真夏のインド大陸 前篇
2014 JUL 8 21:21:32 pm by 西 牟呂雄

涼しい、ビックリです。インドの高地に降り立った途端に爽やかな冷気に包まれました。灼熱、とか熱波という言葉が良く似合うはずのインドでこの風。どうやら雨季なのでしょうが日本の日差しが刺すようになるこの季節に思わぬフェイントを食ったような気がしました。
実はマヌケにもパソコンを忘れ、最近とみに著しいボケの進行にうんざりさせられたのですが(だから人のパソコンを借りて打っています)意外な過ごしやすさにホッとさせられました。インドでは最も暑いのは4月頃だそうです。夏休みも最も暑い時期の4月・5月なのだと聞きました。サマーという語感はやはり国によっては異なります(当たり前だったか)。
今回はここから車で6時間、デカン高原奥地の現場まで足を伸ばしました。途中はたまーに村落がある以外は耕したかどうか良く分からない、畑のような原野のようなサバンナが続いて退屈しました。どこでも我が物顔に振舞う牛の群れは至るところに屯していて、都市部に近い所では一応家畜の風情でしたが人も住居もロクにない所ではまるで野良牛とでも言うのか・・。そのうち野良象でも歩いているかと期待したのですが、さすがにいません。そして一箇所、エアーズロックのような石の山。この周りは巨石を積み上げたような不気味な景色です。
ところでやっと着いた所はいわゆる工業地帯で、たどり着いたのは夕方ですが巨大設備がシルエットになっているのを見ると、一瞬あまりの既視感にインドに居ることを忘れます。世界中、日本でも同じような設備が稼動しており、従ってコンペティターでもある訳です。産業のグローバル化は様々な矛盾を抱えながら今後はどうなって行くのか。いずれにせよ技術を持っている日本はキー・プレイヤーでありつづけるものと考えます。
宿泊のホテルについた途端に思わぬ光景を見て、益々その感を強くしました。何とカンファレンスルームで麻雀に興じている日本人グループに出くわしたのです。日本語を喋っていたので中国人・韓国人じゃありません。いるんですな、昭和タイプのサラリーマン。
そして更に驚いたのはホテル内のメニューにTonkatsuとかKaraageといった日本食があるのです。後に判明しましたが、ある長期滞在の日本人商社マンが、休みのヒマに任せてコック達にレシピ付で教えたのだそうです。これは評判が良かったらしく、オリジナルのコックは腕を買われて既に大都市に転職してしまいましたが、その後も受け継がれてやっています。近くに14~15世紀の世界遺産になっている宗教施設がありますが、そこまで来た日本人女性バック・パッカーが『こんなところにまで日本食が!』とツイートしたことが話題になったとか。どっこい日本のサラリーマンはやってますよ色々と、と自慢したいものです。
さて翌日現場に入りました。時おりサーッと日が照るとさすがにムワッと暑いですね。
僕達メーカー育ちはヘルメットを被ると本能的にピシッとして『良し、行くぞ。』となります。熱く、煩く、重い機械の側を通ると普段使ってもいない筋肉が締まるような気がします。現地のオペレーターと目が合うと、いようやっとるな、と声を掛けたくなるもんです。
この工場は立上げの時にヨーロッパ系のエンジニアリング会社に相当ふんだくられて懲りたようです。あちらはスペックに書いてないことは知ったこっちゃない、と冷たい。そこで我々は丁寧に対応策まで協力しますよ、と説明するのですがそこは価格とかコネとか絡んで複雑になります。
こういうヨーロッパ勢のやりかたは、政治的軍事的コストをかけないで絞りまくる帝国主義の匂いを感じますね。インドは地政学的に十分アジアの範疇です。韓国もゴリゴリ来ています。中国はインドとはうまくいっていません。
日本がインドと組むのは、今でしょう、なんちゃって。安部総理は日印関係をかなり多角的に考えている気配がします。よし、ここでガンバレ日本、と工場の片隅で一人で力んでいました。
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