Sonar Members Club No.36

月別: 2014年1月

スポーツを科学の目で見る (プロレスその2)

2014 JAN 31 9:09:06 am by 西 牟呂雄

スポーツを科学の目で見る、とは少し違うが、ビジネスの切り口で考えたい。全く賛同を得られたことは無いが、アメリカの3大スポーツ・エンタテイメントは①フット・ボール②メジャー・リーグ③プロレスと僕は考えている。人によって③にはアイス・ホッケーやバスケット・ボールを入れたいかも知れないが、そうは行かない。試合の規模・回数とかスーパースターの年棒からいけば議論の分かれるところであるが、多くのインテリ人種はJ-SPORTSで中継されるWWEのウィークリー・マッチの盛り上がりやペイ・パー・ヴューの視聴の実態を知らない。これ、見れば物凄い盛り上がりである。

プロレスのややこしさは必然的に食わず嫌いを生み出すので、ましてや我が国で行われているマイナー団体の試合を見た人は僕の回りにはまずいない。これはビジネスとしては小さいが、コアなファンで一杯なのだ。大(全や新ではない)日本プロレスや大仁田が率いていたFMWの、蛍光灯で頭を叩き画鋲を撒いたところへのボディースラム、或いは電流爆破などはマイナー過ぎて、痛みに耐える訓練は感動モノだが一般の視聴には耐えられないだろう。

それはさておき、WWEスタイルは、誰と誰がどういう確執で今日に至っているかのシナリオがあり、それに沿った試合スタイルをいかに造り上げていくのか、を楽しむ代物として完成されていて、エンタテイメント性は他を圧倒している。善玉・悪玉が決まっていて必ずトークが入る。中にはトークだけがクローズアップされるレスラーまでいて、趣向を凝らしまくる。そして会場にまで足を運ぶのは、階層で言えばB級の観客ばかりだからそれなりの『受け』を狙って、ツカミから盛り上げまで反応を確かめつつジョークも交えてやらねばトップは張れない。従ってスーパー・スターにはアクション映画に出演するようなクレバーな演技者の才能が求められる。ロックとかジョン・シナ達がそうだ。事実彼らの主演映画が撮られてヒットした物もあるのだ。なかなか日本のレスラーには真似できるものではない。ラッシャー木村の『馬場、このやろう!オレは焼き肉10人前食ってきて負けちゃったんだよ!今度は20人前食ってやるから、待ってろよ!』だったり『兄貴!今年もよろしくやってくれよな。』式のマイク・パフォーマンスはあったのだが、洗練度が違う。日本でも高田延彦や小川がやっていたハッスルがその路線を踏襲した。しかし、シナリオがプア過ぎてダメだった。曙が卵から生まれた赤ちゃんというシナリオなんて・・・。

WWEのビジネスとしての貪欲さはエゲツないの域に達していて、イラク戦争が始まれば英語の喋れないイラク人(実はペラペラ)をリングに上げる、アフガニスタンには米軍の慰問に行く、ひどかったのは日系レスラーのプロモーション・ヴィデオにはキノコ雲をバックにする始末。ヴィンス・マクマホーンは娘の結婚・出産・離婚までリング上のセレモニーにして客を呼んだ。この辺がプロレス愛好家の知性が疑われるところなのだが。しかしながら子供の頃にチラリと見たことぐらいはあるのだろう、僕の相手になったそれなりのインテリ・アメリカ人に、テリー&ドリー・ファンクとかハート・ブレイク・キッドといった名前を出して知らなかった奴はいない。ただ、ひとしきり盛り上がった後で『イッツ・フェイク』と呟いてニヤッとするが・・・。おまけにドーピング程度は当たり前で規制も何もないから体格の素晴らしいの何の。ただやりすぎで皆同じ禿げ方をする。ビリーー・グラハム、ハルク・ホーガン。エディ・ゲレロなぞはホテルで歯ブラシを咥えたまま死んだ。そのくせ日本の政治家並みに世襲が多い。オートンとかローデスとかフォン・エリックいったファミリー・ネームに記憶のある方もいるだろう(いないか)。ミル・マスカラスの所なんか親戚中プロレスラーだ。これは一つには遺伝的な身体能力もあるだろうが、一方相当おいしい商売なんだろう。どこの世界でも一流と底辺はものすごく差がつくものだが、中堅クラスの稼ぎは冒頭の①②より遥かに上のはずだ。これは日本でもそうで、野球の二軍選手やボクサーよりも年収はいい。但しレスラーになりたがる人数が比べ物にならない程少ないのだが。

それではアマチュアはアマレスしかできないかと言うとそんなことは、ない。あちこちにアマチュア・プロレス団体というのも存在しているのだ。現在ではマットもやわらかく、ロープもキチンと張り、レフリーもトレーニングを積んだちゃんとしたプロレスになっており、選手達も良く練習している。飛び技、投げ技、打撃技、スピード、そしてエンターテイネント性も申し分ない試合が行われている。中継(無論していないが)の為の解説も、倉持、古館、福澤といった名アナウンサーばりの調子で見事なもんだ。しかし40年前は凄かった。僕は偶然見たのだが関東アマチュア・プロレス・ヘビー級選手権は大田区立体育館で体操用のマットを敷いて行われていた。ロープなんかを張る機材も何も無い。ところがバレーボール・ネットに使う鉄柱が二本ポツンと立てられていて不思議な感じで始まった。暫くは投げ、締め、張り手と繰り出して四の字固めとか片エビ固め、といった基礎トレのような試合があった。ロープがないから跳ね返ることもできない。ところがリングアナウンサーが、メイン・イベントを伝えると雰囲気は一変した。ヘビー級の選手権はチャンピオン、ビッグ赤平 対 挑戦者ハンニバル清水の試合だった。ビッグ赤平はかなりの巨漢、ハンニバル清水は空手家のコスチューム。ハンニバルの反則パンチ・キックにビッグが耐える試合構成だったのだが、場外乱闘になった。リングを組み立てていないので、場外転落ではなく、単にマットからはみ出しただけだが、今まで意味なく立っていたバレーボールの鉄柱の意味がそこで分かった。そう、鉄柱攻撃なのだ。ハンニバル清水がビッグ赤平の頭を掴んでガシャーン、ガシャーンとやると赤平の額からホンモノの血がドバァーと吹き出して、床に座って見ている(アマチュアだから席なんかない)僕達の前でポタポヤ落ちる。ところが使用後に後が残ると叱られるらしく、スタッフがセッセと雑巾で拭くのがお笑いだが。最後は打点の高いドロップ・キックから見事なジャーマン・スープレックスでビッグ赤平の勝ち(体操のマットが床に敷いてあるだけですぞ)!ちゃんと試合後のインタヴューもあって額をタオルで縛った赤平選手がマイクに向かって吠える。回りは少年ファンが囲んでいる(僕以外)。

中継役「赤平選手、おめでとうございます。試合を振り返ってどうですか。」

赤平「いやー、ハンニバルがしぶとくて。危なかったです。」

中「ものすごい出血ですが、明日から仕事大丈夫ですか。」

赤「こんなケガ、一晩寝れば何ともありませんよ。はっはっはっは。」

後日分かったことだが、彼は一週間休んだらしい。いかん、このブログ趣旨と関係ないところに行ってしまった。

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スポーツを科学の目で見る(ソチ・オリンピック 外交)

2014 JAN 29 11:11:10 am by 西 牟呂雄

さて現在のテーマとして「ソチ・オリンピックに向けてースポーツを科学の目で見るー」としたものの、プロレスの話ばかり書いていてはしょうがない。安倍総理も開会式に行くようだし、多少のコメントをしなくては。『オリンピック阻止』のテロが起きてしまって、力の信奉者プーチン大統領は遮二無二押さえに掛かるだろうから、戒厳令下のオリンピックみたいになるかもしれない。シャレにならないこと夥しい。

安倍総理は開会式に参加するそうだ(しかも7日、北方領土の日!)。野田元総理はロンドンには行かなかったが、北京の時には福田首相が開会式に行った。しかしあれはただ見に行っただけなのか。胡錦濤主席や温家宝首相と会談したが、あの頃は毒入り冷凍餃子の問題があった時期でヘラヘラされても困るのだが、靖国には行かない人だったし尖閣も今ほどじゃなかったからただ会っただけだろう。それよりも同時期にいた ノルウェー タジキスタン といった普段なかなか行けないような国の首脳と会った方がよっぽど効果的なんじゃなかろうか。向こうも来てることだし。安倍総理にもプーチンとは実りある会談をにこやかにこなし欧米をヤキモキさせつつ、インドやトルコの首脳と旧交を温めるような腹芸を見せて欲しい。できれば中国・韓国が『しまった』っと思うような国であれば尚結構。例えば台湾。台湾は参加するのかどうか知らないが。或いは表立って会うわけにもいかない北朝鮮。政治とオリンピックが無関係だと思っているようなウブな人など世界中にいないのだから、おおっぴらに入国し『親善』と一言うだけで何でも有りではないか。日本版NSCもできたのだから僕を秘密工作員で雇ってくれれば喜んで行く(こんなことを書いた時点で秘密も何もないのだが)。

以前のオリンピックでどこかの国が選手団を送り込んだら、途端に何人も行方不明になったような事件があった。又、冷戦の最中には選手が亡命の挙に出たこともあったかと記憶する。ソチの位置からみてそれらしいことが起きはしないだろうか。苦しい練習に耐えたアスリートには申し訳ないが、情報戦・政治戦の最前線と捉えたら、願っても無いタイミングと場所。この道のプロだったらツッコミ所満載の開催地だろう。黒海に面しているのが実にエグい。コーチとかトレーナーをカヴァーにして潜り込ませればどうにでもなるように思うのだが。

ところで冬季オリンピックは圧倒的に白人のためのもので、カラードは東洋人ぐらい。半島のスケートが少しいる以外日本人だけではないか。その日本が幅を利かせ出すとルールを変えたりして露骨に排除のバネが働く。萩原健司が無敵だったときに突然ジャンプのルールを変えたのがその典型だった。フィギア・スケートもキム・ヨナや浅田真央が人気が出すぎると怪しいことにならないか心配だ。

僕は日本のメダルはせいぜい2個(銀と銅くらい)と見ている。それよりももっと地味な競技を見て(あんまり地味だとBSの放映も無いかもしれないが)健闘している選手に声援を送ることにしようっと。

 
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インド人とドイツ人

2014 JAN 26 12:12:30 pm by 西 牟呂雄

 巨漢と学者風のドイツ人コンビと長い髪を後ろで縛っているインド人に、ほとんど英語を話せないニッポン人と僕。グローバルと言えばそうなのだが、ヨーロッパ勢とアジアの組み合わせがミソである。

 まず食事。インド人はヒンドゥー教徒と言うのだが、何やら牛でも何でも来い、ベジタリアンでもないとのことでこれはクリア。ドイツ人の内一人がユダヤ系に見えたので、多少気を揉んだがクリスチャン改宗らしくこれもOK。接待は日本料理にしたが全く問題なかった。ドイツには随分と日本料理屋もあるらしい。

 酒に関してはイスラム教徒がいないので、これも何でも有り。初めはビールで乾杯し、日本の生ビールをガンガン飲んだ。そう言えばロシアに行ったときに出されたのがドイツ・ビールだったのを思い出してその話をしたところ『それはロシアでライセンス生産しているのでノット・グッド。本物はもっと旨い。だがキリンも好きだ。』とリップ・サービスしてくれた。しかしヨーロッパ人の酒の強さはケタが違うので、こちらとしては先方があまり得意でないはずの日本酒を勧めた。ところがいくら飲ませても赤くも青くもなりもせず、トイレにも全然立たない。

 ドイツ人の一人は名ゴール・キーパーのオリバー・カーンにそっくりでザ・ゲルマン、そう伝えると破顔一笑して喜んだ。サッカーの日本人選手の話がはずんだ後、話題がオリンピックになったのだが、何と驚いたことに1964年東京大会を知っているのは僕とそのゲルマンだけだったのだ。もういい年になってしまったと感慨深いものがあった。以前のブログ『オリンピック死闘十番勝負』で取り上げた棒高跳びの銀メダリスト、ラインハルトの名前を出すと『お前良く覚えていたな。』と盛り上がった。ところが東京大会の時までは東西合同チームの編成だったことを思い出し、ザ・ゲルマンはそのころどっちだったろうと焦った(焦ることもないか)。

 そうこうしている内に日本側が(僕が)酔っ払ってしまい、早々とお開き。その後バーでウイスキィでもやろうかと思ったが控えた。控えたのだが、インド・ドイツ組は飲み足らなくてどこかに行ったようだ。そのインド人がかなりの日本通で、カタコトよりマシな様子だったからどこかへ行ったに違いない。翌日迎えに行き『眠れたか。』と聞くと3人ともニタニタしたのであれは怪しい。

 インドは一国とはいえ、何でも有りの一種の大陸だから、民族の多さ・多様さは西ヨーロッパ全体並だろう。南の出身だと言っていたが、あの辺は本来あまり大柄ではないはずが奴はデカい。薄い頭髪を長く伸ばして後ろに縛っている訳を問いただすと、ダライ・ラマの教えに被れてナントカの修行期間は髪を切れない、と訳の分からない解説をした。きっといいかげんな奴だろう。ところがどうも日本に居たことがあり、日本とインドのビジネスを結びつけるような、いくつかの会社を経営していることを白状した。

 SMCメンバーはヨーロッパ滞在の経験者が多いが、僕はあまり縁が無い。世界地図を睨みながら戦略を凝らすタフなゲルマン、何でも飲み込む 亜大陸インド。ひょんなきっかけで何かが生まれるかもしれない。

インド高原協奏曲Ⅱ

インド高原協奏曲Ⅲ

インド高原 協奏曲 Ⅳ


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春夏秋冬不思議譚 (もう一人いた)

2014 JAN 24 22:22:26 pm by 西 牟呂雄

これから世にも不思議な偶然の一致を話します。

ちょっと前に、このブログを読んだらしい地球の反対側の人がメールをくれました。どうやってアドレスを突き止めたのかは謎ですが、ケネス・ニシームと名乗る人物で、どうやらブラジルにいるようです。生まれはどこだかまだ聞いていませんが日系人ではない。ところが1954年の同じ日に生まれたようで、名前も何だか似ていますし偶然の一致にビックリしました。会ったことも無いのですが、写メを見ると実に良く似ている。ひょっとしたら遥か昔にシベリアあたりにいたモンゴロイドの同一先祖が、ベーリング海峡を渡る一派と南下して日本に来た一波に分かれたのでは、と想像を逞しくしたくなります。身長体重もほぼ同じ。そしてこれからチョッと変な話になりますが、同じ年に同じ年齢の女性と結婚し、同じ年の息子がいます。その女性とウチのカミさん、また息子同志の誕生日は違いますが、星座は一緒です。この辺から私自身少し怖くなってきました。親の誕生日を確認すると、こちらは誕生月は違いましたが年は一緒!そして同い年の妹がいます。

そう簡単に会うわけにもいかない距離ですから、少しずつ相手を探り出しました。向こうもどうやらネットを使ってやっているようなのです。そしてお互い同じ業界でニアミスをしていたことが分ってきました。そもそも西洋ホロスコープで考えれば、彼と私は性格からその日の運勢まで同じになるでしょうし、ひょっとしたら同じ運命を辿るのでしょうか。私の性格の歪みは、もとよりDNAの配列に加え、様々な偶然の結果、様々な経験をすることによってできていると思っていましたが、彼と私が全く同じ経験をしたとは考えにくい。第一食べてる物は違うでしょう。

自然という奴は、ごくナチュラルに『不連続』を繰り返しながら、長い目で見れば一定の法則をもって動く(廻る?)のでしょう。但し、その繰り返される『不連続』の中に極めて少ない確率で同一な物・者・モノを生み出してしまわないか。私は無神論・無宗教に近い人間ですが、この彼の存在についていっそ誰かに何かの解釈を委ねたい衝動に駆られます。

と、何かエラソーなことを書いてしまってからハッとしました。もし性格まで同じなら、彼は地球の裏側でどういう人間だと思われているのでしょうか。もしかしたら努力とか我慢とか反省の類はロクにしないで全部人のせいにして、我儘で後先を考えずにムチャをしては周りを怒らせ、やたらとはしゃぎまわり酒をガブ呑みし、口から出任せを言っては他人を傷つけ恬として恥じない・・・・いやな奴じゃないか。今までバッティングしたエリアは北米が考えられるのですが、彼の地で私が例外なく評判が悪かったのは、先に彼が悪い印象を振りまいた直後に良く似た名前の私がニアミスしたからではないのか。

しかしながら怖くなる程の類似性から、彼の不幸を願うことはできないのです。同じことは私にも起こる可能性は高い。ひたすら彼の幸せを祈らざるを得ないのです。これはとても恐ろしいことではないのではないか。同じようにケネス・ニシームが私の幸せを願っているかは分かりません。もう少し音楽の傾向とか趣味とかを(恐る恐るですが)聞いた後、又ブログ・アップしてみます。それまで彼が無事でありますように。

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スポーツを科学の目で見る (プロレスその1)

2014 JAN 22 14:14:58 pm by 西 牟呂雄

前のブログで”開発の蹉跌”と称して材料開発の難しさをおちょくったが、あれは当時研究開発者達の前で本当に口に出した台詞が入っている。さぞ不愉快だったろうが真面目な人達に申し訳無いことをした。更に失礼ついでに、色々と実験することとプロレスの観戦は同じだ、という仮説をさんざん喋っていた。何を脈絡も無くとお思いだろうがこういう訳だ。

実際僕は研究者と言ってもいいほどプロレスには造詣が深い。村松友視の『私プロレスの味方です』という本が売れたが、あの本は当時のアントニオ猪木が唱えたストロング・スタイルの解説本で、無論読んだが正直言って、今更何言ってんの、ってな感想だった。比較されたジャイアント馬場のスタイルをショーマン・プロレルと貶めアントニオ猪木スタイルを過激なプロレスと論評した。これを聴いた馬場のコメントが残っている。「過激なプロレスって何だ。やってることは同じだろ。」・・・・さすが。もう一つ、猪木が進めた異種格闘技戦のハイライト、アリ戦に関しても「僕はアリなんか強いとは思わない。」と語ったとされている。ただ、ツウの間では猪木ーアリ戦はよくやったという評価はある。あれだけ直前にルールに文句をつけられて、何もできなくなった猪木がとっさに寝転んでアリの膝のみを狙わざるを得なかったのに、一応(一般的にはダレたが)15ラウンド戦ったのだ。

話がなかなか進まないが、僕レベルのツウになると大きな試合を見る際はその流れを事前に予測する。どこでどういう技を出すか、キメ技をいつ出すか、結果はどうなるのか。実際にはプロモーター(日本であれば所属会社)の意向が働きシナリオは出来ているのだが、そのシナリオを読みに行く訳だ。そしてそれがどの程度当たっているか、又は選手によってはどこまで忠実に耐えられるのかを見極めるのが醍醐味である。即ち『仮説を持って観戦し、結果を持って議論する。』と言った具合である。翻って実証実験をするに当たっては『仮説を持って実験し、結果を持って議論する。』のが王道であろう。何が何でも混ぜてしまえでは、何が開発要素なのかが分らなくなり、偶然の産物しか結果は出なくなる。これが本論の意味するところだ。

例えて言えば、新規プロセスの開発において製造機械のスケールアップを目指す場合には、開発側としてはいくつかの新規要素を盛り込んだ設備にしてコストを下げたいだろうが、良好な結果が出ても、どの要素技術が効き目があったのか、一概には言えなくなることがしばしばある。できればいくつもの設備を段階的に投入したいところなのだが、予算がかかり過ぎる、と誰でも悩む。こここそ『仮説を持って』であり、初めはその通りの結果など出ることは稀であるから徹底的に議論をするのである。

ところで、これほど研究している僕にして、プロレスの試合結果が全く思い描いたものとならないことも、たまにある。いくら専門家の間で議論しても『あれはないだろう。』となる展開に驚くような試合のことだ。古い話だが『ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田VS大木金太郎、キム・ドク』のPWFタッグ選手権がそうだった。馬場と大木はこのシリーズ初めから意地の張り合いが続き、キム・ドクは鶴田を挑発し続けた。セメント・マッチ(本気のケンカ試合)ならば大木の方が強くはないか、と研究者の間で囁かれていたのだが、この試合で見る限り拮抗していたと考えられている(後にシングルマッチで馬場に軍配は上がるのだが)。タイトル・マッチの結果は、滅多にないことであるがあのジャンボ鶴田が頭に血が上り、キム・ドクにパウンド(馬乗りになること)しての左右パンチのラッシュが止まらず反則負けとなった。鶴田という選手はプロモーターからは実に頼もしいレスラーで、自由自在に試合を組み立てられる逸材なのだが、この時の鬼気迫る止まらない連打は、長年プロレスを見てきた僕が怖かったくらいだった。一方のキム・ドクはアーノルド・シュワルツネッガーのレッド・ブルで、冒頭サウナでのケンカに登場した東洋人と言えばおわかりの人もいるだろう。アメリカで売れたヒールなのだがこれも実力は一流だ。恐らく鶴田がヒート・アップしている内に歯止めがかからなくなったものと言われている。同じような展開に、タイガー・ジェット・シンが猪木からタイトルを奪ってしまったNWF選手権が上げられる。やったこともないアルゼンチン・バック・ブリーカーが偶然決まってしまい、シンも引っ込みがつかなくなって、猪木がギブ・アップしてしまった。もっと昔にはデヴュー試合でルー・テーズ(とっくに全盛時代は過ぎている)相手にいいところを見せるはずだったのに、試合途中にくらったバック・ドロップで失神したグレート・草津。

この草津という人はナイス・ガイで引退後は日本バスコンというコンドームの会社で営業部長をやっていた。元々はラグビーの名選手で所属は当時のY製鉄だった。高炉の炉前において、超人的なスタミナとその怪力で数々の伝説を残している。酒なんか超人を越えた魔人と言われたそうだ。ついでに言えばグレート東郷の最後の教え子で、同期は星野勘太郎。

この話、少し長くなりすぎるので次回に譲る。

10.21横浜文化体育館

スポーツを科学の目で見る (プロレスその2)

心に残るプロレスの名言 全日本編

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訃報 ダスティー・ローデス アメリカン・ドリーム

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昭和プロレスの残像 (祝 馳浩文科大臣)

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新年架空対談 大統領VS主席

2014 JAN 13 20:20:19 pm by 西 牟呂雄

オバマ「ハッピー・ニュー・イヤー!」

習「新年好(チンネイェンハオ)!」

オバマ「去年は結構長い時間話はしたな。」

習「二日に及んだから、日本なんかヤキモキしたらしい。ククク。」

オバマ「しかし主席よ。二国間の話をするのにあんまり日本の悪口ばかり聞かされても困るよ。まぁオレも鳩山とか管にはうんざりさせられたがね。」

習「うん、でもあれくらいトンチンカンだと返ってやりやすかった。放っとけば勝手に支離滅裂になってるから。鳩山なんかこっちの都合で何とでもなってる、今でもだぜ。」

オバマ「あいつは英語も上手かったけどね。」

習「だけどアンタも落ち目だね。シリアじゃ英国に袖にされプーチンにコケにされ。国内でもペンタゴンから評判悪いらしいじゃないか。バーサーズもティーパーテイーもガタガタ言ってるし、気を付けないとそちらの伝統の鉄砲玉が飛んでくるかも知れん。」

オバマ「そっちこそアッという間の粛正は得意じゃないか。薄煕来やったからって済むもんじゃないだろ。温家宝の不正蓄財はどうした。」

習「そんなもんじゃビクともしないさ。四千年の歴史を見てみろ。第一そっちと違って選挙なんかないんだから。中間選挙やばいんだろ。」

オバマ「おおきなお世話だ。ヒラリーをチヤホヤして何とかしのぐさ。それより国境を接している共和国はどうよ。あそこがコケたら只じゃすまないだろう。いきなりNo2粛清には参った。」

習「あの三代目もよくわからん。カウンター・パートナーがいなくなったので、六カ国協議なんかやる雰囲気じゃないからな。エサをまいて日本に金を出させるつもりだったけど、安倍が手強くて。マスコミに手を回して叩きに叩くんだが。」

オバマ「だからそれもうやめろよ。下手に尖られてTPPにケツをまくられたらオレも困るんだ。オリンピックまであの勢いでやられて北方領土でも解決されたらお互い迷惑だろう。ついでに『大国同士』とか『G2』もやめてくれ。プーチンがイライラするじゃないか。」

習「あれも相当のタマだからな。柔道なんかやってシンパシーもあるらしいし。森とも仲がいいのも気になる。ヨシとかファースト・ネームで呼ぶそうだ。それなら北の共和国は何とかするから南の方はそっちで押さえておいてくれんか。」

オバマ「それも頭が痛いよ。だけど南のあいつは中国語でヘラヘラ挨拶してたじゃないか。アンタの方が相性いいんじゃないの。」

習「その手には乗らないよ。南北両方の面倒はとてもじゃないが見切れん。」

オバマ「だけど足元経済メチャクチャだろう。いい加減図体でかいんだから吹っ飛んで世界中を踏み倒すのだけはやめてくれよ。」

習「心配ない。イザとなれば日本を使って」

オバマ「だーからその手はもう使えないんだよ。ウォール街の息の根が止まったらオレもおしまいだ。反日暴動もやりすぎだぞ。」

習「しかし日本ってのは本当にやっかいだな。アンタのところの軍隊、いつまでいるんだよ。あれさえなきゃ今頃は・・・。」

オバマ「80年代を良く勉強しろよ。いくら円を高くさせてもダメだった。あの頃は何をやっても日本に敵わないような気がしたよ。危うく第七艦隊をリースしようとしたくらいだからな。」

習「それでバブル崩壊を仕込んだわけだな。」

オバマ「そこまではよかったんだ。その後こっちでもITバブルの崩壊とか9.11の後戦争までしちゃった挙句にリーマン・ショック食っただろ。小泉がブッシュ・ジュニアとウマが合ったから手がつけられなかったけど、安倍政権になったんで脅しつけて潰したんだが。まさかゾンビみたいに復活してくるとは思わなかった。」

習「安倍はよく解ってるよ。首脳会談ってのはお前にしてみりゃ市場開放をゴリ押しして日本に何かを売りつけることだし、オレ達ゃ何かの金をむしり取る、って意味だったもんな。『5年や10年首脳会談が無くても困らない。』ってはっきり答弁しやがって参った。」

オバマ「こっちはTPPで何とか繋ぎ止めてるのがぎりぎりだ。そっちは本当は困るんだろ。はっきり言って民間で困っている奴はいないんだからな。あの小泉が毎年靖国に行ってそっちが勝手にキレたってどうってことなかったろ。まぁ出番が無くなって外務省のチャイナ・スクールは大弱りだろうが。」

習「オレだって困るわけじゃない。いや少しは困るんだけど。」

オバマ「強がり言うなよ。共青団一派や上海閥が手ぐすね引いてるって噂があるぞ。アンタ太子党なんだろ。それに最近テロもあるようだし、暴動は一日200件だろう。」

習「13億人も食わせなきゃなんないんだぞ。アンタとは苦労の内容が違う。200件くらいガタガタ言うほどじゃない。文革のときは千万人単位で死人が出てんだ。そっちだって中東からアフガンまでドンパチやりっ放しのところに持ってきて毎年『予算の壁』で大騒ぎだ。一日の殺人件数でいったら200件どころじゃない。」

オバマ「それを言ったらさすがにマズいだろう。毛の時代のイデオロギーはそろそろ葬っておかないと足元見られるぞ。天安門にしてもバリバリ撃ちまくったのが実態だったのがバレだしてるし。」

習「だけど中東なんかどう落とし前つけるんだ。」

オバマ「いやなこと言うな。思案のしどころだよ。何しろテロなんかいつ来るのかもわかんないんだぞ。手を抜いてると思われる訳にもいかん。」

習「それはそうだ。テロについてはコッチもやばい。しかし日本はいいよな。いざとなりゃ天皇陛下が出てきてなんとかなっちゃうんだから。」

オバマ「地震の時も、管じゃどうにもならなくなったら天皇のお言葉でピタリと収まった。革命も政変も関係なしで1000年以上も続いてる。オレ達じゃかなわんよ。不思議だ。」

習「オレも小沢にゴリゴリ言ってお目にかかったが、さすがに威厳が違う。わが国も王朝はずっとあったけど、毎回根絶やしにして墓まで暴くから平均250年くらいで入れ替わっちまう。おまけに時々北の方から進入されてるし、ああはいかん。」

オバマ「こっちだってケネディ王朝っていってもせいぜい3代だし、第一あそこん家は禁酒法時代の酒の密売でしこたま稼いだ家柄だもんな。」

習「オレは昭和天皇には会ってないけど、鄧小平同志はお目にかかった時は震えが来た、と言っていたらしい。」

オバマ「お互い来年まで持つかな。」

習「がんばろうぜ。オレも失脚には気を付けるよ。」

オバマ「オレもせいぜい暗殺には気を付けるよ。じゃあな。」

 

架空緊急極秘対談 トランプ VS 習近平


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新春架空座談会 (帝國陸海軍編)

2014 JAN 10 14:14:49 pm by 西 牟呂雄

西室「皆様、お正月です。改めまして本年も宜しくお願いいたします。本日は先の大戦を戦われた皆様にお集まり頂き、平和を祈念しつつ、大いに反省と我々への叱咤激励を頂きたいと思います。まずは戦後も存命されました牟田口閣下、インパール作戦はその後大変に評判が悪うございますが。」

牟田口廉也「またその話か。もう喋り飽きた。大体私が立案したことになっているが、チャンドラボースの口車に乗ってインドまで行けと言ったのは東条閣下以下大本営の作戦課である。」

西室「しかし現地でもかなり批判があったと聞いてます。こんな戯れ歌がはやりました。『牟田口閣下の好きなモノ、一に勲章、二にメーマ(ビルマ女性)、三四が無くて五にブンヤ(新聞記者)』。」

牟田口「バカモノ!制空権もないところまで行くのは初めから無理があるに決まっておる。英軍元中佐のインパール作戦に対する高い評価を知っとるのか!どいつもこいつも陸軍の悪口ばかり言いおって。」

西室「イヤッ、そういうつもりではありません。阿川弘之さんの作品やOBの活動で海軍は評判がいいですが、実際にはミッドウェー以後、殆どが負けです。」

山本五十六「初めから2年は暴れてみせる、と言っただろう。あれはミッドウェーで勝った後に講和に持ち込むハラだった。」

山下奉文「長官、南方での悲惨な戦(いくさ)ばかり言われますが、我が陸軍は支那大陸においては無敵でしたぞ。」

西室「確かに、大陸での大規模作戦は50回くらいですがほぼ負け無しと言っていいでしょう。ノモンハンでさえ発掘された旧ソ連の内部資料では引き分けぐらいだったようです。逆に海軍は」

山本「うるさい!アメリカ相手に勝てると思うようなバカは海軍にはいなかったんだ。おかげで僕は右翼に狙われた。」

山下「長官の幕僚に問題があったのでは。」

山本「黒島君のことを言っておるのか。確かに変っておったが、真珠湾は彼の発想に負うところ大だった。」

西室「黒島参謀ではなくて南雲・栗田・井上といった諸将は戦闘においてはこれはチョットと言わざるを得ないですね。」

米内光政「キミ!口が過ぎるぞ。キミは。確かに井上中将はコーラルシーで大負けだったし、栗田君もあの反転はまずかった。返す返すもミッドウェーで山口多聞が戦死したのが痛かった。」

西室「失礼いたしました。山口さんのことはアメリカも評価していて山本長官の後任と目していたようです。ところで石原閣下は戦中は退役されていましたが、最終戦争論を執筆されましたよね。」

石原莞爾「そうそう。僕は東条に睨まれていたからな。牟田口、貴様が盧溝橋でやり出した時は慌てたぞ。」

牟田口「ああ挑発されてはどうにもならんでしょう。閣下の満州事変の方がずっと危なかったはずですぞ。張学良軍は23万人もいたんですからね。石原中将の手下の関東軍は確か1万そこそこでしょう。」

山本「あれのおかげで結果として対米戦争まで行くことになったのだから。」

石原「それを言うなら米内さん、上海事変の時は先頭に立って拡大させたのはあんたでしょう。大体海軍さんはミッドウェーのメチャ負けを隠し通した。」

米内「そっちだってノモンハンは負けだった、とは言わなかったじゃないか。」

山下「さっきも西室君が言ったように実態は我が部隊が攻略したエリアを考えると引き分けでしょう。」

西室「その後更に発掘されたヴェノナ文書などから、盧溝橋はコミンテルンの陰謀が絡んだ、とする説が最近出ています。しかし牟田口閣下はご自身の功績である旨の発言をされていますが。」

牟田口「お前は何だ!海軍の回し者か!コミンテルンのスパイなんかアメリカ中枢にだって百人以上いたんだろ、そのナントカ文書によると。」

山本「牟田口!その言い方こそ何だ!大体盧溝橋からインパールまでみんな貴様が出張ってるじゃないか。」

西室「宮崎中将はそのノモンハンからインパールまでほとんど負けてませんが・・。」

牟田口「あれは例の服部卓四郎と辻正信のコンビが引っかき回した結果だ。宮崎君は本当によくやったが、いかにも死傷率が高い。補給を絶たれたのは陸軍というより海軍のせいだ。ガダルカナルがそうだ。まさか海軍が全滅に近い状況まで負けるとは思ってもみなかった。大和なんか自慢の砲が的に当たったことがないそうじゃないですか。」

米内「貴様どうしても海軍の悪口が言いたいのか。」

西室「大和の運用についてはその建造も含めて初めから問題はありました。特にミッドウェーの時に何のために戦場から300浬も離れた海域にいたのか、作戦上の謎です。」

山本「あれは真珠湾で浮かれすぎた源田が『赤子の手をひねるようなもんだ。』と言いだして始まったんだ。草鹿だってそうだ。」

西室「しかし、機動部隊の参謀からは準備不足は否めなかった、と戦後に反省意見が出ています。」

米内「実情も知らん奴が後から言ってみただけだろう。ウソをついた奴は海軍にもいたさ。大本営発表ほどひどくはないが。」

石原「米内さん、お互い維新の賊軍同士でしょう。私は庄内、山本長官は長岡。あなたは南部じゃないですか。」

西室「牟田口閣下は肥前ですが・・・。」

山本「見りゃ分るよ、佐賀の奴等。受験秀才みたいな奴ばかりだ。」

米内「御聖断の時の御前会議なんか九州の奴ばかりだった。鈴木総理の関宿と後はワシだけ。」

石原「阿南大将は立派に腹を切ったがな。」

西室「石原閣下は東京裁判で『それならここへペリー提督を呼んでこい。』と発言されてアメリカ側を唖然とさせました。」

石原「当たり前だよ。今頃になってアメリカにおびき寄せられて真珠湾をやったって言うことが言われ出してるんだろう。ワシャみんな分っておった。」

山下「石原さんの言われるのも分るが、最終決戦は地上部隊の大会戦という形はあり得ないんじゃ無いですかね。別に海軍さんの肩持つわけではないですが。僕なんか海軍さんとは仲良かったですがね。」

山本「ラバウルを要塞化したら敵さんに素通りされた。あそこは今村・草鹿が一緒にやってた。栗林君はひどい目に会ったがね。」

西室「B29を飛ばすために遮二無二潰しにかかってきましたからね。ただ、被害は米軍も甚大でした。」

山本「大体陸軍は、やれ皇道派だ統制派だ長州閥だバーデンバーデンだとまとまりが悪すぎる。」

●●「そっちだって条約派だ艦隊派だと盛んにやってたじゃないか。」

△△「南部仏印進駐が余計だった。」〇〇「関東軍くらい押さえりゃよかったんだ。」▼▼「バカヤロー王道楽土だったのをお前等がブチ壊したんだ。」

西室「,皆さん、落ち着いてください。」

⊿⊿「貴様!統帥権干犯だぞ。国賊め。」◆◆「そもそもドイツが降伏したのが悪い。」☆☆「ルーズベルトを呼べ!」□□「そういう(ピー)は軍令部長とも口も利かなかったんだろう。」■■「(ピー)は何をやっていたんだ。戦時中は。あれだけ煽っておいて」××「海軍だって(ピー)を見て見ろ。戦後は進駐軍にペコペコしやがって。」■■「ナニ!賊軍のくせに。何を言う!」◎◎「うるさい!貴様だってその前の関ヶ原では負け組だろーが。」「オレはそもそも源氏だ。」「ワシは平家だ、文句有るか。」〇×▼△■★「(ピー)(ピピピピーーーー)(ピーー)。」(とても載せられない)

西室「みなさん、戦争はやめましょう。」

 
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新春架空座談会 (文豪編)

2014 JAN 7 12:12:21 pm by 西 牟呂雄

西室「皆様、明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い致します。さて、皆様が他界されてから長い短い御座いますが、諸先輩から現在の日本の世相を大いに談じて頂きたいとの企画ですが、初めに漱石先生、いかがでしょうか。作品の中で日本はこれから、と問われた人物に『滅びるね。』と語らせておられますが。」

夏目漱石「僕からかね、参るじゃないか(笑)。切り出すのは敗戦後に活躍した三島君の方がいいのじゃないか。」

三島由紀夫「いやいや、先生お願いします。」

漱石「まぁ、ここにいる程度の人ならお分かりだろうが、あれは別に日本人が全滅するとかじゃあない。多少の戦争に勝つには勝って、西欧に追いついたの五大国だのと浮かれるのは少し危ない、と言う意味で警鐘を鳴らしたつもりだ。何しろ僕が『我が輩は猫である』を書き出した時はまだ日露戦争をやっていたんだからね。なあ、司馬君。」

司馬遼太郎「はい。そのあたり私は『坂の上の雲』を書いたことで良く分るつもりです。ただ、私自身はコテンパンにやられた最後の陸軍戦車隊でしたから、正に滅びかけている実感はありましたですね。漱石先生のおっしゃる日本的なるもの、あるいは文化的なものが『滅びる』という意味では、戦前戦後を通じて常に変わりゆくことのアンチ・テーゼとして文学的にも思想的にも現れます。三島さん、そうですよね。」

三島「その通り。僕は戦後の混乱期を肌で感じていたから尚更だ。GHQがいなくなった後の日本を日本人同士がアッチだコッチだとがなりあっているのを見て本当に恐怖した。今となっては単に立ち位置が違うだけと思えるのだが、当時はそれどころじゃない。ああいう終わり方をしたから三島は極右の権化みたいに思われているけど、デヴューの頃は型破りのキワモノ扱いをされもしたんだからね。」

芥川龍之介「今の世の中で言われるような『ネトウヨ』みたいなやつ、あれは三島君の思想的後継者なのかい?」

三島「とんでもない。彼等の心境は分らないでも無いんだが、匿名で騒ぎ立てるのは行動者としての私とは全く違う。まぁ市ヶ谷に至る魂の道程は一言では語り尽くせないのだが、私は思想家でもないし後継者などは残さなかった。」

西室「三島先生の行動に至る前にも、国民としては安保条約とその改定、そしてその後の大学紛争と大変なうねりが起こっていました。」

三島「西室君、それは違うんだ。安保から学生運動への流れには思想的な対立そのものは無いんだ。なにしろ右も左も反対なんだから。あの頃のような凝縮された社会には内輪モメがつきものなんだよ。当時でいえば優れてアメリカに対する反発なんだ。」

西室「それは今日も続いているのではないでしょうか。」

三島「全然違う。まず冷戦構造があってその対立軸の線上に日本が危うく浮かんでいる状態だった。東アジアでは韓国は反日でもなんでもなかったし中国だって大したことはなかったから日本人が感じる外圧はアメリカのみだった。それに迎合しているように見えるものは何でも気に入らない、くらいの話だ。ソヴィエトの工作だってあったがね。」

西室「先生や石原慎太郎さんは一方で時代の最先端の風俗をむしろ広める側としてガンガン走っておられたようにも見えましたが。また『憂国』みたいな映画を撮ったりもされてます。」

三島「不愉快な質問だな。遊ぶときは遊ぶんだ。ついでに言っておくがオレが一言でも『戦争万歳』なんて言ったことがあるか!」

夏目「まぁまぁ、外圧といったって僕がロンドンに行った時なんかに比べれば彼我の距離はずいぶん違うよ。まあ敗けたんだから致し方ないが、僕なんかはロンドンのメシが口に合わなくてビスケットばかり食べて胃を悪くしたくらいだ。しかし三島君が活躍した頃は聞くところの高度経済成長期だったのだろう?司馬君じゃないけど坂の上の雲を目指して必死にセッセとやっていたんじゃないのかね。」

司馬「夏目先生、社会の構造そのものが敗戦で一度崩れています。その後自分で考える間もなく農地解放だ財閥解体だ挙句に憲法はこうしろ、ですからかないまへんですわ。」

芥川「その間に西欧的なるもの、或いは近代的なものへの反動は起こらなかったのですか。」

司馬「もちろんあります。ただ芥川先生の頃とはいわゆる国民の見方そのものが二重も三重も歪められた後ですし、単純には言えませんが左派というものが一種のステータスを持ちましたですからね。」

三島「芥川先生、自虐史観という言葉があります。何でもかんでも日本が悪いと言っているのがメシの種になるくらい論壇の裾野が広がっているんです。今ではその反省期にもさしかかったかと思えます。」

芥川「それは僕のような書生気質には居心地のいい社会とは言えないかい。僕も周りの仲間も、まあ菊池寛は少し違うが、今でいうニートとかオタクみたいな奴ばかりだったよ。」

西室「先生の頃とエリートの有り様が違うんですよ。エリートは何もしなくてもメシが食えたんですよ。」

芥川「何もしないとはなんだ、海軍機関学校の英語教官をやったこともあるんだぞ。」

西室「もっ申し訳ありません。エート本日のテーマに戻りまして、芥川先生の作品の中で『ぼんやりとした不安』と表現されたことの今日的考察なのですが。いかがでしょう。」

芥川「当時の世相と大きく違うのは、今では格差格差と言うそうだが日本全体がこれほど豊じゃなかったからねェ。それこそ当時普通の人がニートなんかやってたらルンペンになって飢え死にするのが関の山だった。」

西室「実はその後の研究で、先生の場合体調を崩され毎日なにもしないでいるうちにご母堂様の死因が精神異常によるものであることを知り、発狂するのじゃないかという『不安』とする説はいかがですか。あッいや、それはともかくぼんやりとしたとは」

芥川「いーかげんにしろ、コノヤロー。もう少し作品読み込んでから来やがれ、このトーヘンボク!」

夏目「芥川君、だけど確か2~3年だったじゃないか、教官やったって言っても。あのねえ、当時は今から考えると原稿料がずっと高かったんだよ。それに新聞社の社員になるという手もあった。僕は朝日、芥川君も大阪毎日だったかな。司馬君は本当に記者だったからプロと言えるな(笑)。僕はそれで帝大の教師を辞められたんだからな。」

西室「夏目先生の一高時代の生徒、藤村操が日光華厳滝で墨痕鮮やかに『巌頭の辞』を残して身を投げたのは、藤村を先生が「君の英文学の考え方は間違っている」と叱りつけた直後だそうですね。」

夏目「ムッ、キミ!いやなことを言うな。そんなこといちいち覚えてないよ。教師が生徒を叱りつけるのは当たりめーだろー。」

西室「失礼しました(長い間白ける)。みなさん江戸っ子なのでお言葉が・・。ところで司馬先生、長く文藝春秋の巻頭随筆で『この国のかたち』を連載されて国家の在り方を論じておられます。その国家を考えてみたいのですが。終戦間際に関東に配置され米軍上陸に備えた際の話ですが。」

司馬「あんたなー、さっきからなんやらケチばかりつけはるけど、座談会の趣旨はどないなっとんねん。」

西室「エッいえ、ちょっと聞いて下さい。先生の部隊に大本営から中佐参謀が来た時の逸話ですが、『敵上陸の際に避難してくる民衆にはどう対処すべきか』の質問に『ひき殺して進め』と答えがあったことになっていて、先生は自国民を犠牲にしてまで守る国というものは何か、と思ったとお書きです。」

司馬「それがどないしたんや。」

西室「しかし、その種の発言をした中佐参謀はいないのですよ。確かに戦車部隊を訪れた参謀は確認できましたが、そんなことを聞いた者は実在しませんが。」

司馬「だからなんやねん。ワレ!えーかげんにさらせ。ワイは歴史家やないで!小説家や。」

三島「一体どういうつもりの司会者だ。なっとらん。僕は帰る。キミ!歴史というのは当事者以外は容易に解釈しちゃいかんよ。」夏目「我が輩も帰る。下らん。」芥川「そうですね、帰りましょう。」司馬「あほクサ。帰るわ。」

西室「・・・・やってしまった・・・・。どうしよう。」

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三島由紀夫の幻影

ノー・ウーマン  ノー・クライ (No Woman, No Cry)

2014 JAN 3 10:10:04 am by 西 牟呂雄

 ボブ・マーレイのレゲェの名曲であるが、この歌詞を和訳するとしたら一体どういう言葉が適切なのか。実は昔から(仲間内で)意見が分かれている。それに沿って、ある出鱈目な話をでっち上げてみたことがある。

『泣かない女はいない。』

 ジャマイカから密入国してフロリダに一家で落ち着いた時、オレは15歳だった。誰も英語は話せないから貧乏どころの騒ぎじゃない。一年もしないうちにオヤジは若い女とどこかへ消えちまって、お袋はもう働きづめに働いたが、オレと二人の弟は学校にも行けなかった。何しろ不法移民なんだから。毎日クタクタになってパンを買って帰るお袋には本当に頭が下がるが、オレのせいじゃない。当然ワルになっちまうわけだし廻りもロクな奴らは一人としていなかった。差しさわりがあるから詳しく言えないが、後ろ暗い金をお袋に渡した時には涙を浮かべていた。長いこと泣いてから搾り出すように言った言葉が忘れられない。「泣かない女はいない(No  woman ,  No Cry)。」

『だめだ、女!泣くな!』

 フロリダはタンパの街の中でショッピング・モールを歩いていた。するとおもちゃ売り場で一人の白人の女の子が泣いている。あまり周りに人がいない、親はどこに行ったんだ。何か話しかけてやりたいのだがオレはまだロクに英語が喋れない。かわいそうに。エート女の子は・・・、ウーマンしか思い浮かばない。思わず口を突いて出たのは「だめだ、女、泣くな!(No!  Woman!  No  Cry!)。」

『おんながいない?泣くこたーないぜ。』

 弟のカルロスはオレ以上のワルになっちまった。ガンも持ち歩くしクスリも捌く。おまけに女癖も悪い。オレより小さい年からアメリカだから英語の上達も早かった。最近のお気に入りはサリーというどうやらインド系の女だ。ついに警察に厄介になってしまった。オレが迎えに行った時、オフィサーは憎しみに燃えた目で言った。「そのうちムショにぶち込んで日の目を見られなくしてやる。」オレは震え上がったがカルロスは平気だった。ウチに帰ってまた泣いていたお袋に事のあらましを話したら、例によって大泣きになって訴えた。「カルロス!お前がムショに入るなんて!ママはまた泣くだろうし、お前もサリーに会えなくなるんだよ!」だがカルロスは全く応えない。ヘラヘラしながらせせら笑った。「女がいない?泣くこたーないぜ(No woman?   No  Cry!).」

 念のために申し添えるが、歌詞の内容からこの歌では『だめだ、女!泣くな!』が正しいことは言うまでもない。三つの台詞は初めが『, 』次が『!』最後は『?』でつないで訳の連想を引き出したつもりなのだが、あれ?本歌はなんだったっけ。新年そうそうバカなことを書いてしまった。

  追伸 この歌の本歌取りで最高傑作はネーネーズのもので、そのユニゾンには脱帽であることを明記しておきます。

ノー・ウーマン ノー・クライ Joan Baez(ジョーン・バエズ)

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶー翻訳の味ー


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中国はどこへ行くか (5本の柱)

2014 JAN 2 18:18:46 pm by 西 牟呂雄

 前回ブログ以降多くの意見が寄せられたが、その時点ではまだ分裂論を捨てきれなかった。しかし、SMCのバーチャル視点に立ってみると、ひょっとしたらすでに分裂してしまっているのではないか、と思い当たった。私も書いていたが、例えば一国二制度で中国になった香港、遙か南でチャイナであり続けるシンガポール、そして東 大兄の詳述を読むにつけその感を強くした。そもそも『日本からの目』でも私自身が、チャイナというのはそのありようが普遍的概念であると記しており、そうであるならば単純な分裂という形は取りようがないのだ。元々柵封体制にせよ朝貢体制にせよ、そこには明確なボーダーはなかった。現代に於いてはポリティカルに、社会的に国境として引かれている区分であるが、民族的、文化的には概念の交じり合うドロドロとしたせめぎ合いの接点である。この辺陸続きの国境を経験したことのない我々はピンとこないのではなかろうか。

 しかし、一端グローバル化が進んでしまうとそれを飛び越えて(あくまで平和的に)マネーにしろマテリアルにしろ凄まじいスピードで行き交ってしまい、本来食い扶持を稼ぐという意味での『領土』は(エネルギーと国家としての正当性といったものを除き)意味を成さなくなるはずである。その点から言えば、エリアとしての分裂ではなく社会構造が層別化することは避けられない。少数の超富裕層と圧倒的な貧困層、これは中国とアメリカの姿が重なって見えないか。違いは前者は構造的な汚職のケタが違っていて、後者はアメリカン・ドリームの資産の桁が違う。前者は都市戸籍の者が農民戸籍の者を虐める、異民族から搾り取る。後者は富裕層が後から後からやってくる移民をコキ使う、ウォール街は新興国から巻き上げる・・・・。

 中国は共産党ヒエラルキーをベースに、いくつかの柱があると筆者は考える。まずは共産党。大きな柱ではあるが中身には巷間言われる共青団・太子党・上海閥、さらには地方組織と色々ある。次に人民解放軍。各軍区ごとに別れていて、はじめの頃は自活可能なそれぞれ巨大なコングロマリットを形成している。嘗ては人民公社と呼ばれていた国営企業群。これも規模の大きな所では社員10万人を越えるものもある大集団で、例えて言えば分割民営化前の日本国有鉄道がいくつもあるような物だ。それから忘れてならないのは在外華僑。どうやら一つにまとまるというものではなさそうだが、北京オリンピックの聖火リレーで世界中で国旗を振ったチャイニーズ集団は、私の見たところ一大勢力だった。最後に実態については良くわからないが伝統的なアンダー・グラウンドな社会も複数存在していることが確認されている。以上5本の柱が人民の海にそそり立っているのが今日のチャイナと仮説を立ててみた。この仮説では政府は共産党が担っているが、エリアを分割して統治するのではなく、それぞれの利権を互いに侵さないで並列して住み分けられる。事実いささか旧聞に属するが、林彪直系の第四野戦軍が江青夫人の言うことを全く聞かなかったことは良く知られている。行政上の分裂といった巨大なエネルギーを使わずに、即ちソ連崩壊の道をたどらずにチャイナでありつづけられることになる。旧ソ連崩壊の際には莫大な国家資産のブン取り合戦が繰り広げられたことは有名な話だが、チャイナではとっくに5本の柱に分けられているのだ。もっとも何れにせよムシり採られるばかりの人民ピープルの方は救われないのだが。

 これを書いている時にSMCメンバーの神山道元先生から、周恩来没後30年にあたり周恩来夫人の日記が公開されたと聞いた。これは実に第一級資料で内容の分析が待たれる。察するに人気のあった周恩来に対し、毛沢東が様々な手を使っていじめをしていたことが明らかになるのではないか。すると実際は醜い権力闘争による混乱でしかなかった文化大革命を否定するものになりかねない。共産党内の権力闘争が激しくなる前兆ではないか。

 大気、水を中心にかなりの汚染が現に進行し、尚且つ衛生観念の欠如による食材が国中に出回るどころか、毒餃子、毒ペット・フードのように世界中に輸出される。先日上海で豚の死骸が大量に流れ着いて問題になったが、あれは豚の肉を赤く見せるためにヒ素を使うのが、飲ませすぎて死んだために処理に困って川に投棄したそうだ。ところが共産党トップが使うことで知られる釣魚台国賓館で出される食材などは作っているところからして、一般からは隔絶されている。どんなに汚染が進んでも幹部が食べるものだけは確保する。異形の大国の現実は深い闇に覆われている。

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