何回も卒業した
2014 MAR 7 12:12:28 pm by 西 牟呂雄
学校からは5回卒業したが、いつも大した感慨が湧かなかった。僕はどの学校でもどちらかというとマイナーな存在だったし、セレモニーが似合わない性質なのでヤレヤレという感じが強かったように記憶している。友達もそんな奴らばかりだったので、皆盛り上がらなかった。さあ、次に行こうか、といったノリということか。これは東京育ちで、周りの連中と大体似たような進学を繰り返し、更に地域的にも物凄く狭い範囲に通い続けてしまったので、一人だけ遠くに旅立つという感覚にならなかったせいじゃないだろうか。大学までの一貫校の奴らもそれに近いことを言っていた。今から考えれば、海外に進学でもしたほうが人格形成上良かったような気がする。卒業・リセット、そして次への飛躍という気になった初めは、就職して初めての現場に赴任した時、今度こそ真面目にやろう、と力が入った時かもしれない。
そもそも学生時代全般にわたって、勉学でもクラブ活動でもスポーツですら、打ち込んでやるようなことはやってない。従ってモノになったものはない。ギター・ドラム・スキー・ゴルフ・ヨット全部中途半端に終わってしまった。勤めてからも、大体2年半くらいで担当が変わり、ナニナニの神様というようになるような育ち方をしていない(どこでも使い物にならなかった、の声あり)。
そういえば、仕事内容が変わった途端それまでの同僚達とは連絡を取らないようにしている。僕はそういうのを普通のことだと思っていたが、中には嘗ての同僚とOB会のように頻繁に会う人も多いらしい。少数の各時代の仲間(小中高大と3人~5人くらい)とは付き合ってはいるが、それは利害関係が無いからで、どういうわけか上司・同僚・部下といったしがらみが継続するのが生理的に面倒なのだ。
この楽観的な軽薄さに救われているのだろう。年齢のこともあり(アラカン!)本当の意味の船出は実はこれからのような気がしている。その際の多くのヒト・モノをそれこそ”捨て”たのかもしれないが(捨てられた?)、どんなもんだろうか。以前にも書いたが、これからは新しく人と出会ったり、余計なことに首を突っ込んで迷惑を撒き散らすのは止めようと思ったものの、おかげさまでセッセとブログを書いたりしている。人は嗤わば笑え、何が起こるかはわからないのだ。
それで次に卒業するのは、この世からグッド・バイだから、今まで目を背けてきたかもしれないものも良くみておかなけりゃ・・・。何てね。
一つ書き忘れたが、学生時代に趣味と同じように極められなかったことにギャンブルがある。これが全くと言っていいほど才能がなかったのだが、見事に卒業できた。
その昔、ある宴会で何の拍子か競馬の話になり、よせばいいのに半端なウン蓄を偉そうに喋った。酔いが回って引っ込みがつかなくなり、有馬記念の大勝負を挑まれてしまった。
この競馬で勝負を挑んでくる、とはさすがに今から考えるとバカの極みなのだが、とにかくそれを受けざるを得ず、手持ちの現金をアラカタつぎ込むことになったら、これが奇跡的な大当たり。百万を越える金を手にすることになる。元から使い道なんか考えてなかったからタガが外れた。今であれば銀座で一晩で使えるのだが、そのころ配属されていた田舎では、スナックを借り切りにし、お寿司を出前して、レミー・マルタンをぶちこんでも大したことない。一週間くらいそんなことばかりして大半を使った週末の朝、ひどい二日酔いで目覚めた。寮の四畳半の部屋だったが、部屋の中で蟻が引越しの行列を作っているのだ。ついに幻覚が出たのか、と恐怖した。そして混乱した頭で「神様、もうギャンブルはやめます。酒も控えますからまだ廃人にしないでください。」と祈った。実は蟻の行列は幻覚でも何でもなくて実際にあったのだが、結果としてこれがギャンブルからの卒業になったのだ。
(筆者注 本年ヨット仲間の新年会でこの禁をやぶり麻雀をやった途端、一局目の東場でリーチ一発ドラ八を振り込んで×万円を飛ばしたことを報告いたします。)
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