究生活にもどります。デモシカ曹長ですよ、あははははは。」
「・・・・。」「・・・・。」                          「どうもお二人ご存知ないようですが、出井大佐は女性ですよ。」              
「エッ。」「えっ。」

つづく

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オリンピックへの道 あと5年(2015年からの憂鬱 序章)

2013 OCT 11 9:09:12 am by 西 牟呂雄

2015年夏、予てから恐れられていた中国経済が崩壊した。理財商品の決済ができなくなった地方銀行の破綻から飛び火し、シャドウバンキング等の破綻が隠せなくなってしまった。外貨が一斉に逃げ出したのである。もはや信用不安どころではなくなった共産党中央は、ほぼマーケットを閉鎖せざるを得ず社会主義市場経済の看板をかなぐり捨て、報道はブラック・アウトして国境も閉鎖するという超強行手段をとった。一部の米国債が出回っていたことは噂になっていたが、大量に売却されたことから誰も手がつけられず、さすがのアメリカも度を失った。中国はWTO加盟国の面目もなにも、ルール無視の蛮行を繰り返し貿易は香港の窓口以外は全て表に出られなくなったのだ。

ところが不思議なことに軍事的な緊張は全く起こらなかった。中国は国境を固めるばかりで、内側に閉じこもったことと、アメリカがアジアに構っていられなくなったからである。中国の国内から洩れてくる話は、どうやら力で押さえつけていた地下経済が地方当局の制御を受け付けなくなるほど相対的に肥大し、又周辺の少数民族問題を押さえつけることに人民解放軍を投入し続けるコストに耐えきれなくなって、外に向かう余裕がなくなってしまったようだ。一方経済は世界中どこもかしこもメチャクチャになりG7もG8も全く機能しない。年の暮れに向けて暗雲の中、金はバカ上がり、物は売れず、大雑把にいって資源の無い国は猛烈なインフレ、エネルギー輸出国は逆にウルトラ級のデフレが進行する有様。複雑に絡み合ったグローバル経済を調整する機能・信用が消失したのだった。売れもしない物は誰も造らない、と言う簡単な理屈で時代はリーマン・ショックどころか大恐慌の遙か以前に退化したかのようであった。要するに中国自身がグローバル経済に組み込まれてしまって、一国の統治機構の限界を超えたことにあまりにも無警戒だったのだ。

その中でただ日本のみ、無論急ブレーキはかかったが、何とか踏みとどまった。ひとえに絶好調で再選を続ける安部最強内閣が、メタンハイドレードの商業生産を可能にし、北方領土解決(面積等分方式、地続きの国境ができた)の際にロシアと交わした安全保障条約に加え、天然ガス樺太ライン敷設により長年のエネルギー問題を解決していたからである。日露国境は新名所として観光地化してブームを呼び、エトロフバブルが一時的に発生した。この日露安全保障条約は、日米条約の不備と不可侵条約の不健全を補完したような『国際条約の宝石』とも言われた緻密なもので、アメリカさえも異を唱えることができなかった(紙面の都合上詳しくは文献参照)。勿論日米同盟堅持の大前提あってこそであるのだが。

年が明けると、貿易決済を以前からユーロにしていた北朝鮮が国家機能を全く失い、中朝国境が廃止されそうになった。国境に人民解放軍が進駐する恐怖感にかられた韓国朴大統領は、前年から経済破綻していたこともありここに苦渋の決断をし、安部総理の呼びかけた日台韓ブロック経済圏に参加することとした。あまりの中国に依存した経済の大打撃に反対世論が形成されなかったことが大きかった。この効果は絶大で、2016年は数十年ぶりに何やら奇妙勝つ緩やかな共生感が漂ってきた。無論GDPは各国マイナス成長なのであるが、日本式『仕方が無い』韓国式『ケンチャナヨー』台湾式『メィウェンテイ』が合体したとでも言うのか。3国とも少子化の傾向が著しかったせいかも知れない。ただ竹島だけはこの時点では未解決であった。

2016年のリオデジャネイロ・オリンピックはまず開催地のブラジルの破綻が現実のものになり手をあげてしまい、強行しても参加国はせいぜいG7くらいの規模でしかないため、戦時とモスクワボイコット以来の中止の憂き目にあってしまった。

夏の勝負どころだった衆参同時選挙はまたもや安部自民党の圧勝で政治的には無風が続く年末、通常国会において、突如『国民皆兵法』がヴエールを脱いだ。それは周到に練られた案であったが、一言で言えば『兵役に就かない者への年金はストップする』だった。しかも遡って全国民に、だ。官邸側近及び少数の官僚が練っていると言う噂はあったのだが全く洩れてこなかった。検討グループに民間・学者・有識者の類いを一切入れなかったため、リークもされなかった。 即ち、この時点で10%の消費税でも超恐慌の元、財政は悪化どころではなく、かといって15%への増税が通るわけもなく、ターゲットにされたのが年金だった。一方で少子化による若年人口の減少はこれも止める術がなく、最早ニートだ引き籠もりだの類いを放っておく余裕もなくなっていたからである。早い話、一度でも兵役を勤め上げれば面倒みるがそれ以外は知らん、とする制度のようだ。問題はいままで勤め上げていないオヤジ、オッサン、ジイサマ、の類いで、この辺はこれからの詰めとされた。本当に年金が支給されるのは70才以上で、ガタがきていたりボケが始まっていなければ兵隊に取られて働く事になるのだ。衝撃が走った。だが、通常国会の議論は反対論に対する準備が実に周到で、ありきたりの空論を質問に上げる野党議員の意気があがらないまま、予算を編成して審議継続で年を終える。

2017年は奇妙な超恐慌下の平和は慌ただしく続き、日台韓の経済ブロック効果は東南アジアからインドへと非軍事的に連帯を伸し、各国の経済に些か効果をもたらした。第一次安部内閣の『自由と反映の弧』が、規模感は縮小したものの実現してしまったのだ。その中で、通常国会において、秋に例の国民皆兵法の国民投票が実施されることになった。既に改正されていた国民投票法がここで生きたわけだ。そしてその流れにおいて憲法改正、皇室典範改正までもが俎上に上がる。政党はこの頃とっくに再編されており、自民党・公明党・共産党以外は極右の正義党、中間の進歩党、北斗党、平和クラブであるが、旧左派は政治的に全くパワーを失っていた。大きく特筆されるのは、最強安倍内閣が憲法9条の『永久にこれを放棄する』の項目を残したまま集団的自衛権を堅持すること、更に期を合わせるかのように愛子内親王殿下、秋篠宮佳子内親王殿下の旧皇族との婚約あい整い、皇室典範が『男系』の一条を滑り込ませる離れ業もあり、10月1日の国民投票日を迎えた。

結果は投票率85%という驚異的な投票率で、何と、3投票案件とも70%越えの指示が示された。直後から投票率・賛成率の合計から6割しか賛成していない、という裁判が各地で起こされたが、民意は動かなかった。ひとえに内乱状態に陥った中国からの外圧がなかったことと、ブロック経済に異存を高めた韓国からの反発がなかったことが地滑り的な投票行動を呼んだ。更に巷間噂されていることには、役立たずの亭主が定年後ブラブラしているのに業を煮やしていた熟年主婦層(賛成票では最も多かった)が賛成し、先のことを考えない失業中の若年層と、実際ヒマを持て余しそうなオヤジ層が投票した結果だった。

あまりの票の多さに目が眩んだ保守政党も(この時点で衆議院自民党300正義党80議席)離合集散の動きが起こり、安部総理率いる自民党と野田聖子党首を擁する保守本流党に再編され、野田は時期総理の筆頭候補に躍り出た。信じられないことであるが、フェミニスト・リベラルはやることが無くなってしまい、男女雇用均等法を盾にとっての門戸開放運動に押され、看護・賄い・後方支援専門の通称『バーサマ部隊』の設立を推し進める有様で、何と通常国会において成立してしまった。

国防陸軍の編成は急ピッチで大幅に改革された。学業修了者の即時入隊組は訓練後、しかる後に下士官になって年金は安泰、隊員の競争率は2倍に達した。中学卒業に受験する少年国防学校(かつての少年術科学校)は20倍の競争率に、国防大学も一躍超難関校になってエリートとなった。例の奇妙な平和の風の所以である。

つづく

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春夏秋冬不思議譚(熱すぎる夏に干からびる恐怖)

2013 OCT 9 17:17:22 pm by 西 牟呂雄

 暑い暑い夏に一人で油壺のハーバーに来て、もう2週間になる。それにしてもこの熱さシャレにならない。どこかの港まで行ってもいいのだが、もうこの年になるとちょっと荒れた海に出るのが面倒だし、逆に全くの凪だとエンジンをかけてセールも上げない。結局入り江の入り口で舫いを取って風に吹かれながら酒を飲む。こう熱いとビールは旨くない。汗が出すぎて脱水症状みたいになるからオン・ザ・ロックのウィスキィか焼酎。恰好はと言えば若い連中と違い肌を露出して焼けすぎると火傷のように腫れ上がって皮膚癌にでもなりそうだから長袖のジャージにキャップを目深に被ってサングラスという変質者のようないでたち。たまに海に飛び込んで涼をとると、もう眠くなってしまい昼寝。食欲は無いから、ハーバーに帰れば定食で済ませてしまうし、大体1日1食で事足りるから金も殆どいらない。先週は週末に友達が遊びに来ていたので少しセーリングしたが、それ以来人と喋っていない。デッキで寝転んで本を読みながらガブリとジャック・ダニエルのロックを一口、まずい。氷がすぐ溶けてしまって薄くなっている。あわててボトルからドボッと注ぎ足しでもう一口。やっぱり凄く汗が出てくる、まるでサウナだ。2-3ページめくるとのどが渇くのでまたガブリ。もう氷が溶けている。

 パラパラッと音がしたような。青空の遠くに入道雲、こんな時に天気雨か、フッと顔をあげて水面を見るが波紋はない。おかしいなと身を乗り出して船体から海面を見た。すると夏にしては透明度の高い海中を銀色の魚影がスーッと横切った。シイラだ、あれは。普通こんな湾の入り口まで来ることはないが、どうした風の吹き回しか迷い込んできたようだ。悪食のグロテスクな魚だ。疑似餌を引きながらセーリングすると時々掛かるが、刺身にはならない。釣り上げると暫くして魚体が緑色がかってマッサオになるのが不気味であるが。見えなくなって暫くすると又戻ってきた。なんだこいつは。

「ハグレモノメ。」

ん?どうした?周りにはアンカーを打っている船もない、磯釣りの人影もない。

「ハグレモノメ。」

え?海から聞こえる。シイラが喋ったのか。ギョっとして海面を覗き込むとあのシイラがやや横に寝ているようにユラユラ漂っていて、そして目が合った。シイラはそのままジッとしているようだった。何だか腹が立ってきた、浮浪者(はぐれもの)だと!               「オイッ、そこに居ろよ。」                                     と魚を怒鳴りつけてキャビンに降りて銛を取ってきた。驚いたことにまだこっちを見ている。ヨーシ、銛の柄のゴムを一杯に引き絞って先端の狙いをつけた。          「死ね、このシイラめ!」                                     と銛を放つと、ジャボンっという水音とともに泡が立った。消えて波紋が納まるとそこには何もいなかった。不思議な気持ちでいると今度は船首のほうから魚影がまた寄って来た。平気なのか。なめてやがる。もう一度キャビンに行って水中眼鏡を取ってきた。見ると同じ所にまたいた。アタマに来たので目の前に飛び込んでやった。海中で睨みつけるとシイラはこっちを見ている。しかし魚は目が横についているくせに正面からこっちを見据えて、何なんだ。

「ヨワムシ。」

はっきり聞こえた。不思議なことに海の中なのに体が浮き上がらない。普通は足があがってしまうのだが。

「ヒトリボッチ。」

もう外さないぞ。魚なんかにナメられてたまるか。                                          「この野郎!」                                           あれ、声が出る。あれ、水中を歩けるぞ、・・・・。

 

 

「ねぇ、あのヨット昨日からあそこに泊まってない?」                     「そうだな、だけど誰も乗ってないみたいだよ。あそこのポイントって係留禁止じゃなかったかな。乗り捨てしちゃったのかな。あれオーナーは誰だったっけ。」          「あの物凄い変わり者のおじいさんだよ。」                          「あー、分った分った、あの人ね。」

 

春夏秋冬不思議譚(春の桜に愕然とした日)

春夏秋冬不思議譚 (秋の日に慌てた少年)

春夏秋冬不思議譚(ゲレンデに砕けたスキー靴)

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春夏秋冬不思議譚(春の桜に愕然とした日)

2013 OCT 6 13:13:47 pm by 西 牟呂雄

 初めて桜を見たのはいつだったろう。私は下町の人間で、あのあたりの者が行くのは上野(ノガミと言っていた)か靖国神社だが、ウチは専ら靖国の方だった。朧気な記憶の中に夜桜を見に行ったのを覚えている。ただその時の印象は、今ほどライトアップされておらず、薄暗い闇の中でゴザをしいてウジャウジャと酒を飲む花見客が百鬼夜行的に見えた気味の悪さだけが残った。あれが最初の記憶とは桜に失礼な気もするが。

 ところで、あの一斉に咲くソメイヨシノは江戸期に品種改良されて以来、全て接ぎ木で増えたもので、即ち全部クローンだそうだ。だから一斉に咲いて散るのだが、あれが桜でよかった。人間だったら見られたもんじゃない、同じ顔がずらりと並んでいるのだから。私としては一人でポツンと立っているような枝垂れ桜の方が好きで、あの地面に触れるくらいに伸びた枝の先まで可憐な花がついているのはいくら見ても飽きることがない。我が家の菩提寺はY県Y町にある西願寺というが、そこに見事な枝垂れ桜があり、毎年楽しみにしている。Y町には我が山荘『喜寿庵』があり、こっちには富士桜が一本、儚げな花をつける。花びらが小さくて、芝生の上にまき散らしたように落ちたところがきれいだ。これも桜に申し訳ないか。

 それがある時、愕然とするのである。人が見て感動している桜と僕が愛でる桜は、どうも色が違うらしいことが解った。赤緑色弱!それも強度の部類だったのだ。どうも僕が愛でる桜とは、他の人の目には僕が見ている桃の花のような色に見えているらしいのだ。自分の色感が違うことは知っていた。例えて言えば信号機の青、私には白色の街路灯と区別がつかない。夜など突然黄色に変られるとあわてること暫し。しかし長年の習慣で、危険ということにはならない。街路灯と信号機の高さが違うことを目が覚えているので、アリャッとはなるがそれだけだ。それで良く免許が取れるな、と思われるだろうが、色神テストというのはそうパターンがあるわけでは無く、覚えられるのだ。コツは引っかけ問題と同じで、僕には『さ』と読めるのは『き』が正解で、『は』に見えるのは『ほ』だと丸暗記してしまうのだ。実は子供の時に絵を描いていて、大抵の子供が赤く塗る太陽を黄色く塗っていてひどく母親を驚かせた。母はそれから異常を感じたらしく、色神テストを買い込んで私に特訓をしたのだ。どうもその頃児童心理学で、太陽を赤く塗らない子供は親の愛情が足りない、というもっともらしい説があったようで、ここが母親の浅はかな所だが、そんなみっともないことはあり得ないから矯正するという挙に出た。どうもそういう所のある人らしく、妹は左利きを矯正された。我等兄妹の人格に悪影響を及ぼしたことは論を待たない、見れば解る。そのせいばかりではないが、自分はこう思うのに違うことを答えなけりゃならない、という刷り込みのせいで勉強という勉強が大嫌いになってしまった。まぁ人のせいにするな、の声が聞こえるが他にも色々あるのである。

 その後普段は何も不自由なく暮らしていて、気にとめることもなかった。例えば小学校の時に私のノートを見て「おい、真っ赤じゃないか。」と言われる。赤いボールペンで書いていて、自分では黒だと思っていて不都合を感じない。二色を並べると分かるのだが、赤を強く感じないようだ。だが桜の場合はチト困った。「桜が真っ白だな。」と言ったときの友人の顔が忘れられない。まるで変態でも見るような目つきで顔をしかめていた。しかし考えて見ると、今見ている世界は桜にせよ、海にせよ、山にせよ僕だけの世界で、誰とも共有できないとも言える。孤独といえばそうなんだろうが、いずれにせよ僕がくたばったらこの世界も消えてしまう。いつか沖縄から札幌まで満開の桜を追いかけて日本中の桜の色を見ておきたい。

春夏秋冬不思議譚 (秋の日に慌てた少年)

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春夏秋冬不思議譚(ゲレンデに砕けたスキー靴)


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山崎豊子さんの取材力

2013 OCT 4 10:10:06 am by 西 牟呂雄

 訃報に接して哀悼の意を捧げます。報道にある通り、大変綿密な取材をこなされる方だったそうです。例えば「大地の子」。物語のサイド・ストーリーになっているのは某製鉄会社の中国国策製鉄への協力です。その某製鉄会社の登場人物はことごとくモデルがおり、当時現役だった人は大体誰の事か解ったと聞いたことがあります。もちろん主人公の陸一心は架空の人物です。又、「沈まぬ太陽」。主人公にはこれまたモデルがいて、アフリカの主、と言われていた実在の人物です。飛行機事故とは関係ありませんが、ハンティングのところは本物で、これまた私の知る人でありました。古いところでは『華麗なる一族』。これは一度倒産した某特殊鋼電炉が舞台になっていますが、鉄鋼関係者にはどの会社かまる解りでした。帝國製鉄なんてネーミングも露骨でしたな。関係ありませんが物語のクライマックスに高炉の事故が描かれています。テレビのロケは某社〇津製鉄所で撮影され、主演のキムタクが来たそうです。この人は大変真面目な人のようで、現場の雰囲気を実感したい、とお風呂(製鉄現場は上がりの時に汗を流す風呂が付いている)に入ってみたらしい。勿論タイミングをずらして一人ででしょうが。そのキムタク人気おかげか次の年の入社志望者が激増して人事があわてた、というオチがついています。本当かどうか知りませんが。

 ところで、現在週刊新潮に連載されている「約束の海」。本筋は特殊潜航艇で捕虜になった海軍士官とその息子の海上自衛官、という例によって重層な筋立てらしいですが、今週の連載をお読み下さい。潜水艦「くにしお」が遊漁船と事故を起こす場面が描かれています。これ、「なだしお」の事故がネタと思われます。

 拙文「東京湾横断航海」に当時事故後に囁かれた噂を書きました。全くその通り、側に寄ってきたヨットのことがそのまま載っているのです。私としては、やはり本当だったのか、と思うと同時に一体どこから取材したのか、舌を巻きました。当時は世論を考慮して、海上自衛隊はひたすら申し訳ない、の姿勢を続けていて、この話は全く報道されていなかったのです。ヨット乗りの噂話などどこにも記録はないはずですから、密かに海上幕僚あたりが文書にしていたのでしょうか。まさか事故に居合わせた当時者に取材できたのでしょうか。

 私としては嘘ばかり書いているわけではないことが証明されたわけですが、これは諸刃の刃かも知れません。もし、熱心な取材者が現れたら(しかしその場合は私が何かの事件をおこしたりしてヤバい)巷で私がしてしまった恥ずかしい、蛮行・泥酔・無知・奇行・幼稚・アホ・バカ・カス・ボケナス振りが人に知られる可能性がゼロでは無い、ということになります。これからは、地道に目立たずやっていきますので、どうか皆様そっとしておいて下さい。ひたすらお願い申上げます。

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